第 3 章 表現活動の実際
3.2 K-BOX
3.2.2 メンバー
(1) メンバーの概要
K-BOXのメンバーは,20名程度で,年齢は10歳代から40歳代まで,男女に広くわたってい
る。「こわれ者の祭典」が,メンバーをある程度固定されているのに対し,K-BOX では広くメンバー を受け入れており,メンバー構成は比較的流動的である。筆者がかかわっている期間においても,
新たに参入してきたメンバーも複数名存在し,体調悪化などで休養することになったメンバー,仕 事が忙しくなったり,個人での表現活動を進めていきたく思い退会していったメンバー,また,体 調が回復し,表現活動を再開するようになったメンバーも存在した。また,表現者のみならず,見 学という形で参加している人,レッスン生という立場で,ライブ等には出ないが,表現活動を行って いるという人たちの姿も見受けられた。また,表現活動を行わず,K-BOX のライブでの受付などス タッフ業務に専念するメンバーの姿も見受けられた。
個々のメンバーでいうと,活動を統括する Kacco さんは,摂食障害やひきこもりの経験を有して おり,K-BOXの代表を務めている。K-BOXやこわれ者の祭典の活動に加え,数々の著作活動や 講演会,イラストレーターとしての似顔絵ライブなどの活動(図 18),ひきこもりサポート活動などの 活動を行っている。似顔絵ライブは県内様々なイベントでなされる。それは,道の駅や住宅展示 場でのイベントであったり,地域の祭であったりする。
図 18 似顔絵ライブ(2010年10月24日)
調査期間中ライブに出演する機会の多かったメンバーとしては,Kacco さんと共に司会を担当 している Red さん,そして Wattan さん,コウキさんで構成される機会の多いロックバンド Merry’z
51,ジャズピアノを中心としたパフォーマンスを行うタナベーさん,自作詩の朗読パフォーマンスを 行ういっしーさん 52,ピアノの弾き語りを行い,シンガーソングライターとして活動する純名さん,ア ート部門で活躍する Renka さんなどが挙げられる。メンバーはそれぞれ心の病いなどの経験を有 している 53。メンバーがK-BOXで活動するようになるきっかけとしては,Kaccoさんが非常勤で当 事者のサポートをしている病院での Kacco さんとの出会い,こわれ者の祭典や K-BOX などのイ ベントなどが挙げられる。たとえば,コウキさんは K-BOX とかかわるようになったきっかけを次のよ うに語る。
コウキ:そうですね,ひきこもる前なんですけど,学生時代にギター演奏やってまして,その 後ひきこもった時に,精神科の病院で,さっき紹介にもありましたように,居場所ってのを。
Kacco:私がやっておりました。こうみえてびっくりなんですけど私非常勤でね,病院なんか に行ってるんですね。そこでこう,今を苦しんでいる人たちと向き合っていろんなお話をう かがったりしてるんですけど,そんなのが週に1回はいっています。そこで実は彼,コウキ と出会ったんですよね。(ふれ愛さくら祭り,2010年4月25日)
K-BOX では年末にスペシャルライブというゲストを呼ぶ大規模なライブとその後の大宴会を行っ
ているが,そこでもKaccoさんが病院で行っている取組みに参加しているメンバーが観客として来 場し,忘年会に参加している状況が見受けられた(2012年12月23日など)。また,ひきこもりアー トフォーラムで K-BOX のステージを見て,K-BOX のメンバーになった人もいた。このように,ひき こもりや心の病を抱える当事者は,Kacco さんの病院での取り組みや,様々な K-BOX のイベント
を通してK-BOXにかかわるようになり,メンバーとなっていくことがうかがえる。
51 複数のメンバーでユニットを組んでの活動も行われており,Merry’z はそのひとつである。その時々 のライブ等演奏時において Merry’z のメンバーは加わったり減ったりする。Merry’z(メリーズ)という 名前由来はひつじ年生まれの人が多かったことによる。
52 現在いっしーさんはミュージック部門で活動することを目指しており,パフォーマンスは行っていない
(2014年時点)。
53 Red さんは対人恐怖や難聴など,Merry’z のメンバーはそれぞれ,うつ病や睡眠障害,ひきこもりな
ど,タナベーさんは本人いわく「幻聴の病気」,いっしーさんは地下鉄サリン事件の被害者で躁うつ 病などを抱えながら休職や転職を繰り返した経験,純名さんはパーソナリティ障害など,Renka さん はアルコール依存症などといった病気や経験を有している。
(2) メンバーの人生経験例
1) 自伝的著書にみるいっしーさんの経験例
K-BOX にて詩の朗読などのパフォーマンスを行ういっしーさんは 1960 年代生まれの男性のパ
フォーマーである。著書「『自転車』でいこう」(いっしー 2010)にて,人生経験の詳細が記されて いる。以下にその一部を引用して示す(以下の引用部分の「」表記内はいっしーさんの著作「『自 転車』でいこう」による)。
子供の頃問題児だった。「今だったら傷害事件として訴えられるような事件」を起こし,クラ スメイトを傷つけてしまった。それ以来「友人と呼べる相手はできなかった(p.43)」。中学生の 頃はいじめられ,「蹴りを入れられ」,「ゴム製のベルトで鞭のようにひっぱたかれた(p.43)」。
17 歳の頃,20 歳になろうとしていた東京にいた姉が,「病気のため亡くなってしまった
(p.104)」。「突然の不幸(p.105)」で,アパートの荷物の整理を母とした。「姉の分まで生きなく ては」と思い,「どんなにきつい時でも自殺願望はでなかった(p.105)」。 大学に1982年に入 学した。当時「廃れきっていたいた(p.22)」学生運動をやり,大学を中退した。サラリーマンを している時に,地下鉄サリン事件の被害にあい入院した。サリン中毒の症状で,部屋が本当 は明るいのに暗く感じた。
事件の 1 週間後には仕事を始めたが,無意識のところでダメージが蓄積され,「睡眠薬が ないと眠れないという生活(p.29)」が始まった。「常に誰かに監視され,会話を盗聴されている ような不思議な感覚に襲われるようになった(p.37)」。会社を無断欠勤して,富良野のペンシ ョンに滞在した。「様子があまりにもおかしいので(p.38)」ペンションのオーナーが連絡し,母と 叔母がペンションにやってきた。一旦自宅に帰り,4 か月ほど入院した。躁うつ病の病名がつ いた。会社を退職し,故郷へ戻り,実家の近くの電気工事の会社に就職した。資格をもってい たので「現場代理人見習い」として就職したが,「責任の重い,高い知識とコミュニケーション 能力の求められる仕事(p.41)」で,「ペーパードライバー(p.41)」で勤まる仕事ではなかった。
「現場代理人候補として華々しいスタートを切ったはずだったが,実際には全く使い物になら なかった。その結果ストレスで体調不良に陥り,2回休職(p.42)」し,3年弱で退職した。
楽しかった思い出もあった。地元の山岳会に入り,そのおかげで「会社での辛い日々に耐え られた(p.48)」。また,FM の生放送を昼休みに聞くのが楽しみだった。「昼休みになるといつ も車の中で一人ラジオを聴いていた(p.49)」
退職してから,現在の会社に入るまで,ひとり暮らしをしたり,職業訓練校に行ったり,短期 間未経験の職種にチャレンジをしたが,「二つの会社を両方とも一か月でクビになった
(p.52)」。そして,現在の会社に入社し,結婚し,二人でマンションに住むという順調な日々を
送った。「がんばって仕事をして,休日には職場の仲間とスノボに行ったりして人生を楽しん でいた(p.53)」。結婚した時は「天にも昇るくらい幸せだった(p.55)」。アパートで 1年くらい暮 らした後,中古のマンションを購入した。
順調だったが平成18年秋,突然体調を崩した。慣れない警備の仕事を応援で行くことにな り,「立っているのもしんどく(p.58)」なり,かかりつけの心療内科に「休んだ方がいい(p.58)」と 言われた。マンションのローンもあり,妻は泣き崩れたが,1 か月の休職を取ることにした。職 場復帰したが,体調の悪さは変わらず,再度休職した。仕事にナーバスになり,大きなミスを してしまいそうになり,パニックになった。「精神的負担の『軽そうな』清掃部門(p.61)」を希望 し,給与は下がったが,「職場移動させてもらった(p.61)」。清掃の仕事は,「周りはほとんど女 性だらけ(p.62)」で圧倒された。清掃の仕事は肉体労働であり,「熟練を要するもの(p.62)」で,
プレッシャーとなった。妻に早期のガンがみつかった。治癒可能なものだったが,給与が下が ってマンションの生活ができなくなることが大きな不安だった。そして,「余りにもわがままで自 分勝手なお願いとはおもいつつも(p.65)」,「生活が苦しいです。がんばりますので,もう一度 設備部門でやらせて下さい(p.64)」と上司にお願いした。勤める会社は「病人にも理解を示し てくれる素晴らしい会社であった(p.65)」。設備部門に戻ることができ,うつ状態は「嘘のように 解消された(p.65)」。その頃長年療養してきた父が死に,平成19年の12月に,些細なことか ら妻と大ゲンカをし,ある日,自宅に帰ってみたら妻の私物がすべて消えていた。そして離婚 が成立した。平成 20 年 10 月に,仕事で「本当に大きな失敗をしてしまった(p.68)」。「きっと またまた設備部門から清掃部門へと現場移動することになるだろう(p.68)」と不安になったが,
上司の配慮のおかげで,清掃部門ではなく,ビルの駐車場係として勤務している。給与は下 がったが,「失業だけは免れて実家で母と暮らして(p.69)」いる。
今に至るには様々なサポートがあった。父の古くからの知り合いの Y さんは,別のビル会社 の所長をしている人で,「人生の危機にいかに立ち向かうのか(p.90)」を教えてくれた。「Y さ んの知り合いの知り合いということで紹介(p.93)」された産業カウンセラーのI先生から言われ た,「『人とかかわるのが大切です』という言葉を大切にしようと思っている(p.98)」。「人と接す る機会を意識的に作っていると,それが自分にとってセーフティネットになっていくんだなと最 近やっとわかってきた(p.98)」。そして「何とか元気でやれているのは母親のおかげ(p.102)」
である。「I 先生つながりで,心の病いを抱える人,元ひきこもりの方々と出会い(p.137)」,定 期的に接している。K-BOXのライブに向けて,詩をつくり,朗読の練習をしている。「20代,30 代の若者の多い団体(p.144)」なので,「最高齢の新人(p.144)」であった。今年(2010 年)は,
「このK-BOXで,自分を表現しきりたいと思う(p.144)」。