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第2章  18 世紀消費論の源流と消費者役割の未分的把握

J. ロックは、その主要な諸著作を通して、つねに貨幣の保有および使用について言及して いる。例えば、利子論争や貨幣改鋳論争に関する諸論考では、貨幣の本質や社会的機能な

2.2.2.  消費の欲望論的基礎

2.2.2.1.  精神的欲望の無限性

  バーボン消費論の諸論点は、特徴ある欲望論を基礎として構成される。それゆえ、その 消費論を理解するためにはまず、その欲望論についての検討が不可欠となる。

バーボンの欲望論については、従来、T.ホッブズのものとの類似性が指摘されている

(Berry,1994:108-125;Finkelstein,2000:211)。中でも最大の類似点とは、両者の 欲望論は、共に「欲望=欠如状態」としての人間モデルをその出発点に据えていることで ある。そこから、人間行為というものの根本的な有目的性という前提を引き出すことで、

それを種々の欲望充足過程として捉えていくのである。したがって、欲望の充足とは、欠 如状態という個人的な問題状況の解消として理解されるのであるが、欲望の性質によって は無際限に生じる種類のものがあるとする。そして、人間をそうした欲望の無限性から自 由ではありえない存在として捉え、行為という能動的な活動性をもった人間モデルという ものを社会理論の前提として受け入れていくのである。A.フィンケルシュタインによれば、

ホッブズの主張とは、こうした欲望の無限性を統御する必要性を論じるものであったが、

バーボンはそれをむしろ積極的に擁護するものであったという(Finkelstein,

2000

211)。

欲望の無限性に関して両者の立場が相違するのは、ホッブズが社会秩序に対する悪影響と いう政治的な観点からの議論であったのに対して、バーボンの議論は経済活動に与える影 響という観点からの立論であったという点にその理由を帰すことができる。

  欲望について、バーボンはそれを、いずれも人間本性に基づくものとして、2つに大別 する。2つの欲望とは、身体的欲望と精神的欲望とである(Barbon,[1690]1903=1966:

16)。このうち、身体的欲望は有限であり、それゆえ、この種の欲望を満たすための必要物

はきわめて少量であるとバーボンは述べる。バーボンは、身体的欲望を満たす物財とは、

生命を維持するのに必要とされるすべてのものであると想定し、それらとは、「すなわち人 間一般的な必要、食、衣、住をみたすうえで有用なすべての財である」(Barbon,

[1690]1903

=1966:16)とする。しかし、続いて、厳密に調べてみれば、これら3つの必要のうちで 生命を維持する上で不可欠なものは食物のみであると論じることで、食物以外のすべての 諸財について、それらをもっぱら精神的欲望の対象として再規定するのである。

これは、消費に対する道徳論的な論点を回避するために施した、バーボンによる概念的 な限定作業である。ほぼすべての物財を精神的欲望に関わらせることで、必要と奢侈とい う消費における道徳論的二分法を無効としつつ、ここで、消費の社会的分析を行なうとい う自身の意図を明確にしているのである。

  バーボンによれば、精神的欲望を満たすことは、願望を満たすことである。そして、願 望とは、欠如の状態にあるということを意味している。つまり、願望とは、「心の食欲であ って、空腹が肉体にとって自然的なのと同様に、魂にとって自然的なのである」(Barbon,

[1690]1903=1966:16-17)とバーボンは述べる。

  身体的欲望と異なり、精神的欲望は無限である。なぜなら、人間とは本性的に向上を望 む存在であるとバーボンは考えるからである(Barbon,[1690]1903=1966:17)。R.ポー ターは、欲望の無限性と人間本性における向上志向性というバーボンの議論は、人間本性 の自然主義的な分析の系譜において、後のスミスにまでつながるものである点を指摘して いる(Porter,[2000]2001:262)。バーボンが、このような自然主義的な観点に基づく人 間本性に立脚することができた理由のひとつは、彼が医学者でもあったという事実が挙げ られるであろう。人間がその本性において向上を志向するものであることをバーボンは次 のように述べている。すなわち、

  人間は生まれつき向上を望む。そしてその精神が高尚となるにつれて、その感覚も 洗練されたものとなり、愉楽を感得する能力はいっそう拡大していく。その願望は拡大 され、欲望は意欲と共に増大する。意欲とは、珍奇なもの、官能を刺激するもの、身体

を着飾るもの、生活における安楽、快楽、栄華を増進するものなどのいっさいを望むこ とである(Barbon,[1690]1903=1966:17)。

バーボンの社会・経済思想は、こうした精神的欲望たる願望をもつ人間モデルが基底とな っている。この点において、バーボンの社会理論とは方法論的個人主義に立つものである。

バーボンにとっての人間モデルとは、諸個人がそれぞれの置かれた状況を改良しようと、

つねにその環境的制約に働きかける有目的的な能動体として措定されていたといえるであ ろう。

2.2.2.2.  精神的欲望の社会性

  欲望論的な基礎をもつ消費論にあって、消費行為の目的は、欲望充足のための手段的対 象物を入手(購買)することとして規定される。それゆえ、その展開においては、欲望充 足という目的に対置された手段についての論理的関係性を説明する必要がある。この意味 において、バーボンの消費論は、欲望論のみならず、その価値論との関係性についても検 討されなければならない。というのも、欲望充足のための手段的対象物とは、すなわち財 のことであり、バーボンの価値論においては、価値とは財と欲望充足との関係性から説明 されるとされているからである(3)

  価値の源泉については、「モノの価値とは、その有用性から生ずる」(Barbon,1696:2)

とバーボンは考える。ここでの有用性とは人間の欲望と必要をみたすのに役立つという意 味である。モノは、欲望と関係づけられることによってのみ有用となり、価値をもつこと となる。モノは欲望充足に関わる目的性を帯びることで、社会的関係性に組み込まれる。

そこではじめて、モノは財としての価値を獲得し、市場においては商品と呼ばれることと なる。

  モノの価値は、市場においては価格として表現される。バーボンは価値と価格との概念 的関係について、「商品の価格とは、その現在価値」(Barbon,[1690]1903=1966:18)で あると述べている。それは、ある財が市場において売られ得るだけの値打ちが現時点では あるということを示している。そして、市場で値がつく限りは、なんらかの有用性が当該 財に対して認められているということになる。

  ただし、ここで留意すべきは、ある財の有用性についてバーボンが述べる場合、そこに は、ある時点かつある地域においての潜在需要や有効需要として表現される当該財の財性 に加えて、当該財の支配数量という市場における需給関係が含まれているということであ る。モノの価値が有用性に基づくものであるとするならば、ある時点における供給可能数

量がその需要に比して過剰であるとき、その過剰分は無価値となる。ここから、ある財へ の需要に比しての豊富は、それを廉価にし、稀少はそれを高価にする。財には、いかなる ものであっても、確定した価格あるいは価値なるものは存在しないのである。

  バーボンによると、精神的欲望をみたす諸財がもつ価値とは、想像的あるいは人為的な 性質のものである(Barbon,1696:4)。それは、世論など人々の評判により支持された価 値であるため、財に対する人々の評価が変化することで容易に変動してしまう移り気なも のである。

先述のように、バーボンにとっての人間とは、つねに向上したいという目的性をもって いる。この目的性に照らしてもっとも重要なものが、個人の環境的制約(それは同時に行 為の実現性を支える条件でもある)のひとつである社会的関係性の中での優位性あるいは 卓越性の獲得および保持である。だからこそ、バーボンは、「精神的欲望をみたす種々のモ ノのうち、人間の身体を飾るものと、生活の栄華を増進するものとは、もっとも一般的な 有用性をもっている。そして、それらはいつの時代にも、またすべての人種において価値 をもつこととなったのである」(Barbon,[1690]1903=1966:17)と述べたのである。

これは、もっとも一般的な有用性が、装飾性に関わる財において認められるということ である。バーボンのいう精神的欲望の社会関係に由来的な本質が、ここに明確に看取でき るであろう。それは社会的是認を求める、対人的な差異化への指向性というものが人間性 にとって不可分な部分として捉えられている。バーボンは、「人類には、どれほど野蛮未開 な集団においてさえも、対人間の差異や等級が存在し、なにかしら、そうした区別を示す ためのモノが考案されているのである」(Barbon,[1690]1903=1966:17-18)と述べて、

それが人間社会あるいは人間性に内在する本質的な欲望であることを主張している。

こうした対人的な社会的関係性における差異化の欲望とは、他者との差異化そのものが 目的であるため、ある意味で、それは社会的関係性への自発的で継続的な関与が要請され る。そうした諸個人の行為は、社会的関係性を離れては無意味なものとなるからである。

差異化の欲望とは、社会における諸個人の相対的位置づけに関する認知的な自己評価に基 づく行為動機である。そこには、社会内にあっての相対性に依拠するという差異化の行為 の性質上、自己の絶えざる再評価という無限的契機が付随するのである。

  このように、精神的欲望の無限性については、その源泉を、人間本性に根差した欲望の 社会性の中に見出せる。バーボンの消費論は、こうした欲望論を背景に、消費行為の無限 性および社会性に関わるものとなっている。そこでは、社会的関係性に指向する対人的な 差異化という願望が消費行為の主たる動機なのである。