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真宗教学におけるわれの問題

真宗教学研究 創刊号(1977)

真宗教学研究 創刊号(1977)

... 他カ廻向の信 両願の深い矛盾的内面関係が見られる。 然らば、至心信楽の願と至心廻向の願とを峻別せるも のは何であろうか。それは信心の自力・他力性であって、 主体的には罪障の自覚の根源性・絶対性による。至心廻 向の立場は法頓漸機といわれる如く﹁以エ本願嘉号一為 z 己善根こ︵化身土巻︶という深い主体性の固執の立場であ る。然るに、至心廻向の立場が正しくかかるものとして 自[r] ...

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真宗教学研究 第33号(2012)

真宗教学研究 第33号(2012)

... 親驚と現代 起こるべくして起こっていることですね。その中にあっ て立ち上がり続けなければならない。これを私たちは今、 問われているのであります。無常の事実とそこに立つ我 が身という以上に、言葉は特に必要ないと思います。 もう一点は、﹁自己﹂という一点から言葉遣いと考え を出発してしまう。ここに危機が佐胎します。﹁私﹂か ら出発し、﹁私﹂とは何かを探して行こうとする。とこ[r] ...

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真宗教学研究 第25号(2004)

真宗教学研究 第25号(2004)

... 教化のめざすもの 無上大浬繋に至る道に立つのである、こう述べておられ るのです。煩悩を具足しながら無上大浬般市に至る。これ こそ聖人が会得された浬般市道ですね。そして私たちはこ れを感銘深く読むのみならず、浄土真宗、つまり本願の 仏道とはどういう自覚道であるかを述べた丈章としても、 いただくわけです。だからこれがそのまま真宗の大綱を 述べる論述となっています。繰り返すよ[r] ...

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真宗教学研究 第27号(2006)

真宗教学研究 第27号(2006)

... 1 4 2 三年という終戦問もないころの日本の状 況を﹁新しい日本が誕生しようとしてい る﹂とし、その歴史的要求に応えていく ものが真宗であるとの確信に立ち、世に その存在を問うものである。安田理深は ﹁真宗仏教の本姿を見失﹂っている現状 を打破するものとして、﹁新しい教団﹂ をつくりだそうとする動きが真入社であ ると押さえている。この﹁新しい教団﹂ という言葉が指し示[r] ...

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真宗教学研究 第28号(2007)

真宗教学研究 第28号(2007)

... 1 6 2 てもそこまでは用意がございません。 この﹁禿の字をもって姓とす﹂ということに早くに着 目してくださったのは、亡くなられてしまわれましたが、 大谷大学にいた安藤文雄先生であります。安藤先生は ﹃親驚教学﹄六一号の論文の中で、﹁姓﹂とするという ことの意味を大変重く見ておられます。いくつかご紹介 してみたいと思いますが、たとえば安藤氏は﹁親驚が公 的手続きによっ[r] ...

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真宗教学研究 第29号(2008)

真宗教学研究 第29号(2008)

... 真宗としての『華厳経 J ないと一百うのか、そういうお前にも必ず気づかせてみせ るというような本願として呼びかけてくると言うのでし ょうか。そのような兼利ではないのか。 兼ねるというのは兼ねてあらかじめという程度の利益 という事で、その事がずっと後の方で実現することにな るような兼ねて利するですが、宗祖のご引用の前のとこ ろに﹁大海の一滴の水の如し﹂︵大正 ω ・ 七 [r] ...

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真宗教学研究 第30号(2009)

真宗教学研究 第30号(2009)

... 「極・単な時代」 もう少し奥行きのある議論とか、ためのある議論とか、 あるいはもうすこし戸惑いとかためらいのある議論とか、 あるいはもっと含みのある議論とか屈折のある議論とか、 なにかそういう議論というのがどうして私たちはできな くなり、勝ち組か負け組か式の、あまりにもシンプルな、 あまりにも単純な枠組みでしか物事を考えなくなったの だろうか、という思いが、わたしには強[r] ...

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真宗教学研究 第31号(2010)

真宗教学研究 第31号(2010)

... 建永の法難と『教行信証』後序 正嘉二年︵二一五八︶十二月の追加法です。そして H 蓮 は次のように主張します。 専修念仏は﹁違勅の者﹂であるうえ、さらに﹁関東御 勘気﹂を蒙っている。つまり、北条泰時自らが専修念仏 の弾圧を命じたのだから、今の幕府首脳もその方針を遵 守しないといけない。ところが現状はそれに反していて、 関東近辺に念仏聖がどんどん進出している。これは北条 [r] ...

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真宗教学研究 第34号(2013)

真宗教学研究 第34号(2013)

... 「如来は如来なり j としての法蔵菩薩についての一考察 きる。多くの先学は、清沢満之︵以下は清沢︶が曽我に 多大な感化を与えたことを指摘している。これについて も全く否定できないところである。 しかし、これら唯識と清沢による影響のみが曽我の思 索を形成したとも思われない。それどころか、この他に も曽我の身近にいた暁烏敏や金子大築︵以下は金子︶ら との交流、香月院深励を初[r] ...

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真宗教学研究 第23号(2002)

真宗教学研究 第23号(2002)

... 親鴛への回帰と親驚からの出発 たけれども、あの方はカント一辺倒ですよね。そもそも プラトンにおけるソクラテスでもそうですが、一人に惚 れた場合、大体その一人が歴史に残るような古典を生ん でいるような人であれば、普通の人間よりは圧倒的に勝 れていますし、その一人を研究したらそれで一生終って しまう。ところが清沢先生はその哲学者達を片っ端から 勉強して、この人はこういう点が[r] ...

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真宗教学研究 第35号(2014)

真宗教学研究 第35号(2014)

... 信仰と社会 と思います。私は最後に命ということを申しました。先 ほど一楽先生から﹁命教﹂になっているのではないかと ご指摘をいただいたのですが、そのような見地に立った 時、そもそも刑罰という考え方そのものを最終的には問 い直す、見直すということにいき着かざるを得ないので はないかとも思っております。私は死刑だけは特別だと 考えております。すなわち、生命は他の全ての営みの[r] ...

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真宗教学研究 第36号(2015)

真宗教学研究 第36号(2015)

... 釈尊の教えを信仰すること 止めることができるように変わっていくと考えられます。 実際には想・識のところまで起きるのが普通です。どん な例が一番分かりゃすいかと言いますと、接触感覚とい うのが分かりゃすいと思います。例えば、道を歩いてい て、肩と肩がぶつかった時、皆さんはどうしますか。ぶ つかったら思わず、﹁どこ向いて歩いてんのよっ﹂とい うように怒りの気持ちが生じてくる[r] ...

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真宗教学研究 第37号(2016)

真宗教学研究 第37号(2016)

... ﹁弘誓一乗海﹂、こういう言葉で語られます。つまり、 一乗という課題を比叡山に置いてきたわけではないので す。逆です。本当の一乗が成り立つ道はここにあったの かという、これが親驚にとっての本願との出遇いであっ たということが言えます。ですから、ここに大きく色ん なことが転換しております。例えば、今までの仏教と言 えば自らが修行を励んで悟りに少しでも近づいていく。 或いはお[r] ...

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真宗教学研究 第38号(2017)

真宗教学研究 第38号(2017)

... 1 0 種仏伝においては、成道前の断食等の苦行は、肉体のみ を痛めつけることの無益さと共に語られ、最終的には放 棄されるべきものであり、概して百定的に扱われること が一般的です。よくお釈迦様の一般向けの伝記などに見 られる、スジャ l ターから乳粥を貰って、苦行を放棄し たという部分ですが、多くの仏伝文献では、お釈迦様は 断食等々の苦行をしたけれども、それは最終的に自分[r] ...

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真宗教学研究 第39号(2018)

真宗教学研究 第39号(2018)

... 3 2 このように、大乗菩薩の菩薩道としての五念門から、衆 生の仏道としての願生浄土といいますか、往生浄土とい うことに転換していくのではないか。その転換点として 曇鷲と道悼とは繋がっているようで、ある面では切れて いるのではないかと思うのです。 そういう、曇驚、道線そして善導、源信とずっと七高 僧の歩みがつながるわけですが、最初に申し上げたよう に、親驚聖人は最終的な[r] ...

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真宗研究48号 014尾畑文正「真宗と靖国――真宗門徒にとっての靖国問題とは何か――」

真宗研究48号 014尾畑文正「真宗と靖国――真宗門徒にとっての靖国問題とは何か――」

... 五 一九六九年に政府自民党によって提案された靖国神社法案に対する真宗教団の対応を真宗教団連合がその都度の 問題に応じて表明してきた要請文を中心に見てきたのであるが、そこに通底しているとらえ方は、その都度の問題 について強弱はあるけれども、概して云えば、信教の自由の侵害、政教分離原則からの逸脱、国家の宗教介入、戦 争責任の暖昧化、戦後責任の欠如である。それらのとらえ方の根[r] ...

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真宗研究8号 002石田充之「親鸞教学のもつ菩薩道的理念の構造」

真宗研究8号 002石田充之「親鸞教学のもつ菩薩道的理念の構造」

... 親驚教学のもつ菩薩道的理念の構造 入 度万行の修行に当っては、孝養父母等より始めて一切の自力的定散諸善を他力弥陀念仏の一行に改変すべく修行し て、果上に於て他力念仏一行往生の誓願を成就されたと主張されるのである︵女院御書等︶。 かようにして、弥陀理性法界遍満の理念を強調されるわけであるが、このような主張が師法然の浄土一門他力念 仏一行主義を強力に展開してくるものであって[r] ...

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真宗教学研究 第2号(1978)

真宗教学研究 第2号(1978)

... 30 のできない、大きな問いを投げかけたこととなる。上行 菩薩とはいうまでもなく、末世の世にあって、﹃法華経﹄ を捧げもって、その説く法華一乗の真理を担って立つ、 無数の地湧の菩薩を代表するものである。このように解 するならば、それは﹃大無量寿経﹄と全く同じ仏道の課 題を背負うていることを示す。もとより﹃大無量寿経﹄ が開示する仏道は、同じ末法という状況を機縁としつつ[r] ...

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Vol.55 , No.1(2006)012神達 知純「天台教学における地獄の問題」

Vol.55 , No.1(2006)012神達 知純「天台教学における地獄の問題」

... In Tiantai doctrine, naraka is known as one of the ten realms of living be-.. ings(十 界)[r] ...

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真宗教学研究 第22号(2001)

真宗教学研究 第22号(2001)

... i 青沢満之と「精神主義」 す。まさに最近の森︵喜朗︶首相の発言でいえば﹁天皇 を中心とする神の凶﹂という政策が正面に出て来た事で ございます。そういう国のなかで、個人の価値というも のは軽視されるようになって、全ては国家の為という大 名目のもとに行われる。これについて当時﹁新仏教﹄と いう雑誌がございますけれども、その﹃新仏教﹄の一論 者が、この抑圧状況についてこんな[r] ...

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