第 5 章 表現活動における「生きづらさ」のつながりと知識
5.4 通底する知識としての生存の表現
本章で検討された,表現活動においてみられる生きづらさでつながる人々の知識は以下のよう なものである。
1. 共感と共に差異の活用や福祉から芸術やサブカルチャーなどの文脈の越境を通して当事者 間のつながりをつくる。
2. 病気や障害などを「コンプレックスを個性に」というように価値転換すると共に,能動性をもっ て弱くある自己規定をなす。
3. 当事者性を非当事者側に付与し,サブカルチャーとしてメインに働きかけながら社会とのつ ながりをつくる。
以上は,本研究フィールドで活動する人々の有する意識や技法としての知識ととらえられる。そ して,これらはそれぞれ無関係に独立しているわけではないことが考えられる。弱くある自己規定 は,弱さやバルネラビリティの力でもって(金子 1992),当事者間のつながりを形成するであろうし,
虐げられたり,逆に逆境を乗り越えるといったメインの障害者像とは異なる当事者像を提示するサ ブカルチャーとしての実践につながることが考えられる。代替的な言説を生産し続けるサブカルチ ャー的な対外的な実践は,差異ある当事者間のつながりを許容する土壌を作り得るし,サブとして のアイデンティティとして,弱くある自己の形成を促進することが考えられる。アンダーグラウンドな サブカルチャーとしての実践は秘密結社めいた強固な当事者間のつながりをつくることが考えら れる。また,セルフヘルプ・グループは新たな価値や生き方を見出す場としての意義を有するとさ
れ(平野 1995),本研究においても生きづらさのつながりの中で,自己規定にかかわる,新たな 生き方を知るという経験が示されていた。こうした経験がもたらされる要因としては,つながる人々 が多様であることに加え,メインに縛られない多様な考え方を生み出すサブカルチャー的要素が かかわっていることが推察される。すなわちアンダーグラウンドな雰囲気の中で,メインのストーリ ーに縛られない立場であり続けようとするサブカルチャー的意識が,多様なものの見方,生き方の 獲得を容易にすることが考えられ,サブカルチャーとしての実践をなす知識は自己を規定,構築 していく上での知識にも同時になっていることが考えられる。このように,それぞれの当事者の知 識は独立して存在しているのではなく,それぞれ重なり合い,お互いに影響しあっていることが考 えられる(図 49)。
図 49 当事者の知識の重なりと相互への影響(筆者作成)
知識の重なりや相互作用がある中,本節では,当事者間,対自己,対社会と分断して考えられ てきた中でとらえ損ねてきた表現活動に通底する知識に,生存を表現することが挙げられることを 述べる。
病気の表現活動は自らの病気などの経験をパフォーマンスとして表現する活動である。また,
「見本」となりたい,という意図もみられ,表現のされ方は時に迫真的であり,弱さやかっこ悪さとい った表現内容が重視されていた。生きづらさを抱える人々が表現していることは,つまりは各々が 生きづらいリアルな現実を生存していることであり,それを表現することが活動に通底する意識を
対社会のつながりをつくる知識
当事者間のつながりをつくる知 識
対自己のつながりをつくる知識
なしていることがうかがえた。月乃さんは 「僕はサバイバー」という詩をつくり,朗読している。そこ では,生きづらい経験をしてきた中,現在まで生き延びてきたことが絶叫朗読という形で迫真的に 表現される。
いじめられて,バカにされて,無視されて,笑われても,僕たちは 死ななかった,死ななかった,死ななかった。
僕たちはサバイバー(月乃光司作「僕はサバイバー」より)
そして,「どんな人でも今生き残っていれば僕たちはサバイバーだ。私たちは生き残った者たち だ」と,多くのプライドを捨て,弱く自己規定がなされる中で,サバイバーであることに対してのプラ イドを保持しているように感じられる表現がなされる。そして,「こんな人でも社会復帰してるんです ね。こんなあなたでも生き残ってきたんですね。僕はとても安心しました(僕はサバイバーより)」と 講演を聞いた高校生からメッセージをもらったことが自作詩の中で紹介されることは,弱い中生き 延びていくことを表現する価値をうかがわせる。また,イベントを通して伝えたいメッセージとして以 下のように語られる。
月乃:私も死にたいと思って自殺未遂したこともあるんですけれども,生き延びて,今,50 ぐ らいになって,すごく自分の人生の着地点があったんで,死なないで生きていてもらいた いな,っていう(NHK ONLINE 2014: 10)
月乃さんが「『こんな人でも生きています』というメッセージを伝えます126」と,講演や朗読の依頼 を募っているように,表現活動では「生きづらさ」を抱える人々に,生きづらさを乗り越えてきたこと や克服してきたこと,というよりもむしろ,生きづらい中を生きてきたこと,「こんな人でも生きている」
ことを伝えることを意識していることがうかがえる。
このように,病気の表現活動は「生存」していることを表現する活動となっていることが考えられる。
本研究で見出された知識である「差異を資源として活用すること」「弱くある自己規定をなすこと」
「サブカルチャー的実践であること」は,単に,それぞれ当事者間,対自己,対社会のつながりを つくるのみならず,「生存」を強調する上でも有益に作用すると考えられる。差異をむしろ表すこと によって生き延びているという共通点が垣間みる事ができ,弱くあることによって生きづらい状況で あれども生き延びていることが逆説的に強調され,代替的な言説を生み出し続けること自体に価 値をおきながらアンダーグラウンドな雰囲気を出し,確固とした対抗言説を作り上げないサブカル
126 月乃さんのツイッターによるツイートより(2013年9月30日)
チャー的実践によって生き延びていくことの重要性が強調されるように思われる。当事者は,差異 を見据え,弱くあり,サブカルチャー的存在であるというつながりをつくるための知識を有しており,
これには生存が通底していると考えられる。月乃さんはラジオ番組で以下のように語る。
はるな愛:最後に,このラジオを聞いてくれている人たちに向けて,メッセージをお願いしま す。
月乃:そうですね。あの・・・こう,「ぶざまさ」とか,「ダメさ」でつながっていきたいんです。
そこでつながれれば,「死ぬこともできない,生きることもできない」人も生きていけるん で,みんなとつながっていきたいと思っています(NHK ONLINE 2014: 12)
ここでは,「ぶざまさ」や「ダメさ」というような「弱さ」でつながることを願っていることが語られる。そ して,つながることで「生きていける」と「仲間」という詩の中で語られる。
仲間がいれば
僕はきっと生きていける 仲間
以上で示されるのは,弱さ,ぶざまさ,ダメさでつながり生きていくことを表現すること,が表現活 動の基底にあり,つながりと生存が強く関連するということである。生存を表すことはつながりをつく る上で重要な役割を果たしている。