• 検索結果がありません。

第5章  経済学体系の成立と学知としての消費者概念の形成

A. スミスの社会理論は、その扱う問題領域が広範であり、ときに、種々の議論間の連結 を見定めることが困難な場合も少なくない。しかし、そうした解釈上の困難の一部は、同

5.2.3.  社会的機能としての消費

5.2.3.2.  消費と商業的社会

スミスは、商工業の発達がその要件を与え、消費者という社会的役割を担う富裕層の消 費が主導した社会変動の末に、新しい社会の成立を見る。その社会では、当然に、そこに 至るまでの社会変革を主導した要因が基礎的な原理として存続することとなる。スミスは、

その社会理論の中で、この新しい社会の枠組みを“商業的社会”として表現し、そこでは 経済活動が社会的な凝集性を左右する中心的な要件であることを明確にした(Smith,

[1776]1981=1978:39(1))。それは、商工業が発達する結果、経済活動等の分業傾向が多

様な社会的関係性として確立されることで、人々は「だれでも、交換することによって、

生活し、いいかえると、ある程度商人となり」(Smith,[1776]1981=1978:39(1))、その 商人としての社会的役割を担うことで市場の参加主体となる社会である。

この商人として期待される役割のひとつが“消費者”的役割であることは明らかである。

なぜなら、市場参加主体としての「われわれが、自分たちの必要としている相互の助力の 大部分をたがいに受け取りあうのは、合意、交易、購買によってである」(Smith,

[1776]1981

=1978:27(1))からである。したがって、スミスのいう商業的社会とは、この意味におい ては、消費社会であるともいい得る。

商業的社会では諸個人の経済的自由が、広く社会の全階層的に保障されることが重要と なる。社会の成員すべてが等しくこの経済的自由を享受することから、社会の富裕化とい う公益は最大限に促進されることとなるからである。スミスは「自分の暮しの改善をめざ しての、人間の一様で恒常不断の努力こそは、私人の富裕はもとより公的な国の富裕が根 源的につくり出される原理である」(Smith,[1776]1981=1978:536(1))と述べる。スミ スにとって、向上志向性という私益に基づく行為は、もはや一部の悪徳性を帯びた人々の ものではない。それは、ときには自然の欺瞞にそそのかされたものであるとしても、人間 本性に根差した自然な行為動機である。経済的自由の普遍的な浸潤とは、スミスにとって は向上志向性というこの人間本性の発揮の自由が社会成員のすべてに等しく開放されるこ とを意味している。

消費こそはいっさいの生産にとっての唯一に目標であり、かつ目的なのである。したが って、生産者の利益は、それが消費者の利益を促進するのに必要なかぎりにおいて配慮 されるべきものである。この命題は、まことに自明の理であって、とりたてて証明しよ うとすることさえおかしいほどである(Smith,[1776]1981=1978:464(2))。

スミスは『国富論』においてこの有名な言葉を述べた。この立言の意味合いも、それを

社会的行為論から捉えるならば、こうした経済的自由の全階層的な拡大がもたらす一般的 な利益について言及したものとして読解できる。そうであるとすれば、ここでスミスのい う消費者とは、その社会の成員であるすべての諸個人を指すものとして理解されなければ ならない(小林,[1973]1976:261)。したがって、消費者の利益ということについても、

それは、商業的社会にあって市場参加主体として消費者的役割をはたす諸個人一般に裨益 されるところの利益、すなわち社会の富裕化という公益を指す言葉として捉えられなけれ ばならない。

スミスのいう富裕化とは、物財の豊富という意味である10。『国富論』には、「人が富ん だり貧しかったりするのは、人間生活の必需品、便益品および娯楽品をどの程度享受でき るかによる」(Smith,[1776]1981=1978:52(1))との記述がある。それゆえ、消費者利 益の実現とは、こうした物財を種類と数量とにおいて、社会の諸個人一般が十分に享受で きることである。スミスは、富=貨幣(金銀)とする、J.ロックなどのいわゆる重商主義的 な富および富裕概念を批判することを通して、労働を富の源泉とするところから理論体系 を構築している自身の学説に説得性を付与しようとする。その中で、スミスは、諸商品に 比して、金属貨幣が価値の耐久性を有するという点に富としての適切性を見出そうとする 重商主義の議論に対して、それとは正反対の主張を展開する。スミスは、貨幣以外の諸商 品は、その“消費可能性”のゆえに富であるというのである(Smith,

[1763]1982=2005:

318)。つまり、物財は使用価値において富と見なされ、消費の対象としての商品になると

いう意である。さらに、

使用されることができて、人間生活の便益と快適に役だつものを生産するためでなけれ ば、勤労は何を意図することになるのだろうか。われわれがわれわれの勤労の生産物を 使用するのでなければ、われわれがより多くの人びとをより良好なやりかたで養いえな いならば、それは何の役にたつのだろうか(Smith,[1763]1982=2005:326)。

スミスはこのように述べ、商品が消費可能であるからこそ、人々はそれらを生産・利用す るために労働するという、労働誘因としての消費の側面をも論じていく。N.ドマーキは、

こうしたスミスの議論は、消費が生産の唯一の目標であるとする『国富論』の主張に対し て、それが真にスミス体系の重要な論理的帰結であることを確証するものであると述べて いる(De Marchi,1999:24)。

ただし、この消費可能性とは、スミスにとって、あくまでも将来時点での財使用の可能 性であることに留意しなければならない。物財の豊富を富裕と考えるスミスの概念規定か

らして、スミスが物財の蓄積を促進するような行為を重要視していくことは当然の論理展 開であるともいえる。その行為とは、節約である。スミスは、節約について、「勤勉ではな くて節約が、資本増加の直接の原因である」(Smith,[1776]1981=1978:528(1))と述べ る。節約により蓄積された富は、資本として使用されることで次期の生産量を増大させる こととなるため、それは社会の富裕化に寄与する。スミスはこのように述べる。

年々貯蓄されるものは、年々消費されるものと同じように規則的に消費され、またほぼ 同じ期間内に消費される。だがそれがだれによって消費されるかによって違いが生じる。

富裕な人の収入のうちかれが年々消費する部分は、たいていは、怠惰な客人や家事使用 人によって消費されるのであって、この人たちは自分たちが消費するのと引換えにあと にはなにも残さない。ところが、富裕なひとが年々貯蓄する部分は、利潤を獲得するた めにただちに資本として用いられる・・・・・・すなわち、労働者、製造工、手工業者によっ て消費されるのであって、この人たちは自分たちの消費の価値を利潤とともに再生産す るのである(Smith,[1776]1981=1978:529(1))。

スミスの社会理論体系の中で、物財とは、確かにその消費可能性のゆえに富となる。ス ミスは、「品物の消費可能性が、人間の勤労の大原因であり、勤勉な人びとはつねに、かれ らが消費するより多くを生産するだろう」(Smith,[1763]1982=2005:318)と述べて、

貨幣ではなく物財こそが真の富であり、その豊富さが富裕を表わすのであることを確認し ている。しかしながら、富裕化との関係においては、それが字句通りの“可能性”である ということが重要となる。スミスのいう消費可能性とは、決して物理的な意味での費消性 のことではない。消費可能性とは、この場合、むしろ費消性の繰延べということと同義で ある11。したがって、そこから、同じく支出という消費の行為ではあっても、その支出対 象に付随する費消性の程度の差に基づいて、行為の意味合いに違いが生じる。スミスが、

消費の対象として、費消性の高い日用品よりも耐久消費財に対する支出を富裕との関係に おいて有益性を認めるのはこのためである(Smith,[1776]1981=1978:542(1))。スミス はこう述べる。

個人の収入は、次のどちらかに使われるものである。すなわち、ただちに消費されて、

ある日の経費が他の日のそれを軽減もしなければ助けもしないようなものに使われるか、

あるいはまた、いっそう耐久性のある、したがって蓄積が可能で、毎日の経費が、かれ の好むままに翌日の経費を軽減したり助けたりしてその効果を高めるようなものに使わ

れるか、このどちらかである。・・・・・・自分の収入を主に耐久性のある商品に消費した場 合には、毎日の支出が次の日の支出の効果を助け高めるのに多少とも寄与するから、か れの生活はだんだん立派なものになっていくだろう(

Smith,[1776]1781=1978

542-543(1))。

こうした耐久財の消費は、一国全体の富裕化についてもそれを有利なものとするとスミス はいう。上流層の蓄積した耐久財は、上流層の関心がそれらから離れることによって、順 次、中流層から下流層へと払い下げられていくことになるからである。このとき、おそら くはそれが流行現象の外観をまとい生じるものであることは容易に想像されよう。先述の スミスの社会的行為論を踏まえると、その背後に、富裕の観念に付帯する権威と人間本性 に根差した向上志向性という行為の傾向性を左右する2つの作用の相関的働きが推測され るからである。また、社会における耐久財の蓄積は、富の顕示性という面から見ると、耐 久財の多くがその装飾性のゆえに文化財としての性格を有することから、その国の文化水 準を高めることにもつながることもスミスは論及している(Smith,[1776]1981=1978:

542-544(1))。

このように、スミスは、社会の全成員に及ぶ経済的自由の拡大を実現することが、それ 自体として公益であり、さらに富裕化というもうひとつの公益をも実現する途であると考 えていた。スミスにとって、商業的社会の中での経済的自由の普遍的な実現とは、消費者 役割において行為する諸個人の利益を最大限に保障することと同義であった。商業的社会 の中でその勤労の成果を自分のものとして享受できるようになった諸個人は、その向上志 向性のゆえの自然な結果として、「おのずと、自分たちの生活状態を改善するために、そし て生活必需品だけでなく、便利な品物や優雅な品物をも入手しようとして精を出すことに なる」(Smith,[1776]1981=1978:42(2))であろう。そうして、商業的社会が物財の豊 富というかたちで実現した公益としての富裕の只中で、自由な諸個人は、消費者という役 割において、その富裕の記号性の一片を確かに手に入れるのである。