詩編第122編のイニシアルA(図4-89)は、二人の人物像の身体によって文字が構成される形象イニシ アルである。ニンブスのある二人の女性が、互いに向かい合い手を差し出し抱擁している姿は、聖母マリ アのエリザベト訪問を表す図像と考えるのが妥当であろう。「訪問」を主題とする、互いに腕を差し出し抱
22 KOEHLER, Wilhelm: An Illustrated Evangelistary of the Ada School and its Model, in: Journal of the Warburg and Courtauld Institutes 15, London 1952.
擁する二人の女性の図像は、例えば同じカロリング朝期の《エマイユの十字架型聖遺物箱23》(ヴァティカ ン、市立美術館、Inv. No. 61881)の幼児キリスト伝を表すうちの一場面(図4-90)でも、「訪問」が《コ ルビー詩編》第122編のイニシアルとよく似た図像で表されている。
詩編第122編には、聖母マリアのエリザベト訪問に関連するものではなく、この箇所の挿絵として「訪 問」を描いた詩編写本は残されていない。カロリング朝期の西欧の詩編写本では、《ユトレヒト詩編》がで は栄光のキリストを見上げる人々と、主人夫妻に感謝を示す人々、幕屋の中で奢る人々とそれを非難する 人々、そしてその情景をキリストに指し示す詩編著者が表されており24(図 4-91)、《シュトゥットガルト 詩編》では上方を》仰いで両手を差し出し祈る二人の男性が挿絵とされている(図 4-92)。一方ビザンテ ィンの挿絵付き詩編写本の殆どでは、第122 編に挿絵が無い25。これらのことから、少なくともカロリン グ朝期には、詩編の同箇所には決まった図像を表す伝統が存在しなかったことが推測される。
聖母マリアのエリザベト訪問という主題と関連しうる詩編第122編の章句は、以下の通りである。
Canticum graduum. Ad te leavi oculos meos, qui habitas in caelis. Ecce sicut oculi sevorum in minibus dominorum suorum; sicut oculi ancillae in amnibus dominae suae: ita oculi nostril ad Dominum Deum nostrum, done misereatur nostril.
階の歌。我汝に向かいてわが目を挙げたり、天に住み給う者よ。視よ、下僕等の眼がその主人 の手に向かうが如く、下婢等の眼がその女主人の手に向かうが如く、然、我等の眼も主我等の 天主に向かいて、その我等を憐み給わん時を俟つなり。
〔宮詣での歌。あなたに向かって、私は目を挙げる、天に座する方よ。見よ、奴隷たちの目が 主人たちの手に向かうように、女奴隷の目が女主人の手に向かうように、われらの目はわれら の神ヤハウェに向かう、かれらがわれらを憐れむまで。〕
詩編第122編1-2節
クーダーやプリアムが推測しているように、ここでは「下婢」や「女主人」という女性を指す言葉に関連 して、聖母マリアとエリザベトによる物語場面が選択されていると考えられる26。コルビーの写本画家は
23《エマイユの十字架型聖遺物箱》は教皇パスカリスI世(在位817-824年)がラテラノ宮の至聖所に奉納した聖十字 架の聖遺物を収めていた容器であり、幼児キリスト伝が表されている。エマイユの聖遺物箱は、更に銀の容器に収め られていた。については以下を参照。THUNØ, Erik: Image and Relic: Mediating the Sacred in Early Medieval Rome, Rome 2002.
24 鼓2006年、376頁。
25 DUFRENNE 1978, Ps. 122.
26 クーダーは「訪問」と詩編テクストとの関連について、a) 「階の歌」という当該詩編の標題ともなっている冒頭の 言葉と、『ルカによる福音書』第1章39節の “Exsurgens autem Maria in diebus illis, abiit in montana cum festinatione, in
civitatem Juda(日ならずしてマリア立ちて山地なるユダの町に急ぎ行きしが)” が結びつけられたという説、b) 第2
節の「下婢」や「女主人」という言葉にから、神の下婢たる聖母に関連する物語場面を、文字の形状に合わせて表す 為に「訪問」を選択したという説、そしてc) 「下婢等の眼がその女主人の手に向かうが如く」という言葉と、二人の 聖女エリザベトと聖母マリアが結びつけられたという、三つの仮説を立てている。KUDER 1977, 128-129. プリアム
詩編の章句から、まず聖女に関する主題を候補とし、モーセのカンティクムIIの「モーセによる後継者ヨ シュアの任命」と同様の形象イニシアルとして詩編内容を表す為に、文字の形状に適合する図像伝統のあ った「聖母マリアのエリザベト訪問」を選択したのであろう。ここでは、詩編の章句と文字の形状との双 方が、物語イニシアルの主題を決定する要因となっているのである。
「聖母マリアのエリザベト訪問」(『ルカによる福音書』第1章39-56節)は、キリストや洗礼者ヨハネ の誕生に関わる物語のひとつとして、聖母マリア伝やキリスト伝、洗礼者ヨハネ伝などで頻繁に絵画化さ れた主題である。訪問場面を表す初期中世の図像の多くの例は、《コルビー詩編》と同様、二人の女性が向 かい合い抱擁する姿で表された。例えば6世紀半ばの象牙浮彫《サン=リュピサン福音書象牙装幀版27》(パ リ、国立図書館、Ms. lat. 9384)の左パネル下段(図4-93)では、二人の女性が祝福或いは対話の仕草を示 す姿で「訪問」が表されている。インスラーの石彫十字架《ラズウェルの石彫十字架》では、聖母マリア とエリザベトは側面観に近い形で向かい合い、互いに手を差し出し抱擁している(図 4-94)。制作地につ いて議論の多い8世紀後半の《ヘヌエルス=エルデレンの象牙装幀板》(図4-95)の下段では、ニンブス 付きの二人の聖女がしっかりと抱擁しており、《コルビー詩編》のイニシアルAとよく似た二等辺三角形 のシルエットを形成している。この図像は、カロリング朝期の写本や工芸でも殆ど変らず受け継がれてい る。カール大帝宮廷派写本の《サン・メダール・ド・ソワッソン福音書》の『ルカによる福音書』扉絵の イニシアル頁では、 “Quoniam” のイニシアルQに続くOも、その開口部に図像が表されている(図4-96)。
ユダの街を表すと思われる城壁のような建築モティーフを前に抱擁し頬を寄せる二人の女性によって「訪 問」が表されている。9世紀中葉のメッス派の象牙装幀板28(フランクフルト、ゲーテ大学図書館、Ms. Barth.
180, 図4-97)や、《象牙製のシトラ》(ニューヨーク、メトロポリタン美術館、Acc. No. 13.190.45)の一場
面(図4-98)は、聖母マリアとエリザベトが完全に側面観で抱擁し口づけを交わす「訪問」図像を示して いる。抱擁だけではなく口づけを交わす「訪問」の図像は、ビザンティンの詩編写本にも観察出来る。例 えば《クルドフ詩編》(図4-99)や《バルベリーニ詩編》の余白挿絵(図4-100)では、「憐憫と真実と互 に相迎え、正義と平和と接吻したり」という詩編第84編11節の章句を、ユダの街を表す建築モティーフ の前で抱き合い頬を寄せ口づけを交わす「訪問」という主題によって視覚化している。これらの初期中世 の「訪問」図像と比較すると、《コルビー詩編》の「訪問」のイニシアルAの二人の女性は完全な側面観 で互いに抱擁し見詰め合っているが、接吻を交わしていないことが分かる。《クルドフ詩編》や《バルベリ ーニ詩編》が詩編第84編の「接吻」という言葉を反映しているように、《コルビー詩編》では第122編の は《コルビー詩編》の「訪問」に於いて、マリアとエリザベトが互いに視線を交わすことで主を仰ぎ見ているのだと している。PULLIAM, Heather: "The Eyes of the Handmaid": the Corbie Psalter and the Ruthwell Cross' in: Listen O Isles unto Me:
Studies in Medieval Word and Image in Honour of Jennifer O'Reilly (ed. by MULLINS, E./ SCULLY, D.), Cork 2010, 260-262.
27 《サン=リュピサン福音書象牙装幀板》については、以下を参照。VOBACH, Wolfgang Fritz: Elfenbeinarteiten der Spätantike und des frühen Mittelalters, 3. Aufl., Mainz am Rhein 1976, Nr, 145; LOWDEN, John: The Word Made Visible: the Exterior of the Early Christian Book as Visual Argument, in: The Early Christian Book (ed. By KLINGSCHIRN, William E/
SAFRAN, Linda), Washington D. C. 2007, 40ff.
28『読誦集』写本に取り付けられた象牙装幀板であり、写本自体は13世紀のものであるが、象牙装幀板はメッス派の ものが取り付けられている。
「我等の眼も主我等の天主に向かいて」等の「眼」という言葉を重視して、頬を寄せ接吻をするという行 為ではなく視線を交差させることで、単なる『ルカによる福音書』第1章からの物語の引用ではなく、詩 編の章句に対応した図像へと僅かな変更を加えているのである。