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ハバククのカンティクム(ウルガータ版)イニシアル D 「降誕」

「我等の眼も主我等の天主に向かいて」等の「眼」という言葉を重視して、頬を寄せ接吻をするという行 為ではなく視線を交差させることで、単なる『ルカによる福音書』第1章からの物語の引用ではなく、詩 編の章句に対応した図像へと僅かな変更を加えているのである。

のカンティクムに降誕図を表すという伝統はカロリング朝期に皆無ではなかったものの、《コルビー詩編》

と《ユトレヒト詩編》では降誕図を挿絵とした動機が異なると考えられる。

  飼葉桶の嬰児キリストによる「降誕」図像は、『ルカによる福音書』第2章1-20節を典拠とするが、牡 牛と驢馬についての記述が登場するのは、8-9 世紀に編纂されたとされる『偽マタイ福音書』に於いての ことである32。カロリング朝期には既にキリスト伝の一部として、牡牛と驢馬を伴う飼葉桶のキリストと いう降誕図像が成立し、定着していた。カール大帝宮廷派による《ロルシュ福音書象牙装幀板》のマリア の面(表面、ロンドン、ヴィクトリア&アルバート美術館、Inv. No. 138-1866, 図4-104)では、横長のパ ネルの形状に沿って表された厩の中に、飼葉桶に横たわるキリストとそれを覗く牡牛と驢馬が表され、そ の左手には横たわるマリアと頬杖をつくヨセフが配されている。ほぼ同様の構図は、同じくカール大帝宮 廷派の象牙浮彫《ロンドンの象牙二連板》の「降誕」(図4-105)でも用いられている。ここでは厩モティ ーフは省略されているものの、飼葉桶に横たわるキリストと牡牛と驢馬、そしてマリア王画像とヨセフの 座像で場面が構成されている。《エマイユの十字架型聖遺物箱》の中央部分(図4-106)でも、飼葉桶のキ リストと身を横たえたマリアが並んでおり、その右下に小さくヨセフが配されている。カロリング朝期の 飼葉桶のキリスト降誕図は多くの場合、マリアとヨセフを伴うのが通例であった。ケルン所蔵の《ハラハ の象牙二連板》の左側中央パネル(図 4-107)では、天使の祝福する前で牡牛と驢馬が覗く中に、布に包 まれた嬰児キリストが横たえられ、その左右にマリアとヨセフが対称構図で配される。天使というモティ ーフが加えられた他、マリアが横臥像ではなく座像で表されている点が他とは異なるが、降誕場面を構成 する主要モティーフはそのほかの例と大きな差がない。飼葉桶のキリストが聖母マリアやヨセフを伴わな いものは通常、隣接する場所にマリアとヨセフ、或いはその他の副次的人物が表されている。メッス派の 象牙浮彫(図 4-108)では、幾つかの区画に区切られたパネルの上段に、ヨセフと横たわるマリア、そし て助産婦らしき人物像が、下段に飼葉桶の嬰児キリストと牡牛と驢馬とが、上下に分けて配されている。

《ドロゴ典礼書》の降誕祭のイニシアルC(図4-109, 4-110)でも同様に、キリスト降誕に関する場面はひ とつのイニシアルの中で複数に分けられている。文字体上部では牡牛と驢馬を伴う飼葉桶のキリストが、

そしてそのすぐ右手のセリフ部分の区画にはマリア横臥像と助産婦、頬杖をつくヨセフが配されている。

開口部の蔦の形成する円形空間内には羊飼いが、文字体下部のセリフの区画内には嬰児キリストの入浴が 表されている。

《コルビー詩編》のハバククのカンティクムのイニシアルDでは、牡牛と驢馬、そして飼葉桶のキリス トがイニシアルの円形部分の、ニンブスのある人物がアセンダーの代替モティーフとなっている。マリア やヨセフを伴わない稀な降誕図像であることに加え、ニンブスのある人物が新たに付け加えられているこ とが異例であり、《コルビー詩編》の画家がハバククのカンティクムに挿絵を与える際に、単に当時既に普 及していただろう降誕図をそのまま引用しなかったことが分かる。この図像の変更は次の二つの理由によ

32 但し牡牛と驢馬を伴う飼葉桶のキリストによる降誕図像自体は、古代末期の作例にも見られる。例えばヴァティカ ン市立美術館の2世紀の石棺や、ミラノのサン・タンブロージョ聖堂の4世紀の石棺等に既に現れている。

るものであろう。第一に、イニシアルDに形象イニシアルという装飾形式で物語化するにあたって、丸み を帯びた飼葉桶を文字の円形部分に見立てると、マリアとヨセフの二人を表す余地が無かったということ である。既に第3章で論じたように、本写本のイニシアルでは人物像や動物といった文字を構成する個々 のモティーフが大きく、従って登場人物の多い複雑な物語挿絵を表すのには適さなかった。第二に、この イニシアルの図像がハバククのカンティクム第2節の七十人訳版、或いは古ラテン語版の「二つの生物の 間で聞き給え」という言葉を反映したものであるならば、詩編内容を視覚化するのに必要なモティーフは 牡牛と驢馬とに囲まれた飼葉桶の嬰児キリストであり、マリアとヨセフを伴う通常の降誕図ではなかった、

ということである。アセンダーの代替モティーフとされているニンブス付きの人物像は有翼ではなく、《ハ ラハの象牙二連板》の降誕図のような祝福の天使とは考え難い。この人物は視線を朱書きされた標題

“Canticum Habacuc Prophetae(預言者ハバククのカンティクム)” へと向けている。同様の人物像は《コル

ビー詩編》のイニシアルでは、例えば詩編第30編のイニシアルI(fol. 25r, 図4-111)等に多く見られる33。 この、“In finem. Psalmus David, pro extasi(終まで、ダヴィドの詩、我を忘れたる時に)” という詩編第30 編の標題に視線を注ぎ、祝福或いは対話の仕草で後続のテクストを指し示す人物は、ディアデマから詩編 著者であるダヴィデと判断出来る。詩編或いはカンティクムの作者を表す標題を注視する、聖書の特定の 物語場面を典拠としない人物像が、その詩編或いはカンティクムの著者自身を表すならば、降誕を表すイ ニシアルDのアセンダーを演じる人物像は、「汝の御業を活かし給え」或いは「二つの生物の間で聞き給 え」と神に祈る預言者ハバクク自身の姿であろう。

I)

シメオンのカンティクム イニシアル

N

「神殿奉献」

  シメオンのカンティクムは『ルカによる福音書』第2章29-32節の、シメオンが幼子イエスを受け取り 祝福して述べた言葉を抜粋したものである。イニシアル N(図 4-112)は、十字ニンブス付きのキリスト を支えるニンブスのある女性と男性とによる形象イニシアルとして表されており、図像は図像伝統からも 詩編写本の挿絵サイクルからも容易に、このカンティクムの前後に記述のある「神殿奉献」(『ルカによる 福音書』第2章22-35節)であると分かる。シメオンのカンティクムの挿絵に「神殿奉献」を主題とする 図像を描いている詩編写本は、例えば以下が挙げられる。

・《ユトレヒト詩編》シメオンのカンティクム(fol. 74v, 図4-113)

・《クルドフ詩編》シメオンのカンティクム(fol. 163v, 図4-114)

・《テオドロス詩編》シメオンのカンティクム(fol. 163v, 図4-115)

・《ブリストル詩編》(ロンドン、大英図書館、Add. Ms. 40731)シメオンのカンティクム(fol. 263v, 図4-116)

・《セント・オルバンズ詩編》(p. 395, 図4-122)

《ユトレヒト詩編》(図4-113)では、三角破風を持つ神殿の前で幼児キリストを抱き差し出す聖母マリア

33 本写本の同様のイニシアルについては、第33B)-2)(図3-178 – 3-182)を参照。

と、祭壇の上でキリストを受け取るシメオン、そしてマリアの背後に犠牲の鳥を手にしたヨセフと、神殿 の前に預言者アンナと思われる人物が配されている。シメオンのカンティクムの挿絵として「神殿奉献」

という主題は、ビザンティンの詩編写本でも定番であった。《クルドフ詩編》(図 4-114)では天蓋のよう な丸屋根を持つ神殿の前で聖母が幼児キリストをシメオンへと受け渡し、マリアの背後にヨセフが立って いる。《テオドロス詩編》(図 4-115)でも同様に、簡素な建築モティーフによって表された神殿の前で、

マリアによって祭壇の上に差し出されたキリストと、それを受け取ろうとするシメオン、そしてマリアの 傍らのヨセフによって「神殿奉献」が絵画化されている。図像タイプがやや異なるのは《ブリストル詩編》

の同カンティクムの挿絵(ロンドン、大英図書館、Add. Ms. 40731, fol. 263v, 図4-116)であり、神殿の外 でシメオンに幼子イエスを受け渡すマリアの背後にヨセフが描かれていない点は、《コルビー詩編》の図像 と共通している34。カンティクムに挿絵を持つ《コルビー詩編》と同時代の西方の例が《ユトレヒト詩編》

以外に現存しない為に35、《コルビー詩編》の「神殿奉献」のイニシアルが詩編挿絵の伝統に従ったもので あるのか、或いは写本画家がアドホックに主題を決定したのかは不明だが、いずれにせよシメオンのカン ティクムのイニシアルNは、《コルビー詩編》のイニシアルの中でも、カンティクムのテクストと挿絵主 題との関連が最も明快なもののひとつと言えるだろう。

  「神殿奉献」を主題とする現存する最古の図像は、ローマのサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂の勝利 門モザイク(図4-117, 4-118)である36。天使に導かれて幼子イエスを抱き神殿へと連れて行くマリア、預 言者アンナと対話するヨセフ(図4-117)、手を布で覆い腰を落とし幼子イエスを崇敬するシメオンとその 背後に控える祭司ら、そして神殿の前に天使と犠牲のつがいの鳥とが表されており(図4-118)、横に長い フリーズ状の画面を利用して物語場面を雄弁に描写している。しかしカロリング朝期には「神殿奉献」図 像はサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂のモザイクのように多くの副次的人物を伴うものではなく、先に 見た詩編挿絵の例のように、聖母マリアと幼子キリスト、シメオン、そしてヨセフとアンナから構成され るものが支配的となっていた。《エマイユの十字架型聖遺物箱》の同主題の図像(図4-119)では、祭壇の 上に差し出された幼児キリストを中心として、その左右にそれぞれマリアとヨセフ、シメオンとアンナが 配される、シンメトリカルな構図をとっている。《ドロゴ典礼書》(図4-120)では、イニシアルOの開口 部に建築モティーフを中心として、幼子イエスとマリア、シメオン、そしてマリアの背後に立つヨセフと アンナで同主題が表されている。初期中世からカロリング朝期までの「神殿奉献」図像では、聖母マリア と幼子イエス、シメオンに加え、ヨセフとアンナを含むのが通常であった。これに対して、《コルビー詩編》

34 この他にシメオンのカンティクムに「神殿奉献」を主題とする挿絵を表すビザンティン写本の例として、《バルベリ ーニ詩編》、《ハミルトン詩編》が挙げられる。KUDER 1977, 140; DUFRENNE 1978, Cantique de Siméon.

35 時代が下ったロマネスクの詩編写本の例では、《セント・オルバンズ詩編》のシメオンのカンティクムが、「神殿奉 献」を表す物語イニシアルを備えている(p. 395)。

36 Von ERFFA, Hans Martin: Darbringung im Tempel, in: Reallexikon der deutschen Kunstgeschichte, Bd. 3, 1057-1076. サン タ・マリア・マッジョーレ聖堂勝利門モザイクの「神殿奉献」図像については、以下を参照した。WILPERT, Joseph: Die römischen Mosaiken und Malereien der kirchlichen Bauten vom IV. bis XIII. Jahrhundert : unter den Auspizien und mit allerhöchster Förderung seiner Majestät Kaiser Wilhelms II., Freiburg im Breisgau 1917. Bd. 1, 480-483, Bd. 3, Taf. 57-60; 辻佐保子編『西欧初 期中世の美術』(世界美術大全集西洋編第7巻)小学館  1997年、7-373, 作品解説No. 10(名取四郎)。