詩編本文に関連付けられる聖書主題のナラティヴな場面ではなく、祈りの身振りを示し詩編読者を祈祷 へと誘う図像を持つイニシアルは、この他に同写本では第140編イニシアルDのダヴィデ(図4-243)が 挙げられる。ここでは大文字のDが図像を包囲するイニシアルとして用いられており、ダヴィデは四分の 三面観で後続のテクストの側を向いて表されている。
膝を軽く折り両手を差し出して祈るという全身の身振りは、前項の第21編イニシアルに比べるとやや控 えめではあるものの、《シュトゥットガルト詩編》に散見されるような救いを求めて祈るダヴィデと同様の 図像を手本としていたと考えられる。但し、こうした図像を持つイニシアルが成立する為には、図像を包 囲するタイプのイニシアルではなく、その前段階として形象イニシアルの発展が必要とされたようである。
8 世紀のメロヴィング朝写本に於いて、全身の人物像による形象イニシアルが成立・発展していたこと は、第3章第2節及び3節で論じた通りである。《コルビー詩編》以前に人物像を伴う形象イニシアルを最 も多く豊かに開花させていた《ジェローヌの典礼書》には、両手両足を水平に差し出して文字を形作るイ ニシアルEが見られる(図4-244)。ここでは人物像は祈りの仕草を示してはいないが、向かって右方向へ と四肢を伸ばし目を向けているので、読者は自然と後続のテクスト “Ecclesiae tuae Domine uotis …” へと導
114 《カール禿頭王の祈祷書》については、以下を参照。KOEHLER, Wilhelm/ MÜTHERICH, Florentine: Die karolingischen Miniaturen, Bd. 5, Die Hofschule Karls des Kahlen, Berlin 1982, 75-87; Exh. Cat. MAGDEBURG 2012, 487-488, Kat. Nr. IV. 43.
かれ、イニシアルは視線誘導の機能を担っている。8 世紀前半の《トマスの福音書》と称される写本(ト リーア、大聖堂宝物庫、Cod. Nr. 61)では、同じく手足を前に伸ばした人物像によってイニシアルE(図
4-245)が構成されている。《ジェローヌの典礼書》と同様に右に体を向けることで後に続くテクストへと
視線を導く効果を生んでいるが、同時に、丸みを帯びた文字の形に合わせる為に頭を俯きに垂れている為、
《シュトゥットガルト詩編》第30編(図4-234)や《聖アウグスティヌスの福音書》の「オリーヴ山での 祈り」(図4-246)のように、祈りを捧げる身振りに近づいている115。四肢を伴う仕草によって後続のテク ストへと連続するイニシアルは、《コルビー詩編》以前にはこれら以外には知られておらず、第140編イニ シアルのイニシアルは、祈りを示す図像を単に文字の中に移植したのではなく、形象イニシアルをも含め た人物像を伴うイニシアルの発達の末に生まれたものであると考えられる。ここでは、ダヴィデの上向き の眼差しによって視線は対向頁の詩編本文のテクストへと導かれる(図4-247)。祈りの図像を示すイニシ アルは、詩編読者の瞑想と詩編テクストへとの双方への誘導を同時に行っているのである。カロリング朝 期の写本で成立した、両手を差し出し祈りを捧げるという身体表現を示すイニシアルは、現存する写本か ら判断する限り、本作品からの直接的な後継者を持たなかったようである。しかし、人物像による形象イ ニシアルが比較的稀な東方のギリシャ語写本で、10世紀のヨアネス・クリュソストモスの『詩編注解』写 本116(パリ、国立図書館、Ms. gr. 654)に見られるように(図4-248)、《コルビー詩編》に於いて完成した このイニシアルは、後世の写本でしばしば用いられるモティーフとなった。
C)
第
62・69・142編イニシアル
D「祝福するダヴィデ」後続のテクストを導く図像を持つイニシアルは、本写本では両手を差し出して祈るダヴィデだけではな く、祝福或いは対話の仕草を示すダヴィデのイニシアルにもその特徴を見出すことが出来る。即ち、第62
編(図4-249)、第69編(図4-250)、第142編(図4-251)のイニシアルであり、この3点のイニシアルに
は基本的には同じ図像、同じ構図を取っている。カピタリスのイニシアルDの開口部に、ディアデマから ダヴィデであると想定される人物像が、向かって右手を向いた完全な側面観で表される。大きく誇張され た右手を文字の枠外に差し出しており、中指と薬指の間を開いた祝福或いは対話の仕草を示す指先は、三 葉形の植物模様へと変わり、後続のテクストを指差している。詩編冒頭はそれぞれ、 “Deus, Deus meus, ad
te de luce vigilo. Sitivit in te anima mea(天主よ、わが天主よ、我暁光より汝に向かわんと目覚む。わが魂汝に
憬れ渇けり)”、 “Deus, in adiutoriun meum intende(天主よ、わが讃美に黙し給うなかれ)”、 “Domine, exaudi
115《トマスの福音書》には共観表や福音書記者像の全頁大挿絵が含まれるが、イニシアルについては殆ど研究されて おらず、イニシアルの人物像が何を示すものであるのかは不明である。同写本については、以下を参照。ALEXANDER 1978b, 52-54, Cat. No. 26.
116 多くの形象イニシアルを持つこのギリシャ語写本の制作地については、イタリアかコンスタンティノポリスかの議 論が分かれている。同写本についての詳細は、以下を参照。GRABAR, André: Les manuscrits grecs enluminés de provenance italienne, IXe- XIe siècles, Bibliothèque de Cahiers Archéologiques, publié1 sous la direction d’André Grabar et de Jean Hubert, 8, Paris 1972, 49-50, Cat. No. 29; MAAYAN-FANAR, Emma: Interpreting Genesis: a Note on Artistic Invention and the Byzantine Illuminated Letter, in: Zograf, 34, 2010.
orationem meam(主よ、わが祈祷を聴き容れ給え)” で始まり、標題にはダヴィデによる歌であることが 明示されている117。イニシアルを形作る蛇や魚のようなモティーフを除いて、これらのイニシアルにはダ ヴィデのみが表されており、特定の説話的物語場面から切り離された、「指示する像のイニシアル118」であ ると同時に、第21編や第140編と同様に、祈りや祝福を示す図像と考えられる。
対話或いは祝福を示す仕草は、本写本ではこの他にも所謂「グロリア」のイニシアルGのキリスト(図
4-252)や第20編イニシアルDのダヴィデ像(図4-253)、第6編イニシアルDのアセンダー部分の天使(図
4-254)の右手が示すサインに見ることが出来る。人差し指と中指を立て腕を伸ばす仕草は、キリストや天 使、ダヴィデ、福音書記者等をはじめ、キリスト教美術の誕生以降多くの場面で表されてきた。但し多く の場合、それらは対話相手或いは祝福を授ける相手を伴うものであった。例えばダヴィデ伝を表したキプ ロス出土の銀皿(図 4-255)では、三つに区切られた皿の上段で、ゴリアテとの戦いに際して神の手から 祝福を授かるダヴィデがこの仕草を見せている。《コルビー詩編》と同時代のものでは、カール大帝宮廷派 の《サン・メダール・ド・ソワッソン福音書》の『ルカによる福音書』のイニシアル頁の上部に描かれた
「受胎告知」の大天使ガブリエル(図 4-256)が祝福の身振りを見せるが、これはアーチを挟んだ向かい 側に表された聖母マリアに対するものである。或いは《ヴァランシエンヌ黙示録》第19章の挿絵でも、祝 福ないし会話の仕草を示すキリストの胸像が現れるが(図4-257)、ここでは同章9節のテクストに従って、
ヨハネに言葉を書き留めるよう命じる行為が、この手の仕草によって表されているのである119。この身振 りを示す、対話或いは祝福を授ける相手を伴わない例が見られるのは、例えば《モンペリエ詩編》の全頁 大挿絵の詩編著者ダヴィデ像(図 4-258)のように、正面観或いは四分の三面観による、巻頭等に置かれ る全頁大のモニュメンタルなミニアチュールの例が多く、《コルビー詩編》の第62編、69編、142編のよ うな、詩編の中では挿絵が描かれる頻度の少ない、即ち重要度の低い箇所では稀である。
正面観で詩編読者を見るのではなく、後続のテクストを指差す対話相手を持たないダヴィデのイニシア ルの成立を準備したのは、前項の「祈りを捧げるダヴィデ」と同様、8 世紀のイニシアルである。但し、
それは全身像ではなく、身体の一部分、即ち手のみを持つイニシアルであった。《ジェローヌの典礼書》は、
神の右手(Dextra Dei)と思われる右手が文字のクロスバーを成す、部分的に形象イニシアルの特質を持つ
E(図4-259)を持つ。これとよく似た、しかし人差し指と中指を伸ばし祝福或いは対話の仕草を示すイニ
シアルが、800年頃のローマで制作された『説教集』写本(ヴァティカン、教皇庁図書館、Vat. lat. 3836)
にも見ることが出来る(図4-260)。或いは8世紀の『イザヤ書注解』写本120(ブレシア、市立クエリニア
117 各詩編の標題については、別冊資料VIのトランスクリプトを参照。
118 「指示する像のイニシアル」は、ヤコビ=ミアヴァルトの提案による用語であり、テクストと特に関連性を持たな い人物像を、多くは胸像の形で表すイニシアルに対して用いられる。詳細は第3章1節B) -1)を参照。
119 同挿絵については、以下を参照。Apocalipsis Carolingio de Valenciennes (Ms. 99), estudio por KLEIN, Peter K., Madrid, Orbis Mediaevalis 2012, 203-204.
120 ヒエロニムスによる『イザヤ書注解』写本であり、制作地は不明である。同写本のイニシアルの図版は多くは未刊 行、未公開のままである。同写本の詳細は、以下を参照。Exh. Cat. BRESCIA 2000, p. 528, Cat. No. 506; MAAYAN-FANAR, Emma: The Fragmental Body. The Place of Human Limbs in Byzantine Illuminated Initials, in: Byzantion, 76, 2006, 255.