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詩編第 124 編イニシアル Q「鞭を持ち怪獣の上に立つ罪人」

  詩編第51編の「アンチキリスト」と類似するイニシアルを表すのが、第124編のイニシアルQ(図4-19) である。文字の基本構造は上述の第79編(図4-190)や第83編(図4-191)のイニシアルQと同様、動物

74 79編イニシアルQは、フォリオの下端の損傷により現在では図像全体を確認することは出来ないが、11世紀の コルビー修道院で制作された写本にそのコピーと思われるイニシアルが残されている(パリ、国立図書館、Ms. lat. 13392,

fol. 27r)。そこでは、人間の足の断片を加える獅子に似た四足動物がカウダに充てられているのを確認出来るが、動物

の向きは左右反転している。

の身体によるカウダと、メダイヨンの中の人物像から成り、本写本の画家のイニシアルQに於ける常套手 段が用いられている。胴体に鱗のある四つ足の鰐のような動物は、頭部の一部がフォリオの端にあたり欠 損しているものの、頚部に手綱がかけられているのが確認出来る。四足獣の上に乗る人物は片手でその手 綱を取り、もう一方の手で鞭を持つが、頭部は退色が激しく詳細が観察出来ない75

  第124編イニシアルQの図像が何を主題としたものであり、後続の詩編テクストのどの箇所を反映して いるのかは、先行研究では殆ど論じられてはいない。クーダーは先行する時代或いは同時代の類似する図 像の例が無いことから「クロコダイルのような怪獣に立つ勝利者」と記述するに留まり76、この図像の詩 編テクストとの関連や主題、図像の手本については一切言及していない。この第124編イニシアルQを構 成する、鱗のある怪獣やその上に手綱を取って立つ人物は、詩編テクストには直接的に関連する箇所が見 出せない。唯一関連付けられるのは、この怪獣に乗る人物が手にする鞭である。第124編3節「蓋し主は 義しき者の領分に、罪人の笏を遺し給わじ(Quia non relinquet Dominus virgam peccatorum super sortem justorum)」という、罪人の笏(virga peccatorum)についての言及があり、詩編のこの言葉は同時代の詩編 挿絵でも視覚化されている。《ユトレヒト詩編》第124編挿絵では、罪人の笏という章句は長い棒を振り上 げる人物を左右に配することで表されている77(図4-193, 4-194)。《シュトゥットガルト詩編》の同箇所で も、細長い枝のような某を持つ人物が左右から、中央に配されたニンブス付きの二人の人物を打とうとし

ている78(図4-195)。《コルビー詩編》と時代の近い二つの挿絵付き詩編写本では、長い竿を鞭のように振

り上げる人物によって「罪人の笏」という言葉を表しており、鞭打ちのようなイメージがこの章句に抱か れていたことが分かる。《コルビー詩編》のイニシアルの人物が手にした、柄より先が三つ又に分かれた三 条鞭は、《ユトレヒト詩編》や《シュトゥットガルト詩編》の同箇所の罪人が持つ長い竿とは形状が異なる が79、「罪人の笏」を反映したものと考えることが出来るだろう。

  それ以外の、鰐に似た怪獣やその手綱を引く人物というモティーフは、詩編テクスト本文や、教父らに よるこの詩編への注解などの関連するテクストに典拠は見出せない。これらのモティーフは寧ろ、本写本 内のその他の図像から説明されるだろう。《コルビー詩編》の画家は既に第51編(図4-159)や第83編(図

4-191)で見たように、怪獣のカウダとメダイヨンの中の人物で文字を構成するという方法を、Qという文

字に於いては常套手段として頻繁に用いている。そしてそのカウダの代替モティーフには悪の象徴として の役割を、メダイヨンの中の人物に悪の克服者或いは悪の支配者としての役割を与える傾向がある。第124

75 プリアムはこの鰐のような動物の上に乗る人物が、第51編イニシアルQと同様に、動物に後ろ向きに乗っている としている。しかし同ミニアチュールの現在の保存状態からは、人物像の頭部がどちらを向いているのか判別が難し い。PULLIAM 2010b, 103-104.

76 KUDER 1977, 272: “”Der Tierbezwinger steht auf einem krokodilartigen Untier, das er mit Zügel und Gießel bändigt.”

77 《ユトレヒト詩編》の同箇所の挿絵については以下を参照。Facs. Utrecht Psalter, Kommentar, 87.

78 《シュトゥットガルト詩編》の同箇所の挿絵については、下記を参照。Facs. Stuttgarter Bilderpsalter, Kommentar 140.

79 三つの結び目を持つ鞭は、アリウス派を異端者として鞭打ったとされる聖アンブロシウスの事物として表されるこ とがあるが、三条鞭を持つ聖アンブロシウスの図像の9世紀以前の例は確認されていない。例えばミラノのサンタン ブロージョ聖堂の祭壇飾りには、聖アンブロシウス伝を詳細に表す最初期の作例だが、アリウス派の鞭打ち場面や鞭 を事物として持つ聖アンブロシウスの図像は無い。BRAUNFELS, Wolfgang (hrsg. von): Lexikon der christlichen

Ikonographie, Bd. 5, Ikonographie der Heiligen, Aaron bis Crescentianus von Rom, Rom/ Freiburg/ Basel/ Wien 1990, 115-120.

編イニシアルQでも、写本画家は文字を装飾するにあたって、まずカウダに動物を充て、円形メダイヨン の中に人物像を表すことを前提としていたのであろう。クーダーはこの鱗のある四つ足の動物をクロコダ イルと記述しているが、クロコダイルはプリニウスの『博物誌』やその影響を受けた『フィシオログス』

によれば、竜(ドラコ)と並び悪徳の象徴、或いは悪魔に例えられる80

  第124編のイニシアルでは人物像と怪獣の頭部の一部が退色・損傷しており、人物像が怪獣を倒してい るのか操縦しているのかを正確に判断することは難しい。しかし第83編のように十字杖で怪獣と格闘する のではなく、第51編のように怪獣に掛けられた手綱を引いていることから、クーダーによる「怪獣の上に 立つ勝利者」という解釈よりは寧ろ、怪獣を操縦する者、即ち悪魔を操縦する罪人と解釈したほうが妥当 であるように思われる。第51編でもアンチキリストは支配者として、有翼獣の轡に掛けられた手綱を手に しており、12世紀の『リベル・フロリドゥス』写本の「ベヘモットの上に座る悪魔」(図4-169)でも同様 である。《コルビー詩編》のイニシアルでは、詩編テクストの章句に加えて、同じ構成方法をとるイニシア ル同士が呼応し、写本内でイメージを増幅させているのである。

D)

アタナシウス信条 イニシアル

Q「泉を求める鹿と手綱を取る人物」

  詩編第51編、83編、124編と類似する構成を取るのは、カンティクムの後に収録された最後の編である アタナシウス信条のイニシアルである。アタナシウス信条は、 “Quicumque vult salvus esse(凡て救われた いと願う者は)” で始まる、三位一体について述べた信条であり、アレクサンドリアのアタナシオスによ って書かれたとされた為に、「アタナシウス信条 Symbolum Athanasianum」と呼ばれてきた81。《コルビー 詩編》ではその冒頭のイニシアルQを、鹿の身体と円形のメダイヨンの中に立つ人物による、形象イニシ アルと図像を包囲するイニシアルの混合型として構成している(図4-196)。文字のカウダ部分に充てられ た、桶のような泉から水を飲む鹿の角には蛇か絡まり、メダイヨンの中で鹿の手綱を引く人物が、鹿の背 の上で歩くような姿勢で表されている。人物像の頭部は近年撮影された写真では確認出来ないが、修復前 の白黒写真からは、ディアデマのようなものを冠した人物の側面観の頭部を確認することが出来る(図 4-197)。

  自らの角で蛇と闘う鹿とその上に乗る人物という図像は、アタナシウス信条のテクストに典拠となる記 述がなく、アタナシウス信条の挿絵としてこの図像を持つ例は無い。例えばほぼ同時代の《ユトレヒト詩 編》の同箇所(図4-198)では、円を描いて教父らが座る公会議の様子が挿絵として描かれており、《コル

80 ギリシャ語ヴァージョンの『フィシオログス』ではクロコダイルはカワウソの敵とされ、悪魔に例えられているが、

ラテン語写本ではクロコダイルの悪魔の比喩は見当たらない。ギリシャ語の『フィシオログス』はドイツ語訳から日 本語へ訳出されている他、英訳でも確認出来る。オットー・ゼール/梶田昭訳『フィシオログス』博品社 2012; GRANT, Robert M: Early Christians and Animals, London/ New York 1999.

81《コルビー詩編》のアタナシウス信条の標題は退色しており判読が難しいが、《ユトレヒト詩編》の同信条(fol. 90v

では、 “Incipit fides catholicam” と書かれているのを読み取ることができる。尚、アタナシウス信条の邦訳は、以下に

掲載されている。日本基督教協議会文書事業部『信條集 前編』新教出版社  1955年、8-10頁。

ビー詩編》と全く異なる歴史的事象が表されているのである82。本写本のイニシアルQでは、アタナシウ ス信条のテクストの内容が直接的に表されるのでも、同時代の詩編写本のようにテクストに関連する歴史 的事象が描かれるのでもなく、蛇と争う鹿とそれを操る人物という、象徴的な図像が与えられている。こ の図像の典拠は、アタナシウス信条以外の二つのテクストに求めることが出来る。一つは、デゾブリーや クーダーが既に指摘した83、動物寓意集『フィシオログス』の記述である。『フィジオログス』の「鹿につ

いて(De Cervo)」のテクストでは以下のように、鹿が竜(ドラコ)の敵であり自らが飲んだ泉の水で竜を

殺すという鹿の性質が挙げられている。

De Cervo. In psalmo XLI dicit: Sicut ceruus desiderat ad fontes aquarum, ita desiderat anima mea ad te, deus. Ceruus inimicus est draconi; draco autem fugit a ceruo in fissuras terre; et uadens ceruus, et ebibens, implet nasa sua fontem aque, et euomit in fissuram terre, et educit draconem, et conculcauit eum, et occidit eum. Sic et dominus noster interfecit draconem magnum diabulum ex celestibus aquis, quibus habebat sapiente inenarrabilis; non enim potest draco baiulare aquam, neque diabulus sermones celestes. Si enim et tu habueris intellegibiles dracones absconsos in corde tuo, inuoca Christum ab euangeliis per orationes, et ipse occidet eum: Tu es enim templum dei, et spiritus dei habitauit in te. Capilli autem cerui, ubi

apparuerint in domo, uel de ossibus incenderis, numquam draconem inuenies: uestigium dei et timor Christi si inueniantur in corde tuo, nullus spiritus inmundus introibit tibi.

出典:CARMODY, Francis J: Physiologus Latinus Versio Y, in: University of California Publications in Classical Philology, 12, 1941, 95-134〕  鹿について。詩編第41編は「鹿が水源を求めるように、神よ、私の魂はあなたを求める」と言 う。鹿は竜(ドラコ)の敵である。さらに、竜が鹿から逃げて地中の溝へ隠れると、鹿は泉へ 向かい腹が水で満たされるまで水を飲み、その水を穴に吐きかけて竜をおびき出し、踏み潰し、

殺してしまう。このように、我々の主は巨大な竜、即ち悪魔を、筆舌に尽くしがたい知恵をも つ天の水で殺す。竜は水には耐えられず、悪魔は天の言葉には耐えられないのである。もしあ なたもまた心の中に隠れた竜を持つならば、祈りによって福音の中のキリストを呼びなさい。

彼はそれを殺すであろう。「あなたは神の神殿、そして神の精神はあなたの中に在る」。鹿の髪 のある、或いはその骨の燃える家では、あなたは竜を見つけることはないだろう。神の足跡や 神の恐怖があなた心の中に見つかるならば、汚れた精神は一切あなたの中には入らないだろう。

82 Facs. Utrecht Psalter, Kommentar 95.

83 DESOBRY 1974, 100; KUDER 1977, 230-232.デゾブリーは同図像を、『フィシオログス』の鹿(cervus)とオリゲネス による『雅歌講話』のかもしか(gazelle)についての記述の融合であるとしているのに対し、クーダーは『フィシオロ グス』を主たる典拠と見なしている。