第4章 奢侈概念の変容と消費者概念の脱社会階層化
D. ヒュームは最初の著作となる『人性論』を 1739 年から翌年にかけて上梓した。ヒュー ムがまだ 20 代のときである。その若きヒュームが『人性論』を出版することで広く世に問
4.2.2. 奢侈としての中流層の消費文化
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世紀のイギリスとは、奢侈が徐々に大衆化していった時代である。それまでは、奢侈 といえば、上流の有閑層のある種の特権的な生活様式のことであり、とりわけそれは、生 活のための労働から解放された時間としての閑暇の享受ということを意味していた(Porter,1996:20,23)。したがって、伝統的な奢侈批判とは、放蕩や怠惰、惑溺などという語彙を
もってなされていた。もちろん、そうした従来的な奢侈においても、大判振舞いの饗宴な どに見られるように、散財や濫費という要素はあったのであるが、その文脈にあっては過 度の購買という点が問題にされたのではなく、あくまで蕩尽ということが批判の的となっ ていたのである。こうした奢侈批判の枠組みは
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世紀になっても継続されていく。しかし、市場経済の浸 透に伴う貨幣的交換という購買型の消費生活の定着、および社会の富裕化の利益の中下流 層への均霑ということで、奢侈の内実というものが、徐々に、貨幣使用による奢侈的とさ れる財の消費ということを指すようになっていく(Cunningham,2005:231-232)。こう して、購買力をもつ諸個人であれば、社会階層を問わずに自由な貨幣使用による奢侈が可 能となる環境が整えられていった。こうした現実面における奢侈の意味合いの変容が進行しているにもかかわらず、奢侈批 判として展開される道徳論や政治論の言説では、依然として従来的な奢侈、すなわち上流 層の閑暇としての人間的および社会的弊害という問題が語られていた(5)。ヒュームの奢侈 論は、こうした旧来の奢侈批判の問題枠組みとの対決を示すものであった。佐々木が、「ヒ ュームの前に横たわる最大の問題はこの古代以来の反奢侈論の伝統であった。しかもその 背後にある古典古代の政治体制はヨーロッパの政治学の母胎そのものであり、簡単に無視 できないパラダイム的意義を持つものである」(佐々木,1987:5)と述べるように、ヒュ ームが捉え、描こうとした新たな社会の論理の提出にあたって、奢侈とは、ゆるがせにで きない問題であり、旧来の奢侈論を乗り越えるための新たな位置づけとその論理を示す必 要があった(6)。
ヒュームは、奢侈という用語の意味の曖昧さ、つまりはその文脈依存性の強さを指摘す る。ヒュームは、「技芸の洗練について」の冒頭で奢侈の定義を示している。ヒュームのい う奢侈とは、「五官の満足における高度の洗練」(Hume,[1903-4]2006=1983:19)のこ とである(7)。そしてこの五官の満足の程度とは、時代や場所、諸個人の境遇などによって さまざまであるため、どこまでの満足を奢侈と呼ぶかということについての基準は一概に 決め難いものであるとされる。したがって、奢侈の行為に関する基準として、徳と悪徳と を区別するための道徳論上の線引きもまた非常に曖昧であるとヒュームは述べる。
ヒュームにおいては、五官の満足を洗練させること自体、あるいはそうした欲望自体を 満足させることは、なんらの悪徳性を有するものではない。むしろ反対に、「洗練された時 代は最も幸福であるとともに最も有徳な時代であること」(Hume,[1903-4]2006=1983:
20)を論証することこそが、ヒュームが奢侈論を展開する際に念頭に置いていたことであ
る。ただし、ヒュームは奢侈についての道徳論上の区分を放棄することはしていない。そ の線引きのための基準こそ曖昧ではあるけれども、それでもなお、奢侈には道徳的に無害 なものと有害なものとの区別があるというのである(Hume,[1903-4]2006=1983:20)。このように、ヒュームは奢侈の範疇の中に道徳論的な区分を想定する。この奢侈に対する 立場は、自然に奢侈の中庸性を支持させることになるであろう(8)。それゆえに、奢侈に関 する従来の議論における両極端の学説をヒュームは批判していく。すなわち、「一方では、
放縦な考え方にくみする人びとは不道徳な奢侈にさえ称賛を与え、それを社会にとってき わめて有益なものだと主張しており、他方では、厳格な道徳家は道徳的にいちばん無害な 奢侈までも非難し、それを社会統治上に生じる堕落、騒乱、紛争の源であると説いている」
(Hume,[1903-4]2006=1983:20)というのである。ヒュームの奢侈論の意図とは、こ うした両極端の奢侈に対する見方を修正して、道徳(行為動機)的にも政治(行為帰結)
的にも健全といえる中庸性を保った奢侈というものを、洗練との関連において肯定的に規 定していくことであったといえる。
ヒュームは奢侈論において『蜂の寓話』の議論に言及してマンデヴィルを批判している。
すなわち、
ある著者が、あるページでは道徳的栄誉は為政者が公益のために創り出したものだと 主張し、他のページでは悪徳が社会にとって有益であることを主張しているのは、はなは だしい矛盾ではないか。そして全くのところ、社会にとって一般に有益な悪徳というもの を論ずるのは、どのような道徳体系にとっても、用語上の矛盾以外の何物でもないように 思われる(Hume,[1903-4]2006=1983:31)。
マンデヴィルは、奢侈概念を「人間を生き物として存続させるのに直接必要でないものは すべて奢侈である」(Mandeville,[1732]1988=1985:101)と定義する。ヒュームにとっ て、マンデヴィルのこうした奢侈概念に基づき展開される奢侈論とは、まさに放縦な学説 の典型であった。それではヒュームはこのマンデヴィルの奢侈論をどのように乗り越えた のであろうか。この点を考えるために、次にヒューム自身の奢侈論を見ていく。
ヒュームは「技芸の洗練について」の中で、人間の幸福を構成するものとして3つの要 素を提示する。それらは、活動・快楽・安逸である(Hume,[1903-4]2006=1983:20)。
これら3つの要素が適度な割合に拮抗し合う状態が人間の幸福ということであり、いずれ かが欠如してしまうとき、その個人はいわば心身の健全性を損なっていることになる。こ のように、ヒュームは奢侈を論じるにあたって、諸個人の内面的な幸福というものを考慮 に入れる。この点がマンデヴィルとの違いである。マンデヴィルの奢侈論の主旨は、奢侈 という行為の社会的な帰結のみを機能主義的な観点から考察することにあったからである。
一方で、ヒュームの奢侈論は、奢侈の行為主体として、日々の生活の中で仕事に就いて働 き、それによる貨幣収入によって消費するという生活様式を営む諸個人を前提として、そ うした諸個人のうちに、勤労と消費(奢侈)とが市場経済を介して連続的な行為類型とし て統合されるような商品購買型の奢侈というものを想定している(9)。ヒュームのねらいは、
そうした商品購買型の奢侈を文明社会における新たな奢侈として同定し、そこに見出され る社会の富裕や諸個人の道徳的な面に対する有益性を指摘してみせることであった。この とき、勤労と奢侈的消費とを生活様式において統合できる行為主体としてヒュームが奢侈 の中心的な担い手に想定していたのが、中流層の人びとである。文明社会の健全な奢侈と は、有閑の上流層の生活様式ではなく、勤労と消費とを生活様式の中に併せもつことがで
きる中流層がその中核を担うものであり、この中流層こそが文明社会の消費文化の推進役 であることをヒュームは捉えていた。
このように、勤労と奢侈とをその行為類型として統合するヒュームの奢侈論的特徴は、
マンデヴィルの学説に代表されるような従来の奢侈論の議論枠組みを乗り越えるものであ った。先述のように、マンデヴィル、他にも
N.バーボンといった奢侈論においては、経済
的な役割としての階層的区分が前提されていた。マンデヴィルらの議論では、もっぱら消 費する主体としての富裕な上流層が奢侈の担い手であった。他方で、勤労の担い手として は貧困の下流層が当然視されており、さらには社会的な勤労の確保のためには、そうして 貧困層をある程度維持する必要性までもが議論されていた。マンデヴィルによれば、勤労 への誘因とは必要ということであり、そのためには低賃金などによって、貧困の人びとを つねに最低限の生活状態にしておかなければならないというのである。さらに、マンデヴ ィルらの議論枠組みにおける奢侈への誘因とは、富裕で有閑な人びとの気まぐれや浅慮、耽溺、虚栄心、顕示欲、競争心といった悪徳的な諸動機であり、そうした中のごく一部と して有徳的な動機である闊達や大度などの動機に発する奢侈が含まれるというものであっ た。こうした従来の奢侈論に比して、ヒュームの議論は、勤労と奢侈とを社会階層間の役 割区分ではなく、諸個人の行為類型として示した点に革新的な部分が指摘できる(10)。また 奢侈というものを五官の満足の洗練と捉え直すことで、人間性および社会的秩序の安定(ヒ ュームにとっては中庸的)的な発展可能性という積極的な側面を奢侈に見出していこうと いうことがヒュームの奢侈論における特長的な点である(11)。
ヒュームは、勤労と諸技芸が盛んな時代には、人びとは仕事に従事する中で、その勤労 の成果に加えて、勤労そのものにも喜びを感じることができるという(Hume,
[1903-4]2006
=1983:21-22)。そのことは、諸個人の精神に活力を与え、その能力を拡げていく。それ がまた諸技芸のさらなる洗練をもたらしつつ、延いては学芸の発展にまで寄与することが できる。ヒュームはまた、諸技芸が洗練されると、人びとは社交的となり、都市に集住し ては、さまざまな交際の中から自ずとその振舞いや気質・知性の点で、洗練されていくと 述べている(Hume,[1903-4]2006=1983:21-22)。洗練された都市生活においては、「好 奇心は賢者を、虚栄心は愚者を、快楽はその両者をそそのかす」(Hume,[1903-4]2006=