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企業の「選択と集中」

ドキュメント内 学位授与機関 同志社大学 (ページ 149-155)

5.2. 日本の物理論文数の推移:所属機関の影響

5.2.2. 企業の「選択と集中」

a. 民間企業の研究開発における「選択と集中」の影響:1990年代初期

永峰・山口(2007)は、「選択と集中のジレンマ」と題する論文において「電機産業の…

凋落の背景に、1990年代に一躍脚光を浴び、現在も引き続き断行され続けている『選択と 集中』があり、これがトリガーとなって大手電機のイノベーション・システムは弱体化した」

という仮説を掲げた。そして「選択と集中」には(1)水平境界(事業の多角化と集中化)

における選択と集中と(2)垂直境界(企業の職能領域内)における選択と集中があり、前 者は「現行事業の選択と集中」、後者は「未来の事業の選択と集中」、すなわち「研究開発の 選択と集中」であるという立場に立ち、これまで実態把握が不十分だった後者の「研究開発 の選択と集中」の実態を応用物理学会における民間企業の発表件数の推移(1975-2007年)

として調べあげた。

調査した企業は研究開発志向の強い民間企業10社とNTTである: 1.松下電器産業(現 パナソニック)、2.ソニー、3.日立製作所、4.東芝、5.NEC、6.キャノン、7.富士通、

8.シャープ、9.三菱電機、10.三洋電機(これらをJ10と呼称)、11.NTT(1985年ま

では電電公社)。この11社の発表件数の合計は、1980年に約500件であったが、年々増加 して1988年に約1000件を越え、1993年に最高値(約1100件)に達した。その後、急激 に減少し始め、1997年に約900件、2003年に約500件となって、その後も減少し続けた。

さらに応用物理学会で多数の発表をした民間企業のコア研究者へのインタビューを実施 し、「研究開発の選択と集中」が1990年代初頭から本社研究機関の解体や大幅な縮小再編、

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研究テーマと研究者の絞り込みが行われた実態を明らかにした。そして「バブル崩壊後の 1993年を契機として、直近の事業経営に対する寄与度が低く基礎に近い研究分野から一斉 に手を引き始め、『研究開発の選択と集中』を断行した」(永峯・山口2007)と結論づけた。

b. 企業の物理論文数と化学論文数の推移

図 5-4 に物理学分野の論文数(言語は英語)が上位 9位までの日本の企業の論文数(合 計)の推移(1975-2012)を示す45。上位 9企業は、パナソニック、NTT、富士通、東芝、

日立、三菱電機、トヨタ自動車、NEC、ソニーである。

1975 年に100 報強であった論文数は 1989 年に1000 報を越え、1996 年に最高値(約 1450報)に達した。1975-1989年の増加率(年率)は17.4%であり、論文数が500報を越 えた1985年から1000報を越えた1989年までのバブル最盛期の増加率は20.1%であった。

論文は1996年に最多となり、1997年は1400報強を維持したものの1998年から急激に減 少し、2012年には最高値から半減して約700報になった。1996-2012年の論文数の減少率

(年率)は4.4%である。

民間企業が研究開発を対外発表する場合、特許を出願したあと学会で発表し、その後2-3 年後に成果を論文として発表することが普通である。J10 とNTT の学会発表件数が 1988 年に最高域(年間1,000件レベル)に到達して5年後の1993年に発表件数が最も多かった という事実(永峰・山口2007)と、半導体・電機産業に属する企業の論文数が1991年(1988 年から3年後)に最高域(年間1,200報レベル)にしたあと5年後の1996年(1993年か ら3年後)に最も多かったという事実(図5-4)は完全に整合的である。

企業の学会発表件数の減少(1993年以降)と論文数の減少(1996年以降)は、1990年 代初頭(1991-1993年)のバブル崩壊に伴い、企業の経営環境が変化して「研究開発の選択 と集中」が直ちに(遅くとも1993年)断行されたことが原因である。

45 図5-2の上位9企業の物理論文数と同じである。

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図5-5に化学分野の論文数(言語は英語)が上位29位までの日本の企業の論文数(合計)

の推移(1975-2012)を示す。上位30企業のうち、製薬会社が13社(塩野義、三共、田辺、

武田、藤沢、エーザイなど)でもっとも多く、いわゆる化学メーカー(三菱化学、住友化学 など)は少ない。電機・半導体企業が4社(NTT、日立、パナソニック、NEC)含まれて いる。論文数は1975年に約150報であったが、1989年に約300報強になり、1996年に 最多の600報強となった。1975-1989年までの増加率(年率)は5.1%であり、論文数が250 報だった1985年から1989年までのバブル最盛期の増加率は7.2%であった。1996年から 2005年頃まで600報前後を推移したあと、2006年から減少を続け、2012年には最高値の

約3/4(約470報)になった。1996-2012年の論文数の減少率(年率)は1.8%である。

図 5-4と図 5-5 を比較すると、物理論文とくらべて化学論文は論文数が少ない。Wef of

Scienceのデータベースに収載される基準が物理と化学で異なるので、異なる分野の論文数

を比較する意味はない。しかし、著者が所属する企業数は業態の違いそのものを反映する数 値であり、論文数の増減の割合や変化した時期はサイエンス型産業の物理系企業と化学系 企業の業態の違いを相対的に比較する手がかりである。

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30社の内訳を見ると、業種が多彩であることが判る。29社の中で総合化学メーカーと呼 ばれる企業は三菱化学と住友化学の2社だけである。図5-4に社名があがった企業が 5社 含まれ、11社の医薬品企業のほかに食品メーカーや装置メーカーなど業種の幅が広い。

化学分野に収載される論文は有機化学や無機化学などの純正化学(pure chemistry)に分 類される論文である。有機化学や無機化学から派生した高分子化学や電気化学等に分類さ れる論文は「化学分野」に分類されないため、総合化学メーカーの数が少ないと考えられる。

企業の研究員は研究成果を学術論文として発表し、それらを博士論文としてまとめて大 学へ提出する。企業の論文数が1997年から減少した様子は、図2-6で示した論文博士の授 与数が1995年に最大となったあと、1996年から減少した事実とよく符合する。これは1990 年代前半に物理学や化学以外の分野でも企業の論文数が停滞あるいは減少し、それが論文 博士の授与数の減少として顕在化したことを示唆する。

物理論文数1997年から減少したが、化学論文数は2000年から減少した。化学系企業の

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論文数が減少し始める時期は4年ほど遅く、物理系企業と化学系企業の論文増加率(%)を 比較すると、1980年代後半のバブル期における物理論文数の急激な伸びとバブル崩壊後の 大きな減少が目立つ46。サイエンス型産業の中でも分野によって業界の動向や企業の研究体 制が異なり、それが論文数に影響することが判る。

c. 「選択と集中」をキーワードとする新聞記事の出現頻度

図5-6に日経新聞の記事(1987-2012)を「選択と集中」をキーワードとして検索した結 果を示す47。図の左軸がヒットした記事の年間出現回数である。図には日本の企業論文数の 推移を折線グラフで重ねて示す。企業論文数は日本にある企業に所属する著者を含む論文

(研究分野は全文野)である。

1987-2012 年の26 年間を4期に分けた:第Ⅰ期(1986-1990)はほどんど記事が出現

しなかった時期である。5年間の出現回数は1回、平均出現頻度は0.2回/年であった。第

Ⅱ期(1991-2000)はバブル崩壊後の10年間である。この10年間の平均出現頻度は18.9 回/年(合計189回)だった。第Ⅱ期では中間の1996年から急激に出現回数が増えた。第

Ⅱ期の前半と後半の頻度と出現回数は、前半(1991-1995)では2.2回/年(11回)、後半

(1996-2000)では35.6回/年(178回)であった。1995-1996年を境に「選択と集中」

の出現頻度が桁違いに大きくなったことが分かる。日本企業の論文数は1996年で増加が止 まり、2003年まで停滞した。第Ⅲ期(2001-2007)はリーマン・ショック(2008年)の 直前までである。記事の出現頻度(回数)はさらに増えて79.1回/年(554回)となり、

日本の企業論文数(全分野)が減少し始めた。第Ⅳ期(2008-2012)では頻度はやや下が ったが、65.7回/年(394回)で依然として高かった。企業論文数も減少を続けた。

第Ⅰ期(1986-1990;1件)と第Ⅱ期前半(1991-1995年;11件)の記事のうち、研究開 発の「選択と集中」に触れた記事はわずか2件48であった。1996年から論文数が減少した 事実を考え合わせると、民間企業内では遅くとも1993 年までに「研究開発の選択と集中」

が断行され、世間に注目されることなく研究組織の解体や縮小、研究テーマや研究者の絞込

46 論文増加率(%)を(期間:物理/化学)の順に示すと、(1975-1989: 17.4/5.1);

(1985-1989:20.1/7.2);(1996-2012:-4.4/-1.8)である。

47 検索には、日経テレコンを用いた。対象は日本経済新聞(朝刊)の1987年1月1日~

2012年12月31日、検索語は「選択と集中」とした。

48(1) 1988/08/19 日本経済新聞「会社が変わる 東ソー(下)『選択と集中』の痛み」、(2)

1994/12/02 日本経済新聞「デフレもう一つの落とし穴(3)企業、「大競争」の中へ(富

士通)」。

141 みが行われていたと考えられる。

d. 増加から減少へのタイミング

長岡ほか(2011)は大学における論文出版までタイムラグの中央値が 2 年間であること を根拠にして、大学の論文生産に関するインプット・アウトプット分析においてインプット がアウトプットに結びつくまでの期間を 2 年間と仮定した。筆者の経験では、企業の研究 成果が論文として出版されるまでに要する時間は、大学の研究者が論文を発表する場合よ り長いようである。これは論文を執筆する作業時間が関係することもあるが、企業の場合、

論文を発表する前に研究成果に基づいた特許を漏れなく出願したうえで、対外発表の許可 を得ることが前提であることが主な理由である。研究分野あるいは投稿する雑誌により、論 文審査に要する日数は異なるが、企業の研究者が研究成果をまとめてから論文が出版され るまで短くても....

2年間は必要である。

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