第 7 章 リバース・イノベーションと参入形態
7.1 はじめに
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実際,海外直接投資は,先進国から賃金の安い開発途上国に対して行われることが通 常であったが,近年では,開発途上国の経済発展によって,開発途上国から先進国への 投資が増加している.図 1 は,最近のアジア地域の対日直接投資を示している.特に,
アジアNIES(新興工業経済地域:香港,台湾,韓国,シンガポール)からの対日投資が 近年増加していることが分かる.このような,途上国から先進国への企業の投資活動を 踏まえて,先進国で生まれた技術革新が,やがて途上国へ波及するという,プロダクト・
サイクルに逆行する,リバース・イノベーションを指摘する論者101もいる.
企業の参入形態を分析する代表的な理論研究として,Grossman and Helpma(2002) がある.この研究は独占的競争モデルを用いた分析であり,その際,バラエティ財(=
最終財)と中間財の関係特殊性(relation-specificity)102を仮定している.そこでは垂直 統合的FDIと中間財の外部委託を通したアウトソーシングにおける利潤が,市場規模の 大きさに基づいて比較されており,国内市場への参入形態としての均衡が分析されてい る.しかしながら,単一の中間財を仮定した最終財を想定しており,最終財の生産要素 による属性が,参入形態や生産地域の決定に及ぼす影響が分析されていない.
Antràs(2003,2005)は,コブダグラス型の生産関数を用いて,複数の生産要素によって 決まる最終財の属性が,参入形態や生産地域の決定に及ぼす影響を分析している . Antràs (2003)では,最終財の資本集約度が異なる二つの国内産業部門を分析対象にした 閉鎖経済モデルである.各部門の最終財の生産は,資本投資と労働投資により行われる.
その際,最終財の生産者は資本投資を行うが,労働投資に際して,
A) 垂直的に統合化された国内サプライヤー(完全子会社)から調達する(=buy)
B) 国内の非系列サプライヤーから調達する(=make)
の中から一つの参入形態を選択する.前者のサプライヤーは,最終財生産者(=親会社)
の部局である.そのため部品生産に関する決定権(=所有権)をもたない.一方,後者 のサプライヤーは,部品生産における労働や資本投資に関する決定権(=所有権)をも つと仮定されている.
Antràs (2003)では,労働投資は当該産業に特定の性質をもつ関係特殊性をもつため,
生産者とサプライヤー間の投資の委託契約には不完備性が存在する.(A)のケースでは,
契約決裂時に,企業が現地工場の管理者を解雇して,企業が所有権を行使して最終財生 産を独自で行うことができる外部機会(outside option)が存在する(=垂直統合)が,
(B)のケースではそのような外部機会が存在せず,企業は最終財生産を断念し,市場から 撤退する状況を想定している.分析の結果,最終財の資本集約度が大きい場合に,(B)が 選ばれ,最終財の資本集約度が小さい場合に,(A)が選択されることが述べられている.
更に,モデルの一般均衡化により,全ての企業が二つの各産業部門で同じ資本集約度を
101 Vijay Govindarajan, et al リバース・イノベーションの例として,米国GEヘルスケア社の例が有名
である.
102 Grossman and Hart(1986),Hart and Moore (1999)
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共有するとき,ある製品バラエティは垂直統合的に生産され,ある製品バラエティは非 統合的に生産されること(=混合的な均衡)が述べられている.
Antràs(2005)は,Antràs (2003)を開放経済モデルに拡張して,企業の生産拠点の意思
決定を考察した研究である.そこでは自国(North)に位置する垂直的に統合化された プラントで,研究所(リサーチ・センター)が資本集約的なハイテク部品を生産する一 方で,労働集約的なローテク部品を,
A’) 自国(=North)の工場からの調達 B’) 外国(=South)の工場からの調達
というA’)とB’)の選択問題を分析している.この論文において,中間財は当該最終財
に対して関係特殊部品であるため,生産者とサプライヤー間の部品生産の委託契約には 不完備性が存在する. (A’)の委託契約に不完備性が存在しないが,(B’)の外部委託契 約に不完備性が存在する状況を想定している.その結果,最終財の労働集約度が小さい
場合に,(A’)が選ばれ,最終財が労働集約的な(資本集約度が小さい)場合に,(B’)が
選択されるとしている.
更に,Antràs (2005)は,論文の後半で,(B’)のケースの拡張として,契約決裂時の外 部機会(outside option)として,企業が現地工場の管理者を解雇して,完全子会社化で きる場合(insourcing=内部委託)と,それができない場合(outsourcing=外部委託)
を分析している.分析の結果,最終財の労働集約度が小さい場合,内部委託が選択され,
労働集約度が大きい場合,後者の外部委託が選択されるとして,プロダクト・サイクル を説明している.
上記の先行研究を踏まえて,本章と先行研究との違いを述べる.Antràs (2005)では,
労働投資に関する賃金率が,最終財の性質を表す,資本集約度とは独立の外生パラメー タとされ,労働者の事前のスキル習得水準が賃金率に反映されていない.このことは,
サプライヤーが労働投資を行うための素地が固有の要素として生産地域(=自国)に備 わっていることを暗黙に意味する.この点は,Antràs(2003)に関しても当てはまる.
また,Antràs(2005)では,外部委託における本社企業とサプライヤーの交渉配分(=
bargaining weight)が等しい場合を,本社企業の収益配分がサプライヤーの収益配分よ りも大きい場合を前提として,分析がなされている.そのため,企業の交渉力がサプラ イヤーの交渉力よりも小さい場合の分析が考察されておらず,生産地域を分ける資本集 約度の境界値と収益配分の関係性の分析がなされていない.更に,企業の参入形態(生 産地域の選択)に対する社会厚生の分析もなされていない.
この点は,Antràs(2003,2005)に限られたことではなく,その他の代表的な文献である,
Antràs and Helpman(2004) やHelpman, Melitz, and Yeaple(2004),等についても当 てはまる.
本章では,主にAntràs(2005)の部分均衡モデルを用いて,二種類の中間財投入から生 産される最終財を考える.部品hは資本集約度の外生パラメータが大きければ,その投入
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量が増す.一方で,このとき,もう一つの部品mは,その投入量が減る103.
ここで議論する最終財企業の選択は,外国の完全子会社へ部品hの生産を発注し,企業 内部で調達することと,外国の非系列サプライヤーへ部品hの生産を外部委託し,外部調 達することである.Antràs (2003,2005)等の先行研究に従い,本章では,前者を垂直統 合と呼び,後者を外部委託と呼ぶ.
垂直統合では,部品hの調達に際し,国内労働者の事前スキル習得が必要であり,企業 はスキルを有する労働者を雇用し,自国の非熟練労働者に支払われる平均賃金よりも高 い賃金を彼らに支払うことが必要である.この賃金は最終財の資本集約度に応じて変化 する.資本集約度が大きい場合,労働者のスキル習得に必要な努力水準は高く,スキル 習得労働者への賃金率が高くなる.一方,外部委託が選択されると,技術優位な外国に 対して部品hの生産を委託し,それを購入することができる.しかし,部品hの特性(=
関係特殊性104)のために外国の部品サプライヤーとの契約は不完備である105.
以上のような状況設定により,本章では,途上国企業が国内で垂直統合生産を行う場 合に,国内労働者の事前のスキル習得の努力水準に応じて,企業の限界費用が変化する 状況を想定する.それによって,企業の参入形態の意思決定を企業利潤の観点から,最 終財の資本集約度と交渉力に関する比較静学を用いて分析し,均衡としての参入形態を 社会厚生の観点から再検討する.こうした分析により,近年増加しつつある途上国から 先進国へのアウトソーシング(=途上国企業の多国籍化)を通した,リバース・イノベ ーションの途上国の社会的影響を示唆できる.こうした観点での参入形態の理論分析は,
これまでの既存研究に存在しない.
その結果,本社企業の交渉力が大きくない場合,労働集約的な最終財では,垂直統合 が選ばれるが,最終財が資本集約的な場合と本社企業の交渉力が大きい場合に,外部委 託が選択される.これらの結論は,労働集約的な最終財を外国に外部委託し,資本集約 的な財を自国で垂直統合的に生産することを示したAntràs (2003,2005)とは逆の結論で ある.更に,最終財の資本集約度と本社企業の交渉力を基に比較静学を行い,FDI受入 国(=North)の社会厚生の観点から,参入形態の検討した結果,垂直統合が選択される 場合でも,外部委託が社会厚生の観点から望ましいケース,外部委託が選択される場合 でも,垂直統合が社会厚生の観点で望ましいケースがあることが示された.これらの結 果は,先進国が,開発途上国からの対内直接投資を受け入れる際の,誘致政策のインプ リケーションになり得る.
103 Antràs (2003,2005)によると,部品hはハイテク部品であり,これは開発に際し研究開発やスキル
が必要な部品である.一方,部品mはローテク部品であり,これは単純労働で作れる部品を意味する.
104 不完備契約の詳細は,Grossman and Hart(1986),Hart and Moore(1990)を参照.
105 Antràs (2003,2005)では,特定の価格で関係特殊な部品の売買契約を事前に企業とサプライヤー間
で結ぶとすれば,第三者には部品の品質を区別(立証)できず,サプライヤーは無視できるほどの小 さな生産費で低品質の部品を生産するインセンティブ(=モラルハザード)が生まれるために,契約 が不完備になると説明している.