第5章 経済学体系の成立と学知としての消費者概念の形成
A. スミスの社会理論は、その扱う問題領域が広範であり、ときに、種々の議論間の連結 を見定めることが困難な場合も少なくない。しかし、そうした解釈上の困難の一部は、同
5.2.4. 小 括
れるか、このどちらかである。・・・・・・自分の収入を主に耐久性のある商品に消費した場 合には、毎日の支出が次の日の支出の効果を助け高めるのに多少とも寄与するから、か れの生活はだんだん立派なものになっていくだろう(
Smith,[1776]1781=1978
:542-543(1))。
こうした耐久財の消費は、一国全体の富裕化についてもそれを有利なものとするとスミス はいう。上流層の蓄積した耐久財は、上流層の関心がそれらから離れることによって、順 次、中流層から下流層へと払い下げられていくことになるからである。このとき、おそら くはそれが流行現象の外観をまとい生じるものであることは容易に想像されよう。先述の スミスの社会的行為論を踏まえると、その背後に、富裕の観念に付帯する権威と人間本性 に根差した向上志向性という行為の傾向性を左右する2つの作用の相関的働きが推測され るからである。また、社会における耐久財の蓄積は、富の顕示性という面から見ると、耐 久財の多くがその装飾性のゆえに文化財としての性格を有することから、その国の文化水 準を高めることにもつながることもスミスは論及している(Smith,[1776]1981=1978:
542-544(1))。
このように、スミスは、社会の全成員に及ぶ経済的自由の拡大を実現することが、それ 自体として公益であり、さらに富裕化というもうひとつの公益をも実現する途であると考 えていた。スミスにとって、商業的社会の中での経済的自由の普遍的な実現とは、消費者 役割において行為する諸個人の利益を最大限に保障することと同義であった。商業的社会 の中でその勤労の成果を自分のものとして享受できるようになった諸個人は、その向上志 向性のゆえの自然な結果として、「おのずと、自分たちの生活状態を改善するために、そし て生活必需品だけでなく、便利な品物や優雅な品物をも入手しようとして精を出すことに なる」(Smith,[1776]1981=1978:42(2))であろう。そうして、商業的社会が物財の豊 富というかたちで実現した公益としての富裕の只中で、自由な諸個人は、消費者という役 割において、その富裕の記号性の一片を確かに手に入れるのである。
費をその行為動機面から捉えた場合の議論において、消費行為から奢侈などにまつわる私 悪という動機上の悪徳性を取り除くことで、私益の行為として消費を捉え直すものであっ た。他方で、消費行為をその社会的機能との関連において問題とするところでは、消費の もつ社会的作用について、とくにその公益の促進因としての観点に注目することで、機能 主義的な意味における公益の行為としての理論を示すものであった。
スミスの消費論は、公益との関係において、社会の中で消費が果たす機能を2つの面に おいて捉えるものであった。スミスは、これら2つの機能のそれぞれを、社会発展段階に 則したものとして整理した。ひとつは、社会変革の主動因としての機能であり、あとひと つは、社会の安定的枠組みの下にあって富裕化をもたらす機能である。前者は、社会がよ り大なる公益の実現を可能とするような社会へと移行していく過程、すなわち、スミスに おける近代化の過程にあって果たす機能である。近代化という社会変動は、人格的自由や 生命・所有の安全、あるいはまた経済的自由という種々の公益を社会階層全般に広く行き 渡らせることとなった。そして、そのことがさらなる商業や社会的分業の発達を促進する 結果、それは平和的秩序という最重要の公益をもたらすことになった。スミスの消費論は、
近代化のこの段階において、社会の富裕層である特定的諸個人の消費が、折からの商工業 の進展が準備した物財供給という物理的要件と相俟って、社会の変動因となり得たことを 論証している。一方、後者に関しては、平和的な社会枠組みが確立された段階において作 用する消費の機能である。そこでは、近代化によって成立した商業的社会という新たな枠 組みの中で、経済的自由が制度的に保障されることから社会全般の富裕化という公益が実 現される道筋が示される。スミスの消費論は、この社会の成員すべてが消費者的役割を担 うこととなる必然と、そこから、消費者の利益を実現することが、すなわち社会の富裕化 という公益を導くことの自然とを論証したのである。
さらには、スミスの消費論は、その論理が導出するところの消費者像において、消費と いう特定の社会的役割を表わす一般的な分析用語としての消費者概念の成立を示すもので あった。商業的社会にあっては、すべての諸個人が消費者としての役割を担わなくてはな らないとするスミスの消費者像は、その公益との関係において、社会の全階層的な諸個人 の利益を考慮するものとなっている。この社会階層縦断的な特徴をもつスミスの議論は、
18
世紀イギリスの消費論的系譜におけるひとつの展開を示すものである。それは従来の消 費論における “富裕層の奢侈と貧困層の勤勉”という堅固な議論図式からの脱却を示すも のである。スミスの社会理論の中では、もはやこの図式は、商業的社会が形成される以前 の段階に適用されるもので、商業的社会へと至る社会変動過程の出発点において想定され るものに過ぎなかった。スミスの消費論は、この意味で、先述した18
世紀イギリスの消費論の流れに確かに沿うものであり、その消費論的含意において、消費者概念の形成に寄与 するものである。商業的社会の段階では、すべての諸個人が私益の実現手段としての消費 者役割を担う主体となることを捉えた上で、消費者利益の促進ということのうちに公益性 の実現を付託したスミスにおいて、その炯眼は、あるいはその描像する消費者概念を通し て、商工業がもたらす平和的な秩序の下で社会の諸個人すべてが安寧にかつ自由に生活す るという理想的な近代社会像を見据えていたともいえるのではないだろうか。
こうしたスミス消費論の論理を見るとき、それが、私益と公益との整合要件を追究する スミスの社会理論的主題と正確に符合するものであることが分かる。もちろん、諸個人の 私益追求行為である消費が、その行為帰結において公益という機能主義的な利他性をもつ との消費論的主張を展開したのはスミスが最初ではない。したがって、スミス消費論の特 徴として、この点にその独自性を指摘することはできない。スミスの独自性は、消費の行 為において私益が公益と結びつく論理を、社会の変動期と安定期との両面において展開し てみせた点にある。さらにはまた、そうした消費論としての論点を、ひとつの近代化論と してみずからの社会理論体系の中に包摂している点にこそ、その顕著な特徴が見出せるの である。