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日本語教師の資格

第二章 日中国交正常化以降の中国における日本語教育と日本人教師

第二節 日本における日本語教師の養成と海外派遣

1.2 日本語教師の資格

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教育課程が設置された。1991年までに日本語教師養成課程を設けた高等教育機関 は97機関(在籍13000人)に及んだ 205。1991年を起点として、大学機関を中心 に日本語教師養成課程が急増した 206。表2-8のように、2016年11月1日の時点 で、日本語教師養成課程を設けた大学等機関は194機関となっており、全機関の 三分の一を占めるまでになった。大学等の在籍生は全学習者数のほぼ半分を占め、

14531人に達している。日本語教師養成の重要な担い手は依然として大学等の機関

であることがわかる。

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に対する試験が今月31日、東京で行われる。応募者は当初 3千人くらいと 予想されていたが、フタを開いてみるとその二倍近い五千八百人に達し、日 本語熱の高まりを裏書きした。十人中七人までを女性が占める。

今後日本語教師は「成長市場」となり「教師志願者は相当多い」と予想した 208。 さらに日本語教育能力検定は「教壇に立つための最低限必要な日本語教育能力が あるかどうかを検定するだけで、教師として成功することを保証するものなどで は決してない」209と指摘した。

一方、岡本佐智子は「日本語教育能力試験に合格するために、多くの日本語教 師養成機関では、試験突破のみに即して教育内容を固めるようになっていった。

日本語教育能力試験に合格しても、日本語教師としての実践的な教育能力に欠け ていることが大きな課題になっていく」210

第二に、日本語教師養成講座(以下「420時間」と省略する)についてみておこう。

日本語教師養成講座「420 時間」コースとは、1985 年文化庁が示した「日本語 教師養成のための標準的な教育内容」方針に沿ったものである。1988年に今の「420 時間」というルールが出てきた。2000 年には、文化庁によって「日本語教員養成 においても必要とされる教育内容」が示され、より詳しい内容が決まった。「420 時間」の講座は民間の日本語学校が主な主催者である 211

「日本語教育人材の養成・研修実態調査」212によると、指導者向けの養成・研 修においては、43 講座あるが、「420 時間」コースは 17 講座しかなく、全部通学 による受講が求められる。教育実習面において 93%が教育実習を行っており、そ のうちの79.1%は学習者に対する実習で、65.1%は模擬実習である。420時間コー スは「出席率」、「試験・テスト」、「レポート等課題」という三つの方法で受講者 に対する評価を行う。指導者向けの養成課程を修了した後の進路から見ると、海 外へ就職する修了者がいる「420時間」の講座は 100%である。留学生への教師に なる修了者がいる「420時間」の講座は88.2%である。また、生活者への教師、外

208 近藤功「外国人に日本語を教えるということ―日本語教師を目指す学生諸君へ一 言」『文教大学』1998年、26頁。

209 同上、27頁。

210 岡本佐智子「日本語教師養成の現状と課題」『北海道文教大学論集』6号、2005年 3月、112~135頁、128頁。

211 2017年以降は、文化庁に届け出をし、受理されないと正式な養成講座とは求めら

れないことになった。2017年の8月1日以降は、受理された日本語教師養成講座の修 了者でないと正式な資格とは認められない。

212 文化審議会国語分科日本語教育小委員会(第80 回)(平成29年5月11)

「日本語教育人材の養成・研修実態調査結果について」

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kokugo/nihongo/nihongo_80/pdf/shiryo_6.pd f。2017年6月10日閲覧。

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国人児童生徒などへの教師になる修了者がいる「420時間」の講座は 76.5%である。

海外へ就職するのは、現時点では日本語教師としての仕事は重要な出口であると いえるだろう。

2.日本語教師の海外派遣制度

2.1 「日本語の海外普及」についての考え方

日本の高度経済成長は 1950年代半ばから始まり、1960には池田内閣の所得倍増 政策が採用された。輸出も拡大し、日本企業の海外進出も促進された。そのよう な背景の下で、国会の場で「在外勤務者の子弟に対する日本語教育」を充実して いく必要性が指摘されるようになった。海外移住政策や留学生受入政策、さらに は海外技術協力政策などを円滑に進めるためには、日本語を海外へ普及する制度 を整備することが必要だという認識が広く共有されるようになった。

1970 年代に入ると、日本は高い所得水準の下で安定成長期を迎え、戦前の日本 に対する否定的イメージを払拭するにとどまらず、新しい肯定的なイメージを形 成していくことが課題となった。荒廃の中から発展を遂げた経済大国というイメ ージの上に、文化的にも豊かで、政治面でも経済面でも信頼できる国というイメ ージの確立を目指し、日本政府は、国際文化交流や対外広報をより積極的に行っ ていくようになった 213

当時、日本国内には日本独特の文化的伝統と言語コミュニケーションの難しさ のため、外国との意思疎通が困難であるという認識があった。海外から日本に対 する批判が厳しいことの原因の一つだと考えられていた。そこで、日本語普及事 業は日本の文化外交の一環として位置づけられ、その必要性や重要性が指摘され ようになった。そのような情況を受けて、1972 年に国際交流基金を設立するため の法案が国会に提出された。1972年に「国際交流基金」が成立した。「国際交流基 金」の目的は「わが国に対する諸外国の理解を深め、国際相互理解を増進し、文 化及びその他の分野において世界に貢献し、もって良好な国際環境の整備並びに 我が国の調和ある対外関係の維持及び発展に寄与すること」214にある。日本語普 及は国際交流基金の事業の柱の1 つとして本格的に取り組まれてきた。

日本は 1980 年代から「留学生 10 万人計画」を打ち出した。この政策の下で、

日本語普及事業の拡充も主要な課題となった。80 年代には日本語普及事業は顕著 な拡大を見せた。日本の経済大国化、国際的存在感の増大を反映し、世界的に日 本語学習者が増加した。また、ODA予算の利用という財政的に有利な条件で、日

213 北野充・金子将史『パブリック・ディプロマシー戦略:イメージを競う国家間ゲ ームに如何に勝利するか』PHP研究所、2014年、199頁。

214 衆議院第155回、閣第 17号「独立行政法人国際交流基金法案」

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g15505017.htm。

2017年6月10日閲覧。

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本語の海外普及事業は急速に発展した。1984 年には、国際交流基金と財団法人日 本国際教育協会が初の日本語能力検定試験を実施し、海外で約4500人、国内では 約2500人の外国人が受験した。日本の政策も積極的に日本語に対する需要の変化 に応えた。1989 年には、日本語教師の研修・招聘・日本語教材の開発・寄贈を行 なう日本語国際センターが国際交流基金の付属機関として設立された 215

90 年代に入ってから、日本経済の長期低迷を背景として、日本語学習者の人数 が減少する国も目立つようになった。しかし、海外全体から見れば、日本語学習 人口は拡大し続けた。国際交流基金は日本語学習者に対して「支援型」事業形態 から「推進型」事業形態への方向転換を表明するようになった。2000 年 12 月 8 日に文部科学省で行われた国語審議会「国際社会に対応する日本語のあり方」に おいて、次のような見解が示された。

日本語による情報発信は、日本人の思考や広い意味での日本文化の発信 である。日本語を通じた様々な情報の受容や、日本語によるコミュニケー ションを通して、世界の人々に日本や日本人についての理解を深めてもら うことが大切である。

(中略)今後とも、教師の派遣、研修会の開催、留学生の受け入れ、教 材や情報の提供、新しい通信手段の活用など、海外における多様な学習需 要に応じたきめ細かな支援を推進するとともに、各国が主体的に日本語教 育体制を整え、自律的に日本語教育を実施していけるよう、協力を行って いくことが必要である 216