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第 6 章 農民専業合作社の加入効果分析( 1 ): CHIP 農家調査による実証

第 2 節 既存研究の整理と研究課題

2.1. 既存研究の整理

中国の農民専業合作社に関して、中国人研究者を中心に数多くの研究が蓄積され、日本 人研究者も日本の農協との比較から調査研究を行ってきた。これらの既存研究は、分析手 法と利用する資料の性格によって、大きく3つのタイプに峻別することができる2

第1のタイプとして、制度論の立場から農民専業合作社の概況を考察するものである。

代表的な研究としては、潘・杜(1998)、農村経済組織建設研究課題組(2004)、姜春雲(2005)、 潘(2005)、苑(2005)、徐(2005)、World Bank(2006)、郭・廖・付(2007)が挙げられ る。第2のタイプは、特定の農民専業合作社の事例を取り上げ、その実際の機能を分析す るものである。このタイプの研究としては、青柳(2002)、王(2005)、坂下(2005)、鄭・

程(2005)、河原(2007)、秦(2007)、山田(2013)などがある。そして第3のタイプは、

農民専業合作社や参加農家に対して実施したアンケート調査に基づき、計量的な分析をす

1本章は佐藤宏・一橋大学教授との共著論文(寳劔・佐藤(近刊))に加筆修正を行ったものである。

2中国の農民専業合作社に関する既存研究の詳細については、寳劔・佐藤(2009)を参照されたい。

るものである。そのうち、農民専業合作社調査を通じて合作社運営を分析した研究として は、黄・徐・馮(2002)、張ほか(2002)、Shen et al. (2007) 、韓俊主編(2007)、黄・林・

徐(2008)、呂・廬(2008)、Deng et al.(2010)、黄・扶・徐(2011)といった研究が挙げ られる。それに対して、農民専業合作社の会員・非会員農家を対象とした調査研究として は、郭(2005a)、祝(2007)、祝・王(2007)、崔・李(2008)、伊藤ほか(2010)といった 研究が存在する。

2007 年の農民専業合作社法の施行以降、第3 のタイプの実証研究が大幅に増加してい て、現在も様々な地域でアンケート調査が実施されている。ただし、それらの多くの研究 は会員農家と非会員農家との単純比較、あるいは加入選択に関するプロビットモデルの推 計といった初歩的な分析にとどまり、合作社加入の内生性をコントロールした実証分析は 伊藤ほか(2010)に限定される。伊藤ほか(2010)では、江蘇省のスイカ合作社の会員農 家と、合作社周辺に所在する非会員のスイカ農家に対するアンケート調査を行い、合作社 加入の内生性をコントロールした利潤関数の推計と統計的マッチング手法によって、農家 による合作社への加入効果を厳密に検証する。

他方、農民専業合作社は会員農家と農業契約を締結しているケースも多く、合作社と契 約農業との関係が深い。そのため、中国の契約農業に関する既存研究についても簡潔に整 理していく。中国の契約農業に関する研究全体の傾向としては、生産農家のミクロデータ を利用した実証研究が中心で、それらは大きく2つのタイプに分けることができる。第1 のタイプとして、生産農家による契約農業への参加要因を統計的手法(二項モデルなど)

によって実証した研究が挙げられる(郭2005b、祝・王2007、Wang et al. 2011)。そして 第2のタイプは、契約農業への参加による農家の経済厚生(農業純収入、農家所得)への 影響を定量的に計測する研究で、胡ほか(2006)、Miyata et al.(2009)、蔡(2011)、施ほ か(2012)などが主要な研究である。

ただしこれらの研究にも共通する問題点が存在する。すなわち、契約農家とそれ以外の 農家との間では、農家の要素賦存状況や農業生産への意欲、農業技術の高さといった面で 質的な相違が想定されるにもかかわらず、契約農業参加の内生性をコントロールしていな いため、契約農業への加入効果を過大・過小に評価している可能性が高いことである。そ のため近年の研究では、契約農業参加の内生性を配慮した分析も進んでいる。Miyata et al.

(2009)は、山東省で実施した契約栽培農家とそれ以外の野菜栽培農家に対するアンケート 調査に基づき、Heckmanのselection-correction modelを利用して、契約農業への参加効果を 定量的に明らかにしている。その結果、契約農業への参加は内生性をコントロールした推 計でも、契約農業への参加は、会員農家の農家収入に対して有意な正の効果をもたらして いることを実証した3

3 一方、契約農業に関する参加要因の特定化と加入効果の計測以外の研究としては、Guo and Jolly (2008)が農 業による契約農業の遵守率に注目した興味深い研究を行っている。この研究では、アグリビジネス企業への調

2.2. 本章の貢献

本章、および第7章で試みる合作社加入効果の計測は、伊藤ほか(2010)とMiyata et al.

(2009)との分析手法を踏襲したものである。ただし、本章の研究は農民専業合作社に関す る既存研究と比較して、以下の2つの点で新たな貢献が存在する。第1に、2003年に中国 社会科学院経済研究所が中心となって実施した全国規模の農家調査(China Household

Income Project、以下、「CHIP 調査」)を利用している点である。中国の農民専業合作社に

ついて、個別地域の事例研究が積み重ねられる一方で、地域を横断した実証研究は非常に 限られている。

もちろん個別地域に限定し、農民専業合作社の差異を考慮した分析の重要性は言うまで もない。その一方で、地域を限定し、特定の農民専業合作社と関連する農家のみを調査対 象とする標本設計は、内的整合性(internal validity)に重点を置きすぎるため、全体的な政 策効果が疎かとなったり、特定地域の経験をほかの地域に適用するという外的整合性

(external validity)の面で大きな制約が生じてしまうといった問題も存在する(Ravallion

2008、黒崎 2009: 第4 章)。したがって、農民専業合作社の地域的多様性の重要性を認識

しつつも、個別研究の中国全体での位置づけを明確にするために、全国レベルのデータを 利用して、制度上また政策的に農民専業合作社と括られる組織を俯瞰する実証研究の意義 は大きいと思われる。

第2の貢献として、会員農家による加入効果を「農業モデル村」とそれ以外の行政村に 分けて計測している点である。第5章で議論したように、農民専業合作社の設立・運営に おいて、行政村の幹部が積極的な役割を果たすケースは中国各地で観察されている。その 意味で、会員農家の加入効果を考察する上で、農民専業合作社法と行政村との関係に着目 することは非常に重要である。本章で利用するCHIP 調査データには、行政村が中央・地 方政府によって認定された「農業モデル村」(中国語では「農業示範村」)であるか否かと いう指標が含まれる。中国共産党は1994年から、優良品種の普及と農作物の増産による産 地の形成、農業バリューチェーンの強化、農産物の生産・加工・保存面での技術開発の促 進と技術普及体系の整備などを目的に、農業モデル地区(「農業示範区」)を設置すること を決定した。そして地方政府レベルでは、中央政府の決定に依拠しながら農業モデル県・

村の選定を行ってきた4

査データを利用し、契約農業の形態が農家による農業契約遵守率がどのような要因によって影響されるのかを 統計的に実証した。本研究の分析結果として、最低買付価格の提示、契約先農家への投資の要請、契約を遵守 した農家へのボーナスの提供といった要因が農家による契約遵守率を有意に高めることを主張する。

4 1992年に提唱された国務院通達「高生産・優良品質・高効率の農業発展に関する通達」「関於発展高産優質

高効農業的決定」)、および1993年に承認された中国共産党・国務院決定「当面の農業・農村経済発展に関す る若干の政策措置」「関於当前農業和農村経済発展的若干政策措置」)に基づいて、1994年から農業モデル地区 の選定が進められている。農業モデル地区は原則、各省から1つのモデル地区が選定され、モデル地区の範囲 は県、あるいは複数の県に跨る地区となっている。各々の農業モデル地区に対して、中央政府から毎年約2500

そのため、農業モデル村と認定された行政村とそれ以外の村では、農業の発展水準や農 業に対する政府の支援、農業産業化に向けた取り組みといった面で、大きな格差が存在す ることが予想される。そこで本章では、行政村を「農業モデル村」と「非農業モデル村」

という2つのグループに分類する。さらに、農業モデル村の農民専業合作社は、生産農家 に対する技術普及や資材購入・販売サービス、そして産地形成といった面でも、行政村と 積極的な連携を図りながら、より重要な役割を果たしていること、さらに他地域へのモデ ルとなるよう、合作社による会員農家向けサービスの面でも規範化が進展していることが 期待される。

したがって、本章では農家による農民専業合作社への加入効果について、「農業モデル村」

の方がそれ以外の行政村(「非農業モデル村」)よりも農家に対する経済効果が大きいとい う仮説を提示し、実証分析を進めていく。