外典詩編の第151編のイニシアルP(図4-14)は、巨人ゴリアテによる柱身と、投石器でゴリアテを倒 そうとするダヴィデの描かれた楕円形のボウルによる形象イニシアルである。この図像は、先述の詩編第 7編「獅子を倒すダヴィデ」以上にテクストの内容との関連が明確である。第1節 “Hic Psal,us proprie scriptus
david et extra numerum cum pugnavit cum Goliad(これは、ゴリアテとひとり戦った時の、ダビデ自筆の、番
2 KUDER 1977, 110-111.
3 フリッツ・ザクスル/鯨井秀伸訳『イメージの歴史:ザクスル講義選集』ブリュッケ 2009年、13-16頁。
外の讃歌である4)” という章句が表す通り、ダヴィデがペリシテ人ゴリアテと戦った時の、ダヴィデ自身 による詩とされる。第2節 “Pusillus eram inter fratres meos(私は兄弟たちのうちで一番小さく)” という言 葉を文字通り、巨人ゴリアテとダヴィデの体格の差によってイニシアルPのうちに表している。外典詩編 第151編の挿絵として「ダヴィデとゴリアテの戦い」を表す詩編写本は、例えば以下の例が挙げられる5。
・《シュトゥットガルト詩編》第151編(fol. 図4-15)
・《ユトレヒト詩編》第151編(fol. 図4-16)
・《クルドフ詩編》第151編(fol. 図4-17)
・《テオドロス詩編》第151編(fol. 191r, 図4-18)
・《ヴァティカン詩編》(ヴァティカン、教皇庁図書館、Vat. gr. 752, fol. 448v, 図4-19)
・《ハミルトン詩編》第151編(ベルリン、国立美術館版画素描室、Ms. 78 A 9, fol. 42r, 図4-20)
上記の例のうち、《ヴァティカン詩編》では縦に3つに区切られた欄外の枠内に「ダヴィデとゴリアテの戦 い」の複数の場面、即ち投石場面と首切り場面の双方が描かれているが、多くの例ではダヴィデがゴリア テの首を落とす場面が挿絵として選択されている。《コルビー詩編》ではそれに対して、ゴリアテの首切り 場面ではなく、投石器を持ってまさにゴリアテに立ち向かう場面が表されている。クーダーはこのことか ら、外典詩編第151編では「ダヴィデとゴリアテの戦い」の投石場面が描かれる際、ゴリアテの首切りの 場面と共に描かれており、《コルビー詩編》の挿絵画家は前者のみを選んだのであろうと推測している。
「ダヴィデとゴリアテの戦い」は『サムエル記 上』の第17章38-51節を典拠とする、ダヴィデ伝の中 でも頻繁に絵画化された逸話であり、詩編第151編の挿絵としてのみならず、「獅子を倒すダヴィデ」と同 様に悪に対する勝利の象徴として、古代末期以来多くの作例が残されていた。そのうち、《コルビー詩編》
第151編と同様、ダヴィデによるゴリアテへの投石場面を表したものとして、例えば以下が挙げられる。
・キプロス島出土の銀皿(ニューヨーク、メトロポリタン美術館、図4-21)
・『サクラ・パラレラ』写本(パリ、国立図書館、Ms. gr. 923, fol. 91r, 図4-22)
・《クルドフ詩編》第143編(fol. 141v, 図4-23)
・《パリ詩編》(fol. 4v, 図4-24)
・ヴェネツィア宮殿の象牙小箱(ローマ、ヴェネツィア宮殿博物館、図4-25)
・《シュトゥットガルト詩編》第143編(fol. 158v, 図4-26)
更に、投石或いは首切りの場面かの判断はつかないものの、ゴリアテと対峙するダヴィデを表したものと して、以下が挙げられる。
・《サウサンプトン詩編》第101編扉絵(fol. 68v, 図4-27)
クーダーはこれらの「ダヴィデとゴリアテの戦い」の図像の例を、更に3 つのタイプ、即ちa) 《パリ詩
4 外典詩編第151編にはラテン語からの邦訳が無い為、ヘブライ原文を底本とする邦訳から出典した。松田 1966, 20.
5 ここに挙げた例はごく一部である。外典詩編第151編に「ダヴィデとゴリアテの戦い」の挿絵を持つ詩編写本の更 なる例については、以下を参照。KUDER 1977, 105-106; DUFRENNE 1978, psaume 151.
編》(図4-24)のように、ゴリアテが顔を盾で隠し槍を投げるタイプ、b) 《クルドフ詩編》(図4-23)のよ うに、ゴリアテが両手で槍を持つタイプ、そして c) キプロス出土の銀皿(図 4-21)のように、片手に槍 を、片手に盾を持つタイプに類型化し、《コルビー詩編》第151編のイニシアルがc) のタイプに属すると している6。特に、ダヴィデを守護する神の手が描かれているという点で、最も《コルビー詩編》に近い例 は《シュトゥットガルト詩編》の第143編の挿絵(図4-26)である。同写本では異時同図法でダヴィデの 投石場面と首切り場面が一つの欄内に表されているが、上部の投石の場面では、情報を仰ぎ見るダヴィデ の視線の先に、神の手が現れている。《コルビー詩編》の第151編の「ダヴィデとゴリアテの戦い」の手本 となったのは、《シュトゥットガルト詩編》の第143編のそれと近いものであった可能性が高い。但し、《シ ュトゥットガルト詩編》を始めとする殆どの同図像とは、《コルビー詩編》ではダヴィデとゴリアテとの位 置関係が左右反転している。これは、形象イニシアルという装飾形式に対応する為であろうと考えられる。
詩編第151編のテクストの内容をイニシアルPを用いて視覚化する際、物語イニシアルという挿絵形式 をとる同写本に於いては、コルビーの写本画家に課せられた課題は文字の形状に図像を合わせるというこ とであった。文字自体を代替モティーフによって構成する形象イニシアルという装飾形式は、第3章3節 で論じたように、8 世紀後半のメロヴィング朝写本で確立された方法であった。P というアルファベット の構成要素は柱身と半円形のボウルであり、人物像の立像を柱身として見立てるイニシアルには、8 世紀 末の写本に先例が認められる。《ジェローヌの典礼書》の死者の為の祈りのイニシアルP(図4-28)が形象 イニシアルとして装飾されており、人物像の立像によって柱身が、盾の輪郭線によってボウルが構成され ている。文字の柱身に人物像を充てる手法は、福音書記者マタイを表す同写本のイニシアルF(図4-29) でも用いられている。ここではPではなくFの柱身が、書物と杖を手にして立つ福音書記者マタイの身体 によって表され、その肩に組紐文を取り付けることで、鍵形のイニシアルFを部分的な形象イニシアルと している。同写本が《コルビー詩編》のイニシアルの直接的な手本にはならなかったとしても、同様の装 飾形式によるイニシアルをコルビーの画家は知っており、柱身に人物像の立像を充てるという手法を常套 手段として用いていたことを示すイニシアルが残されている。《コルビー詩編》と同じ写本画家による『文 法書』写本(パリ、国立図書館、Ms. lat. 13025)の2つの形象イニシアルP(図4-30, 4-31)では、《コルビ ー詩編》と同様に柱身に兜を被った側面観の人物の立像が充てられている。《コルビー詩編》の画家は、馴 染みのある形象イニシアルの装飾方法と、「ダヴィデとゴリアテの戦い」の図像の手本とを、イニシアルP のうちに統合したのである。
文字の形状に合わせてモティーフを組み合わせるという手法そのものは、《コルビー詩編》の創出ではな く先行するイニシアルの装飾伝統から借りたものであった。しかし、このイニシアルPを「ダヴィデとゴ リアテの戦い」の図像を持つ物語イニシアルとしたことによって生じた新たな物語叙述の原理が、コルビ ーの写本画家の創意であった。《コルビー詩編》第151編では、ポルシェが指摘しているように7、ダヴィ
6 KUDER 1977, 107-108.
7 PORCHER 1967, 195.
デが投石器でゴリアテへと向かうと同時に、既にゴリアテの額にはダヴィデの投げた石が直撃する様が描 かれている。キプロス出土の銀皿や『サクラ・パラレラ』写本、《パリ詩編》、《シュトゥットガルト詩編》
がダヴィデのゴリアテに対する投石と首切りという2つの物語場面を同時に表しているのに対し、《コルビ ー詩編》ではひとつの物語場面のうちの連続する2つの瞬間を異時同図的に視覚化しており、文字の構成 要素であるボウル部分がダヴィデの投げた石の描く軌跡として、時間を表すのに用いられているのである。
この、文字の構成要素に時間軸を含ませるという叙述方法は、後のメッス派による《ドロゴ典礼書》の物 語イニシアルに現れることになる。「マギの礼拝」を表すイニシアル D(図 4-32)では、イェルサレムを 出てベツレヘムへ向かうマギらの道行が、イニシアルのボウル部分によって表されている。文字の構造を 用いて時間を表すという新たな物語叙述の原理の萌芽を、《コルビー詩編》のイニシアルP に見ることが 出来るのである。