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運動発生の社会環境要因

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第 3 章 福祉先進国における障害のある人びとの自立生活への道

2.1 運動発生の社会環境要因

ここでは、同種の人間の生態学的集中や組織形成、集合行動のフレームと不満の原因と 根拠という要因をめぐり、それぞれの国の障害者運動の形成過程について考察する。

2.1.1 アメリカ

2.1.1.1 生態学的集中と組織の形成

Barnartt & Scotch(2001)は人口統計学的条件や地理的条件に焦点を当てた研究を踏ま えて、同質な人びとが生態学的に集中して存在することが社会運動を達成できる条件の 一つであるということから、障害者運動の形成にも障害のある人びとの生態学的集中が 初期の運動発生の要因の一つであると提示した。こうした理論背景のもとに、アメリカの 障害者運動発生時の状況を検討する。

第二次世界大戦後のアメリカでは多くの障害のある退役軍人が出現し、特に脊髄損傷 者が多く出てきた。脊髄損傷を負った人は、第一次世界大戦後も多くいたが、当時の医療 技術では彼らを救うことが十分にできなかったために、ほとんど亡くなってしまった

(Driedger 1989=2000)。また、戦争でポリオを原因として障害を発生する人も多くおり、

当時は、脊髄損傷やポリオを持っている障害のある人を種別ごとに病院やリハビリテー ション施設に集めるようになり、施設で数か月または数年過ごした人びとの間にネット ワークが形成され、さらに自助団体や障害者支援団体も設立するようになった。

この期間に、アメリカ国内および国際的な障害組織が増加し、1945 年の盲人退役軍人 協会(the Blinded Veterans Association)、1946 の全米精神保健財団(the National Mental Health Foundation)、1947の退役軍人団体(the Paralyzed Veterans of America)、1949年の

「私たちは孤独ではありません」(We Are Not Alone) 等の組織が現れた。そして、国際 社会では、1951年に世界ろう者連盟(World Federation of the Deaf)と国際盲人連盟(the International Federation of the Blind)が創設された。さらに、社会保障プログラムの一環と して障害のある人のために職業訓練プログラムが制定され、大学では障害学生支援プロ グラムが生み出された(Barnartt and Scotch 2001:14)。

そのほか、1970年代半ばまでにDIA(Disabled in Action)のような団体が、組織され て草の根の権利運動を行った。また、ベトナム戦争で障害のある人になった多くの人が 障害者運動に参加し、彼らも1973年のリハビリテーション法の障害関連の条約の実施を 促進する運動で活躍したと述べられた(Barnes et al. 1999=2004: 209)。このように第二 次世界大戦後からアメリカの障害のある人びとが生態学的に集中し、障害組織の形成も 見られるようになった。

2.1.1.2 集合行動のフレームと不満の原因

Barnartt & Scotch(2001)によれば、集合行動のフレームは、運動参加者に問題認識や、

行動の戦略、そしてそれを解決するための改善策等の提供することを指しており、さらに、

この集合行動のフレームが適切であれば、運動参加者や支援者だけでなく、他の社会成員

を動員する可能性もあり、社会運動の発展を促進させる役割がある(Barnartt and Scotch 2001: 17)。このような集合フレームは、アメリカの障害者運動では、公民権運動の一環 に位置付けられ、当時様々な社会運動が流行っている環境において、他の社会メンバーか らの共通認識を取得した。

1960年代に入ってから、アメリカでは様々な社会運動が出現し、「社会運動社会(social

movement society)」と呼ばれた(Meyer and Tarrow 1998)。1964年に公民権法が制定さ れ、人種差別を禁止することを規定した。そしてこの期間、公民権運動としての抵抗行動 が行われ、1966年には女性運動も出現し始めた(Minkoff 1997)。その他、カリフォルニ ア大学バークレー校の言論自由運動がきっかけで学生運動と反戦運動も発生した。権利 の向上と差別の禁止をめぐる様々な社会運動の流行がアメリカの障害のある人びとに大 きな影響を与えたことが想像できる。そして、多くの障害者リーダーは、障害者権利運動 を公民権運動の一環として、公民権運動のフレームを活用した。このように、公民権の一 部という意識は、障害のある人びとが社会からの差別・排除に抵抗する行動を促進すると 考えられる。

1960 年代の公民権運動を中心に形成された集合行動のフレームは、すべての人を対象 にアクセシビリティを提供し、また不当な差別を禁止し、政治参加の機会を可能にするシ ステムであり、障害者運動の運動成員や敵対者に、運動の理念や目的を伝えた(Snow and Benford 1988: 198)。さらに運動から利益を得られなくても運動を支持する「良心がある 者」を動員することに効果がある(Klandermans 1992: 80)。さらに、自立生活運動の父と いわれるエド・ロバーツも、アメリカの障害者運動は、公民権運動や、初期の女性運動か ら影響を受けていることを指摘した(Shapiro 1993=1999: 78)。そして、1972年に最初に 公民権として障害のある人の権利擁護を主張する運動がワシントンで行われた(Barnartt and Scotch 2001: 17—18)。

次に不満の根拠と原因について述べる。まず、1950 年代ごろに、障害者家族の力によ って全米脳性まひ者統一連合や、筋ジストロフィー協会等の組織が設立された。当時の障 害者家族は、施設の医者、ソーシャルサービス専門家等に不満を訴え、障害のある子ども に教育を受けさせたいという願望を政府に提出した。その結果、障害政策の転換にも影響 を与え、1966年に連邦児童局が創設された(Shapiro 1993 =1999: 101)。また、前述の通 り、アメリカでは1960年代に様々な社会運動が起こり、それによって社会環境が変化し ていた。当時のアメリカは女性や人種問題を解決するために、彼らの公民権が認められて いた。一方で障害のある人びとの権利は承認されていなかった。1920年から1950年まで に、障害のある人に関連する法制は、所得保障の支援と職業リハビリテーションに焦点を 当てており(Berkowitz 1979; Stone 1984)、そして1960年代に入ってから、障害のある人

びとの権利の保障に直接影響を与えるのは1968年の建設バリアフリー法である。この法 律は、アメリカにおける障害のある人びとのアクセス権利に初めて言及したものである が、その実効性は1973年のリハビリテーション法503条・504条の規則が制定され から1977年に施行されるまでの間にはなかった。そして、この間に精神障害のある人に 対する人権侵害や、施設において障害のある人が不公平を経験する等の差別的な事件が 多く発生したが、医療技術の進化や、電動車椅子等の技術開発により、障害のある人がこ れまでできない機能も体験できるようになった(Barnartt and Scotch 2001: 26)。こうした 障害のある人びとへの差別について、アメリカの学者であるYoung Iris Marion(1990)が 他の人種差別や性差別と同様な構造を持っている社会的抑圧によって発生し、それらは 様々な集団の人びとが経験する抑圧に共通するものがあると指摘し、さらにその抑圧を

「搾取exploitation」、「周縁化marginalization」、「無力性 powerlessness」、「文化的帝 国主義 cultural imperialism」、「暴力 violence」という5つの種類に分類した。そして、

障害のある人びとは最も深刻な抑圧の形態である「周縁化」を受けていると指摘した

(Young 1990)。このように、戦争で障害者になる人びとが増加していると同時に、社会 からの様々な差別や、政策の不備による排除によって、障害のある人びとの不満も蓄積し た。

さらに、不満に耐えられない障害のある人びとは、抗議運動を行ったこともある。例え ば 1977 年に「アメリカ障害をもつ市民連合」(the American Coalition of Citizens with Disabilities)が、ワシントンやサンフランシスコの大都市でデモを実施し、さらにサンフ ランシスコでの座り込みデモは25日間続いたので、社会からの注目が集まるようになっ た(Shapiro 1993=1999: 103-109)。このように障害者運動発生を促す社会環境要因は、1960 年代のアメリカで形成されるようになった。

2.1.2 イギリス

2.1.2.1 生態学的集中と組織の形成

イギリスでは、最初の頃に伝統的な障害種別ごとの民間福祉法人が設立された。例えば、

1868年の「王立視覚障害者協会(Royal National Institute for Blind)」、1890年の「英国ろ う者協会(British Deaf Association)」、1899年の「視覚障害者連盟(National League of the

Blind)」、第二次世界大戦後の 1948 年に結成された「障害を持つ運転手協会(Disabled

Driver’s Association)」が挙げられる。これらの民間福祉法人は「慈善ではなく権利(Rights not Charity)」を提出し、国家責任を明確にすることを促進したと指摘された(Oliver 1996:

82)。その後、労働団体からの運動が展開され、障害のある人びとも階級問題に対する抵 抗を開始した。

また、イギリスの社会保障および福祉サービスの方向性を示す「ベヴァリッジ報告

(Beveridge Report)」が第二次世界大戦終了の直前に提出され、一連の障害政策もこれに 基づき制定された(小田 1997: 14)。例えば、最初に障害のある人びとのために制定され た法律である「障害者雇用法(Disabled Persons Employment Act)」や同年の「教育法

(Education Act)」、および1946年に公表された「国民保健サービス法(National Health Service Act)」、1948年の「国民扶助法(National Assistance Act)」が挙げられる。そし て、1950年代以降にコミュニティケアという言葉が初めて提出され、1963年に成立した

「保健と福祉:コミュニティケアの発展(Health and Welfare: The Development of Community Care)」の中で社会福祉サービスの地方分権の提言があげられ、これらの法律や政策によ り、障害のある人びとが雇用、教育、医療および経済的援助の分野で一定程度の権利が認 められるようになった。

一方、一連の障害政策や法律、コミュニティケア施策が制定・実施されたが、障害のあ る人びとは相変わらず厳しい生活の中で生きていた。20 世紀前半までは、障害のある人 に対する偏見と隔離の思想をもとに施設化が推し進められていた(Humphries and Gordon 1992)。当時のイギリスの実態は、「わずかなサービスか、老人病棟或いは慢性病棟への 入院かのいずれを選択しなければならなかった1」(Campbell and Oliver 1996: 29)。また、

コミュニティケアに対する批判は、「施設で生活していた人びとは、餓死、凍死、あるい は孤独死すること以外の、すべての権利が奪われてしまった2」(Oliver and Barnes 1990:

8)と当事者は述べた。

こうした背景のもとに、イギリスでは様々な障害者自助団体が設立されるようになっ た。当時のイギリスの障害者運動は、単一の障害種に特定した障害者団体が、所得保障や 雇用保障等の単一の争点をめぐって運動を展開する特徴があると指摘されている(田中

2005: 59-60)。例えば、1965 年に所得保障を求めるために 2 人の女性が創設した「DIG

(Disablement Income Group)」が挙げられる。障害福祉の一環としての入所施設における 非当事者からのコントロールや、社会からの隔離・抑圧に対する抵抗をきっかけに、障害 のある人びとは単一の争点に拘らず、全国で様々な障害問題に取り組むよう組織され、よ うやく1972年に入所施設に反対する当事者であったハントが、各地の施設に居住する障 害のある人に呼びかけ、さらに「DIG」団体のメンバーも加えて、イギリス障害者運動に 大きな影響を与える「UPIAS」(Union of the Physically Impaired Against Segregation隔離に 反対する身体障害者連盟)が結成された。このように、第二次世界大戦の前から1970年 代にかけて、イギリスにおける障害のある人びとが施設入居によって生態学的に集まり、

施設に抵抗するために「組織」を形成して運動を展開した。

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