第三章 草創―発展期〈二〉:漢学への反抗(1934.3-1937.10)
第四節 竹内好の漢学論と保田與重郎
一 竹内好と保田與重郎の高校時代と大学時代
表12 大学時代における竹内好と保田與重郎の活動
竹内好 保田與重郎
所属 東京帝国大学文学部支那文学科 東京帝国大学文学部美学美術史学科 主な活動 1931:
4月、RS(リーディング・ソサエティ。
唯物弁証法などを研究する)に所属。
9月、支那語支那時文速成講習会に通 いはじめる。10月に帝大新聞の社員に 応募したが、失敗。
1931:
8月に佐渡・越後地方に旅行。
1932:
8月、外務省対支文化事業部の補助金 を受け、朝鮮・長春・大連で旅行、そ の後私費で北京に一か月以上に滞在。
1932:
3月に大阪高等学校の同窓生と同人誌『コ ギト』を創刊(月刊)。誌上に「印象批評」
など多数の文章を発表。
7月に朝鮮に旅行し、約一か月滞在。
1933:
12月卒業論文『郁達夫研究』を提出。
1933:
「文学時評」のコラムを担当しはじめ、
ヘルダアリーン論をテーマとした卒業論 文を提出。
1934:
3月、東京帝国大学を卒業。「中国文学
研究会」を組織。8月、周作人・徐祖生 歓迎会を開催し、会の名を公表。
1934:
3月東京帝国大学を卒業。4月藤原定など と『現実』を創刊し、8月に終刊。11月に
「『日本浪漫派』広告」を神保光太郎など との連名で「コギト」に掲げる。
表11から分かるように、竹内好と保田與重郎は、高校時代に雑誌の編集に携わりはじめた という共通した経験を持っている。ただし、二人の方向性は異なる。「竹内好年譜」に載せ た『学芸部日誌』の抜粋から、竹内は『校友会雑誌』の編集方針を「輿論の喚起、正当な批 評の機関」207と認識したが、同じ雑誌に投稿していた保田與重郎は異なる考えを抱いている。
これについて、保田とともに『炫火』を創刊した田中克己は、「竹内がね、校友会雑誌の編 集をしたとき、ぼくらと編集方針というか、性格が合わないんです。それだから、ぼくらは やむをえず私の雑誌として『炫火』というのを出した。――三年のときね。それからすぐ『コ ギト』になる」208と語った。田中克己が「性格が合わない」と評したその意味は、以下のよ
207 久米旺生編「竹内好年譜」(『竹内好全集』⑰、286頁)。
208 同前、287頁。
うな竹内と保田の学生時代の対照的な姿からも読み取れる。
高校時代に竹内好の編集した『校友会雑誌』は本来、学生の論文や小説、短歌など文学作 品を投稿する場である。だが彼が編集を担当してからは、たびたび学校の検閲に引っかかっ た。また、学生ストライキにも参加し、学校との多くの衝突を引き起こした。209一方、保田 與重郎は短歌会を組織し、独自に文芸雑誌を編集した。そして、彼は高校時代から日本の古 典文学を注目しはじめ、その初期の文章には、世阿弥の『風姿花伝』を論じるものや、仏像 を美学的に分析したものなどが含まれている。竹内好と保田與重郎は、同じく文芸活動に関 心を示したが、文学批評の面では保田のほうが先行していたといえる。したがって、竹内は つねに保田の言動に視線を注いでいた。
1932年3月、保田は『コギト』を創刊した。竹内好の年譜において、それについて下記の ように書かれている。
一九三二年(昭和七) 二二歳
二月六日、相野忠雄(大高七回生)から、「彼らの雑誌」(『コギト』)のことをいろいろ 聞く。三月一日、『コギト』三部購入。数日にわたって室清と『コギト』批評。十八日、
田中克己と『コギト』論。(略)
一九三三年(昭和八) 二三歳
一月四日、「コギト第二年を迎えて更に意気さかんなり。杉浦の小説も進歩せり。慶賀 に堪えざると共に顧みて一抹の寂寥を感ずるものあるは如何」(日記)(略)210
さらに、1934年の日記に竹内好はこう綴っている。
六月二十六日(火)
(略)『コギト』七月号新装にて店頭に出づ。表紙その他一新せるのみならず、内容も 亀井、本庄ら書き、一般雑誌へ一歩踏み出そうとしていることを示す。精力的なる、む しろ感嘆すべきなり。やはり保田〔与重郎〕は莫迦に出来ぬ男なり。相当のやり手なり。
211
上記の引用文に、保田與重郎の文壇上の活動に目を留まる竹内好の姿が反映されている。
彼の感じた「一抹の寂寥」とは、同じく文壇の進出を志した自らの保田に対する劣等感を感 じ取った心境によるものだろう。大原祐治は、竹内好が「保田與重郎への対抗意識」212を抱 いていると指摘したが、保田の初期文学論を見る限り、竹内の保田に向けていた感情は決し
209 同前、「一九三〇年(昭和五)」項目を参照。
210 同前、290-291頁。
211 「中国文学研究会結成のころ(1934)」(『竹内好全集』⑮、64頁)。
212 大原裕治「北京の輩と兵隊:「中国文学月報」における竹内好・武田泰淳」(『学習院大学人文
科学論集』11、2002、107頁)。
て対抗意識だけではないと思われる。