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3.2. 分析の理論的枠組み

3.2.2. ブラウンとレビンソン(Brown & Levinson)によるポライトネス理論

ブラウンとレビンソン(Brown & Levinson1987)は、言語形式の意味や機能だけではな く、人間関係、社会・心理的距離、相手にかける負担の度合い等、複雑に絡み合う社会的 諸要因を考慮に入れ、それらが総合的に反映された「ポライトネス行動」についての理論 を展開している。この「ポライトネス理論」について、宇佐美(1998、2002)は、「ポライト ネス行動」を、人間の「フェイス処理行動」、すなわち、「対人コミュニケーション行動」

として、より包括的、かつ、ダイナミックに捉えたと評価している。

社会学者であるゴフマン(Goffman:1967 / 浅野訳1986:5)は、フェイスを、ある特定の 出会いの際、ある人が打ち出した方針、その人が打ち出したものと他人たちが想定する方 針にそって、その人が自分自身に要求する積極的な社会的価値であり、認知されているい ろいろな社会的属性を尺度にして記述できるような、自分をめぐる心象(イメージ)である と説明している。ゴフマン(Goffman) のフェイスの概念を導入したブラウンとレビンソン (Brown & Levinson1987)は、ポライトネスを相手のフェイスの侵害を最小限にし、相手と の対立や葛藤をなくし、円滑な人間関係を保つための言語的なストラテジーとして誰にも 適応できる普遍的な概念であると捉え、社会・文化的な相違によってポライトネスの言語 的な表現方式は変わってくると説明している。更に、人間には「ポジティブ・フェイス (Positive Face)」と「ネガティブ・フェイス(Negative Face)」の2つの基本的な欲求がある と想定している。

以下では、宇佐美(2001b、2002)を参考にしながら、彼らの鍵概念となる1)人間の基本的 な欲求であるフェイス、2)フェイス侵害行為とストラテジーの選択、3)ポジティブ・ポラ イトネスとそのストラテジー、4)ネガティブ・ポライトネスとそのストラテジー、5)オフ・

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レコードとそのストラテジーを中心に説明していく。

1) 人間の基本的な欲求であるフェイス

ブラウンとレビンソン(Brown & Levinson1987) は「ポライトネス理論」を説明するた めにモデルパーソン(Model Person)を立てている。モデルパーソンは、ひとつの自然言語 を流暢に話すという資質を備えており、「合理性(rationality)」と「フェイス(face)」を賦与 されているという。「合理性」とは、ある目的(ends)を達成するための手段(means)を導き 出す推論の厳密に定義可能な方式(mode)を利用することができる能力を指す。フェイスは、

「他人にじゃまされたくないという欲求」の「ネガティブ・フェイス(negative face)」と

「他人に認められたいという欲求」の「ポジティブ・フェイス(Positive Face)」の2 種類 があるが、フェイスは人間の持つ基本的な欲求という普遍性を持つものであり、その中身 は文化によって異なると述べている。ポジティブ・フェイス(Positive Face)は、他者に理 解されたい、好かれたい、賞賛されたい、他人に近づきたいというプラス方向(外向)への欲 求であり、ネガティブ・フェイス(Negative Face)は、賞賛されないまでも、少なくとも、

他者に邪魔されたくない、立ち入られたくないという、マイナス方向(内向)に関わる欲求 である。

2) フェイス侵害行為とストラテジーの選択

ブラウンとレビンソン(Brown & Levinson1987)は、相手のフェイスを脅かす行為であ る「フェイス侵害行為(FTA:Face Threatening Acts)」をせざるを得ないときに、「相手 のフェイス侵害[FT(Face Threat)]度」を軽減するためにとる言語ストラテジーをポライ トネスとして捉えている。FTA が持つフェイス侵害の度合いは「Wx=D(S、H)+P(H、S)

+Rx」のような公式によって見積もられ、FTAx の重さ(Wx)は、話し手(S)と聞き手(H)の 社会的距離の見積もり(D)、H がS に対して持っている力の見積もり(P)、その文化におけ るFTAx の負担の度合いの見積もり(Rx)を合わせて測定するという。D は対称的な社会的 要素であり、P は非対称的な社会的側面である相対的力関係を意味する。Rx は、行為者 の自己決定への欲求と是認されたいという欲求(つまり、NF 欲求とPF 欲求)がどの程度 侵害されることになると考えられるかによる、文化的かつ状況的に規定される負担の序列 のことである(Brown & Levinson1987 / 田中他訳2011:99-100)。ブラウンとレビンソン

(Brown & Levinson) は、フェイス侵害度を見積もる基準を以下のような公式で表してい

る。

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図 14 フェイス侵害度の見積もり公式

ブラウンとレビンソンは、同一の話し手が場面や状況、相手によって違う言語行動をと るのは、その場その場における話し手の見積もりの結果が違うからであり、ある言語行動 が文化によって違う評価を得るのは、文化によって重要に扱うものが違うからであると説 明している。

フェイス侵害の度合いが見積もられたら、話し手はその度合いによって、まずその行為 を行うか(Do the FTA)行わないか(Don’t do the FTA)を決定し、FTA を行う場合はフェ イス侵害度によって、明示的に表現するか(on record)、ほのめかすか(off record)を決める。

そして、前者の場合は、軽減行為を行わずに明さまに表現するか(baldly)、軽減行為を行う か(positive politeness またはnegative politeness)を選択する。ある行為を効果的に、ま たは緊急に伝えたいという欲求が強い状況で、話し手は「軽減行為を行わず、あからさま に言う」といったストラテジーを使用するが、それ以外の状況では、聞き手に対して何ら かの軽減行為を行う。これらのストラテジーの番号が大きくなるにつれ、フェイス侵害度 は低くなる。上記のプロセスは次の図15のようにまとめられている。

図 15 FTAを行うための可能なストラテジー (Brown & Levinson1987: 60、田中ほか訳2011: 89) 3) ポジティブ・ポライトネスとそのストラテジー

ポジティブ・ポライトネス(Positive Politeness)とは、相手のポジティブ・フェイス

(Positive Face)に向けられた補償行為を指し、聞き手の永続的な欲求(欲求から出た行為、

その結果に入れた物や評価)が常に望ましいものであると認められたい、という願望に沿う ものである。同様の欲求(またはその一部)がこちらにもあることを伝えることにより、相 手のそうした願望を満たす、といった行為などがそれに当たる。FTAにより侵害されるフ

Do the FTA

(FTAをせよ)

5.Don‘tdo the FTA

(FTAをするな)

on record (オン・レコード) 4.off record (オフ・レコード)

1. Without redressive action,baldly (補償行為をせず、あからさまに)

With redressive action (補償行為として)

2.Positive politeness (ポジディブ・ポライトネス) 3.Negative politeness

(ネガティブ・ポライトネス) Wx=D(S,H)+P(H,S)+Rx

Wx : フェイス侵害度(FT 度) S:話し手 H:聞き手

D : 話し手(Speaker)と聞き手(Hearer)の「社会的な距離(Social Distance)」 P : 聞き手(Hearer)の話し手(Speaker)に対する「力(Power)」

Rx: 特定の文化において、ある行為(x)が聞き手にかける負担の度合い

(absolute ranking of imposition in the particular culture)

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ェイス欲求の補償であるというわけではなく、ポジティブ・ポライトネスにおける補償に は、一般的に他者の欲求を認めたり、自・他の欲求の類似性を言及したり、といった行為 も含まれる。ポジティブ・ポライトネスのストラテジー(Positive Politeness Strategies:

PPS)は15種類で、各ストラテジーは以下のようにまとめられる。

話し手が聞き手との共通の基盤を主張せよ

・ストラテジー1 (PPS1):聞き手(の興味、欲求、ニーズ、持ち物)に気づき、注意を向けよ

・ストラテジー2 (PPS2):(聞き手への興味、賛意、共感を)誇張せよ

・ストラテジー3 (PPS3):聞き手への関心を強調せよ

・ストラテジー4 (PPS4):仲間ウチであることを示す標識を用いよ

・ストラテジー5 (PPS5):一致を求めよ

・ストラテジー6 (PPS6):不一致を避けよ

・ストラテジー7 (PPS7):共通基盤を想定・喚起・主張せよ

・ストラテジー8 (PPS8):冗談を言え 話し手と聞き手は協力者であることを伝えよ

・ストラテジー9 (PPS9):話し手は聞き手の欲求を承知し気づかっていると主張せよ、

もしくは、それを前提せよ

・ストラテジー10 (PPS10):申し出よ、約束せよ

・ストラテジー11 (PPS11):楽観的であれ

・ストラテジー12 (PPS12):話し手と聞き手両者を行動に含めよ

・ストラテジー13 (PPS13):理由を述べよ(もしくは尋ねよ)

・ストラテジー14 (PPS14):相互性を想定せよ、もしくは主張せよ聞き手の何らかのX に 対する欲求を満たせ

・ストラテジー15 (PPS15):聞き手に贈り物をせよ(品物、共感、理解、協力)

このようなポジティブ・ポライトネスのストラテジーがポライトネスの理論に取り込まれ ていることは、「ポライトネス理論」の最も斬新な点として評価されている(宇佐美、2001 b、2002、Usami2002)。

4) ネガティブ・ポライトネス・ストラテジー

ネガティブ・ポライトネス・ストラテジー(Negative Politeness Strategy)は本質的に回 避されるストラテジーであり、10 種類が提示されている。

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・ストラテジー1(NPS1):慣習的に基づき間接的であれ

・ストラテジー2(NPS2):質問せよ、ヘッジを用いよ

・ストラテジー3(NPS3):悲観的であれ

・ストラテジー4(NPS4):負担Rx を最小化せよ

・ストラテジー5(NPS5):敬意を示せ

・ストラテジー6(NPS6):謝罪せよ

・ストラテジー7(NPS7):話し手と聞き手を非人称化せよ

・ストラテジー8(NPS8): FTA を一般的規則として述べよ

・ストラテジー9(NPS9):名詞化せよ

・ストラテジー10(NPS10):自分が借りを負うこと、相手に借りを負わせないことを、オ ン・レコードで表せ

5) オフ・レコードとそのストラテジー

オフ・レコード(off record)についても15 種類のストラテジーが挙げられている。ネガ ティブ・ポライトネス・ストラテジーよりも聞き手のネガティブ・フェイスを満たすこと ができ、このストラテジーを使うことによって、話し手は行為に対する責任を避けること ができると説明される。オフ・レコードには、「会話による含意を促せ」と「曖昧にまたは 多義的に言え―様式の行動指針に違反せよ」という2 つがあるが、ストラテジー1~10 は 前者に、11~15 は後者に属する。

・ストラテジー1:ヒントを与えよ

・ストラテジー2:連想のための手掛かりを与えよ

・ストラテジー3:前提に語らせよ

・ストラテジー4:控えめに言え

・ストラテジー5:大げさに言え

・ストラテジー6:同語反復を使え

・ストラテジー7:矛盾したことを言え

・ストラテジー8:アイロニーを使え

・ストラテジー9:メタファーを使え

・ストラテジー10:修辞疑問を使え

・ストラテジー11:多義的に言え

・ストラテジー12:曖昧に言え

・ストラテジー13:過度に一般化せよ

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・ストラテジー14:相手(H)を置き換えよ

・ストラテジー15:最後まで言うな、省略せよ

本研究で対象としている聞き手言語行動のうち、聞き手の共話的反応により成り立つ共話 について、宇佐美(2006a)は、ポライトネス理論の観点から、共話は相手のポジティブ・フ ェイスを満たすポジティブ・ポライトネスだと解釈している。なぜなら、共話は、Ono &

Yoshida(1996)で論じられたように構文論的制約や語用論的制約を受けながら成立すると いうよりは、むしろ聞き手による会話参加である(水谷1988a、1993、メイナード1993、

Clancy et al.1996)と捉えられるからである。また、共話は、話し手に対する聞き手の理解 という役割を果たすことがある(Hayashi & Mori1998;Hayashi2003;宇佐美・木林2002;

宇佐美2006a)。このことを考えると、共話は、会話参加者が互いに他人(相手)に好かれた い、認められたいと思う欲求を満たす行為であり、ポジティブ・フェイスを満たすポジテ ィブ・ポライトネスであるといえる。

しかし、後行発話が先行話者に承認されないこともある(ザトラウスキー2000、串田200 2b)。串田(2002b)は、たとえば、発話は開始されたが、相互行為上は「なかったもの」と して扱われる(発話の流産)、引き取られ手が引き取り後に相手の発話の一部を反復するこ とにより、それを「発話」としては受けていないが「言葉」として採用する場合(相手を著 者としてのみ利用すること)が指摘されている。その一例として串田は次のような例を挙げ ている (→:引き取られた発話、⇒:引き取り発話) 。

会話例30)【なごりおしそうに】

→1B:だって思わずな

⇒2A:なごりおしそうに

3B:なごりおしそうにあーって

4C:あっはっはっはっはっは (串田2002b:58より引用)

会話例31) 商品の受注発注の話:YM01(年下男性)-BM01(30代男性)の会話

1 BM01:数量も価格も全部そこへ(あのー)入ってるわけだから、(はいはいはい)あれで 発注から何までを全部、1つの体系にしてしまうとか…。

2 YM01:だから、それも、業種によると思うん<ですよ>{<}。

3 BM01:<業種に>{>}よるんですか。

4 OF01:んー。 (BTSJ 会話番号178より引用)

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また、上記の会話例31)のように、共話をなしている1OF01と2BM01の発話で、波線( ) で示した共話をなす後行発話である共話的反応の2YM01は不同意の「反論」の機能を果た している。このように、相手のフェイスを考慮したといえない後行発話や不同意などはブ ラウンとレビンソン(Brown & Levinson1987)が本質的なフェイス侵害行為として挙げて いる行為でもある。つまり、共話は場面や文脈に応じて、ポジティブ・ポライトネスにも、

フェイス侵害行為にもなりうる。そのことを考えると、共話をポライトネスの観点から解 釈するためには、どういう状況でポジティブ・ポライトネスになるのか、またどういう状 況でネガティブ・ポライトネスになるのか、さらにそれには社会的要因は関与しなしのか など再考する必要があると考えられる。

本章では、本研究の研究方法と理論的枠組みについて述べた。次章からは、変異生起要 因、言語能力、談話展開の観点からみた聞き手言語行動の実証的研究について見ていく。

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