ポルシェがカロリング朝期の写本画の様式的多様性を前提とした上で、《コルビー詩編》の写本画の造形 的特質を、線描を基調とした修道院写本として単に宮廷芸術と別個に考えたのではなく、同時代の宮廷芸 術に於ける豪華写本の最初の作例であるゴデスカルク写本との間に手の類似を見出したのに対し、ゴデス カルク以降のカールの宮廷派写本ポルシェが《ゴデスカルクの典礼用福音書抄本》の様式からは一線を 画す新しい宮廷芸術と考えたのうちにも、コルビー写本のイニシアルとのより一般的な時代様式の共通 性を発見したのが、U. クーダーである。
クーダーは《コルビー詩編》のイニシアルをモノグラフィックに研究した1977年の学位論文、及び、同 写本の幾つかのイニシアルを取り上げた1993年の論文に於いて、カール大帝宮廷派の一連の写本群と《コ ルビー詩編》との間には「帝国の写本」と「修道院の写本」であるという差異があれども、その差異は芸 術的特質には影響を与えるものではないとし、《コルビー詩編》のイニシアルとカール大帝宮廷派写本の挿 絵とを比較し、そこに様式的類似点を見出している33。
クーダーは主に人物像の表現にその共通項を指摘している。《コルビー詩編》の詩編第103編イニシアル
B(fol. 84v、図2-9)の開口部に表された二人の女性の胸像と、《サン=リキエ福音書》の福音書記者マタ
イ像(fol. 17v、図2-10)を例示し、頭部のかしげ方に加えて、両眼、鼻、顔といった面貌、太い描線によ る輪郭線の類似が指摘されている34。更に後者の福音書記者像がインク壺に浸したペンをとる優雅で軽や かな身振りは、《コルビー詩編》のモーゼのカンティクムのイニシアルA(fol. 129r、図2-11)の、ヨシュ アの頭上に手を伸ばすモーゼに見られる、身振りの様式化とも近似している35。クーダーはこうした《ゴ デスカルク典礼用福音書抄本》より時代の降る宮廷派の豪華写本と《コルビー詩編》との間に、共通して 見られる人物像描写の類似について言及することで、アーヘンの宮廷周辺とコルビー修道院という制作環 境や地域差を超えた共通様式を見出しているのである。
32 PORCHER 1957, 58.
33 KUDER 1977, KUDER 1993, 240: “S’il est vrai que les manuscrits de l’école de Charlemagne sont des manuscrits impériaux et le Psaltier de Corbie un manuscript monastique, toutefois cette difference n’a pas eu d’influence sur la qualité artistique du dessin”.
34 KUDER 1993, 240.
35 KUDER 1993, 240.
人物像の容貌や身振り表現に加えてクーダーは、メロヴィング朝写本の常套手段であった魚文イニシア ルや、イニシアルとそこに表されたモティーフ、或いはモティーフ同士の関係からも、カロリング朝美術 に共通する様式を《コルビー詩編》に見出している。クーダーはまず、魚文から構成されるという点で共 通する2つのイニシアルL、即ち《グンドヒヌス福音書》(オータン、市立図書館、Ms. 3)(fol. 94r, 図2-12)
と《コルビー詩編》の第145編イニシアル(fol. 120v、図2-13)を比較し、前者は一方の大きな魚の口が 他方の小さな魚の尾に噛み付いているのに対し、後者では小さな魚の向きを前者とは反転させることで、
二つの魚モティーフの頭部と尾の重なりに於ける硬さを回避し、小型の魚の頭部は大型のそれの口に柔ら かく取り込まれている点に注目している36。クーダーはカロリング朝美術に共通する造形的特質を「異質 なものの統合37」という点に置き、《コルビー詩編》に見られるこのモティーフ同士の接合部の柔軟さを、
異質なもの同士の統合に於けるその付加と順応の柔軟性であると評価している38。同様の原理は、人物像 を含むイニシアルにも見られる。詩編第113編のイニシアルI(fol. 96r、図2-14)の、組紐文やロゼッタ文 から構成されるIという文字の柱身の上部には天使の上半身が取り付けられ、下部は獣の足に変化してい る点を挙げており39、こうした文字の形体に合わせた異なるモティーフを組み合わせてイニシアルを作り、
モティーフ同士を柔軟に接合するという特徴は、本作のイニシアル全般に共通して見られるものである。
同様の原理が、イニシアルの枠とモティーフとの関係にも観察出来る。《コルビー詩編》の「ザカリアへ のお告げ」のイニシアルB(fol. 136r、図2-15)では、ザカリアの手の輪郭線は祭壇の直線的輪郭線と殆ど 同化するほどに適合しており40、お告げの天使の翼の描く円弧の、文字形体そのものをなぞるような曲線 への一体化は、他のイニシアルでも同様に観察出来る。更にクーダーは、ある一つの物質が素早くまた別 のものへ、人間から動物へ、動物から植物へ、有機体から非有機体へと変形する原理を持つ、第129編イ
ニシアルD「海中に投じられるヨナ」のイニシアル(fol. 110r、図2-16)ペヒトが「カレイドスコープ
的メタモルフォーゼ」と表現したについてすら、各々の形象は混じり合うのではなく各自の自律性を保 ち、単にその境界線が柔軟に統合されている点を指摘している 。これらのイニシアルの造形的特質を、
異質なもの同士の統合に於ける付加と順応の柔軟性と結論づけている42。
クーダーはこうした造形的特徴から、本作品のイニシアルを最終的にはカロリング朝的であると結論付
36 KUDER 1977, 310-312.
37 KUDER 1977, 310: “Die Initialen des Amienspsalters vereinigen Heterogenes, …” 尚、カロリング朝美術のこうした解釈は W. メッサーラーを始めとした、クーダーより一世代前の美術史家によって主張されたものである。MESSERER, Wilhelm: Der Stil in der karolingischen Kunst. Zum Stand der Forschung, in: Deutsche Vierteljahrschrift für Literarurwissenschaft und Geistesgeschichte 42, Jg., Stuttgart 1967, 117.
38 KUDER 1977, 310: “Der Stil des Amienspsaltermeisters offenbart sich gerade darin, wie er das verschiedene verbunden hat: seine Kunst ist die einer bewundernswerten Weichheit des Anfügens end Einpasses.”
39 KUDER 1977, 310.
40 KUDER 1977, 311.
41 KUDER 1977, 311: “Jede Gestalt bleibt für sich, plastisch fest; sogar in der Jonas-Initiale (Ps 129 (fol. 110r)) sind die Gestalten eindeutig begrenzt. Nur die begrenzenden Linien kegen sich weich zusammen...”
42 同様の言及は1993年の小論稿でも確認出来る。KUDER 1993, 241: “Cette fluidié du passage d’une forme à l’autre enchaîne étroitement non seulement l’image et la lettre, mais aussi les divers elements représentés.”
けている43。しかしここで注意しておきたいのは、クーダーの主張する「カロリング朝的」という概念そ のものが、単なる古典古代の復興を志向した芸術を意味するものではないという点である。クーダーは W. メッサーラーや W. ブラウンフェルスといったカロリング朝美術研究の大家らによるカロリング朝芸 術の様式分析を継承し44、彼らによる古代末期と古代復興としてのカロリング朝芸術との間の様式的相違 点を、例えば詩編第7編(fol. 6r、図2-17)の「獅子を倒すダヴィデ」のイニシアルDとその古代末期の 手本との間に応用している。即ちクーダーはカロリング朝芸術を古代末期の芸術とは差異化した上で、寧 ろ多分に中世化されたカロリング朝芸術と《コルビー詩編》との間に共通項を見出しているのである。
クーダーによれば人物像を含むイニシアルというものがそもそも非古典的、中世的な形式であるので、
カロリング朝芸術を単なる古典古代の存続と復活として捉えるならば、《コルビー詩編》のイニシアルはカ ロリング朝芸術と呼ぶことは出来ない45。彼は寧ろ本作品に於ける人物像を含むイニシアルを、カロリン グ朝芸術を一面的に古典古代の復興と見做すことへの反証とし、本作品をカロリング朝芸術の時代様式へ と帰属させているのである。ペヒトが本作品のイニシアルとロマネスク芸術に共通する原理として挙げた
「再現的要素の非再現的構造への従属と適応46」は、即ちクーダーに於いては「異質なもの同士の統合」、
「像と細部の接合47」であり、《コルビー詩編》のイニシアル芸術を寧ろ同時代のカロリング朝へと近づけ るものであった。
ペヒトは《コルビー詩編》のイニシアルを、古典古代を志向する同時代の宮廷芸術とは正反対に位置付 けられるバルバロイ芸術と解した。ポルシェもまた本写本をバルバロイ芸術と見做しながらも、カロリン グ朝写本画の多様性を確認した上で、宮廷派初期のゴデスカルク写本との様式的類似から、画家の手の近 さを指摘した。クーダーは、まずカロリング朝芸術全般を単なる古典古代の復興と見做すことの否定、即 ち文字と図像という異質なもの同士の統合という中世的な側面を評価することでカロリング朝芸術と古典 古代との差異化を図り、その中に《コルビー詩編》のイニシアルを位置付けた。こうした様式評価の背景 には当然、そもそもカロリング朝芸術とは何かという、カロリング朝美術そのものの様式解釈の変遷があ った筈である。
43 KUDER 1977, 310: “Die Initialen des Amienspsalters vereinigen Heterogenes, darin, unter anderem, sind sie typisch karolingisch.”
44 KUDER 1977, 312. メッサーラーやブラウンフェルスは、例えば古代末期の芸術としてイスタンブール考古学博物館
の石棺を、カロリング朝芸術として《ロルシュ福音書》の写本装飾象牙浮彫板の例示し、メダイヨンを持つ天使の肩 の後方へとはためく衣服が、前者に於いてははばたくように動くのに対し、後者に於いてはぴったりと隣接し張りつ めていることを指摘し、同じモティーフを用いた古代末期芸術とカロリング朝芸術とを様式的に差異化している。メ ッサーラーについては以下を参照。MESSERER, Wilhelm: Der Stil in der karolingischen Kunst. Zum Stand der Forschung, in:
Deutsche Vierteljahrschrift für Literarurwissenschaft und Geistesgeschichte 42, Jg., Stuttgart 1967, 145. ブラウンフェルスについ ては以下を参照。BRAUNFELS, Wolfgang: Die Welt der Karolinger und ihre Kunst, München 1968, 384.
45 KUDER 1977, 320: “Figurierte Initialen sind, wie Zierbuchstaben überhaupt, als solche unantik. Charkterisiert man die katolingische Kunst einseitig als Fortleben und Erneuerung der klassischen Antike, als Renovatio, dann kann der Amienspsalter nicht eigentlich der karolingischen Kunst angehören.”
46 PÄCHT 1963, 71: “… in which the submission and adaptation of representational elements to non representational structures, …”
47 KUDER 1977, 312: “Darin, daß er die Gestalten und Details aneinanderlegt, ist der amienspsaltermeister karolingisch und, verglichen mit antiken Gestaltungen, mittelalterlich.”