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第 1 章 食糧流通改革と中国農業の転換

第 3 節 食糧流通制度の改革と漸進的自由化

3.2. 直接統制から間接統制への移行期(1991~98 年)

(1)食糧市場流通に対応したインフラの整備と配給価格の引き上げ

1980年代末の食糧の減産と価格上昇によって、1990年前後から食糧は大幅な増産に転じ たが、図1-3が示すように、生産量は需要量を上回り、生産農家による食糧の販売難が各 地で発生した。その問題に対処するため、政府は市場価格よりも高い買付価格による食糧 の無制限買付を行ったが、逆ざや負担が再び財政を圧迫する結果となった。この食糧価格 補助による財政負担を軽減するため、食糧流通の一層の改革が急務となった。

そこで政府は1991年4月には食糧備蓄局を設置し、「保護価格」(農業生産コストと食糧 需給状況にもとづき毎年1回確定される食糧買付価格)によって買い付けた食糧をもとに 食糧特別備蓄制度(「食糧専項備蓄制度」)を設立した。食糧特別備蓄制度の役割は、自然 災害などに備える本来の意味での備蓄保持に加えて、備蓄食糧の放出・買付を通じて市場 需給を間接的にコントロールすることにある12

そして1990年以降、全国各地に食糧卸売市場を設立することで、国家の直接統制の外に ある食糧の地域間需給を間接的にコントロールすることをめざした。具体的には、1990年 10 月に唯一の中央政府所管卸売市場である中央食糧卸売市場が、河南省鄭州に設立され、

省間の小麦流通の調整を主たる機能として担うこととなった。さらに、黒龍江省ハルビン 市、吉林省長春市、江西省九江市、湖北省武漢市、安徽省蕪湖市に地方政府が所管するト ウモロコシ・米の卸売市場が設立された。食糧卸売市場の役割は、単なる省間需給調整に とどまらず、食糧価格をコントロールするための買入および売却をする場として利用され

12 間接コントロールの財政的基盤を確保するため、政府は1993年に食糧リスク基金(「糧食風険基金」)を設立 した。食糧リスク基金とは、中央・地方政府の食糧価格支持・補填・借款を減らした財政資金をあてて設立さ れた基金のことで、積立金は中央政府と地方政府で1.5:1の割合で負担することになっている。食糧リスク基 金の機能は、市場で決まる食糧買付価格が保護価格を下回った場合、保護価格での買付を実際に行う国営の食 糧部門に対して、保護価格と市場価格との価格差補填を支出することにある(葉1997: 6頁)。

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食糧特別備蓄制度と食糧卸売市場の整備によって、食糧需給に対する間接的なコントロ ール手段を獲得したことを背景に、1991年から都市住民に対する食糧配給価格の大幅引き 上げが実施された。1991年5月に主要食糧(小麦粉、米、トウモロコシ)の配給価格が50kg あたり10元引き上げられ、価格引き上げ率は68%にのぼった。さらに1992年4月には、

平均で43%の食糧配給価格引き上げが行われ、1991~92年の累計で食糧配給価格は140%

引き上げられた(『中国商業年鑑1992』I-2頁)。このような大幅な配給価格の引き上げは 1965年以来のことで、食糧買付価格との間の逆ざやを縮小し、価格補填に対する財政負担 を軽減させることを目指したのである。

この配給価格引き上げに対して、都市部では大きな混乱は発生しなかった。その理由と して、①配給価格の引き上げにともない、1991年に勤労者1人あたり1ヵ月6 元、1992 年には5元の食糧価格手当が支給されたこと、②都市世帯の所得上昇と支出に占める食糧 消費支出構成比が減少していたこと(生活費支出額に対する食糧支出の割合は7.1%(表1

-1)、③当時は自由市場を通じた高品質の食糧消費が普及していたため、都市住民に対す る実際上の影響が小さかったことが挙げられる(寳劔2003: 47-48頁)。

(2)「保量放価」政策の実施とその失敗

さらに政府は、1993 年には食糧流通自由化を促進するために、「保量放価」と呼ばれる 政策を打ち出した。その主な内容は、①政府買付を公定価格による義務供出から自由市場 価格による買付に変更する、②都市住民への配給制度を維持するが、配給価格は自由化す る、③中央政府が直接統制していた配給用食糧の過不足分の調整を各省に委ねる、という ものである(池上 1994:23-25 頁)。しかし、市場価格での食糧買付・販売は、政府の思惑 通りには進まなかった。広東省を中心とする経済発展地域における食糧減産によって広東 省の米価は高騰し、それを契機に1993年11月以降、全国の食糧価格は急騰した。図1-6 では食品関連の小売価格指数(1985年=100)を示したが、食糧の小売価格指数は1994年 から高騰し、それが売物価指数全体を押し上げている要因となっていることも確認できる。

この食糧価格の高騰に対処するため、1994年に契約買付が復活し、市場価格よりも安価 な公定価格(1993年の保護価格を40%引き上げた水準)で契約買付が実施された結果、生 産農家にとっては実質的には食糧の義務供出となった。ただし、この契約買付による食糧 確保を実現するにあたって、1994年から1996年にかけて契約買付価格を引き上げるなど、

生産農家に対する一定の配慮もみられた。

さらに、省内での食糧需給の均衡化と食糧市場の安定化を目的に、省長食糧責任制(「米

13ただし設立当初は、市場取引環境の未整備(鉄道部門による食糧配送用貨車の分配が不十分、食糧売買に対 する銀行融資が得られない、銀行間の決済ができない、取引量・取引価格など市場取引に対する様々な規制が 存在)のため、卸売取引は全体的に低調であり、鄭州市場の成約・搬出量は河南省から省外に持ち出される食 糧全体の1割強しか占めていなかったという(菅沼1993: 99-108頁)

袋子省長責任制」)が1995年から正式に導入された(雛形は1993年から存在)。その具体 的な内容は、①食糧作付面積を安定させ、単収と食糧生産量の増産を実現する、②市場管 理を強化し、中央によって下された契約買付任務、在庫任務、備蓄食糧買付計画や地方政 府が決定した市場買付計画を順守する、③国家規定に基づいて地方食糧備蓄とリスク基金 を設立し、当地における食糧市場に対して有効な調整・管理を実施できるようなシステム を構築する、④食糧主産地の省では、国家が規定する省間食糧調整任務を遂行すると同時 に、食糧商品化率を高めることである。他方、食糧自給ができない省は、他省からの購入 計画の作成と調整を行うとともに食糧自給率を高め、食糧の市場供給と価格安定化を確保 することも規定された(『中国農業発展報告1996』64-65頁、宋等編2000: 90-91頁)。

図 1 - 6 食品関係の小売価格指数の推移

0 100 200 300 400 500 600 700 800 900 1000

1985年 1990年 1995年 2000年 2005年 2010年

総指数 食品 食糧

(出所)『中国城市(鎮)生活与価格年鑑』(各年版)、国家統計局城市社会経済調査司編(2014)より筆者作成。

すなわち、省長食糧責任制とは、各省の食糧需給に関して各省長の責任において問題が 生じないように管理する制度の総称で、農地の工業用地などへの転用を抑制して食糧生産 を維持させると同時に、食糧消費地での需給逼迫を緩和できるよう、政府による間接コン トロール手段を強化することに重点が置かれていた。

(3)食糧生産の急増と政府による食糧の無制限買付

これらの政策によって、一時低迷していた食糧生産は1995年から再び増加に転じ、1996 年には対前年3800万トンの大幅増産で、中国の歴史上初めて食糧生産量が5億トンを超え

た。1997年には若干生産量が低下したが、1998年には再び生産量が5億トンを超え、図1

-3 に示されるように、供給量は需要量を大きく上回っている。このような食糧の急速な 増産によって、1994・95年に高騰していた食糧の市場価格は1996年から大きく低下し、

生産農家による深刻な食糧販売難も全国各地で発生した。

そこで政府は、まず国家特別備蓄食糧を大幅に積みますことを決め、さらに食糧市場価 格が公定の契約買付価格よりも低い場合には、地方政府は契約買付価格の水準を参考にし た保護買付価格を定め、その価格で食糧を無制限に買い付けるよう指示した。1996年度の 国営食糧部門の食糧買付は、前年度より2410万トン多い1億1850万トンに達した(池上

1998: 73-75頁)。また、国務院は保護価格による買付を促進するため、1997年7月の全国

食糧買付販売工作会議において、保護価格の全国統一化と国有食糧部門の保管する過剰在 庫に関わる利息と保管費の政府負担を決定した(葉1997: 7頁)。

その結果、図1-5に示されるように、1996~1997年にかけて国営食糧部門による買付 量が再び大幅に増加し、全国の食糧備蓄は前例がない水準にまで増加した。1997年11月 末時点で、国家特別備蓄量は2340万トン増加して6440万トンに達し、商業性在庫も1670 万トン増の5650万トンとなった。その結果、食糧系統の赤字は約400億元増加し、累積未 処理赤字は約1000億元に増大し(中国農業専家論壇1998:5-9頁)、1993~1998年までの国 有食糧企業の累計赤字は2140億元であったという(陳ほか2009: 169頁)。そして食糧価 格補塡支出も1990年代半ば以降、再び急速な増加をみせ、1997年には414億元(対財政 支出構成比4.5%)、1998年には565億元(同5.2%)に達した。

そこで、中国政府は1998年から相次いで政策を打ち出し、食糧流通改革に取り組み始め

た(池上1999)。1998年以降の食糧政策の基本的な方向性を定めたものとして、1998年5

月に国務院から公布された「食糧流通体制改革の一層の深化に関する決定」(以下、「決定」

と略す)と同年6月に公布された「糧食買付条例」(以下、「条例」と略す)がある。この

「決定」と「条例」の基本原則は、「4つの分離と1つの完全化」(「四分開、一完善」)、す なわち食糧流通における政府(政策)と企業(経営)の分離、中央政府と地方政府の責任 の分離、備蓄と経営の分離、新旧の債務勘定の分離、そして食糧価格決定における市場メ カニズムの強化にある。

また「4つの分離と1つの完全化」の原則をさらに押し進めた政策原則として、「3つの 政策と1つの改革」(「三項政策、一項改革」)がある。3つの改革とは、農民の余剰食糧の 保護価格による無制限買付、国有食糧企業の順ざや食糧販売、食糧買付資金の他目的への 流用禁止のことであり、1 つの改革とは国有食糧企業の改革であり、自主経営と独立採算 制導入によって市場競争力を高めることである。

これらの政策と関連して特に注目すべき点は、農村部での食糧買付は国有食糧企業の独 占とし、私営商人や非国有食糧企業の農村・農家からの直接買付を厳禁し(一部の認可企 業を除く)、県以上の食糧市場からの購入を義務づけた点である。農村レベルでの市場を封