ロマネスクからゴシック期の詩編写本では、上述のように第51編に「勝利者としてのキリスト」(図4-156)
や「ミカエルと竜の戦い」(図4-157, 4-158)という主題を持つ物語イニシアルが与えられたが、《コルビー 詩編》の第51編のイニシアルQ(図4-159)はそれらと比べると、些か不可解な図像を示している。詩編 の三分割の区切り目に当たる為にその他のイニシアルより一回り大きく描かれた同写本のイニシアルQは、
8 の字形を描き自らの尾を加える巨大な蛇のような生物が文字の円環部分の代替モティーフとなり、蜷局 を巻く胴体と三つ又の尾を持つ竜のような有翼獣が文字のカウダに見立てられた、形象イニシアルによる 構成をとっている。蛇が有翼獣の首に絡み、有翼獣の左右に開いた翼が、蛇の形作る円を支えているので、
両者は複雑に絡み合った一つの混合体として、文字の形を形成している。蛇のような生物の描くマンドル ラのような円環の開口部には、ディアデマの着いた兜を戴く人物が玉座につき手綱を取る姿が、側面観に 近い形で表されるが、轡を咥えた動物の進行方向に顔だけを向け、身体は逆を向けているので、どちらの 動物に対しても、その向きにそぐわないような印象を与えている。カウダに獣の身体を充て、円形の開口 部に人物像を表すという装飾方法に於いては、詩編第83編(図4-125)やその他のイニシアルQ(図4-146
– 14-168)と共通しているが、カウダとメダイヨンの双方が動物モティーフで構成される形象イニシアル
の形式をとっているという点が特徴的である。
詩編第51編は、悪事を誇り破滅をもたらす者について唱われている詩編だが、詩編テクスト中には《コ
58 BÜTTNER 2004, 24, Anm. 98.
ルビー詩編》のイニシアルQの獣に乗る人物の図像を、直接的に説明してくれる箇所は見当たらない。詩 編の冒頭は以下のように始まる。
In finem. Intellectus: David, cum venit Doeg Idumaeus, rt nuntiavit Saulo: Venit Dabid in domum Achimelech. Quid gloriaris in malitia, Qui potens es in iniquitate?
終りまで、ダヴィドの教訓。イドゥメオ人ドエグ来りて、「アキメレクの家のダヴィド行けり」
とサウルに告げし時。何とて悪しき心根を誇るや、汝不義に強き者よ。
〔指揮者に。ダビデの教訓詩。エドム人ドエグが来てサウルに告げて「ダビデがアヒメレクの 家に入った」と言ったときに。なぜお前は悪行を誇るのか、勇士よ、神の恵みはひねもす(絶 えることがない)。〕
詩編第51編1-3節
同時代に於ける他の多くの挿絵入り詩編本では同箇所は、詩編標題の「イドゥメオ人ドエグ来りて、『アキ メレクの家のダヴィド行けり』とサウルに告げし時」という節に基づき、『サムエル記 上』第22章9節に 典拠を持つ「サウル王とドエグ」の場面、即ち、ダヴィデの居場所をサウル王に教えた裏切り者ドエグの 場面を挿絵としている。例えば同じくカロリング朝ランス派の詩編写本《トロワ詩編》(トロワ、大聖堂宝 物庫、Ms. 12, 図4-160)は全頁大挿絵では、サウル王の居る神殿に密告するドエグと、それを神に示す詩 編著者ダヴィデの姿がナラティヴな物語場面として描かれており、金色の名文が添えられることでこの挿 絵が「サウル王とドエグ」を表していることを説明している。同じくランス派の、《トロワ詩編》と同じ手 本の可能性が指摘されている《ユトレヒト詩編》の同箇所(図 4-161)でも、幕屋の内のサウル王と密告 者であるドエグ、そしてマンドルラの中のキリストを指し示す詩編著者ダヴィデという、表題に即した物 語場面が描かれている。その他、《ザンクト・ガレン黄金詩編》(ザンクト・ガレン、修道院図書館、Cod. sang.
22)(図4-162)や《クルドフ詩編》(図4-163)を始めとした多くの詩編写本でも、図像タイプは異なるが
第51編にはサウル王に密告するドエグが挿絵主題とされており、初期中世の挿絵付き詩編写本ではこの場 面を第51編の挿絵とすることが通例であったことが伺える59。
これらの例に対して、枠取り絵画や余白挿絵といったフリースペースのある挿絵形式とは異なる、物語 イニシアルによる挿絵という形式をとる《コルビー詩編》では、図像を所与の文字に合わせるという課題 の為に、同様の「サウル王とドエグ」という主題の物語場面を描くことが本作品の様式においては困難で あったと考えられる。ナラティヴな物語場面を物語イニシアルによって表すこと自体は、無論可能であっ ただろう。例えば、イングランドのロマネスク様式の写本《ハンタリアン詩編》(グラスゴー大学図書館、
MS Hunter 229)では、詩編第51編イニシアルQ(図4-164)に「サウル王に告げ口をするドエグ」の場面
59 その他、「サウル王とドエグ」を同箇所の挿絵主題としている詩編写本については、以下を参照。DUFRENNE 1978, psaume 51.
があらわされている。但し第3章5節で既に論じたように、文字に対する人物像の占める割合の大きさな ど《コルビー詩編》の造形的特質を考慮するならば、本作品において同箇所にランス派と同様の場面を表 すことは、やはり考えがたい。本作品の写本画家は、文字の形状に合わせて、詩編内容を端的に視覚化す ることを必要としたのである。
そもそも本写本の第51編イニシアルQの、二匹の獣に乗る人物という図像は何を意味するものなのか。
ポルシェやデゾブリーをはじめとする幾人かの研究者らによれば60、本作品のイニシアルQの図像の意味 するところは、詩編注解を媒介として結びつけられるアンチキリスト、即ちキリスト教世界における最終 の敵であり、偽の預言者とされた存在である。まず、先の研究者らの指摘に倣い、カッシオドルスの『詩 編註解』の第51編より該当箇所を確認したい。
In finem, intellectus Dauid, cum uenit Doech Idumaeus et annuntiauit Sauli et dixit illi: Ecce uenit Dauid in domum Abimelech. Vt titulum nobis aperiat causa breuiter intimanda est. Cum Dauid fugeret Saulum, uenit ad sacerdotem Abimelech, qui susceptus ab eo et panes propositionis accepit et gladium quo occiderat Goliam. Panes propositionis significauerunt sacerdotem, gladius sacratus futurum potentissimum regem.
Ibi casu inuentus Doech Idumaeus praepositus mulorum, nuntiauit omnia regi Sauli. Tunc iratus Saul, Abimelech cum aliis sacerdotibus eiusdem ciuitatis ab ipso fecit interfici. Iste autem Doech per quem talia prouenerunt, patriotico nomine cognominatus est Idumaeus. Quae utraque uerba coniuncta, sicut patrum tradit auctoritas, indicant motus terrenos. Quaesignificatio uerborum Antichristi actibus non immerito deputatur. Doech Idumaeus enim Dauid aduersarius fuit, sicut Christo Antichristus erit. Iste sacerdotes exstinxit, ille facturus est martyres ; iste nominis significatione indicat motus terrenos, ille cunctum orbem moturus est, dum eum praesumptione sacrilege ad culturam sui nominis coget. Quapropter per nomen Doech Idumaei iure Antichristus intellegitur, cui tantis comparationibus similis approbatur. Et ideo totus hic titulus ad aduentum Domini secundum, per tempus Antichristi iure referendus est : quoniam omnia ad Christi manifestationem competenter aptantur ; ut psalmo suo titulus non discrepare, sed potius congruere uideatur.
〔出典:Cassiodorus, Expositio Psalmorum, 51.1-2, PL 371-373 (cols 1-26)〕
終まで、ダヴィドの教訓。イドゥメオ人ドエグ来りて、「アキメレクの家ダヴィド行けり」とサ ウルに告げし時。我々にはこのタイトルを明らかにする原理が簡潔に教示されるべきである。ダ ヴィデがサウルから逃れていた時、彼は祭司アビメレクのもとへ来た。彼はアビメレクによって 受け入れられ、聖別されたパンと彼がゴリアテを討ち取った剣を手に入れた。聖別されたパンは、
60 PORCHER 1957, 56; idem 1967, 195; DESOBRY 1974, 97.
彼の祭司としての役割を意味し、神聖な剣は、彼の未来の最も強力な地位を意味する。エドム人 ドエグが偶然そこに居合わせ、全てをサウル王に報告した。するとサウルは怒り、ドエグにアビ メレクとその都市の他の祭司らを殺させた。この、全てを引き起こさせたドエグは、彼の故郷の 名からエドム人と呼ばれた。権威ある人々が教父を引用するのに従えば、この二つの言葉の結び つきは、地震を意味する。その言葉の示すものがアンチキリストの行為とみなされるのは不当で はない。というのは、キリストにアンチキリストがいるように、エドム人ドエグはダヴィデの敵 だからである。ドエグは祭司らを滅ぼし、アンチキリストは殉教者らを生む。ドエグはその名の 意味によれば地震を示し、アンチキリストはその名の崇拝を冒涜的な厚かましさによって強制す る時に、全世界を混乱させる。アンチキリストは正当にも、エドム人ドエグの名で理解されるた めに、十分な対応関係によって彼に似た者と認められる。それ故、主の二度目の到来に関するこ のタイトル全体が、アンチキリストの時代に言及されるべきなのである。何故なら、全てのもの がキリストの顕現へと向かうべく備えられているからである。この為、この表題はこの詩編と不 一致なのではなく、寧ろ調和するように思われるのである61。
拙訳〕
ここでカッシオドルスは明らかに、「キリストにアンチキリストがいるように、エドム人ドエグはダヴィデ の敵だからである」と、詩編標題に記述されたドエグを、アンチキリストと見做している。コルビーの修 道院の図書館には、本作品が制作されるまでに、カッシオドルスの詩編註解が制作・所蔵されていたこと が既に分かっており62、この写本画家にカッシオドルスが念頭にあったこと、即ち先行研究で指摘された ように、「サウル王とドエグ」に関する詩編を、アンチキリストという象徴的な表現によって、この詩編の 内容をイニシアルのうちに表そうとした可能性は十分、考えられるだろう。
《コルビー詩編》では、第51編のイニシアルQの文字体を構成するのは蛇と有翼獣である。これらの モティーフがアンチキリストを象徴するものであり、特に詩編第51編において「アンチキリスト」がしば しば蛇や有翼獣によって示唆されたことは、《コルビー詩編》より時代の下った2点の詩編写本の挿絵が傍 証になる。『アンブロジア詩編 Psalterium Ambrosianum』をテクストとする詩編写本では、“Vox prophetae de
Iuda vel de Antichristo(ユダ或いはアンチキリストについての預言者の声)” という標題が加えられている63。
即ち、裏切り者であるドエグをユダ或いはアンチキリストと見なすカッシオドルスの解釈を、詩編写本自
61 カッシオドルスの翻訳に際しては、WALSH, Patrick Gerard (eng. trans. by), Explanation of the Psalms, vol. 2, New York 1991からの拙訳をもとに、上智大学教皇庁神学部博士後期課程の坂田奈々絵氏にラテン語原文から校訂して頂いた。
深く感謝を申し上げたい。また、詩編からの引用部分は、光明社の邦訳を引用した。
62 コルビーの修道院で制作されたカッシオドルスの『詩編注解』写本3点(パリ、国立図書館、Ms. lat. 12239, 12240, 12241) については、下記を参照。GANZ, David: Corbie in the Carolingian renaissance, Sigmaringen 1990, p. 77; p. 132.
63 『アンブロジア詩編』の標題は、カッシオドルスによる『詩編注解』をベーダが抜粋したものが、8世紀のイタリ ア北部で詩編標題として付け加えられたものである。SALMON, PIERRE: Les "Tituli psalmorum" des manuscrits latins, Paris 1959, 153-154.