• 検索結果がありません。

ルへと近づいたのである。

メトロポリタン美術館、Acc. no. 17.190.394; 図3-46, ニコジア(キプロス)、考古博物館、図3-47)のよう な東方の手本が想定されている。しかしこのインスラー写本のイニシアルでは、ペヒトが指摘するように、

楕円形の開口部に物語場面を移植し組入れることで、地面や背景の空間は狭められ、イリュージョニステ ィックな空間価値は最早ここでは放棄されている44。図像を閉じるイニシアルのもう一つの例は、《ヴェス パシアン詩編》とほぼ同時期にウェアマス=ジャロウ修道院で制作された、『イギリス教会史』写本(サン クトペテルブルク、国立図書館、Lat. Q v I 18)のイニシアルH(図3-48, 4-39)である。十字杖を持つトン スラ頭の人物像の胸像は、そのニンブスに “AUGSTINUS” の銘があることから、著者像としての尊者ベ ーダではなく、イニシアルに続くテクストにその記述のあるアウグスティヌスであることが分かる。《コル ビー詩編》とほぼ同時期に制作された《ケルズの書》にも、図像を包囲するイニシアルが見られるが、装 飾の豪華さにも関わらずこのタイプのイニシアルは同写本には多くはない45。物語イニシアルは大別して 二つの形式、即ち図像を包囲するイニシアルと形象イニシアルから成るが46、前者はカンタベリーやウェ アマス=ジャロウといった、イタリアの影響下にある修道院で制作された写本で誕生したのである。古代 末期或いは東方の、地中海世界の図像世界が、ノーサンブリアを中心としたアングロ=サクソンに齎され たこの時代、図像を包囲するイニシアルの誕生は、ノーサンブリア・ルネサンスと称される中世史上のひ とつの復興と再生の潮流を内包しているのである。

  ハイバノ=サクソンの写本芸術に於ける壮麗で変化に富んだモノグラム・ページの発達や、図像を包囲 するイニシアルの登場の一方で、大陸の写本に於けるイニシアル装飾は、古代末期に誕生した鳥や魚をモ ティーフとしたイニシアルを発展させていた。6-7 世紀のイタリアの写本で既に、鳥や魚が文字の一部を 成す形象イニシアルの萌芽が見られたが(図3-31 – 図3-33)、それは8世紀までにより様式化された形で 普及していた。イタリアの7世紀後半の写本(ザンクト・ガレン、修道院図書館、Cod. sang. 730)では、

コンパスを用いてパターン化された鳥文イニシアルが登場する(図3-50)。8世紀後半のイタリア写本(パ リ、国立図書館、Ms. lat. 10318)では、インスラー系の写本に特徴的な赤い点描を伴った、より装飾的な 魚文イニシアル(図3-51)を持つ写本が制作されている。8世紀のガリアでは、こうしたイタリアで広ま っていた写本装飾を取り入れ、より装飾的価値の高い、様式化された鳥魚文イニシアルを完成させる。コ ルビーで制作されたアンブロシウスの『ヘクサメロン』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12135, 図3-50)

では、黄色やオレンジ、緑といった鮮やかな色彩で彩られた鳥魚文イニシアルが、あたかもマッチ棒を並 べたかのように、水平・垂直の要素に合わせて配列されている。同じく北フランスの例であるゲラシウス の『サクラメンタリウム』写本(ヴァティカン、教皇庁図書館、Reg. lat. 316)でも、十字架装飾の隣には これをカール大帝宮廷派写本の発明であるとしている。SCHARDT 1938, 48ff; SCHAPIRO, Meyer: The Decoration of the Leningrad Manuscripts of Bede, in: Scriptorium 12, 1958, 191-207, repr. in: Late Antique, Early Christian and Medieval Art, Selected Papers: Meyer Schapiro III, New York 1979, 199; PÄCHT, 1984, 77.

44 PÄCHT 1984, 77.

45 SCHAPRO 1974, 202, 220, note 9.

46 シャピローは物語イニシアルに二つのタイプがあるとし、その発明の一方をイングランドに、もう一方を大陸に帰 している。SCHAPIRO 1979, 199.

魚文イニシアルが見られる(図 3-53)。鳥魚文イニシアルそのものは西ゴートやランゴバルドなどでも広 く用いられた装飾方法であったが、クロワゾネによる金工装飾(図3-54, 3-55)のような色彩鮮やかな鳥魚 文イニシアルは、特にメロヴィング朝フランクの写本の常套手段であった。しかし8世紀の文字装飾はこ うした動物モティーフの静的な組み合わせのみに留まった訳ではない。『説教集』写本(図 3-56)では、

魚のモティーフがその身体を柔軟に曲げ、Qの文字の円弧やカウダに適応しており、8世紀後半の『教会 法選集』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12444)のイニシアルA(図3-57)やアウグスティヌスの『七 書研究』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12168)のイニシアルE(図3-58)では、鳥や犬のような四足 動物が手足を折り曲げることで、文字にアクロバティックな動きを生み出している。古代末期の簡素な鳥 や魚のイニシアルと比較して、次第に動きを獲得し始めたこの時期の大陸のイニシアルこそが、カロリン グ朝の《コルビー詩編》の生き生きとした動物文イニシアルの前段階なのである。

  8 世紀後半の大陸写本では、このような動的な形象イニシアルが次第に登場し、ついには人物像までも 激しい動きを示すようになった。インスラーの影響下にある大陸の修道院で制作されたと考えられている

『ヨブ記注解』写本47(カンブレー、市立図書館、Ms. 470)では、2つのイニシアル(図3-59, 3-60)で、

海洋生物や四足獣と格闘する人物像が描かれている。単に文字の形に当てはめるだけではなく、イニシア ルVのメインステムを担う動物を、人物像は銛や槍でそれぞれ獣を突いており、ここでは生きた形象イニ シアルとなっているのである。同じく8世紀後半の《ジェローヌの典礼書》(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12048) のイニシアルE(図3-61)では、人物像が身体を直角に屈曲させ両腕を突き出すことで、大文字のイニシ アルEを形成している。

  物語イニシアルの二つのタイプのうち、もう一方、即ち形象イニシアルによる図像が誕生したのは、こ の頃のガリアであったと考えられる。この《ジェローヌの典礼書》写本の最も有名なミニアチュールであ る、 “Te igitur”の冒頭のイニシアルT(図3-62)では、Tという文字そのものを十字架に見立て、キリス トの磔刑図が描かれている。ここでは “Te igitur clementissime Pater, per Iesum Christum Filium tuum Dominum

nostrum, supplices rogamus, ac petimus さて神よ、最も恵まれたる者よ、われわれはイエス・キリストを通

してあなたにお願いします)” という言葉が、犠牲の十字架に架かるキリストによって表されているので あり、ここに、文字と絵、そしてテクストの統合が起こっているのである。この “Te igitur” を磔刑図で表 すという手法は、以後の典礼書で定着することになる。

  プレ・カロリング期には、インスラー写本に於いて図像を包囲するイニシアルが、そして大陸のメロヴ ィング朝写本では、形象イニシアルが誕生し、物語イニシアルという文字と図像の共生が始まった。そし てここで獲得された、再現的・具象的モティーフによるナラティヴな物語場面を、幾何学的・非有機的構

47 同写本の制作地の同定は、未だ研究者らの間で見解が分かれている。インスラーの使節による大陸の修道院である とする意見もあれば、イングランドで制作されたという説もある。LOWE, Elias Avery: Codices Latini Antiquiores: a Palaeographical Guide to Latin Manuscripts Prior to the Ninth Century, Oxford 1934-1966, pt. 6, 740; GNEUSS, Helmut/

LAPIDGE, Michael: Anglo-Saxon Manuscripts: a Bibliographical Handlist of Manuscripts and Manuscript Fragments Written or Owned in England up to 1100, Toronto 2014, 578.

造の中に移植する手法こそが、《コルビー詩編》の多種多様な物語イニシアルの基礎となったのである。