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第 3 章 農業経営の変容と所得分配への影響:山西省パネルデータによる考察

第 2 節 分析対象地域の特徴

本節では、MHTSパネルデータを主として利用し、農家の農業経営類型の変化とその決 定要因について分析を進める。このMHTSパネルデータのうち、山西省の4つの調査村に 関する農家データ(1986~2001年)を利用するが、山西省を分析対象として選択した理由 として、以下の4点が挙げられる。

すなわち、①各地の固定観察点調査村を実際に訪問し、調査実施状況に関する聞き取り 調査を行ったところ、山西省の調査実施体系は相対的に優れており、適切な調査運営がな されていることが明らかになったこと、②MHTSパネルデータに関して、山西省データは 他の地域のデータと比較して入力ミスや数値の不整合などの非標本誤差が少なく、データ としての信頼度も高いうえ、定点観測調査としての継続性も高いこと、③中部地域に属す る山西省農村世帯は、所得水準や兼業化率は全国平均に近く、平均的な中国農村のあり方 を考察する上での代表性が高いこと4、④MHTSパネルデータには山西省の調査村が7つ含 まれており、他の省データと比較して同一省内のバリエーションが大きく、省内での経済 発展レベルによる差違を明確にできること5、という4点である。

本章では山西省MHTSパネルデータの7つ調査村のうち、村の産業構造や経済発展水準 が異なる4つの調査村を取り上げて、調査村間の比較を交えながら分析を進める。4 つの 調査村とは、霊丘県A村、定襄県B村、太谷県C村、臨猗県D村であり、各調査村の経 済概要と特徴は、表3-1に整理した。以下では分析対象の調査村に関して簡潔に説明する。

霊丘県A村は、総世帯数が75世帯前後の小規模な行政村である。地理的には「山区」(山 林地帯)に属し、民政部によって貧困村に指定されている。村内の産業としては、耕種業

(トウモロコシ、粟、ジャガイモ、小麦の栽培が中心)、林業、畜産業(羊・豚の肥育が中 心)といった農業が中心で、村内の非農業部門の発展は非常に限定的である。また、ほぼ すべての農地で灌漑設備が設置されておらず、地理的条件の悪さも影響して農業機械を利 用した耕作も実施されないなど、耕種業の生産条件面で他の地域と比べて劣っている。そ して、1990年代になると村外での就業や出稼ぎ労働者の割合が高まり、地元での採掘業の

4 1986~2001年の山西省の農村世帯1人あたり純収入は、全国平均より約2割程度低い水準に推移している。

また1996年末の農業センサスによると、専業農家の割合は山西省が56.3%、全国平均が59.3%とほぼ同レベル にあるが、第Ⅱ種兼業農家の割合は前者が19.7%、後者が12.8%で山西省が7%程度上回っている。『中国農村 住戸調査年鑑』(各年版)および全国農業普査弁公室(2000)より推計。

5 MHTSパネルデータのうち、省別の調査村数が最も多いのは河北省(9村)、次いで山西省(7村)、安徽省

6村)となっている。河北省については、1990年代後半に関して調査の管理・運営に問題のある調査村が幾 つか存在したため、今回の分析対象としなかった。

発展もあって、炭坑などに就業する労働者の割合も増える一方で、地理的条件の悪さから 県内の別の農村に家族で移住する農家も増加している6

定襄県B村は、約750世帯を抱える規模の大きい行政村である。経済レベルは県内でも 上位に位置していて、「小康村」(まずまずの生活水準の村)にも認定されている。B村で は合資企業や私営企業の発展が著しく、村内には全体で70を超える企業(5社前後の集団

企業、10~14社の合資企業、50社前後の私営企業)が操業していて、企業経営が村経済の

発展の原動力となっている。ただし、2000年前後から村内企業の経営が不振に陥り、村外 に長期で出稼ぎをする労働者が増加しているため、村内の農家から農地を借り受け、150 ムー(1ムー(「畝」)=約6.67アール、15ムー=1ヘクタール)という大規模農業経営を 行う農家も出現している7

表 3 - 1 調査対象村の経済概況と特徴

1986年 2001年 1986年 2001年

霊丘県A村 山区 75 76 75 215 1,130

定襄県B村 平原 755 756 80 726 2,818

太谷県C村 平原 70 76 70 641 3,085

臨猗県D村 丘陵 246 335 148 361 2,507

老・少・辺区、貧困村 小康村 小康村 地勢

年末世帯数(戸) 1人あたり純収入(元)

その他の特徴 調 査 世 帯 数

(1986年)

(出所)固定観察点調査20%抽出データ(MTHSパネルデータ、行政村調査データ)より筆者作成。

他方、太谷県C村は約70世帯、人口300人弱の小規模な行政村である。村の経済は農 業生産中心で、小麦・トウモロコシなどの食糧作物に加え、野菜などの商品作物の栽培や 畜産業も盛んである。またC村の農地は、平地の割合が高く灌漑条件も良く、土壌も肥沃 であることから、小麦やトウモロコシの単収も高い水準にある。その一方で、村民は総じ て保守的で伝統的な栽培方法に依存する傾向が強いという。そのため、2000年代初頭まで 野菜生産は露地栽培が中心で、ハウスによる野菜栽培は非常に限定的で、農地流動化率も 低い水準いとどまっている。他方、村内には煉瓦工場がある程度で、集団企業や私営企業 など村内の企業はほとんど発展しておらず、農家の非農業収入は周辺地域への出稼ぎ労働

(鉄工場での就業、商品の販売など)に依存している。その結果、2000年時点でC村全体 の労働力の約4割が出稼ぎ労働をしているという8

6 20069月に筆者が実施したA村での農家調査と、霊丘県農業局の固定観察点調査担当者へのヒアリングに

基づく。なお、調査対象農家の移住のため、継続的な調査実施が困難となったことから、A村での固定観察点 調査は2002年に終了したという。また、20069月時点でA村の総世帯数は30戸前後に激減しているため、

村民全体の移住も検討しているという。

7 20047月に筆者が行ったB村の村幹部に対するヒアリング結果に基づく。

8 200211月に筆者が実施した太谷県農業局担当者へのヒアリング、および太谷県任村郷(C村の所属する郷)

図 3-1 調査村の世帯 1 人あたり所得の推移

0 500 1,000 1,500 2,000 2,500 3,000 3,500

1986年 1989年 1992年 1995年 1998年 2001年

霊丘県A村 定襄県B村 太谷県C村 臨猗県D村

(出所)MHTSパネルデータより筆者作成。

そして臨猗県D村は、世帯総数が300世帯前後の中程度の行政村である。地理的には丘 陵地帯に属しており、県内では中レベルの経済水準に位置する。村経済の中心は耕種業を 主とする農業であり、もともとは食糧生産が中心であったが、1990年代前半から県・郷鎮 政府による果樹(リンゴ、梨、棗など)栽培の普及が積極的に推し進められた結果、D村 では1992年頃から果物栽培(リンゴと梨)の栽培が大きく広がり、農業生産の中心的に地 位を占めている。D村のリンゴ栽培は農家の自主的な選択によって急速に普及したもので あるが、県の農業技術普及ステーションもリンゴ栽培の先進地域である山東省煙台市の栽 培農家を技術指導者として雇用したり、日本からリンゴ栽培の専門家を招聘したりするな ど、リンゴ栽培の普及をサポートしてきたという9。他方、D村内の集団・私営企業などの 企業活動はきわめて限定的で、自営業もそれほど進展していない10

の郷長へのヒアリングに基づく。なお、20095月に筆者がC村で実施した調査によると、C村は2005年から 県レベルの農業総合開発プロジェクト、2006年には飲料水改善プロジェクトの対象となり、県・郷鎮政府から の農業開発や飲料水改善への財政支援が大幅に強化されたという。その結果、地下水を利用した飲料水の普及 によって村民の健康状態が改善する一方で、村民による野菜栽培用のハウス建設や養豚用の飼育場の建設も進 展している。

9 200511月の臨猗県農業局の担当者およびD村の幹部へのヒアリングに基づく。なお、同時期にD村の地

元仲買人と果樹農家に対して行ったヒアリングによると、リンゴの販売は地元仲買人(20~30人程度)を通じ て行われ、地元仲買人はリンゴ農家に前金を支払う形でリンゴを確保し、省外から買付に来る商人と交渉して リンゴ販売を行うという。その際、地元仲買人は商人から1kgあたり0.02~0.04元のコミッションを受け取っ ている。

103-1に示されるように、臨猗県D村の年末世帯数は1986年の246戸から2001年には335戸へと大幅に増

各調査村の世帯1 人あたり所得(「純収入」)の推移については、図3-1に提示した11。 4 つの調査村に関する全体的な特徴として、自然環境が厳しく経済的に立ち後れているA 村、非農業部門の発展が先行していたB村、村の規模や農業産業化の程度は異なるが農業 を主要な収入源とするC・D村、という形で各々の調査村を位置づけることができる。