第 2 章 中国における障害のある人びとの実態
2.1 中国の社会福祉について
中国は古代からの儒教文化の影響を受けながら社会福祉が発展してきたが、従来は「残 余的なアプローチ5」を強調し、国家の介入は非常に限られていた。家族の相互援助を重
視する家族主義と政府の不干渉主義という思想は昔から強固で、20 世紀前半までに中国 の社会福祉体制はあまり変化しなかったと中国人学者は指摘した(熊 2006: 189)。改革 開放以降、経済体制が計画経済から市場経済に変化し、中国の社会福祉の改革も求められ た。そのため、中国における社会福祉の発展を踏まえながら、現在の社会福祉体制の特徴 と問題を検討する。
2.1.1 計画経済時代の社会福祉
1949年に新政府が成立した後、中国は計画経済体制を実行した。計画経済(1949-1984)
の期間に、政府は主として行政機関を通じて社会福祉サービスを実施した。この時期、民 政部は社会の最も弱い人びと6に残余的な社会福祉を提供する主な担当部門であった。ほ とんどの公的部門で働く都市部の住民の社会福祉は、自らの職場(単位)により供給され た。特に国有企業や行政部門は被雇用者に対して、年金や、医療サービス、住宅などの福 祉サービスを含む包括的な社会福祉を提供し、「鉄飯碗」としばしば例えられた終身雇用 政策を実施した。この計画経済の下では、能率や利益を追求する必要はなく、労働者とそ の扶養家族は職場から提供される社会サービスを利用できた。
また、政府が資金を提供して組織したいくつかの社会団体は、社会主義建設のもとで人 びとに奉仕する役割を果たした。例として、全国総工会、婦女連合会などが挙げられる。
さらに、当時の中国はソビエト連邦を規範とし、社会主義イデオロギーによって社会の中 で現実としての社会問題の存在を認めなかったので、専門職としてのソーシャルワーカ ーは職業に位置付けられてこなかった。一方、家族関係や人間関係を非常に重視する文化 の影響を受け、その上に同じ職場で働く人びとはほぼ近隣なので、中国の人びとは生活に おいて困難に直面し、支援を必要とする時に、常に職場の人や家族に援助を求めることに なった(熊 2006: 188-196)。
2.1.2 経済改革後の社会問題の爆発と社会福祉の普及
武川正吾(2016)は、東アジアの福祉国家を考察する際に、福祉国家の成立条件を二つ 提示した。一つ目は経済構造の変化である。工業化によって新しい社会リスクが誕生し、
これまでの農業社会では失業問題や、雇用保障等はなかったが、産業社会に入るとこれら の問題が生じる。この新しい社会リスクを解決するために、国家が各種の福祉政策を検討 することが求められる。もう一つの条件は「人間の再生産システムの変化」である。医療 技術の進歩や公共衛生の改善によって死亡率が低下する一方で、出生率が低くなり、それ によって人口の高齢化が始まる。高齢化により、人の介助や介護が必要となり、国家の福
祉政策の実施が一層推進されるようになった(武川 2016: 4-5)。こうした福祉国家の成 立条件から中国の福祉政策の形成をみることができる。
市場経済導入による変化によって、経済は発展が劇的に発展したが、多くの社会問題も 出現し始めた。1990 年代から、国有企業の改革によって、失業者が大幅に増え、主な社 会福祉の提供者であった職場の喪失により貧困状態に陥ったり、基本的な社会保障を受 ける権利があると主張する人がデモを行ったりした。農村部からの出稼ぎ労働者は経済 的調整のために失業し、さらに貧しくなることもしばしばあった。もともと都市部と農村 部の社会福祉体制が異なっていたが、貧困問題によって都市部と農村部の格差は一層大 きくなった。また、「一人っ子政策」の実施に伴って1990年代からの出産抑制の影響に より、中国は他のアジアの国々より速く高齢化社会に入っている。さらに、家族構成の変 化や、核家族化の進展によって、従来の家族や友人とのネットワークを重視し支援を求め るという考え方が徐々に弱くなり、親孝行や家族を養育する負担が重すぎるという訴え が大きくなっている。
さらに、改革開放の時に提出された「先富論」7の影響で、中国国内の経済発展に伴っ て所得の格差や、地域の格差が大きくなり、貧困状態にある農村部の問題も目立つように なった。2000 年代に農村部からの出稼ぎ労働者が増え、低所得者の増加で社会の不平等 の問題がますます顕著になった。所得分配の格差を示すジニ係数を見ると、1994 年のジ ニ係数は警戒線の0.40を超え、その後の2007年には0.50、2010年に0.53となり、この 数十年の間に所得格差が拡大したことがわかる。さらに、この時期に多くの東アジアの諸 国が社会福祉の理念を選別主義から普遍主義へと転換し、社会学者の国際的な交流が多 くなり、海外に留学して福祉レジーム論の理念を研究して中国に活かそうとする留学生 も増えたため、「適度普恵型」福祉の提起が推進された(沈 2016: 9)。
そして、人間の再生産システムの面から考えると、中国の社会は「未富先老」という新 しい論点が提示された。字面からわかるように、これは高度な経済発展を達成する前に人 口の構造が高齢化するということである。工業化の進展によって農村部の人は都市部に 入り、農業人口が減少しており、高齢化社会の扶養介護問題はさらに深刻になっている。
その結果、普恵型福祉政策が展開され、例えば、長い間、社会福祉から排除されていた農 村部の人びとの年金・医療・最低生活保障制度などが段階的に普及するようになっている。
この社会福祉政策の拡充は急速に実施しにくいので、「適度普恵型」という社会福祉論が 唱えられ、この点については1970年代以降の日本における「日本型福祉社会論」と似て いるということが指摘されている(武川 2016: 6)。
2.1.3 現行の社会福祉制度の特徴
上述のような経済体制の変革によって深刻な社会問題が生じた結果、その解決策とし て中国政府は1990年に市場経済に適応する社会福祉体制の構築に取り組むようになり、
「社会福祉の社会化」を提示した。
それ以降、国家の社会福祉の分野を担当する民政部は、より専門的な福祉サービスの提 供と、財政的な問題の解決を求められ、福祉サービスを提供できる市民社会が急速に発展 することとなった。社会福祉サービスの提供者は次第に従来の「単位」から市場へ転換し ていった。例えば、都市部の貧困問題を解決するための最低生活保障制度の成立、老齢保 険、失業保険、医療保険の推進、社会サービスを提供する社会団体の役割の強化が挙げら れる。多くの学者が、社会福祉の提供者が政府を主体とするのではなく、企業や社会団体、
地域社会など、全社会に広がることで、政府の役割は従来の提供者から社会福祉を実行す るための支援者に変化することを提唱している。
一方、これらの方向性から、中国の社会福祉は「小政府、大社会」というイデオロギー に発展するように見えるが、地方の財源や福祉を提供する部門は明確ではなく、社会団体 の財源の提供が不安定であることなどが多くの社会学者によって指摘された(葛 2015:
204)。また、「半官半民」の社会団体8や市民組織の成長を規制することは、中国政府が
非政府領域、すなわちコントロールできない部分に対して非常に敏感であることを示し ている。現状では、中国の社会政策に関するほとんどの分野は、依然として政府が資源を 管理する支配的な役割を担っており、多くの社会団体は権力機構と資源配分から取り残 されるものであり、財政的自立と合法性という観点から政府に制約される状態にある(熊 2001)。
このように、中国の社会福祉は、改革開放の前までは、主に行政機関、国有企業の従業 員と家族を対象とし、一連の社会福祉サービスを提供していた。経済体制が変化した後に、
社会福祉は正式なシステムで形成され、福祉の提供者は政府と民間の共同で行われてい る。そして、2007 年に社会福祉の作成と実施を担当する民政部が「適度普恵型社会福祉 の建設に関して」という提案を発表し、「適度普恵型」福祉をこれからの福祉制度の理念 とすることを唱えている。この提案の中で、高度経済成長の進展とともに、従来の「残余 型福祉」にとどまっていることで様々な社会問題が目立つようになったこと、また、全国 の市民が平等に経済発展の恩恵を受けるために、福祉体制を「残余型福祉」から「普恵型」
への転換を求めることを公表した。この転換は、選別主義から普遍主義へ転換しようとす る考え方として理解される。