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日本人教師の授業の特徴

第二章 日中国交正常化以降の中国における日本語教育と日本人教師

第三節 日本人教師の仕事と生活

1. 日本人教師の授業

1.2 日本人教師の授業の特徴

日本人教師が担当する授業はいろいろであった。会話、講読、作文、聴解、日 本事情と多岐にわたっているが、主にネイティブとしての役割が大きかった。大 学によっては学生に授業をしたり、卒業論文を指導したりすることのほかに中国 人教師への研修、教材の編集、テープの吹き込みなどいろいろ仕事をやらせたと ころもある 251。「専家」としての採用条件としては特に規定がないが、専門的な 日本語教育の経験者を希望していることはいうまでもない 252

担当する授業はほとんど中国側が日本語科の事情により分配した。日本人でさ えあれば、日本語を教えることがあたりまえだという考え方が中国側にある程度 存在していることは否定できない。日本人教師は自分が不得意な教科を担当させ られた場合、つらいと感じることがままある。大阪の高校国語教師出身の広瀬省 三は鄭州でそういう状況にあった。

年配の私が担当させられたのは「日本文学史―古代中世―」「文語文法」

「文学泛読」「語彙学」など、頭の痛くなるようなものばかりでした。中 国の学生は反応がはっきりしているので面白くないと内職が増えたり、欠 席者が増えてきたりするのです。あるクラスでは力及ばず、欠席の多いも のは減点するぞと一番言いたくない言葉を吐いたこともあります。(中略)

249 竹中憲一「ネイティブ・スピーカーとして期待された役割」『月刊日本語』、1990 年9月、16~17頁、16頁。

250 木村宗男「中国における日本語教育の輪郭」『中国研究月報』398号、1981年、28

~31頁、30頁。

251 例えば、1979年から神奈川県から山西大学へ派遣された野島が担当した仕事は次

の5からなる。1.青年教師の養成、2.1学年、2学年の基礎日本語課授業、2学年の 口語課授業、3.教材のテープ吹込み、4.教材の共同編さん、5.中国人教師の質問に 対する回答。

252 前掲「ネイティブ・スピーカーとして期待された役割」、17頁。

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苦手だと思っても、これは私にはやれませんとなかなか言えないところが 日本人教師のつらいところでもあります 253

前述したように、当時の日本語教育はまだ専門性を確立していなかったから、

派遣・招聘された日本人教師のうちには国語教師は多くいる。したがって、日本 人教師は中国人に対して外国語としての日本語をどのように教えるのか、試行錯 誤を繰り返しながらやっていた。

1993年 4 月から約二年間、長春大学外国語学院に派遣された須賀健二は読解指 導について国語教育と比べながら次のようなコツを得た。

日本語教育における読解指導は国語教育におけるそれと比べて「全体的 というより部分的、観賞的というより文脈理解的、さらに語句・文法(表 面に出さない場合を含めて)中心で、それも理解段階より使用段階へ」と いう特色がある。そして日本語教育がこのような特色を持つのは、日本語 の学習者が日本語を母語としないこと、及び彼らの学習の最大の目的が日 本語の運用能力を身に付けることにあるという事情によるのである 254

中国人に対して日本語を教える時には、普通日本人なら何とも思わない箇所も 外国人には疑問に思うことが多いのである。したがって、日本人教師は「一字一 句可能な限り意味・用例などを調べた。一語に関して同議・反義語、用字法、文 法的特徴などあらゆる方面から調べていった。机上一杯に同義・反義語辞典、国 語辞典、文法辞典、漢和辞典、英和・和英辞典、アクセント辞典等を広げて、夜 遅くまで下調べをしていった。悪戦苦闘の連続であり、教室で質問されて立ち往 生することもしばしばであった」255

改革開放したばかりなので、中国における日本語教育には日本の原書が不足し ていた。80 年代に日本から来た日本語教師はたくさんの教科書や辞書などを持参 してきた。また、国際交流基金、県、新聞社などの協力を得て書籍を寄贈した人 もいる。日本人教師は授業をしながら、教材の編集にも力を入れた。南京大学に 派遣された落合正男は授業で使った「教材は、小説、評論、随想や随筆、韻文と あらゆる分野にわたって、すべて私が編集作成した。編集にあたっては、本文に

253 広瀬省三「日本語教師としての 10 年―大連から湘潭まで―」『東アジア社会教育 研究(4)』194~201頁。198頁。

254 須賀健二「中国における日本語教育について」『愛媛国文研究』(46)1996 年、97

~98頁。98頁。1993年4月から約二年間、長春大学外国語学院に勤務していた。

255 池田滋「「南京・丁山賓館」着任した当初のこと」神奈川県教育庁管理部教職員課 編『中国派遣日本語教師10年の軌道 1979~1989』神奈川県教育委員会、1990年。69 頁。池田滋は1979~1981年に南京大学に派遣さている。

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続いて語句の説明、類義語、反意語、語法説明、文型、文例そして練習問題をつ け、学生の語彙力、表現力を養うことを主眼とした編集をするよう依頼された。

これらすべて謄写原紙に起こし、大学本部に渡して印刷製本をしてもらう。こう して初めて授業ができる状況であった、日本の原書が不足している中での教材選 び、そして編集の作業は並々のことではなかった」256

日本人教師にとって、一番苦労している授業は「写作」であると言われた。「助 詞の間違いからひらがなの間違いまで、ありとあらゆるところからと言いたいく らいに問題が出てきて、頭がくらくらしてくる感じでした」257。それに対応して、

日本人教師は次のような方法で「作文」授業をやった。

「写作」の授業では「国語表現」の副教材として使用していた問題集で、

文法事項・構文・言葉の使い方等について基本的な事柄を指導した後、実 際に日本語で作文を書かせて添削をするという方法をとった。作文は授業 中に書かせるのではなく、題を与えて課題として書かせ、授業の 2日前ま でに提出させる。それを添削して、文法・構文・言葉の使い方等で間違っ ているものを 20例抜き出し、次の授業でそれを全員に訂正させる。この 時20 例をプリントにできればいいのだが、前述したような事情でできな いので、板書をしてノートに写させ間違いを訂正させる。20人に指名し、

板書した文の間違いを訂正させ、それを一つ一つ点検するという方法で授 業を進めた 258

「作文」の添削は全て苦しいことばかりでなく、日本人教師も学生の作文に引き 付けられ、中国のことを詳しく知ることができた。中国人学生は独自な考え方を する力が弱かったし、自由な発想が枯渇してしまっていた。日本人教師は中国人 学生の自分なりの考えを引き出すのが大変だった。

作文の授業は当初週 1 時間だったが、強烈な印象がある。3 年生(82 年級)22名に課した、最初の作文のテーマ「日本語と私」・なぜ日本語を 専攻するようになったかをかいてもらったところ、まさに異口同音「中国 と日本は一衣帯水の国で……」に始まり「私はこれから 4つの現代化実現 のためにがんばります。」で終わる文章を書いていた。全くワンパターン」。

これに対して、日本人教師は工夫し、紋切型の作文打破を目指した「自分

256 落合正男「中国における日本語教育とその周辺」神奈川県教育庁管理部教職員課 編『中国派遣日本語教師10年の軌道 1979~1989』神奈川県教育委員会、1990年。94 頁。落合正男は1981~1983年に南京大学に派遣されている。

257 赤松昭洋「中国における日本語指導」『第5次中華人民共和国日本語教育派遣団教 育事情報告―日本語と中国語』愛媛国文研究(42)1992年、124~126頁。126頁。1989 年から4月から1991年3月まで長春大学に派遣されている。198頁。

258 前掲「中国における日本語指導」、128頁。

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の生活体験にフィクションを加えた」短編小説を書かせた 259

授業はいろいろな困難を克服しなければならなかったが、日本人教師は中国人 学生を異口同音に高く評価している。1978年、中国は10年ぶりに大学入学試験を 再開したが、合学率は極めて低かった。大学に合格する学生は勉強家で、国のエ リートであったと言える。学生は貴重な学習のチャンスを大切し、真面目で真摯 な学習態度で勉強し、欠席はほとんどしなかった。また教師を大事にした。日本 人教師はあまり完璧でない環境下で精励する彼らの姿に感動したものである。し かし、90 年代から中国の自由な市場経済活動が進展するとともに、大学の入学試 験と卒業生の配属制度も大きく変わってきた。高等教育の定員の拡大につれて、

中国の大学教育は大衆教育へと変化しつつある。学生の授業態度にも少しずつ変 化が表れ、一部には無断欠席や無断欠課、授業態度の不良、校外での問題行動が 発生するようになった。日中技能者センターから派遣された小笠原正亮(焦作工 学院1994年8月から1年派遣)はそういう状況について、次のように語っている。

わたしの授業も、始業以来はや 2か月を経過したころから、東北地方出 身の二人の学生が、最初は丁寧な身体的病状をかいた欠席届を提出して、

断続的に授業を休みはじめ、だんだん無届欠席をするようになった。しか も、それがきっかけになって、二人の所属する地質系の友人数人が、明ら かに私を試すかのように、ときどき計画的に怠学的態度や欠席、途中病欠 をするようになった 260