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バルバロイの伝統としてのプレ・カロリング芸術

  多くの美術史家は《コルビー詩編》のイニシアルの様式を、カロリング朝に於ける古代復興運動以前の 芸術、すなわち「プレ・カロリング」の、「バルバロイの」芸術と解釈した。

  中世芸術研究全般に於ける古典古代の復興と存続の問題への偏重を批判し、《コルビー詩編》の装飾イ ニシアルを一つの反古典主義、即ちバルバロイの伝統に恩義を持つ作例の一つとして挙げたのはペヒトで

ある。ペヒトの小論稿「初期ロマネスク芸術のプレ・カロリングの淵源1」は、当時(1960 年代前半)の 中世美術史研究を度重なる「ルネサンス」から説明しようとする動向を批判的に捉え2、プレ・カロリング とロマネスクの芸術性に於けるバルバロイ芸術の貢献として取り上げるものであり、この約300年間の開 きのある2つの芸術の様式に通底する特徴として、「再現的要素の非再現的構造への従属と適応が新たなる 存在や複合体の創造に帰結する3」という原理が指摘されている。この原理は更に4つの特徴、即ち、「イ ニシアルのアニミスティックな着想4」、「(動物の)棲み付いた唐草5」、「形体の変幻自在な発展の原理6」、

「全ての芸術的形体の両面価値7」で説明されており、これらの特徴の殆どがペヒトによれば、《コルビー 詩編》のイニシアル芸術に既に見出される8

  第一の、「イニシアルのアニミスティックな着想」については、ペヒトはまずメロヴィング朝写本に典型 的な鳥魚文イニシアル(図 2-1)と、ミシェリによって《コルビー詩編》との様式的類似が指摘された 8 世紀末の写本9《エッセンの福音書》(エッセン、大聖堂宝物庫)の動物イニシアル(図2-2)の比較から始 めている10。前者に於いては文字を形成する垂直軸・水平軸に鳥と魚のモティーフが当てはめられ、諸部 分が単純に「マッチ棒のように11」繋げられているのに対し、後者に於いては二つの四足獣の接合点が単 純に文字の角には置かれていないことによって、文字には四足獣の激しい動きが生じているという点は、

《コルビー詩編》では例えばイニシアルN(図2-3)に於けるモティーフ同士の襲撃による連結とそこか ら生まれる文字の活性化を例に説明されている12

  第二の、「棲み付いた唐草(inhabited scroll)」はペヒトによれば、既に古代末期に見られたものがプレ・

カロリングのインスラー芸術に於いて花開き、紀元一千年前後のアングロ=サクソン芸術を介してロマネ スクで完成されたとしている13。この「動物の棲み付いた唐草」の概念はイニシアル芸術にも、動物或い は人間像の「棲み付いたイニシアル(inhabited initial)」として転用されるが、ペヒトは《コルビー詩編》

1 PÄCHT, Otto: The Pre-Carolingian Roots of Early Romanesque Art, in: Romanesque and Gothic Art, Studies in Western Art 1, Acts of the Twentieth International Congress of the History of Art, Princeton 1963, 67-75.

2 ペヒトはここで、E. パノフスキーが1960年に発表した「ルネサンスとリナスシンズ」で引用されたW.イェーガー による、中世に於ける絶えざるルネサンス運動を自明のものとして考える言葉を挙げて批判している。PÄCHT 1963, 67, note 1; PANOFSKY, Erwin: Renaissance and Renascences in Western Art, Stockholm 1960. [邦訳:中森義宗・清水忠訳『ルネ サンスの春』思索社 1973年、16頁、249頁注12]; JÄGER, Werner: Humanism and Theology, Milwaukee 1943, 23.

3 PÄCHT 1963, 71: “...in which the submission and adaptation of representational elements to non-representational structures, be they ornament, the shape of a letter or of an architectual member, results in the creation of new entities or compounds.” 

4 PÄCHT 1963, 70: “There is, first, the animistic concept of the initial.”

5 PÄCHT 1963, 71: “Other instances are the inhabited scroll, …”

6 PÄCHT 1963, 71: “...common to pre-Carolingian and Romanesque art is the principle of the kaleidoscopic development of form.” 

7 PÄCHT 1963, 73: “…phenomenon is the ambivalence of all artistic form.”

8 PÄCHT 1963, 70.

9 MICHELI, Geneviève Louise: L’Enluminure de haut moyan âge et les influences irlandaises, Brussels 1939, 84.

10 PÄCHT 1963, 68-69; PÄCHT, Otto: Buchmalerei des Mittelalters, München 1984, 51-53.

11 PÄCHT 1963, 69.

12 PÄCHT 1963, 70; PÄCHT 1984, 54. 尚、メロヴィング朝写本の静的な鳥魚文イニシアルから《コルビー詩編》の活気

あるイニシアルへの発展段階の仲介を成すものとして、アレクサンダーは8 世紀前半の《ヨブ記注解》(Cambrai, Bibliothèque Municipale, Ms. 470)のイニシアルを挙げている。ここではVの形体に合わせて身体をくねらす海獣とそれ を踏みつける人物像の激しい格闘が文字に生命を与えている。ALEXANDER, Jonathan James Graham: The Decorated Letter, London 1978, 11.

13 PÄCHT 1963, 71-72.

のイニシアルは挙げておらず、10世紀のアングロ=サクソン写本のイニシアルをその初期の例として挙げ ている14

  「形体の変幻自在な発展の原理」はこの特徴の発展上にある。ペヒトは《コルビー詩編》の「海中へ投 じられるヨナ」のイニシアル(図 2-4)を例示し、ある一つの物質が素早くまた別のものへ、人間から動 物へ、動物から植物へ、有機体から非有機体へと変形するこの原理をまた別の著作では「カレイドスコー プ的メタモルフォーゼ(kaleidoskopische Metaohorphose)15」と名付けている。

  プレ・カロリング朝芸術とロマネスク芸術に共通する原理としてペヒトが最後に挙げた、「全ての芸術的 形体の両面価値」は「主要なものと副次的なものの、或いは伴奏と主題の互換性、即ちデザインの対位法16」 とも換言されており、《リンディスファーン福音書》に見られるような地と図の相互互換性について、イン スラー芸術の研究史に於いて指摘されてきた概念である17

  これら4つの原理による、「再現的要素の非再現的構造への従属と適応が新たなる存在や複合体の創造へ の帰結」として、ペヒトは《コルビー詩編》のイニシアルを、古典古代の復興という当時の芸術的機運に 逆らった、バルバロイの芸術として解釈している。それが最も特徴的に現れているのは、彼が C. ノーデ ンファルクによる指摘18に賛意を示しつつ、《コルビー詩編》のイニシアル芸術の同時代に於ける異端性と ロマネスクの到来を予告する先駆性を指摘した以下の言葉である。

 

「《コルビー詩編》の芸術性は二重の意味でアナクロニズムである。インスラーと大陸の双方の バルバロイの伝統に染まっているので、同時代であるシャルルマーニュ支配下の宮廷芸術の基 準から判断するとアルカイックである。他方、それは時代を遙かに先取りし、来たるべき遠い 未来の青写真を含んでいる 」

14 ここで挙げられているのは10世紀ウィンチェスター派の《ユニウス詩編》(オックスフォード、ボドレアン図書館、

Ms. Junius 27)のイニシアルである。PÄCHT 1963, 71-72; PÄCHT 1984, 82. 尚、《コルビー詩編》ではこの「(人間像や 動物の)棲み込んだイニシアル」の前段階を示すものが見られる。これについては以下第3章で論じる。

15 PÄCHT 1984, 53. 同様の表現はノルデンファルクにも見られる。NORDENFALK 1957, 142.

16 PÄCHT 1963, 73: “... the interchangeability or major and secondary, or accompanying, themes, a counterpoint way of design.”

17《ダロウの書》から《リンディスファーン福音書》への動物文・幾何学文の発展における地と図の関係についてT. D.

ケンドリックが分析しており、それ以降インスラー芸術の様式分析に於いて、M. シャピローによる「視覚的対位法」

J. J. G. アレクサンダーによってこの「形体の交替と対位法」といった言葉が用いられている。KENDRICK, Thomas

Dowing: Anglo-Saxon Art, to A. D. 900, New York 1938, 107-108; SCHAPIRO, Meyer: The Decoration of the Leningrad Manuscripts of Bede, in: Scriptorium 12, 1958, 191-207, repr. in: Late Antique, Early Christian and Medieval Art, Selected Papers:

Meyer Schapiro III, New York 1979, 204; ALEXANDER, Jonathan James Graham: Insular Manuscripts, 6th to the 9th Century, London 1978, 10.

18 PÄCHT 1963, 70. ペヒトはここで、「実際に、シャルルマーニュの時代には既にヨーロッパ芸術が、もしその道から

外れることが無ければそこで頂点を迎える筈であったロマネスク様式へと向かって動いていた徴候がある」というノ ルデンファルクの主張に賛同している。NORDENFALK, Carl: Early Medieval Painting, Stockholm 1957, 142: “Indeed there are indications already in the days of Charlemagne European art was moving towards the Romanesque style in which it would have culminated, had nothing deflected it from its path.”

19 PÄCHT 1963, 70: “The art of the Corbie Psalter is an anachronism in a double sence. Steeped as it is in the Barbarian tradition of both insular and Continental art, it is archaic when judged by the standards of the official art of Charlemagne’s reign, with which it is contemporary; on the other hand, it is far ahead of its time and contains the bluepoint of things to come in the distant future.”

ペヒトは《コルビー詩編》のイニシアルを、二つのバルバロイの芸術という「プレ・カロリング朝20」の 所産の発展形としており、古代の復興を志向したカロリング朝の宮廷芸術との対極に位置付けているので ある。

  ここで重要なのは、ペヒトによるこの様式的位置付けの言葉の裏に、翻って、ペヒト自身が既に指摘し ているように、カロリング朝芸術の主流を宮廷芸術、古典古代を志向する芸術に代表させるという美術史 研究の風潮が伺えるという点である。文化的・芸術的動向と歴史の時代区分は必ずしも一致するとは限ら ず、政治史上の時代概念と美術史上の時代概念に不一致が見られることは珍しくはない。カロリング朝に 於いてもそれは顕著であり、歴史的にはフランク王国の第2王朝であるカロリング朝は751年にピピンに よって始まるが、「カロリング朝芸術」と言った時には所謂カロリング・ルネサンス、即ちカール大帝とル イルイ敬虔帝の2代の治下に渡って宮廷が中心となって牽引した、古典古代に刺激を受けた芸術とその発 展を示すことが多い。《コルビー詩編》の制作年代の同定が研究史に於いて8世紀末から9世紀初頭の間で 揺れ動いていたとはいえ、明らかにカロリング朝時代に入ってからの作品であるにも関わらず、多くの美 術史家らによって「プレ・カロリング」という言葉で形容されてきたことからも分かるように、「カロリン グ朝芸術」が中世美術史に於いて意味するものは、まず第一にルネサンスと称される復興運動だったので ある。