第 6 章 結論
6.1 発見事項
6.1.4 当事者はいかにして社会とつながるのか
病気の表現活動で表現する表現者の多くは,日常会社員として,家族の一員として暮らすなど 社会とのつながりをつくっている。そして表現活動は,「対世間」「対社会」といったように,広く社 会に対して働きかけていく実践である。セルフヘルプ・グループも社会変革機能を有することがい われ(岡 1988),パフォーマンスもまた自己主張や問題提起,社会変革を行う上で有用であるとさ れる(高橋 2005)。セルフヘルプ・グループ的な特性を有し,かつパフォーマンス活動という形を とって社会に働きかける病気の表現活動は,従来当事者の社会的な活動として検討されてきたセ ルフヘルプ・グループや運動における社会変革を志す動きとはまた異なった様相が見て取れる。
本研究における社会と当事者のつながりについての発見事項の 1 点目は,社会とのつながりは 対立や同化,協力関係といった形とは異なり,当事者性を付与することによってつくられるというこ とである。病気の表現活動では「仲間」と呼ばれるような形で多様な人々が参集するつながりをつ くっている。これは身体障害や精神障害といった人々と共に,ひきこもりなどの状態像,その他会 社員として,学校生活上など多くの人間関係上の生きづらさが語られるなかでつくられるつながり である。こうしたつながりをつくるやり方は,新たな共感を生み出し当事者間でつながる知識である と同時に,非当事者や社会とつながる知識としてもとらえられる。「仲間」「生きづらさ」といった枠 組みの中で当事者性が付与されることで従来病気や障害といった枠組みには入れない人々が生 きづらさを抱える「仲間」としてつながることができる。また,狭義の当事者性に問題が封じ込まれ,
問題が社会全体のものとして考えられないことが懸念されているが(豊田 1998),当事者性を付 与する知識は,社会全体として生きづらさ等の医学的な診断名に限定されない複雑で重要な問
題をとらえる土壌を育む一助となっていると思われる。こうしたことを可能にしているのは,パフォー マンスとしての病気の表現活動の特性が大きくかかわっていると考えられる。パフォーマンスはエ ンタテイメント性を持ち,関係ないと思っていた人に関心を持ってもらう上で有用である(鈴木 2011)。表現活動は,多くの非当事者に対して「病気」や「生きづらさ」や「障害」について考えても らうきっかけを提供する。そして,表現活動はパフォーマンスとしての特性を活用しながら非当事 者に当事者性を付与していくことによって問題を当事者のみならず社会全体の問題として考えら れるような社会を構築していく道筋を開く。こうした当事者グループを越えて「仲間」をつくる実践 は,当事者の非当事者に対する,対立とも迎合,協力関係とも異なるつながりを形成する知識で あると考えられる。こうした知識はアダルトチルドレンのような今まで名付けられていなかったが存 在する問題や,声をあげられる人の少なかった暴力被害のような関係性に基づく被害を受けてい る当事者などが当事者同士でつながるための知識になりえ,当事者の知識として普遍性を有する ことが考えられるが,その検証は今後求められるところであると思われる。
発見事項の 2 点目は,当事者はサブカルチャーとしての実践を行うことで社会に対して働きか けているということである。特にこわれ者の祭典は,サブカルチャーイベントがよくおこなわれる会 場で公演を定期的に行ったりと,サブカルチャー色を濃く打ち出している。また,障害を笑うことに より人々のタブー意識に働きかけたり,アンダーグラウンドな特性に価値がおかれたり,運動のよう に対抗するでもなくゆるさをも持った活動の方向性を提示するなど,いわば既存の当事者の運動 のあり方をも相対化していくような形で活動がなされる。病気などの当事者には病気の持つイメー ジがよくも悪くも付与されてきた(Sontag 1977=1992)。病気の表現活動で表される笑いを通じて形 作られる当事者像は,古くから流布している弱者や堕落者としての当事者像とも,その裏返しとも いえる聖化や特権化を伴う当事者像(伏見 2005 など)とも異なる当事者像であることが考えられ る。当事者はサブカルチャー的実践でもって,新たな当事者像を社会に提示し,社会の当事者に 対する見方を変容させている。社会の否定か自己の否定かを迫られるジレンマがある中(草柳 2004),メインに対するサブとして,サブカルチャー的に代替的な言説を生産し続けることは当事 者が社会とつながりをつくるひとつの知識としてとらえられる。
社会やメインの考え方に対して働きかけていくサブカルチャー的な実践のあり方は病気の表現 活動の実践のみで見出されるものではないと思われる。病気や障害当事者によるパフォーマンス や芸術活動,当事者としての文化の確立など(倉本1999,金1996,木村・市田1996)は一部アン ダーグラウンドな側面も含め,サブカルチャー的側面を有すると考えられる。また,日常的なセル フヘルプ・グループの実践にもメインに対するサブカルチャー的な考え方が垣間みえる。病気や 障害,生きづらさというマイノリティとして集い,行う実践はそれ自体がアンダーグラウンドな,メイン に対するサブとしての特性を持ちやすいことが考えられる。また,たとえば,月乃さんは以下のよう
に,自助グループでの反応が一般的に想定される反応とは異なった反応であるように感じたことを 語っており,そうした話の内容にも広い意味でサブカルチャー的な要素が含まれることが考えられ る 127。それは次のような話である。月乃さんは自助グループに通うことをきっかけにしてアルコー ルを飲まない生活を続けているが,その昔,退院し,仕事を探し,フルタイムの仕事が決まったこと があった。そして,そのことについて親も喜んでくれた。自助グループの人にも褒めてもらえるだろ うと思って報告したところ,「やめた方がよい」「絶対にリバウンドするから」といわれたことに驚いた。
そして,フルタイムではなく「バイトみたいな」仕事を眼鏡屋でする中で,フルタイムの就労が無理 なことであることがよくわかった。最初は眼鏡を拭くという業務だったのが,「眼鏡を勧める」という対 人関係の伴う業務が求められ,その時に辛くなった。通っている自助グループの人に状況をいっ たところ,「もうちょっとがんばれ」というようなことを言われるかと思っていたが,「元に戻るならやめ た方がよい」といわれた。この話にみられるように,当たり前のように思っていたことが覆される体験 を月乃さんは自助グループでしている。また,深刻に語られやすい認知症家族会の語りにおいて,
ユーモアや笑いがみられ,それは「行動規範の影響を無効化し,その世界をひっくり返」し,「『手 抜き介護』を否定しない別の世界を映し出す(以上 荒井 2013: 64)」ものとなるという。こうした体 験や実践がサブカルチャー的であるかどうかという点については,サブカルチャーのとらえ方にも よる点があると思われる。しかしながら,メインに対して異なった考えを提示することは,メインの規 範を覆すようなサブカルチャー的な一側面ととらえることは可能と考えられる。こうしたユーモアや 笑いにみられる規範に対する作用は,広くとらえるならば一種のサブカルチャー的な取り組みとみ ることも可能であると考えられる。そして以上に述べてきたように,必ずしも病気の表現活動ではな くともセルフヘルプ・グループなどの当事者集団がサブカルチャーとしての実践を行うという知識 を有していると思われ,サブカルチャーとしての実践をなすことは一種の当事者の知識として汎用 性を持つことが考えられる。
もっともサブカルチャーとして自らを位置づけ,そのありようを表現し続けることでいかなる社会 変容が成し遂げられるのかは未知な部分が多い。しかしながら,サブカルチャーとしての実践は,
「仲間」としてつながる人々が増えその人たちにメッセージが届けられる意義,当事者の世界にア クセスすることのなかった人たちのアクセスを促す意義,経験の権威化を防ぐ意義,対立か迎合 かの選択を迫られる状況を打破する可能性としての意義を有する当事者の知識であるように考え られる。そして,社会の規範や支配的な価値観に対して一石を投じる社会とのつながり方がサブ カルチャーとしての実践に見出せるのである。
127 以下,月乃さんが2014年5月25日ゲスト出演したイベント時のトークより