第一章 近代日本における中国認識の形成
第二節 中国文学研究会の創立
三 機関誌『中国文学月報』の創刊と変遷
中文研は、成立した翌年(1935)に機関誌『中国文学月報』を発行した。創刊頃の本誌は、
「雑誌といっても最初は非常に貧弱なものでした。なにしろ菊版の一二ページですから、雑 誌の体裁をしていなかった」94という。このような状況で五年を続き、第60 号(1940.4.1)
から『中国文学』と改題し、約48頁の市販雑誌となり、発行も生活社に委託された。1935 年3月から1943年3月までのあいだ、検閲制度や同人の移動などの種々の困難の中で、本 誌は欠号なしで全92号が刊行された。創刊号と改題後第60 号の詳細について、表3 を参 照されたい。
93 柳沢健「周・徐両先生を迎へて」(『支那』第25巻第9号、東亜同文会編、1934.9)
94 竹内好・高橋和巳「文学 反抗 革命」、前掲書、32頁。
表3 『中国文学月報』と『中国文学』の書誌情報95
『中国文学月報』創刊号 『中国文学』第60号
定価一部10銭。
編輯発行兼印刷人:東京市芝区白金今里 町89竹内好。
印刷所:東京市神田区神保町1-34株式 会社開明堂。
発行所:東京市芝区白金今里町89中国文 学研究会。
印刷部数1000部(第二号以降 500部、
途中800部のこともあった)。
菊判アンカットで、9ポ14字24行4段 組。表紙なく12頁。
編輯は同人合議で行なったが、原稿には 竹内が率直な批判を加え、場合によって は加筆訂正を行なった。
題字「中国文学」は武田泰淳が郭沫若に 依頼して書いたもの。
定価一部25銭、年3円。
編輯発行兼印刷人:東京市目黒区上目黒 5-2468竹内好。
印刷所:東京市神田区神保町1-34株式 会社開明堂。
発行所:東京市目黒区上目黒5-2468中 国文学研究会。
発売所:東京市神田区鍛冶町 3-6 生活 社。
菊判アンカット。表紙(色刷)つき、48 頁。本文は9ポ27字21行2段組、およ び6号20字27行3段組、「後記」は6号 15字27行4段組。「文化消息」欄は下段 に表波線で囲い、6号14字2段組とし、
余白の埋草にした。
題字は増田渉が書いたもの。
95 表 1 の作成は立間祥介編「中国文学研究会年譜」(『復刻中国文学:別冊』、汲古書院、1971)
を参照した。また、図版は東洋文庫所蔵本による。
竹内好の回想文において、雑誌の創刊頃の事情が下記のように記録されている。
『文藝春秋』の一番初めの形、こちらはもっと厚いんですけど、大体、あんな感じで始 めたわけです。ワク付の四段組みっていうのも『文藝春秋』の一番初期のやつの真似じ ゃないかな。
印刷屋は開明堂っていいました。工場が浜松にあってね。これは日本で精巧社とならん で一番漢字の活字を持っている印刷屋だったんですよ。しかし、わりに安いしね。そこ に依頼したんですが、仲を取り持ったのは文求堂という本郷にあった本屋のおやじさ んで、田中慶太郎という人なんです。96
『中国文学月報』は一団体の機関誌にすぎないが、その作りは一流の文芸雑誌を真似し、
また当時の社会で通用していた「支那」という呼称を敢て使わずに「中国」を使った。そし て、創刊号の題字を近代中国文学のリーダー格として知られている郭沫若に依頼したこと、
および多くの日中文人、学者と交際関係を持つ田中慶太郎から協力を得たことも、当時の中 文研の文壇・学界に進出するための努力を物語っているといえる。その中に、竹内好自身の 抱負が無論含まれているが、日本の文壇に同時代の中国について発信しようという中文研 の姿勢も表われているのではないか。
このように、中文研のさまざまな動きは、多くのジャーナリストや学者などに注目されて いることが事実である。そして、本誌の内容は非常に豊富であり、学術論文と研究随筆を中 心とし、翻訳・書評・資料紹介なども加えて、同時代の中国の文学、文化動向を紹介してい る。そのため、本誌は当時の日中文化交流の促進に一役を果たしたといえよう。
そして、時間の変化によって、本誌は異なる特徴を呈している。本誌の内容は、表4のよ うまとめることができる。
表4 『中国文学月報』・『中国文学』の内容概略
A 近代中国文学・文化 中国文人と文学作品に関する紹介および考察、漫 画・木刻・劇曲・映画、関連する本の書評
B 中国文学の翻訳 近代文学、論文などの翻訳(B1)
古代から清末までの文学の翻訳(B2)
C 日本における中国研究 漢学批判(C1)
日本の中国研究に関する批評、資料など(C2) D 中国の古典文学と伝統文化 古典文学の研究と資料紹介、伝統文化に関する研
修、関連する本の書評
96 竹内好『方法としてのアジア』、前掲書、12頁。
E 中国語問題 中国の国語運動問題、中国語教育と翻訳法批判、中 国語に関する言語学的研究、関連する本の書評 F 現地体験 紀行文、戦地報告
G 文学創作 同人の書いた短編小説など
H 日中関係と日中交流事情 中国に関連する日本の人物、政策、諸事情など I 諸国と中国との接点 日本以外の諸国における中国理解と中国研究 J 中文研関連 中文研および機関誌に関する文章
K 文化消息・会報・コラム 中国文壇の文壇ニュースなど
そして、筆者は表4に提示された各内容をA~Kに分類し、誌面に掲載されたA~Jに関 する文章を中心に、数量的な統計を行った。97その結果は、表5のとおりである。
表5 『中国文学月報』・『中国文学』の誌面の変遷
時間98 A B1 B2 C1 C2 D E F G H I J
第一期:
第1号-第32号 57 19 2 8 5 35 14 0 0 7 2 3
第二期:
第33号-第59号 18 24 5 2 6 13 5 17 0 10 12 0
第三期:
第60号-第92号 38 15 12 0 6 23 40 16 6 29 21 15 合計 113 58 19 10 17 71 59 33 6 46 35 18
97 数量的統計は、誌上に掲載されたものすべて含まれているものではない。原則として統計の
際に「書評」、「文化消息」、「会報」などのコラムを採用しないことにする。また、序章の研 究方法にも言及されたが、一つの文章には、多数の主題が含まれる場合もまれに見られるた め、厳密な数量的統計を行うのが難しい。そのため、数量的統計にはこのような文章を対象 外とした。なお、資料「『中国文学月報』・『中国文学』内容一覧」において、統計された文章 に対応する分類のアルファベットが表記されている。
98 時間の区切りは中文研の三つの活動時期に従った。詳細は序章の「表2」を参照。
第一期:草創―発展期(1934.3-1937.10)
第二期:模索―転換期(1937.11-1940.3)
第三期:中興―葛藤期(1940.4-1943.3)
表4と表5を通して、本誌の内容的概況と誌面の変遷が読み取れる。
まず同時代の中国文学の紹介に関して、A 類とB1 類の文章が挙げられる。「A.近代中国 文学・文化」には主に中国の新文化運動(1910 年代)以降の文学作品や戯曲・漫画などの 芸術類が含まれ、「B1.近代文学・論文の翻訳」には小説・新詩・戯曲脚本だけではなく、中 国に発表された研究論文も含まれる。同時代の中国文化界の状況を日本に紹介することは 中文研の一大課題であるため、誌上にA類とB1類の文章が多数見られる。その勢いは特に 第一期においては著しい。特に第1号(1935.3.5)から第32号(1937.11.1)までの誌面に 近代中国文学に関する特集号が多数編集された。例えば、第 6 号(1935.8.25)と第 7 号
(1935.9.25)の「現代小品文」特集、第20号(1936.11.1)の「魯迅」特集、そのほか、第 22号(1937.1.1)と第28号(1937.7.1)の「作家論特集」、第31号(1937.10.1)の「現代 長編代表作特集」なども挙げられる。しかし、第二期に入ると、A類の文章が一気に減少し、
作家論を散見する程度である。その代わりに、B1類の翻訳が増加した。そして、第三期に 徐々に回復する傾向を見せたものの、第一期には及ばない。また、掲載されたものは書評を 中心とし、作家論と作品論が少ない。特集も第77号(1941.10.1)の「民国三十年記念特集」
の一冊のみ編集されたのである。
つぎに、中国の古典文学と伝統文化に関係するのはD類とB2類である。「D. 中国の古 典文学と伝統文化」には、主に『三国志』や『三言二拍』などの白話小説、清末の通俗小説、
および民国初期の中国の文学研究に関する文章が含まれている。ただし、唐詩などのような 古典文学に関するものがまれに掲載される程度である。D 類の文章は第一期において少な からず見られ、特に第 26 号(1937.5.1)は王国維の記念特集号として刊行され、中には王 国維の人物像、紅楼夢研究、『人間詞話』(1910)に関する批評などが掲載されている。その 後、特集として刊行されたものはなくなったが、第二期、第三期において断続的に唐詩、戯 曲、または康有為の伝記的研究などに関するものが載せられていた。また、B2類の翻訳は、
第一期と第二期において少数しか見えないが、第三期では『老残遊記』(劉鉄雲)、『日本雑 事詩』(黄遵憲)、『思痛記』(李小池)のような清末の文学作品の翻訳が連載されていた。全 体的にいえば、本誌において中国の古典文学に関する内容が大きな割合を占めているとい えよう。
また、日本における中国研究に関して、「C1.漢学批判」と「C2.日本の中国研究に関する 批評、資料」がある。C1 類は文字通りに漢学を批判する文章であり、C2 類は中国文学研 究法に関する批評、または東洋史などの他分野の中国研究に関する論文と資料である。特に 漢学批判は中文研の活動の出発点ともいえる一大課題であるが、興味深いのは、直接に漢学 批判の主題に触れた文章はそれほど多くないことである。表5に示しているように、C1類 の文章が掲載されたのは第一期に集中しており、第二期ではわずか2篇しかない。第三期と なると誌面からまったく消えてしまったのである。その理由の一つは、後期の中文研が中国