第 5 章 表現活動における「生きづらさ」のつながりと知識
5.3 社会とのつながり-当事者性の付与,サブカルチャーとしての実践
5.3.3 サブカルチャーとしての実践によるつながり
病気の表現活動は,福祉的な側面を持ちつつも,由緒正しいものではない,裏の魅力を持つメ インではない下位文化であるサブカルチャー(伊奈 1999)であることを重視する。病気の表現活 動は,サブカルチャーイベントがよく行われることで知られる新宿ロフトプラスワンで定期的な公演 を行い,月乃さんは病気や障害にフォーカスした活動と共に,病気や障害にかかわらずサブカル チャーイベントを行うほどに123,サブカルチャー的要素を重視している。
表現活動は「仲間」との共感と共にエンタテイメント性を重視する。このような病気という分野を笑 いにするという実践はメインではないひとつサブカルチャー的要素を感じさせる。表現活動におけ る当事者と社会,非当事者とのつながりにおいては,笑いを介在させた相互理解を志すありようが 見出せる。こわれ者の祭典にしても K-BOX にしても,その時々のイベントの性質にもよるが,病 気や苦悩の経験を笑いにすることが特徴のひとつとなっている。多量飲酒をしてとった行動や,妄 想の内容や,摂食障害で大量に食物を摂取した内容が語られ,笑われる。また,DAIGO さんは 脳性マヒによる言語障害があり,発音が不明瞭であるが,これについて「何言っているのかわから ない」ことが舞台でネタにされることがある。
Kacco:はい,お待たせしましたー。こわれ者の祭典っていうとお決まりの何かかけ声があ るということで,今日はどうしましょう,やっていただけるのかな。
アイコ:じゃあ,真ん中にいるセンターのDAIGOさんに。
Kacco:DAIGOさんが。大丈夫ですか。はい,じゃあお願いします。
DAIGO:ビョウキだよ!
一同:全員集合!
アイコ:字幕出ないから。
123 2013年7月13日,「ポエトリーリーディングin サブカルチャー」というサブカルチャーイベントなど
Kacco:何言ってるか分かんないとこがちょっとネックですね。どうしましょう。
アイコ:今日,相方さんがいないので,通訳する人がいないんです124。 Kacco:ああ,かなりしんどいですね,このステージ。
アイコ:15分ぐらいするとだんだん聞き取れるようになってきます。
DAIGO:そうなんです。
Kacco:その頃には終わりそうっていわれてますけどね。(笑)(2012年6月3日,ひきこも
りアートフォーラムのこわれ者の祭典ステージにて)
こうした障害を笑うやり方は,「障害は笑ってはいけない」という規範に強く働きかける。DAIGOさ んは,さらに「腹黒い」障害者,「上から目線」「毒舌」であることなどがステージ上で語られ,そうし た役回りを担い,イベントを魅力的にするのに貢献している。以下は,同じく「病気だよ!全員集 合」のかけ声を全員が立って行うことを促した際に,DAIGOさんが,相方の車いすを使っている周 佐さんが「立てない」ことを指摘している場面である。
月乃:DAIGO君が何か言ってますよ。
DAIGO:立てない人もいらっしゃると思いますが。
江口:あ,車椅子の人ね。なんとか立てますか? 車椅子の方(笑)。
月乃:DAIGO 君は優しいようで,今のは差別発言ですんで。彼はいつも上から目線(笑)。
(2011年6月19日イベントより)
こわれ者の祭典では,こうしたDAIGOさんの上から目線の立ち位置を大きな魅力として考えて いる 125。障害者イベントに笑いを持ち込むスタイルは,特にこわれ者の祭典において,歴史的に も運営的にもお笑い集団 NAMARA との関係が強いことが関係することが考えられる。こわれ者 の祭典の司会を務めるNAMARA 代表の江口さんは,ステージ上で,当事者の表現者をいじり,
笑いをとるスタイルを形作る。このようなスタイルは,一定の批判も浴びるも,月乃さんは,江口さん の毒の入れ方を評価し(江口 2011: 8),活動を共に継続して行っている。NAMARA はお笑いと 絡めて教育や福祉関係の活動を盛んに行っているが,そのスタイルはお笑いを通すことで一風 変わったものとなっている。江口さんの考えとしては,「問題発言」だと思われることを前提として
「障害を面白がればいい(江口 2011: 204)」という立場をとっている。そして,「面白いというのは興
124 脳性マヒブラザーズとしてコンビを組んでいる周佐さんがステージ上で DAIGO さんの通訳的役割 を果たす場合が多々ある。
125 2011年8月17日,こわれ者の祭典会議より
味のあること。興味があるということは知りたいということ。知るということは理解につながります。そう いう意味では面白がっていいんです(江口 2011: 204)」とする。江口さんが障害を面白がるあり方 は以下のような,吃音を面白がるやりとりにおいてもみられる。
江口:吃音者のグループ。打ち合わせする時に,吃音者って,まあ,結局,昔でいう「どもり」
じゃない。「あ,う,あ,う」ってなったりするじゃない。だから,これは面白いと思って,この 吃音者のグループに何か歌でも歌わせようと思ったのよ。
松井:あなたが? 江口さんが?
江口:そうそうそう。歌だって歌わない? みんなでコーラスとかやってみない?って言った らね,「歌は歌えちゃうんですよ」っていってた(笑)。
松井:あ,歌は歌える。へえー。
江口:えっ,えっ,歌はどもらないの?どもらないんですよって。はあーと思ってね。意外と 面白い,いろんな発見ありますよ
(2011年6月19日,こわれ者の祭典新潟公演)
この場面で江口さんは,吃音者が「歌は歌える」ことを発見し,興味を寄せている。江口さんは,
障害を面白がるのは,「障害者に対しての免疫が少ないがために,どう接していいか分からなかっ た状態から,慣れっこにする作業(江口 2011: 205)」であって,「欲求(江口 2011: 205)」であると する。そして,「障害者と健常者(江口 2011: 12)」を含む「極端な関係性の間に入る仕事(江口
2011: 12)」が増えており,NAMARAの笑いは「肯定」をキーワードとして,「あらゆる関係性の間に
立ち,通訳,翻訳,フォローのような役割を持っている(江口 2011: 12)」とする。
このような江口さんの考え方と表現者の思いが合わさる中で,こわれ者の祭典の笑いは生み出 されている。これにより,笑いは,健常者と障害者の間に位置し,健常者を障害者へ「慣れっこ」に し,健常者が障害者を「知る」ことに寄与している。当事者と非当事者との関係をつくるには,笑い を介在させることがひとつのあり方であることがうかがえる。そして非当事者と当事者とのつながり は,対立関係でも,協力関係でも,支援する/される,という関係でもなく,相互の間で笑いを生 み出す関係,非当事者の好奇心を元にした関係としてつくられていくあり方が見出せる。
病気などの経験をパフォーマンスとしてオープンに話す,という表現活動の特徴や,笑いを介 在させた当事者と非当事者との関係は,世間の規範に強く働きかけるものとなる。そして時に障害 者が障害者を笑うというスタイルをとることによって,当事者内部の差別を表し,差別の視線を当 事者,非当事者双方が持つことを感じさせる表現をすることもある。これは,当事者ではなく非当 事者が差別的眼差しを持つという先入観に働きかけるものとなる。また,DAIGO さんのしたたかな,
腹黒い,上から目線の障害者の役回りは,障害者を聖人とみなしがちな傾向などにみられるような 無意識に感じやすい障害者像を揺るがすものとなっている。同時に以下に示されるように,表現 活動では「馬鹿馬鹿しさ」を大切に考えており,多くの人に来てもらいやすい場を設定しようとして いる。こうした実践もひとつの,障害という深刻なテーマを馬鹿馬鹿しくするという形のサブカルチ ャーとしての実践ととらえることができる。
月乃:すごいダメな男なんですけど(笑),なんか馬鹿馬鹿しさも実はすごい伝えたくて,あの,
「人生ダメでもいいね」っていうか。あの・・・普段,私,イベントはひきこもり時代のパジャマ というので出ているんですけど,最近は,父の遺品のももひきとかはいて出ていまして(笑)
(NHK ONLINE 2014: 11)
月乃:そうですね。それで,エンターテインメントで。体験発表っていろいろあるけど,結構,眉 間にしわよせて「こうやって乗り越えてきました」みたいな,そういうのもとっても素敵なんで すけども,もっと軽く,面白おかしく伝えると,また入りやすい,っていうのもありますよね。
まあ,そんなことで,もう11 年ぐらいになるんですけど(NHK ONLINE 2014: 11)
心的外傷を負った人にとってのユーモアは重要である一方で(Herman 1992=1999; Wolin and Wolin 1993=2002),当事者による笑いの語りにより苦悩が覆い隠されることも危惧されている(稲 沢 2006)。笑いは危惧される点もありながら,馬鹿馬鹿しさを示す表現活動は,笑い,ユーモア,
といった側面の重要性を強調するものであり,同時に「障害を笑ってはいけない」というメインのスト ーリーに対するサブの視点を生み出している。表現活動ではアングラな側面,対抗文化的な側面 と,サブカルチャーとしての意識が根付いており,それによりメインである主に社会・世間やそこに ある規範に対して働きかけている。
表現活動がサブカルチャーとしての実践であることが意味するところのひとつは当事者活動が アンダーグラウンドな側面を有するという特徴と,その効果である。アンダーグラウンドな側面につ いては,「秘密結社」めいたつながり,グループ内で共感などを生み出す上で大きな意義を有して いると考えられる。ここではそれに加えて,対社会の実践において「対抗文化」としての表現活動 の特性について考察する。対社会的実践において病気の表現活動がサブカルチャー的であるこ との意味は,表現活動が対抗文化として,メインの文化に対して-病気や障害などの「サブ」から 健常者社会といった支配的な「メイン」に対して-働きかけているということである。しかしながらそ の対抗文化のありようはゆるいもので,たとえばろう文化宣言(木村・市田 1996)のように,明確に 自らの独自の文化を確立するものでもなければ,「健全者文明を否定する(青い芝の会 行動綱