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消費者の自由と貨幣保有

第2章  18 世紀消費論の源流と消費者役割の未分的把握

J. ロックは、その主要な諸著作を通して、つねに貨幣の保有および使用について言及して いる。例えば、利子論争や貨幣改鋳論争に関する諸論考では、貨幣の本質や社会的機能な

2.1.4.  消費者の自由と貨幣保有

る評量を(それがどの程度十分なものかはわからないが)行いながら、なぜ以前に言及 したことのある消費者について何も語らなかったのか、・・・・・・労働者か仲介業者か土地 保有者かのいずれでもない消費者は少ないので、彼らは計算に際しては、ほとんど考慮 に値しない(Locke,1692=1978:43)。

ここで明らかなように、ロックにとっての消費者概念とは、労働者や仲介業者や土地保 有者として言及された、雇用労働者や商人や貴族などすべての社会階層にまたがる概念で ある。それは、富裕層から貧困層に至るまで、市民社会の成員であって購買力を有するす べての諸個人の行為類型を、消費というひとつの社会的役割において一般化したものであ る(8)

  以上のことから、ロックが想定するコモンウェルスという契約社会の成員である諸個人 は、そのすべてが必然的に消費者であるとの論理的帰結を導くことができる。より正確に いえば、諸個人は消費者という社会的役割を市民社会の制度的要請として不可避に担う必 要があるということである。諸個人は、まず社会形成の契約以前の段階において、貨幣の 使用およびその暗黙的必須要件としての市場交換という、2つの制度運用に同意している。

それを踏まえて、これらの制度運行ならびにその制度的帰結(つまりは所有の不平等)に ついて、その安全性と確実性を保証するための新たな制度的枠組みを構築するために、契 約社会であるコモンウェルス形成に向かう。こうしてみると、ロックの社会形成論におい ては、諸個人の同意や契約からなる一連の諸制度に基づく市民社会の成立過程は、すべて 貨幣に関係している。そこでは、貨幣が社会の凝集力をもたらす紐帯である9。そして、

その同じ過程は、貨幣の保有が欲望充足のための消費行為に対する代替的行為であったこ とを鑑みるとき、貨幣という一般的購買力をもった消費者という新しい社会的役割が形成 される過程の論証ともなっていることが分かるであろう。市民社会の成員となった諸個人 は、その過程で確立した貨幣にまつわる契約や制度のおかげで、市場交換型の消費行為を 日常的な行為類型として支障なく遂行することが可能となったのである。

引環境のことである。

人々は、欲望充足への盲目性に対する歯止めを、貨幣保有と市場交換という2つの制度 を確立することにより獲得する。ロックによれば、「自由の最初のたいせつな使い道は、盲 目的軽率を防ぐことだ」(Locke,[1690a]1965=1972:214(2))という。それゆえ、ロック にとっての自由は、理性との相補関係がその必要要件となっている。ロックは『人間知性 論』の中で、「およそ自由がなければ、知性はなんの役にも立たないだろうし、知性がなけ れば、自由は(かりにもしあることができたとしても)なにも意味表示しないだろう」(Locke,

[1690a]1965=1972:213(2))と書いている。また『統治論』においては、「理性の導きを

持たないうちに、人間に無拘束の自由を許すということは、その本性の特権である自由を 認めることではなく、むしろ人間を野獣の中に突き放し、野獣と同じように惨めな人間以 下の状態に見捨てることである」(Locke,

[1690b]1698=1997

198-199)とも述べている。

ロックのいう理性の導きとは、当該個人が自身の欲望を停止し、思考を統制することが できるということである。人間はそうすることで欲望の衝動性や盲目性を克服する。「およ そ明晰で絶対確実な真知をえることができない場合、その欠如を補うため、神が人間に与 えたもうてある機能は、判断である」(Locke,

[1690a]1965=1972:236(4))と考えるロッ

クにあって、理性の働きによるものごとの判断とは、なによりも自由の確保にとって重要 な要件となる。思考を統制し、行為の選択に対して理知的な判断を下すこと、こうした一 連の理性の運用が、自由に備わる本来的な目的性を成就することにつながる。その自由の 目的性とは、ロックによれば、「私たちが自分の選ぶ善を手に入れられるということ」(Locke,

[1690a]1965=1972:181(2))である。

  したがって、ロックのいう思考の統制としての理性の働きとは、欲望の停止と同義であ る。欲望の停止こそ、人間が、有限ではあるが、十分に知性的な存在者となり得るかどう かの試金石である。それはまた、行為の自由に関しての試金石でもある(Magri,2000:

57-58,68)。ロックは、「私たちは、あれこれの欲望の遂行を停止する力能をもっている。

私にはこれがいっさいの自由の原泉と思われる。・・・・・・公正な検討の最終結果に従って欲 望し、意志し、行動することは、私たちの本性の過誤でなくて、完成なのである」(Locke,

[1690a]1965=1972:180(2))と述べる。こうしたロックにとっては、欲望の停止と思考の

統制こそ、自由へとつながる確実な途を用意するものであった。

  欲望の停止は、諸個人が貨幣を獲得することで、代替的に精神的な欠落感を埋合わせる ことから可能になる。貨幣は欲望そのものを、つまりは欲望の対象を直接に代替して充足 するわけではない。しかし、人々のこうした欲望とは、多分に、将来時点での漠然とした 空想的な欠落感や、あるいは流行などに関する文化規定性としての差異化の繰り返しであ

る社会的な欠落感に起因するということもあり、特定的な善を充たす対象物がいつでも念 頭にあるとは限らない。このような不特定的な欠落感に対して、貨幣は一般的価値物とし てその埋合わせを可能にする。

先述のように、ロックにとって、人間の本分とは幸福の追求である。しかし、それにお とらず不幸の回避もまた本分のうちである。不特定的な善の不在状態が継続することは、

その個人にとっての不幸であるに違いない。貨幣の保有は、暫定的ではあるが、そうした 不幸を緩和することになる。この点では、貨幣とは、財の購買という積極的な幸福追求時 にあって善となるだけではなく、不幸の回避という消極的な意味合いにおいても善として 機能しているといえる。

貨幣は人々の同意からくる一般的価値物として、市場においてつねに購買力として機能 するため、その保有者に、より一般的な善をもたらし、任意の将来時点において、必ず特 定の善との交換が保証されているということから欲望の一時的な停止を可能にする。貨幣 のこうした性質が、諸個人の消費行為にその思考や判断の段階において、合理性という性 質が入り込む余地を確保する。

ロックにとっての自由の概念とは、諸個人が意思のおもむくままに、ある行為を行なう ことができる力能についてのことである10。すなわち、「人間が自分自身の心の選択ない し指図に従って、考えたり考えなかったり、動かしたり動かさなかったりする力能をもつ かぎり、そのかぎり人間は自由である」(Locke,[1690a]1965=1972:134(2))ということ である。この自由の文脈に照らして考えてみると、貨幣保有のもたらす一般的な購買力は、

諸個人の市場における自由を保証していることが分かる。なぜなら、貨幣が一般的な購買 力であることから、それは市場の諸財との交換可能性を拡大して、欲望充足のための蓋然 性を高めるからである。貨幣はあらゆる事物の等価物として、いつでも市場での販路を欠 くことはない。それはまさに、ロックが“貨幣は万能である”との聖書の言葉を引用する 通りである。この貨幣の高い通用性が消費行為をより自由なものとする。

  貨幣という自由の力能を保有した諸個人は、たんに自由なだけではなく、より理性的に 消費を行なうことができる。ロック自身がいうように、貨幣とは購買力という一般的価値 の保証物であると同時に、価値を見積るための計算用具としても有用であるからである

(Locke,1692=1978:31)。貨幣は事物の財としての価値について、それを価格という数 量的尺度に置き換えることで、消費を決定する際の合理的な判断材料を消費者に提供する。

財価値の数量化はまた、消費者による諸財間の価値比較も容易にする。こうした財の価格 づけは、個々人の限定的知識の範囲内では決して推測することができなかった事物の財と しての真価について、それを、市場という集合的評価制度を利用する過程で、真価の近似

としてはより信頼性の高い価格という数量的知識を社会にもたらす。

すべての諸個人が同様に自由に消費を繰り返すことで、その結果、市場ではつねに価格 の変動が起きる。それは、消費者が互いに自主的な判断で行為決定を調整し合うことによ る当然の帰結である。ロックはそうした市場での価格決定は自然に任せておくのがよいと いう。

諸物品は自分で自分の思うままの価格を見出すようにまかさるべきであり、しかもそ れらはこのように絶えず変化するものであるので、人間の予見能力では絶えず変化する 比率..

と効用――これが常に諸物品の価値を規制するであろうが――に対する法規や限界 を設定することは不可能である(Locke,1692=1978:50)。

ロックにとって、諸財の価格が変動するのは、もちろん需給の両面においてその要因があ るからであるが、需要面においてはもっぱら消費者の自由に起因している。しかも、その 変化は予測したり、人為的に制限したりすることが困難であるという。

  価格変動の予測不能性をロックが指摘する理由のひとつには、諸個人の消費がつねにそ の必要性から合理的に生じているものではないという認識がロックの中に強くあったであ ろうことが挙げられる。ロックは、「ある財貨の販路は、その必要性ないし有益性に依存し ているが、便利さとか、気まぐれや流行に左右される世論によって決まることもある」

(Locke,1692=1978:45)として、消費決定因の不合理的な側面を流行や気まぐれの中 に見ており、さらには世論という無言の強制力の影響にまで関説する11

この点で、ロックのいう自由とは、確かに理性との相補性に支えられて獲得される諸個 人の力能ではあるけれども、ロックはその理性について、想像力の前での危うさを指摘す ることも忘れない。仮に理性の働きが停止すれば、そこに行為の自由はなくなる。そこで は、「想像力は常に不安定で、思考の錯乱へ導く。そして、理性のない意志は、あらゆる無 法の目標に向かうことになる」(Locke,[1690b]1698=1997:64)」事態をまでロックは想 定する。

  ロックはまた、奢侈的消費についてもその動機の特殊性を指摘する。ロックによれば、「国 民のぜいたくな流行を生み出すのは、効用ではなく虚栄心なので、競争は、誰もが最も便 利な、あるいは有用な物を手に入れるかという点で行われるのではなく、誰が最良のもの、

すなわち最も高価な物を手に入れるかという点で行われる」(Locke,1692=1978:90)と いうことになる。しかも、ロックは、こうした奢侈的な流行は、たいていの場合に富の誇 示という消費の顕示性を伴うものであることを付言している(Locke,1692=1978:91)。