オバケノ ・ユウタロウト ソウイウノ ンデバツ リネ。
赤一s男6−6)
165一
よんでば かりいる
りすだかんんよなる
○ソシタラ
リ ワラッテバッカ イルノネ。(赤一E女5
−8)
○シチジニ ナンカ ヤッタ ンダケド ソレ ミナカッタ ノ。アソンデバッカリ イタ カラ。(自一u女6−3)
○オスナバ イッタリ テツ ボウ シタリナンカ スル。
(赤一R男5−11)
○オウチデ パパトネ ゴホ ン ヨンダリナンカ シテ アソンダノ。 (赤一〇女6−
1)
○エー カイタリ ウントネ アノ オタマジャクシネ ミ タリナンカ スルノ。 (小一 横男4−4)
○なにつくるの? ンート アノ ツル ツクッタリナン カ スル。(小一大男4−6)
○オカアサンハネ ネナイデ ネ オコメ トイダリ ヨル ネ オコメ トイダリナンカ
シタノ。
○エー スルノ。
(神一三男4−0)
カイタリネナンカ
(神一.折女4−3)
16.3 名詞形のとりたて
名詞形のとりたては,つぎのとおりであった。
なお,罫よんだばかり」の例は,あやまりだろう。
種 類 年 長 児 年 中 児 年 少 児
よむのは
○デキンノパ テツダウ。 ○オカアサン ツカレンノハ ○オキンノハ ハヤイケ ドサ
(自一u女6−5) ゾウキンカケト オセンタク (赤一a女3−10)
ダッチ(神一隠女4−10)
よむのも
○タイソウスルノモ ネー ○ソレカラネ キエルノモ ○オウチ カエルノモ ウレ ネー オドリスルノモネ ボ デキルシネ(十一r女4−10) シクテネ(神一狗女4−3)
ク ツマンナインダ。 (二一
h男5−7>
よむのだ け
○ボクガ エランダノダケ ヨンデ クレル。 (自一u女 6−3)
よむのし
か ○オウチノ マワリニハ ナ
ンニモ ナクッテ レコード カケンノシカ オヤネ ナイ ノ。(神一三男4−0>
よんだぼ かり
○トロルガ ドナリツケタバ ッカシガ オモシロイ。 (神 一166一
よむしか ない
○ネンド スルシカ ナイ。
(乏方ミーK男5−ll)
16.4連体形と「だけ」「ばかり」のくみあわせ
「だけ」「ばかり」が形式名詞のようにつかわれているものには,
一三男4−O)
つぎのような例があった。
種 類 年 長 児 年 中 児 年 少 児
だ限 け定
○よんだんじゃないの? ウ ○コウエンニ イッテ? う ○オネエチャンノ ジ ミル ン ミタダケ。(自一b男6 ん。ウントネ スコシ アソ ダケデ カケルノ。(赤一d男
一〇) ンダダケ。(神一増女4−11) }4−2)
○キ・ノウハ ウチニ ィタダ ○タダネ ジブンガ ヨムダ … ○タダネ アイザワッテ カ
ケ。(赤一d男6−4)
イテ 一Aルダケ。(小一相男
○タダ ミチ マッスグ イ {
Nダケデ イインダモン。
○ドウブツエンハネー ウー 刀@ミルダケ。(神一伊男4
4−4)
○オヨガナカッタ。……ミタ
(磨一b男5−9) 一1> ダケ。 一(赤一e男4−1)
ていどの
限 界 ○ながくったっていいよ。し ってるだけおはなししてみて。
Vッテルダケ?(赤一1男6
ばか タ
り定
一5)寃Wブンデ ヨムバッカリダ モン。(赤一s男6−6>
直後であ ○チャコチャンハネ マダネ ○ダッチ ホンガ ナイト ること イチネンセイダカラネ ハイ ワカンナインダモン。キ キ
ッタバッカシデショ,マダ。 一ヒバッカシナノ。(赤一s男
(翻一m女6−4) 5−6)
第17章 幼児と動詞の形態
以上みてきたことをとおして,幼児の動詞の形態の習得・使贋状況について,つぎのことがい えるだろう。
1) この年代の幼児は,動詞の形態のいろいろなすがたを基本的に所有している。つまD,
ほとんどの形式と,その形式の基本的な用法を,幼児は使用しているのである。
2) しかし,それぞれの形式は,非常に多様な用法をもっており,その用法のこまかい点ま でみると,まだ,完全だといえない面がある。
3)幼児は,動詞の形態のつぎのような面において,使用のしかたのよわさをしめしている。
i)条件形のなかの「するなら」「したなら」のような仮定をあらわす用法があらわれなか つた。このことは「することにする」のばあいの帰結のあらわれかたが不十分であっ たり,fしたことにする」がなかったりしたこととも関係している。しかし,仮定のい いかたをぜんぜんつかえないのではない。「したら」「すれば」の仮定の用法をつかっ ているし,また,「するとする」fしたとする」のような仮定・みなしのくみたて動詞 がでてきたことがこのことをものがたっている。おそらく,この時期,さらにくわし くいえば,年中〜年長の時期は,仮定の表現を習得しつつあるときであるといえるの ではなかろうか。
ii)ボイス動詞のかたちのつくりかたがみだれていたものが目についた。このことは,
うけみの用法がまだ全領域にわたっていないことや,また,ボイス動詞の格支配のあ やまりがみられたことなどとも関連しているだろう。
アスペクト動詞のうち,「している」と「してある」の対立のようなボイス的な側面 によわかったことも,やはり,これと関連する。
このようなことをとおして,ボイスのカテゴリーの所有が,他に比しておくれてい るのではないかとおもわれる。
しかし,やりもらい動詞のあやまりがなかったことは,ボイスとの関連において,
特筆にあたいするだろう。
iii>幼児の使用する動詞には,とりたて語形がきわめてすくなかった。これは,あるい は,陳述的な面の発達が形態の発達よりおくれることをものがたっているのかもしれ ないが,陳述的な面の追求をしていないので,このことは,ただ指摘におわらざるを えない。
iLr)一般に,ていねい形式がつかわれなかった。しかし,このことは,幼児がていねい 形式を所有していないということにはならない。なぜなら,幼児がはなすということ,
および,ていねい形式がつかわれなければならない場面でないということは,ていね い形式の出現を強制しないからである。ちょうど,女性語の法則を所有している男性 が引用文のなかでしか女性語をつかわないのとおなじように,幼児は,このばめんで,
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ていねい形式をつかう必要がなかったからつかわなかっただけかもしれない。事実,
この資料のなかでつかわれたていねい形式は,おおくのばあい,おはなしの引用文の なかにでてきている。
v)一般に,文章語の法則の所有はおくれている。文章語は,日常的なはなしのばめん ではつかわないのが当然であるが,ていねい形式のばあいとちがって,引用すると,
形式がくずれやすいという傾向がでていた。このことから,幼児には,まだ文章語的 な形式や用法がむずかしいのだということがいえるのではないかとおもわれる。
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