• 検索結果がありません。

中流層の制度的有徳性と有徳な消費

第4章  奢侈概念の変容と消費者概念の脱社会階層化

D. ヒュームは最初の著作となる『人性論』を 1739 年から翌年にかけて上梓した。ヒュー ムがまだ 20 代のときである。その若きヒュームが『人性論』を出版することで広く世に問

4.2.3.  中流層の制度的有徳性と有徳な消費

  いま見たように、ヒュームのいう奢侈とは、五官の満足の洗練である。それは趣味の洗

練・繊細さとして換言できる(Hume,[1903-4]2006:240)。洗練された諸個人は、市場 交換を通じて、購買というかたちでその洗練された趣味に適った諸財を、消費者としての 自由な選択のもとに組み合わせては、奢侈的な消費文化の生活様式を現出させていく。こ れが、消費という観点から眺めた場合に見出せる、ヒュームの文明社会の一側面である。

  文明社会での洗練された諸個人による奢侈とは、概ね道徳的に無害な奢侈である。ヒュ ームにとっての悪徳的な奢侈とは、先に確認したように、私欲を過度に優先させることか ら、その社会的身分から生じる義務や職責などを十分に果せなくなることである。つまり は、過度の消費という行為が消費における悪徳性の原因である。しかし、諸個人が、洗練 された趣味を身につけるならば、そうした過度の消費に耽る危険性は少なくなる。ヒュー ムはその理由をこう説明する。すなわち、「人びとが快楽を洗練するほど、どんな種類の快 楽にも過度に耽るということが少なくなる。なぜなら、過度に耽ることほど真の快楽を打 ち壊すものはほかにないからである」(Hume,[1903-4]2006=1983:22)。

ヒュームはこうした文明社会における奢侈的な消費文化の担い手の中核を中流層に見て いた(Wennerlind,

2002:256)。中流層がこの奢侈的な消費文化の生活様式に適合的であ

るのは、その階層の諸個人が、洗練された趣味や有徳的な性向を備え、洗練された生活様 式を体現することが可能だからである。それでは、なぜ中流層の諸個人は、他の階層に比 してそうした生活様式を容易に体現することができるのであろうか。以下では、この問題 についてのヒュームの論理を見ていく。ここで展開される論理こそ、ヒュームの中流層論 の骨子である。

まずは、文明社会とは、商工業者を中心とする中流層の歴史的な台頭の結果として形成 されてきた制度であるとの歴史観をヒュームがもっていたことを押さえておく必要がある。

そして中流層の台頭を可能にした要因というのが、奢侈であり、とりわけ外国貿易からも たらされる洗練された奢侈的な諸財の流入であった12。ヒュームの言を引けば、このよう である。すなわち、

奢侈が商業と工業とを育成するところでは、農民は土地を適切に耕作することで富裕に なり独立する。一方、商工業者は相応の財産を獲得し、そのことが社会の自由のすぐれて 強固な基礎である中流階層に権威と尊敬とをもたらすこととなる(Hume,

[1903-4]2006

1983

28

)。

A.ブリュワーが指摘するように、ヒュームの経済発展論は、外国貿易という外生要因が起

動因になっているということが大きな特徴である(Brewer,

1997: 5-6)。ヒュームは、

「歴

史に徴してみれば、たいていの国民の場合、外国貿易は国内の製造業の洗練に先行してお り 、 外 国 貿 易 に よ っ て 自 国 の 奢 侈 が 生 じ て き た こ と が わ か る で あ ろ う 」(Hume,

[1903-4]2006=1983:14)と述べている。最初に外国産の奢侈品の国内経済への導入があ

り、そうした財への欲望が喚起されることで、国内の勤勉などが促され、趣味の洗練化へ と向うという図式をヒュームは描いている。この歴史的過程の中で重要なことは、上流層 の嗜好の変化であり、洗練された諸財への欲望の開花ということであった。なぜなら、「外 国貿易は人びとを安逸から目覚めさせ、華美で富裕な階層の自国民に、それまでは夢想も しなかった奢侈品を提供して、祖先が享受した以上に豪華な生活への欲望を喚起する」

(Hume,

[1903-4]2006=1983:14)からである。ヒュームにとっての中流層の台頭とは、

こうした一連の歴史的な諸作用の複合的な帰結であった。

  ヒュームは『イングランド史』の中でも、こうした中流層の台頭の歴史的な重要性に言 及している。ここでは2箇所を引いておくが、いずれも貴族である上流層の嗜好の変化に よる奢侈的消費の内実の変容が社会における自由・独立・勤労などの拡大を招き、その結 果としての中流層の台頭という歴史的な趨勢が確認されている。

    諸技芸の拡大が、厳格な法にまさってその悪しき慣行[使用人を多く抱えること]を 止めさせるのに効果があった。貴族は使用人の数や盛大さを競うかわりに、徐々に、もっ と洗練された方法で競争心を発揮するようになった。馬車や屋敷や食卓などの豪華さや上 品さを競うようになったのである。上流層によって支えられていた無為の生活から解放さ れた庶民は、仕事に就くことを余儀なくされることで勤勉となり、有能な人物として他者 の役にも立つようになる。ということで、技芸の洗練、あるいはそれを論難する者が奢侈 と呼びたがるところのものを白眼視するかわりに、このようにいえるであろう。すなわち、

勤勉な商工業者は、貴族の庇護にすがって無為な生活を送っていた以前の使用人よりも、

人間としても市民としても優れており、同じく、現代の貴族の生活もまた、昔と比べて称 賛すべきものとなっている(Hume,[1778]1983:76-77(3))。

奢侈の習慣により、名家貴族はその莫大な財産を散財させた。そして、この新たな支出 の様式が技工や商人に生活の資をもたらすことで、彼らは勤労の果実としての独立した生 活を営むこととなる一方で、貴族は従者や使用人などに対してもっていた絶大な支配力を 失い、顧客が業者に対して有するほどの緩やかな影響力を保持するに過ぎなくなり、統治 に対する危険因子とはなり得なくなった。土地保有者もまた、人よりも貨幣を求めるよう になることで、保有地を利益目的のために囲い込みや農地の統合整理を行ない、不要な人

手を解雇していく。こうした人手こそ、以前は国家や近隣の貴族勢力に対抗する際に動員 される人びとであった。こうした帰結として都市はその数を増やし、中流層は富と権力と を蓄えていくことになる(Hume,[1778]1983:384(4))。

上流貴族層による封建的な身分秩序の統治を崩壊させたのは、こうした奢侈への嗜好の現 れであり、一般的には、そうした奢侈的な方向へと移行していった生活様式の変化という ことであった。ヒュームは、生活様式の変化こそ、近代化への機序として、「統治上の隠れ た革命」(Hume,[1778]1983:385(4))を成し遂げた主動因であったと述べている。封建 的な身分秩序の崩壊は、社会に自由をもたらす契機でもあった。D.W.リヴィングストンが 指摘するように、ヒュームの考える自由とは、人間社会におけるコンヴェンションのひと つである(Livingston,

1990:112)

13。自由の漸次的な拡大の過程こそ、ヒュームにとっ ての近代化ということのひとつの意味であった。商業活動とは自由な統治の下でのみ確実 に発展していくことが可能であるとヒュームは考えていた。身分制的な支配にあっては、

生まれや称号や地位などに付随する名誉という要素が、勤労や富などの商業とより親和性 を有する要素よりも社会的な価値基準として重要とされる結果、商業活動は停滞すること となるからである(Hume,[1903-4]2006:93-94)。それゆえ、自由が拡大し、奢侈が勤労 を誘導するという制度的な機序が成立する文明社会の枠組みにおいてのみ商業は盛んにな り、それがさらなる奢侈と勤労とを引き出していくという正の循環性を構成していくこと ができるのである。

  このように、奢侈はまず、上流層の嗜好の変化を誘発するものであった。しかし、上流 層の奢侈に関する内実の変化が、その生活様式の変化となって現れ、その帰結として、商 工業者などの中流層の台頭をゆるすことへとつながっていく。ただし、往時の社会的な支 配力を失っていく上流層と、そうした上流層の奢侈的な生活様式の恩沢により勢力を拡張 していく中流層といっても、それらは共に奢侈的な生活様式をもつ階層ということでは同 じである。しかしヒュームは、先述のように、両階層間の決定的な違いを、奢侈と勤労と の連動性の有無という点に見ていた。この意味で、文明社会とは、奢侈的な社会であると 同時に、他面では勤労社会でもある。したがって、やはりその中核を担う主体は中流に属 する奢侈で勤勉な諸個人でなくてはならないのである。そして、ヒュームにとって、奢侈 で勤勉な諸個人とはまた、有徳な諸個人でもあるということになる。それでは、中流層が なぜ有徳な諸個人となり得るのであろうか。この問いに答えるために、次には、中流層が 有徳的たりえるというヒュームの論理を見ていく必要がある。

17

世紀末からヒュームの時代、すなわち

18

世紀の前半にかけては、品性(politeness)