第二章 草創―発展期〈一〉:同時代の中国文学への覚醒(1934.3-1937.10)
第四節 戦時下の中国の民衆に対する注目
一 漫画と木刻画からみた民衆と労働者の姿
い理由は、そこに現れた「今日の支那の時代性」である。つまり、中国人の現実的な生活か ら反映された中国の時代的特徴を日本に知らせたい。このような姿勢は、後に本誌の民衆重 視の基礎的なものになったのではないかと考えられるのである。
まず、漫画を見てみよう。漫画は第6号(1935.8.25)に三つの作品が転載され、いずれも 当時の中国民衆の生活をテーマにした作品である。(図4-1、図4-2、図4-3を参照)
図4 『中国文学月報』に転載された漫画
そして、漫画の掲載について、竹内は同号の「解説」で以下のようにコメントしている。
中国の漫画は腹をかゝへて笑つてすませるアメリカ式のものでなく、何かしら小市民 を嘲笑したり貧民に同情したりする漫画家の目玉が我々の方を睨んでゐるやうだ、と いはれる。
豊子愷は漫画界の大先輩であり、最近はそのリリシズムを市井描写に融込ませて独自 の味ひを出してゐる。(略)「我們所造的」(俺たちが拵へた)は「太白」から取つた。
葉浅予の「北海所見蒙古人」は(略)実際に目で見た庶民生活を描く所謂速写(スケッ チ)の試みの一例として挙げた。(略)特に小市民生活の鋭い批判を蔵し、中国漫画の 優れた一面である。
胡考は特異のペーソスと技巧をもち、豊子愷と別の意味で抒情派である。(略)本号に 転載したのは「時代」(筆者注:『時代漫画』のこと)所載の「夏」と題する人物八人よ り成る構成の断片で、大意次の説明がある。
夏――こゝにはアイスクリームも扇風機もプールもない。
しかし我々は我々の、団扇や、水や、風や――とに角我々も毎年夏を過してゐることは 事実だ。142
上記したとおりに、本誌において転載された漫画は、市井の描写、庶民生活を主題として 竹内によって解釈されたものである。中国漫画史研究の第一人者である畢克官氏によると、
1930 年代は近代中国漫画の発達期であり、その中で、中核的な地位を占めたのは雑誌『時 代漫画』である。143この雑誌は1934年9月から1937年6月までの間、全国で刊行された が、ちょうど満州事変が勃発した直後、全国に抗日感情が高まっていた時期でもある。誌面 には、抗日を宣伝する作品を掲載する一方、当局を諷刺する作品と社会最下層の生活を反映 した作品が多く見られる。144
例えば、葉浅予(1907-1995)145の「北海所見蒙古人」(図4-2)は、このような一般市民 の生活を反映する作品といえる。特に、葉浅予のものは一般的な漫画と異なり、「漫画スケ ッチ(速写漫画)」と呼ばれている。漫画スケッチが通常のスケッチと異なるのは、描写対 象の社会性を重視するところにあり、誇張な手法で描かれるが、実は「人物の感情・動態に 注意すると同時に、漫画家の眼でそれをとり巻く社会を観察し、現実生活の中の、ある種の 意義のある事柄、面白い事物をピックアップしなければならない」146というリアリズムの作 品である。「北海所見蒙古人」は、北京に見られる漢民族化されたモンゴル人を描き、おそ らく葉浅予が1935年に北京での旅行中に作成したものである。147作中の人物はモンゴル人 であるが、「長衫」という漢民族の服装を身につけている。葉浅予は、このような一般市民 に見られるいくつかの特徴をつかみ、「漫画スケッチ」を通して現実的な民衆生活を表現し ている。ほかに掲載された豊子愷と胡考の作品は「漫画スケッチ」ではないが、いずれも市 井の風景を表したものである。
そして、第7号(1935.9.25)と第9号(1935.11.27)に掲載された4つの木刻画(図5-
1、図5-2、図5-3、図5-4)は、より中国農民と労働者の生活を反映し、左翼色を帯び
た作品である。また、第9号に、「現代中国の木刻」と題する文章が掲載され、30年代の中 国の木刻運動を紹介した。本文はまず中国に輸入されたロシアとドイツの木刻画に簡単に 触れ、そして中国国内の木刻画の発展過程と特徴について以下のように記されている。
142 竹内好「解説」(『中国文学月報』第6号、1935.8.25)。
143 畢克官著・落合茂訳『中国漫画史話』(筑摩書房、1984、123頁)。
144 同前、124頁。
145 葉浅予:漫画家、美術家。1930年代に上海で活動し、長編漫画『王先生』と漫画スケッチで
注目された。1937年、中華全国漫画界救亡会を成立し、抗日漫画に取り込んだ。
146畢克官著・落合茂訳『中国漫画史話』、前掲書、148頁。
147 葉浅予『葉浅予自伝:細叙滄桑記流年』(中国社会科学出版社、2006、88頁)。
図5『中国文学月報』に転載された木刻画
外国の木刻が輸入されたのは、魯迅や柔石(一九三二年春処刑)等文士の努力に負ふ所 多く、彼等は一九二九年頃から上海にしばしば外国木刻展を開催し、又一方木刻講習所 を開設して実際製作に当らしめた。この講習所の方はまもなく左翼的傾向の故を以て 当局の弾圧を受け解散したが、彼等によつて今日まで幾多の外国木刻集が出版され中 国木刻作家の手本となつてゐる。(略)
一九二九年と云へばプロレタリア文化運動の澎湃として高まつた時代で魯迅等のこの 仕事は美術界に大きな波瀾を捲き起こした。(略)青年美術家が我も我もと争つて筆を 棄て絵具を捨てて、刀鑿を把つて版木に向つた。そして絵画よりも更に力強い刻鑿によ る表現を以て労苦民衆の生活を描きはじめた。(略)就中野夫、一川、新波は最も一般 の歓迎を受けてゐるやうである。それは彼等が大刀濶斧の刀法、簡明結実な線を用ひて
適切に労苦民衆の呼号、吶喊を表現してゐるからであらう。148
この引用箇所から分かるように、中国の木刻画にはプロレタリア文化運動の一部として 強烈な左翼色が帯びている。その題材はいわゆる「労苦民衆の生活」であり、図5に見られ るように、畑に農作業している農婦、口入屋で仕事を待っている労働者の憂鬱な表情、埠頭 で働いている人々、そして工場で怪我した工人の顔など、いずれも最下層の民衆の生活をリ アリスティックに描写しており、左翼的傾向を表した作品といえる。
このように、これまで取り上げた誌上に掲載された漫画と木刻画は、いずれも中国の民衆 の日常生活を反映したものである。前述した通り、成立頃の中文研は日本の文壇と学界に見 られた「人間不在」的な傾向に大きな不満を抱いた。初期の誌上において漫画と木刻画を紹 介するのは、このような中文研の出発点と一致すると思われる。そして、彼らの中国民衆に 対する関心は、「農民」を描く小説に関する議論において一層明らかである。