第
36号
信仰と社会
講 演 釈尊の教えを信仰すること その実践ともたらせるものー われわれに如是我聞が成り立っか 釈尊にとっての“信仰と社会”ー 研究発表 僧肇における「遁」について 真宗学の方法論についての一考察 金子大築の思索を通して 「化身土巻」所引『日蔵経』試論 光味仙人に注目して 真宗教学学会講演会一宗祖としての親鷲聖人一 ISSN 1346 2156 蓑 輪 顕 量 1 宮 下 晴 輝 20 竹 林 遊 38 東 真 行 51 藤 原 智 66 自然法爾ーそのままの救い 徳 永 道 雄 85 救済の現在性一「今」一 康 瀬 憧 106 真宗教学学会長崎大会記念講演 脱原発の理由 中 島 岳 志 122 層、禿の「非核非戦」ー偽に対し、仮に対す一 加 来 雄 之 153 2014年度教学大会発表要旨2
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5年 6月
真 宗 教 学 学
Z》、 -;i::;;. 181講演 真宗大谷派教学大会 二
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一 四 年 度釈尊の教えを信仰すること
ーーその実践ともたらせるものーーー はじめに 釈尊の教えを信仰すること 只今ご紹介にあずかりました蓑輪と申します。﹁釈尊 の教えを信仰することその実践ともたらせるもの﹂ という講題でお話をさせていただきます。このような機 会をいただきました時、どのような話をすればいいのか 迷いましたが、仏教を見ていく視座に﹁行﹂と﹁学﹂が ありますので、そのことを考慮しながら話していきたい と思います。そこで、本大会のテ1
マが﹁信仰と社会﹂ ですから、社会とはどんなものか、実際にどのような試 みがされているのか、そこに仏教が間われるものがある のかどうかと考えました。今回は﹁行﹂、﹁修行﹂の視点蓑
輪
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長ヨ lie!. から見てお話をしていきたいと思います。 お釈迦様の教えを見ますと多様な教えが存在していま す。日本に定着した代表的なものは何か、またその教え が持っている意味を考えてみたいと思います。ちなみに、 前に映っているスライドの写真は、バングラデシュのお 寺の写真です。バングラデシュと言いますとイスラム閏 という印象が強いと思いますけれども、ミャンマーとの 国境周辺に、チッタゴンという大きな町があり、そこに 仏教徒の方がたくさん住んでいらっしゃいます。そこの お寺を調査した時の写真を所々に散りばめております。 この写真の左端で椅子に座っている方は、現代に生きる 阿羅漢と言われている方です。その後お亡くなりになり2 ましたけれども、大変に信仰を集めている方でございま し た 。 まず社会とは何か、という視点から考えていきましょ う。社会は基本的に人聞が構成するものです。辞書的な 説明では、社会は広範でかつ複雑な現象をもっていて、 継続的な意思疎通等、相互行為が行われて、しかもある 程度の度合いで秩序化、組織化された、ある二疋の人間 の集合があれば、それは社会と見なせる、などという説 明がよくされます。つまり、ある一定の人間の集合があ れば、それが社会になります。例えば日本の歴史を紐解 けば、貴族社会や僧侶社会、世俗社会など、様々な何々 社会というような言い方ができると思います。そのよう な社会をどのような視点から考えるかという時に、例え ば人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観 点が成り立ちます。ここで考えていきたい社会とは、文 化や思想の点で成り立つものに限定していきたいと思い ます。特に仏教の関わり方、仏教が関わる社会とはどの ようなものでしょうか。 月並みな表現かもしれませんが、社会は個人の集合で あって、そこにおける個人の考え方、価値観に関わって いくことができる。そんな風に位置付けることができる かと思います。その社会の価値観に関わっていく時に、 仏教の基本的なものは何かと考えますと、それは様々な 表現の仕方があると思いますが、戒・定・慧という三学 の視点がありましょう。伝統的な阿含の経説の中に登場 する価値観としては、無常であり苦であり無我であると いうものがありますが、そのような視点も大切です。あ るいは後には、縁起や空という言葉が登場しますが、そ のようなものも私たちの価値観に関わる問題として位置 付けることができるかと思います。 社会に関与する仏教 仏教者たちの現実の試みにどのようなものがあるのか、 という時にまず念頭に浮かびましたものは、いわゆるエ ン ゲ イ ジ ド ブ テ イ ズ ム ︵ 開 口 町 田
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乙です。この エンゲイジドブテイズムという名前で呼ばれる運動は、 ベトナム人のお坊さんでありますテイクナットハ1
ン と いう方によって推進されました。ティクナットハl
ン さ んは、ベトナム戦争の時に反戦運動をいたしまして、や がてフランスに渡り、フランスで大きな活動を興してい かれた方であります。ティクナットハl
ンは、実際には 戒・定・慧の三学を重視しています。定によって得られ釈尊の教えを信仰すること る智慧を出家修行者は身につけ、それに基づいて社会の 中で活動することが望ましいと言っています。実際にど のような活動に参加できるのかといいますと、仏教者の 方々は、修行によって公平な立場に立って物事を考える ことができるようになります。これは四党住という名前 で呼ばれますけども、慈・悲・喜・捨と呼ばれる崇高な あり方です。その内の特に捨の概念が影響しているとこ ろがあるように思われます。捨というのは、好きなもの に対しても嫌いなものに対しても、中立的なニュートラ ルな気持ちでいられることです。社会の中で起きている 様々な問題に対して、どちらかの立場に立つことなく、 公平中立の立場で対処することができるようになるとの 考えであり、ティクナットハ
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ンさんの考えておられる 社会参加の仏教というのは、仏教の修行に基づいて心を 整え、現実の社会の中に対応できる人を増やしていこう とされたものでした。 3 日本に目を転じてみますと、先ほどの本大会の趣旨説 明で東日本大震災のお話が出ておりましたが、現実にそ の時には多くの仏教ボランティアの方々が活躍されまし た。各仏教教団の僧侶による支援が行われ、特に東北地 方は曹洞宗の信徒の方が多いと聞いておりますけれども、 曹洞宗の方々など、またそれ以外の宗派からも、そして 真宗の方々も、たくさんの活躍をなされたと伺っており ます。このように現実にすでに多くの活躍が存在してい ます。さて、その中で社会への応用に関わった理念のよ うなものがあるのかどうかを考えていきますと、大きな 影響を与えた経典がいくつか存在しているのではないか と思います。その中でも﹃法華経﹄、﹃無量寿経﹄、﹁浬繋 経﹂は、そこに説かれる思想が私たちの考え方の中に大 きな影響を与え、それに基づいて行動している人たちが たくさんおられるのではないかと思います。例えば、 ﹃法華経﹄の中では、二乗作仏や一乗思想です。また、 ﹁法華経﹄と関連する思想と言ったほ、つがいいと思いま すが、如来蔵思想や仏性思想、そういうものから私たち は影響を受けているのだと思います。 ﹃法華経﹄の方便品の中に出てきます﹁あらゆる方角 の仏の国土の中には、ただ一乗の法があるのみで、二乗 もなければまた三乗もない。ただし、仏がてだてとして 説いた法を除く﹂という有名な一説がございますが、私 たちは全てが一乗であり、他の声聞・縁覚等はないとい う考え方が出てきます。それは一体どういう影響を日常 の私たちにもたらしているのでしょうか。この主張は誰4 もが仏に成り得る素質をもっている、実際に誰もが仏で あると言い換えることができると思います。それは万人 の公平性を支える原理と成り得るのではないかと思いま す。誰もが同じように扱われるべきであり、差別されな いということを支持する根拠になるのではないかと思い ます。︵ちなみに後ろの写真は、バングラデシュのお寺 さんで、夕方に在家の方たちが集まり、前に座るお坊さ んの教えを聞いて、心を見つめる修行をしている風景で あります。この時はお話を聞いて礼拝をしているところ です。︶皆さんがよく御存知の﹃無量寿経﹄の四十八願 の成就、中でも大変重視されております十八願の﹁たと ひわれ仏を得たらんに﹂というこの文章も、よく考えて みますと、誰もが仏であること、すなわち万人が平等で あることを保証することになるのではないかと思います。 そのように経典に説かれてきている教えというものを信 じることによって、私たちの問題に大きく関わることが できるのではないかと思います。 行から考える もう一つ視点を代えて、仏教の修行から考えてみたい と思います。少し言い過ぎかもしれませんが、他者性を 意識していたのではないかということを、少し考えてみ たいと思います。実際に、そのようなことを考えさせら れる一つのきっかけになったのは、止観という名前で呼 ばれる伝統的な膜想の存在です。もう一つは慈悲の存在 です。原始仏教の時から、他者を重要な要素としてもっ ていたと言うことができるのではないかと思っています。 では、インド仏教に見る修行が一体どのようなものか というお話をまずはしてみたいと思います。伝統的な修 行 法 は 、 止 ︵ 的 自
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︶ と 観 ︵ 三 吉 田 由E
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︶という名前で呼 ばれます。実際にこれは、最初から止と観というこつの ものに分けられたのかどうかというのは、多分に疑わし いところがありまして、止という名前で呼ばれている観 察法は、インドのヴェーダの伝統からウパニシャットの 伝統の中にみることができます。また観の方も、これも 同じようなものがすでにウパニシャットの中に見出され ると言われます。しかし仏教徒にとっては、後半の観の 内実がウパニシャットに説かれてくるものと少し異なっ ているように思われますので、独自のものと考えていい のではないかと思っております。そこに登場する基本的 な観察の仕方は、四念処観という名前で呼ばれますが、 身・受・心・法における観察です。中部経典の第十経の中に、﹁思念を発す
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念処経﹄と翻訳されている経典が ご ざ い ま す 。 h b H eミ
H E h 刊 誌 h N S H Hぬという名前で呼ばれて いますが、これはg
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が念で、む主任宮山が処に当てら れていますが、言葉の意味を考えていきますと、注意を 振り向けるとか、こころで気づくというようなニュアン スで理解するのがいいのではないかと思います。この経 典の冒頭部分に興味深い記述が出てまいります。 比正たちょ、ここに一本の道がある。有情たちを浄 化し、もろもろの憂い悲しみを乗り越え、もろもろ の苦しみ、悩みを終わらせ、正しい道を証得し、浬 繋を作証するためのものである。すなわちそれは四 つの思念を発すことである。 釈尊の教えを信仰すること ︵ ﹃ 原 始 仏 典 ・ 中 部 経 典 ﹄ 春 秋 社 春秋社から出ております原始仏典の訳語を使わせてい ただいておりますけれども、思念を発すというところは、 思念をそこに振り向ける、心をそこに振り向ける、注意 をそこに振り向けるというような感じで理解していただ ければと思います。では、その四つとは何でしょうか。 ここに比丘たちょ。比E
は世間の貧欲による心の悩 みを調伏して、川身体について身体を観察し、熱心 に、正しく知り、思念をもって住する。山世間の貧 一 三 七 百 円 ︶ 5 欲による心の悩みを調伏して、感受について感受を 観察し、熱心に、正しく知り、思念をもって住する。 川世間の貧欲による心の悩みを調伏して、心につい て心を観察し、熱心に正しく知り、思念を持って住 する。凶世間の貧欲による心の悩みを調伏して、法 について法を観察し、熱心に、正しく知り、思念を も っ て 住 す る 。 ︵ 向 上 ︶ ここに書かれている文章字体は、分かりそうな感じが するのですが、実はよく分からないところも残っており ます。具体的に何をしていたかということをしっかり考 えていきますと、もう少し注意深く読んでいかなければ ならないところがあると思います。同じ経典の次の箇所 で は 、 比E
は森に行き、あるいは樹のもとに行き、あるい は空屋に行き、脚を組んで坐り、身体をまっすぐに して面前に思念を生起させて坐る。彼は思念をそな えたまま入息し、思念をそなえて出息する。あるい は長く入息しつつ﹁私は長く入息している﹂と知り、 あるいは長く出息しつつ﹁私は長く出息している﹂ と知る。あるいは短く入息しつつ﹁私は短く入息し ている﹂と知り、あるいは短く出息しつつ﹁私は短6 く出息している﹂と知る。︵﹃同﹄一一一一八頁︶ と、このように書かれていますので、長く息をしている 時に長く息をしているということを気付いて、知ってい ることになります。ただ問題は、文章で書かれています から言葉を使って知ることなのか、あるいは言葉を使わ ずに知ることなのか、という点が関心事項になります。 実は結構大事なところではないかと思います。また行住 坐臥を通して身体を観察するというのも出てまいります。 さらにまた比丘たちょ。比
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は行きつつ﹁私は行 く﹂と知る。あるいは立っていて﹁私は立ってい る﹂と知る。あるいは坐っていて﹁私は坐ってい る﹂と知る。あるいは寝ていて﹁私は寝ている﹂と 知る。あるいはまた彼の身体がそれぞれ置かれてい るその通りに、それぞれのそれを知る。このように 身体の内部に、身体について身体を観察して住し、 あるいは外部に身体について身体を観察して住し、 あるいは内部と外部から身体について身体を観察し て 住 す る 。 ︵ ﹃ 同 ﹄ 一 三 九 頁 ︶ このように出てきます。自らの身体を観察の対象にし てはいるのですが、身体の内部、あるいは外部に身体を 知るという記述もまたどのように理解をしたらいいのか 気になるところです。 四 身体を観る また、ここに出てくる﹁行きつつ﹃私は行くと知る﹂﹂ ですが、実際には歩いていることを知るということにな ります。どんな風に歩いていると知るのかと言いますと、 これは現在の上座仏教の中に伝わる修行法ですと、右 足・左足という風に、歩いている時に右足の方に心を寄 せて、左足が動いたら左足の方に心を振り向けていく、 というような感じで気づいています。しかし右足・左足 だけですと、すぐに慣れてしまい、心が飛んでいってし まうようになりますので、もう少し動作を細切れにしま して、足を上げてそして下ろす。その次にまた、逆の方 の足を上げて下ろす。動作を三つに切り、それを気付き の対象にしていきます。では、歩みを気付きの対象とし た時に、最終的にいくつぐらいに動作を分けているかと 言いますと、一番細かいのは六つにまで切っています。 腫を上げて、そして全体が上がって、前に足が出て、半 分降ろして、つま先が下りて、それから腫が下りる。同 じように腫が上がって、日比全体が上がって、前に出て、 そしてつま先が下りて、腫が下りる。歩く動作ですが、これを非常に細切れにしながら全部気付きの対象、心を 振り向ける対象にするということが今に伝わっておりま す 。 釈尊の教えを信仰すること そのような視点から見ていきますと、立っている時に は、実は自分が立っている姿勢を気付きの対象にしてい ます。実際には、言葉を使うパターンと使わないパター ンと両方が存在していると思います。一言葉を使わない方 が究極と言うのでしょうか、大事な方になるのかと思い ます。このように考えてみますと、私たちの様々な動作 は全て心を振り向ける対象になります。例えば、手を挙 げる時には、手を挙げつつあることを気付きの対象にす ることができます。何かをかき回している時には、かき 回していることに気付きの心を振り向かせる対象にする ことができます。何かを飲んでいる時には、飲んでいる ことを気付きの対象にすることができます。 かき回して、持ち上げて、飲むと言、っと、何かを想定 なさると思いますが、その通りです。お茶の作法の中に わび茶というものがありますね。その開祖と言われる村 田珠光が一休宗純に教えを乞うた時に、禅の修行はお茶 の作法にも適用できると言われました。そしてその時に 教わったことが、お茶の様々な作法をすべて気付きの対 7 象にしていくということであり、お茶の作法が禅の修行 にもなるということでした。それによく表れております ように、私たちの身体的な動きは、すべて観察の対象と して使うことができます。ここの記述ではその自分の身 体の内部のことにも、外部のことにも、心を振り向けら れると出てくるのであります。次の記述も今申し上げた ところに関わるところであります。 そしてさらに比
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たちょ、比正は前に進むにも、後 に退くにも正しく知るものである。前を見たときも、 あたりを視た時も、正しく知るものである。身を曲 げたときも、のばした時も、正しく知るものである。 大衣、鉢、衣を携えるときも正しく知るものである。 食べたとき、飲んだとき、噛んで呑んだ身を曲げた ときも、味わったときにも、正しく知るものである。 大小便をするときも正しく知るものである。行き、 立ち、坐り、眠り、不眠を行い、しゃべり、黙って い る 時 も 正 し く 知 る も の で あ る 。 ︵ ﹃ 同 ﹄ 一 一 一 一 九 貰 ︶ 行住坐臥から様々な動作まで、全てを気付きの対象にす ることができると述べているわけであります。それ以外 に、法を知るというところを引用させていただきました。8 五 法を観察する これは法念処の最後の部分でありますが、﹁比丘たち ょ。どのようにして比丘たちは諸々の法について法を観 察して住するのか﹂とあります。この法という内容が、 実は五葦という名前で呼ばれる心の働きであることが多 いようです。私の内部に欲望指向がある時、私の内部に 眠りがある時、内部にうつ気と眠気がある時、あるいは 浮わっきと後悔がある時、心の浮わっきと後悔がある時、 あるいは内部に疑いがある時、そのような時に、そのよ うに知るということが法について知るということだと出 て ま い り ま す 。 それからもう一つ法の内容としてよく出されるのは、 五殖について観察することです。五菰というのは、色 ︵
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︶。色とは姿・形のあるものが色ですが、その色 の生滅を知る。次には感受︵︿E
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︶ 0 これは苦という 感受、あるいは楽という感受、それから苦でもなければ 楽でもない感受と出てきます。そのような感受があるこ とを知る。あるいは、想念︵印EE
︶、あるいは作りなそ うとする意志︵行g
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、そのような心の働きがあり ますが、それを知る。これらが、五誼であり、法という 範障に含められて出てきています。 その法を知るというところに関わってくることですが、 呼吸の観察から出てくることが多いように思います。-'-,
、
呼吸の観察 入息出息念S
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︶と言われる、入る息、出る 息を観察するというものが存在しています。生滅を繰り 返しているものを業処とするとレジュメに書きましたが、 業処というのは、心を振り向ける対象になっているもの であります。ですから、呼吸が業処になって、それを気 付きの対象にしているのです。入る息に入ると気付き、 出る息に出ると気付く。心を振り向けていく、注意を向 けていく、と言うことができると思います。工夫と言っ てもいいと思いますが、結びつける対象は身・受・心・ 法という四つの範騰に分かれています。様々なものが心 を結びつける対象として登場します。原始仏典の中では、 かなり多くのものが心を結びつける対象として使われて いたようです。その心を結びつける、心を振り向けると いうことを象徴的に表す比喰が登場します。それが﹁猿 をひもで杭に結びつける﹂というものです。 猿は面白い習性を持っており、とにかく一年中動き回釈尊の教えを信仰すること っています。皆さんも猿山の猿を見たことがあると思い ますが、とにかくいつでも動き回っています。そのお猿 さんを、捕まえてひもを首に着けて縛って、杭に結びつ けておきますと、お猿さん、最初は大変に暴れるのです が、やがて大人しくなっていきます。これが私たちの心 と同じだというのです。これは警えとしてよく使われま す。心も猿のようなもので、猿はひもで何かに結びつけ ると静かになりますので、同じように心に生じてくる働 きを、ひもで結びつけるか如くに対象化して捕まえてい く。そのことを、心を振り向けるとか注意を向けると言 っていいと思います。まずは心を何かに結びつけると、 次第に心が静かになっていくという訳であります。しか し、なぜそのように心が静かになっていくかは、実は説 明がつきません。体験的に、インドでお釈迦さん以前か ら体験的に知られていたことだと思います。そして仏教 の中では、心の働きを静めていく心の観察法が、止とい う名前で呼ばれるようになっていきます。さらにこれは 阿含の中というよりも、もう少し新しい論書になってか らの方が正解なのかもしれませんが、止と観という、一一 つのタイプに修行法が分けられるようになっていきます。 9 七 止と観の特徴 有名な﹃清浄道論﹄という資料の中には、心を結びつ ける対象を、四十種類に分類すると出てきます。十遍 処・十不浄・十随念・四党住・回無色禅・食に対する嫌 悪の観念・四大に対する分析が挙げられております。こ れを数えると全部で四十になります。そして、心の働き を静めていく時には、心を結びつける対象は常に一つの ものに限定されていると考えられます。止の場合、心を 結びつける対象は常に一つであり、心がどこかよそに飛 んでしまった時には、それに気付いて、またもとの気付 き続けていた対象に戻ることが特徴です。そのような方 向で観察を続けていくと、心の働きがどんどん静かにな り、最終的には禅定から滅尽定と言われる境地へと入っ て い き ま す 。 一方、観の特徴は、心が起こしている反応をなるべく 多く気付くような方向にいきます。心を一つの対象に結 びつけているという点では止と同じですが、目的の方向 性はどうも一一つに分かれているように思われます。ある ところで智慧が生じてくる、そのような時、それは観で あるというような言い方が出てきます。また、認識の構
10 造に気付いて、次なる心の反応を起こさない方向への観 察が、観という名前で呼ばれているようです。 私は愛知学院大学でしばらくの問、教鞭を取っており ましたが、お亡くなりになられました前田恵墜先生には 大変お世話になりました。当時、前回先生の元には、東 南アジアの若手研究者や仏教者が、学生としてやって来 ておりました。その中の一人に、バングラデシュのお坊 さんで、ギヤナ・ラトナさんという方がおられました。 彼は学位論文が終わった後、学術振興会の外国人特別研 究員として日本にもうしばらく居て勉強したいと言われ たそうで、ある日、前回先生から私の研究室に﹁蓑輪君、 蓑輪君。ちょっと書類を見てあげてほしいんだけど﹂と、 内線電話がかかってきました。私も二つ返事で、﹁先生 何の書類ですか﹂と聞きましたら、﹁留学生の書類なん だけど﹂と言われました。電話の向こうでニコニコ笑っ ているような感じの雰囲気がありました。すぐ本人が申 請書類を持って来ました。その書類を見始めましたら、 その受け入れの教員欄に、なぜか蓑輪顕量と書いてあり まして、それで実はちょっとびっくりして、﹁先生私受 け入れ教員なんですか::﹂と内線電話をかけて聞いた ら、﹁いや、申し訳ないね。ちょっと頼むよ﹂と一言われ ました。それがご縁になりまして、ギャナさんと修行道 に関わる資料を一緒に読むことになりまして、それから 定の世界に強い関心を持つようになりました。 さて、一番基本の入息出息観の実際というのは、入っ てくる空気の流れみたいなものを入るというように、言 葉を使って捕まえていくこともあれば、言葉を使わない で心を振り向けていく場合もあります。息はすぐ入った ら入りっぱなしではなくて、出る息に取って代わられま すから、それを出るというように一言葉を使って捕える、 あるいは心をそこに振り向けて捕まえます。単純にそれ だけのことをずっとやっていきます。そうしますと入る 息と捕まえている心の働き、これが一つのセットになっ て生じていると分かるようになってきます。捕まえられ ている方は色︵円右印︶で、捕まえている心の働きが名 ︵
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自由︶と呼ばれます。最初は何も細かい説明をせずに 心を観察しなさいと言われ、ただ言われたとおり、入っ てくるものを入る、出るものを出るというように気付い ているだけですが、ある瞬間に一つの行為と思っていた ものが、二つに分離される瞬間が訪れます。これが名と 色とに分けられた瞬間だと言われおり、名色の分離智と 呼ばれています。ここに初めて智慧が生起する、 つ ま り釈尊の教えを信仰すること 心の観察をしていて、特に入息出息という簡単なもので すけども、繰り返し気付き続けている時に、心の中に捕 まえられている対象としての何か風の動きのようなもの と、それを捕まえている心の働きがあるのだなというよ うな思いが生じてきた瞬間、それは名と色に分離され、 それを知る智慧が生じたと言うことができます。それが 名色の分離智の生じた瞬間ということのようです。やが て相分と見分という言い方が後の仏教の中で使われます けども、捕まえられている色の方が
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白で、捕まえ ている心の働きがm
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になると思います。そこで 見えてくるものは、セットになったものが短い間に生じ、 滅しているということだと思います。そこから永遠では ない、無常である、それは好ましいものではない、苦で ある。自分の思い通りにならないから無我であるという、 無常であり、苦であり、無我であるという自覚が生じて き ま す 。 11 つまり原始仏教の段階で言われている、無常であり、 苦であり、無我であるという自覚は、実は修行の観察の 中から生じてきたものと捉えることができると思います。 生滅を繰り返しているものを見てみますと、縁起の基本 的な考え方に接することにもなります。つまり前の捕ま えられるものが生じたときに、後の捕まえる心の働きが 生じている。捕まえられる対象としての色が生じたとき に、捕まえている心の働きが生じる。前の捕まえられる ものが滅した時に、後の捕まえる心の働きも滅している。 色が先に生じ、その後に名が生じてきている。色が生じ、 名が生じ、同じように色が滅すると名も滅していく。そ のような名と色の関係が、縁起の一番基本的な関係と同 じものを示しているのではないかと思います。 ﹁此れある時、彼あり。此れ滅する時、彼減す﹂とい うような普遍的な言い方になっていきます。この言い方 は、十二支縁起が出てくる時に使われる表現です。実は、 心の観察で名と色に分離される、その関係性でも同じよ う に 一 言 守 え る も の で は な い か と 思 い ま す 。 )¥ 観のめざしたもの 先ほどの観察の対象に戻りますと、身︵E3
︶ ・ 受 ︵ ︿ 包B
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︶ ・ 心 ︵E
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︶ ・ 法 ︵ 仏E55
白︶という四つの範曙 のものを、同じように捕まえる対象として見ていくこと ができます。その内の一つの感覚の観察、受の観察であ りますが、楽であるとか苦であるというのがあり、それ が受であると言われますが、人聞が外界を受け止めてい12 る時の受容機能というところからも同じように説明でき る よ う に 思 い ま す 。 私たちの受容器官は、六根という名前で呼ばれます。 眼・耳・鼻・舌・身・︵意︶です。六根・六境・六識と いう言葉を仏教の基礎としてよく習うと思いますが、眼 によって物を見ている時に、それは対象として形あるも のがあり、それを私たちが捕まえて見ている訳です。そ の時に心を振り向けるということがどういうことかと言 うと、見ていること自体に心を振り向けていくことにな ります。なかなかに難しいですが、見ていると気付くと 言ってもいいかもしれません。音の方が説明しやすいか もしれないですね。音の場合は、私たちは音を聞きます。 それを聞いていると気付くことができるかどうかですが、 実は私たちは馴染みになった心の反応パターンがありま す。音を聞いた時にも、瞬時に判断・了別の心が起きま す。どんな音かをすぐに判断します。外で何か音が聞こ えてきたら﹁あっ、車の音だ﹂とか、ヵ
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ン カl
ン と い う音が聞こえたら﹁あっ、鐘の音だ﹂とか、ベルの音だ とか、音を聞いた瞬間に私たちは、過去の記憶や体験が 働き出して、その音が何であるかという判断・了別をす ぐに起こしてしまいます。ですから、六根・六境に気付 くというのは、その判断・了別が生じる前の段階で気付 くことをめざしていると言っていいと思います。 音が入つできたらその音だけを、何の音だということ を起こさないで聞くようにしていく。同じように味や香 りや身体の触れている感覚など、判断・了別を起こさな いで気付いていく。そこに心を振り向けていくという練 習ができるのだと思います。 私たちの日常は、外界の刺激を受け止めて、受け止め た情報をイメージとして形作り、そしてその形作られた イメージに対して、何々であると判断しています。私た ちは外の刺激を受けた時に、何らかの認識の対象になる ものが心の中に描かれ、それに対して、これは何々だと いう判断を起こしているのです。これが意識化されるこ とは、普通の状態ではまずありません。それを意識化し ていくのが、観という名前で呼ばれる修行法だと言って いいと思います。実際には、色・受・想・行・識とあり ます。行と想は仏典の中では、順番が逆になっている場 合も結構あるようですが。色・受・想・行・識と連続し て起きる心の反応があり、それによって私たちの日常が 成り立っています。ところがその日常の反応を、心を何 かに振り向けるという練習をすることによって、途中で釈尊の教えを信仰すること 止めることができるように変わっていくと考えられます。 実際には想・識のところまで起きるのが普通です。どん な例が一番分かりゃすいかと言いますと、接触感覚とい うのが分かりゃすいと思います。例えば、道を歩いてい て、肩と肩がぶつかった時、皆さんはどうしますか。ぶ つかったら思わず、﹁どこ向いて歩いてんのよっ﹂とい うように怒りの気持ちが生じてくる瞬間湯沸器的な方は、 あまりいらっしゃらないと思いますけども、中にはそう いう体験や、思わず嫌な思いと怒りの思いが生じたとい う方もいらっしゃるかと思います。ところがよく考えて みますと、私たちの肩がぶつかった時に、最初に肩が感 じているものは何かと言いますと、接触感覚のはずです。 それに今度は判断・了別が加わると、例えば痛みであり ましょう。痛みというのも一つの判断だと思います。で すから触れている感覚の上にその痛みが生じてくる。で もその痛いということを、心を振り向ける対象として捕 まえることができるようになってくると、やがて前に起 こしていたような悲りの気持ちを起こさなくて済むよう に な っ て き ま す 。 では、全ての知覚に心を振り向けていくとどうなるで しょうか。実際に、観の練習の中では全ての知覚に心を 13 振り向けていくことが行われるようになっていきます。 心は忙しくなりますが、知覚している働きに一つずつ全 て気付く、心を全部振り向けるような感じです。これが 観の特徴ではないかと思います。今、上座仏教の中で行 われている観の観察では、最初は入息出息から入ってい ます。入息出息の後は、体の姿勢を気付くということを やります。今皆さん椅子に座っていますから、自分の体 が椅子に座っている形であることを気付きの対象にする ことができます。入るというのを入ると気付き、出てい くのを出ると気付いたら、その後に座っているというの を気付きの対象にします。これが慣れできたら、今度は それにもう一つ増やしていきます。何を増やすかと言い ますと、皆さんは今、椅子に座っていますから、お尻が 座面に触れている感覚分かりますか。おそらく皆さん分 かると思います。その時には今度は入る、出る、座って いる、触れているというように気付きの対象をもう一個 増やしていきます。それがいくらでも増えていくような 感じになります。気付きの対象を増やしていくというと ころに、観の特徴があるようです。これをしていきます と、心の方は具体的に自分の身体が受け止めている感覚 を、感覚のままに気付いて、受け止められるようになっ
14 ていきます。この時に言葉を介さないで気付くというこ とが大事な点だと思います。では、そのようなことをし ていくと、何が可能になってくるのでしょうか。それは 何を目的にしているかということでもありますね。 九 無分別の智 仏典には、四苦八苦から逃れるということが出てきま す。心に生じる様々な煩悩、心の一連の反応の結果、つ まりは外界の刺激を受け止めて、判断・了別が生じ、次 の感情という心が生じるのが、私たちの心に生じる反応 だと思います。悩み苦しみというものが、私たちの心が 生じさせた心の働きに他ならないということを自らのも のとして、きちんと気付いていくことになるのだと思い ます。そこから脱却することが最終的には目指されてい ま す 。 つまり、観によって目指しているものは、判断・了別 の﹁識﹂が生じない認識を体験させることだと思います。 つまり、眼識や耳識のみの認識の世界。どういうことか と言うと、音を聞いても、その音がただその音としてだ け聞かれている状態です。つまりこの音がドの音だとか、 レの音だとか、あるいは何か言葉があっても、その言葉 の意味が生じていない状態です。でも私たちは、日本語 を長いこと習っていますから、実際には、必ず意味が伴 なってしまいます。しかし、日本語として理解するので はなくて、ただ単に音として聞くということができるよ うな状況ができてきます。これがいわゆる無分別の世界 だと言っていいと思います。眼識の場合の無分別の世界 は、私たちが見た世界ですけれども、色と形だけが見え た世界だというのが、唯識で言われる説明です。色と形 だけが見える世界だと言われます。つまり区別がない。 全部が一体化して見えていて、ただ色と形だけが見えて いる世界、これが無分別の境地の時に見えている世界だ と説明されます。その時に私たちの心に大きな変化が起 きるようです。つまり、色と形だけが見えている世界と いうのは、一つ一つの領域の区別が無いそうですから、 領域の区別が無いというのは、あらゆるものが一体化し ている、つまり、自他の繋がりが感覚的に実感される世 界のようです。それは別の言葉を使って言えば、他者と 私の無区別性と言っていいかもしれません。自分と他者 が、全く違う存在ではないものとして、感覚的に捕まえ られる。それは、自己中心性を離れた世界だと言っても いいと思います。自己を中心として考えるのが私たちの
日常の生活ですが、それが無くなり、他者、すなわち社 会に対する慈しみゃ憐みの気持ちが自然と生じてくる状 態になるのだと思います。ある日本のお坊さんは、他者 に対する優しさを届けられる人間になることだと説明し ておられました。ですから、それまでの社会の中に存在 した私自身の在り様に変化が生じてくることになるのだ と思います。では次に、実際にそのような止や観の修行 方法が、伝統的な日本仏教の中に見つけ出すことができ るという視点から、お話をしたいと思います。 十 東アジア世界の受客 釈尊の教えを信仰すること 止の膜想の典型の一つに念仏があります。念仏という のは一般に﹁南無阿弥陀仏﹂と称えることですけれども、 観想の念仏も称名の念仏も基本的には、心の働きを静め ていく止のために使われてきておりました。比叡山にお ける称名念仏の伝統を見ましでも、基本的に修行の一つ として行われており、心の働きを静めていく方向性で使 われています。また、常行三味の中に念仏が取り入れら れますが、日本では円仁の時に、五台山の念仏がその常 行三味の中に持ち込まれたと言われております。そして 不断念仏の道場として、常行三味堂が比叡山の中に作ら 15 れます。その念仏が大きな展開を見せるのは、中世の時 代です。法然上人や親驚聖人の時に、念仏の流れの上で 大転換が起きます。何があったかと言いますと、行とし ての念仏から信としての念仏、真宗の場合では感謝とい う言い方がありますけども、感謝の意味に変わっていき ます。しかし、念仏とは元々、日蓮宗のお題目の様に短 い言葉を繰り返し称えることであり、基本的には比叡山 で行われた常行コ一味の伝統を継承していると推定してい いのではないかと思います。 念仏が修行の一貫として考えられていたということは、 永観によって書かれた﹃往生拾因﹄でよく確認できます。 永観は恵心僧都源信と法然房源空のちょうど聞に、奈良 の東大寺を中心に活躍されたお坊さんですが、その永観 がお書きになった資料が﹁住生拾因﹄です。﹁往生拾因﹄ は﹁往生要集﹄と﹃選択本願念仏集﹄の中間に存在する 浄土に関する諭書だと言われています。そこに、念仏は ﹁一二昧発得の故に﹂往生することができるという言い方 が 出 て き ま す 。 念々相次ぎて、余心の雑じること無く、 を念じ、或いは仏智を念じ::: 或いは法身 ︵ ﹃ 浄 土 宗 全 書 ﹄ 十 五 、 一 二 八 五 上 ︶
16 と出てきます。余心の雑じることが無いとありますから、 他の気持ちが生じないで、一つのものに集中することが できる。それが念仏によって可能ですよ、と述べていま す。もう一つ興味深い資料は、中世の興福寺の貞慶がお 書きになられた﹃解脱上人小章集﹂という資料です。 坐禅の作法はその文章や解釈が多い。また口伝の疑 いのあるようなものはその儀に及ばない。︵中略︶ 小僧などがその作法を質問するので、とてもよく議 論することであり、それについて示すことが出来な ければ、面目を失ってしまう。︵鈴木学術財団版﹃日 本 大 蔵 経 ﹄ 六 四 、 一 八 下 、 以 下 、 鈴 木 ﹃ 日 蔵 ﹄ と 略 す ︶ と出てきます。中世興福寺では、行に関することがかな り議論されていた形跡があります。また、同じく貞慶が お書きになられた資料である﹃修行要紗﹄の中に、 質問する。出離の要道はどのようなものか。答える。 自宗の意はただ唯識観にあるのみだ。︵中略︶ここ に慈尊︵弥勅︶の教授の績がある︵慈尊が無着に授 けた︶。その源は、釈尊が慈尊に授けた大義である。 ︵ 鈴 木 ﹃ 日 蔵 ﹄ 六 回 、 一 九 上 ︶ と出てきます。そしてその後半の記述に、 彼の文について、いささか自分の心を懸けるに及ぶ ものはない。たとえ自分の智慧や理解が拙いといっ ても、口に聖言を唱えて心にその理を思えば、滅罪 生善、出離得脱は、ついには決してむなしくはない。 質問する。その教授の煩とは何か。答える。頒に次 の よ う に あ る 。 主口薩於定位観影唯是心義想既滅除審観唯自 想 如 是 住 内 心 知 所 取 非 有 次 能 取 亦 無 後 触 無所得 以上、二行八匂があるけれども広く尽くしがたい。 ただ﹁観影唯是心﹂の一句を請するのがよい。念仏 者が悌号を請するようにこれを崇め重んじ、これを 練 習 す る 。 ︵ ﹃ 同 ﹄ 六 四 、 一 九 上 ︶ とあります。なんと南無阿弥陀仏と称える代わりに、法 相宗では観影唯是心と称えてもいいと言っている人たち がおり、それが実践されたと思われるのです。そんな風 に考えていきますと、今まで述べた例は、心の働きを静 めていく止の例であるかと思います。 十 禅宗の主張 ところが観の膜想に関わると思われる記述も、禅宗の お坊さんたちの書いた資料の中に確認することができま
釈尊の教えを信仰すること す 。 大覚禅師というのは蘭渓道隆のことですが、この蘭渓 道隆の書いた﹁大覚禅師坐禅論﹄の中に、次のような記 述が見 h え ま す 無 心 と は 一 切 愚 痴 の 心 無 き を 一 言 、 っ 。 邪 正 を 弁 じ る 底 の心なきを言、つには非ず。︵中略︶一切の善悪につ い て 、 差 別 の 念 を 起 こ さ 、 ざ る を 無 心 の 道 人 と い う 。 ︵中略︶色を見、声を聞き、香を嘆ぎ、味を嘗め、 触を覚え、法を知るは、六根の徳用なり。此の境界 について、善悪を分ち、邪正を簿、ずる底は智慧なり。 此に置いて人我を立し、愛憎を起こすは皆、妄見な り 。 ︵ ﹁ 国 訳 禅 宗 全 書 ﹄ 一 二 、 五 八 三 頁 ︶ と述べられています。この記述は六根によって様々な判 断・了別を起こすのは、智慧だと言っています。しかし、 その先に﹁人我を立し、愛憎を起こすは皆、妄見なり﹂ と言います。つまり、私たちは外界の刺激を受け止める ところまでは良いのですが、それをきっかけにして、愛 憎を起こして人我を立ててしまうと、それは迷いなんだ よ と 一 言 っ て い ま す 。 道元上人の﹃正法眼蔵﹄の中に出てくる現成公案の有 名な﹁己を忘るるとは万法に証せられるなり﹂というよ 17 うな記述も、観の文脈で読めば、そのような読み方もで きるのではないかと思います。 さらに興味深いのは法相宗のお坊さんの良遍という方 が 、 ﹁ 真 心 要 決 ﹄ の 中 で 、 ﹁ 見 る と 難 も 見 、 ざ る が 如 く 、 聞 くと難も聞かざるが如し。見るに任せ聞くに任せ分別を 挙げず﹂という一言葉を残しています。これは明らかに外 界の刺激を受け止めても、これは何々だと見ていないし、 判断していない、境地を表わしています。この音は、車 の音だ、鐘の音だなんていうような判断を起こさずに聞 くというようなことを予想させてくれます。 また、江戸時代の有名な禅宗のお坊さんである盤渓永 琢という方も同じようなことを言っております。無心に 一心に聞いている時には大丈夫だけれども、それは不生 の仏心で聞くということだ、と言っています。そして、 次のような表現をされます。 この座には一人も九夫はござらぬが、もしこの座を 立たしゃって、敷居一つ越えて、人がひょっと行き 当たるか、又、後ろから突き倒すか、或いは宿へ帰 りて、子供でも下男下女でもあれ、我が気に入らぬ ことを、見るか聞くかすれば、早それに頓着して、 顔に血を上げて、身の最民放に迷うて、つい仏心を
18 修羅にしかえまする。︵﹁盤渓禅師法語集﹄五頁︶ 普通に聞いているところまでは仏心ですが、何かきっ かけがあって、その先に心が進んでしまうと怒りの気持 ちなどが起きてくるというようなことを言っております。 このように考えていきますと、私たちは六根によって 外の刺激を受け止めているのですが、それに対して受け 止めるだけではなくて、その先にいつも進んでしまって い る の だ と 思 い ま す 。 十 絶対他力との関わり それをどう越えていくかというところで、実は浄土真 宗さんの絶対他力、阿弥陀の本願力を信じるというのも、 そこに関わっていくことが可能ではないかと思われます。 次の文章に行きましょう。 仏智不思議と信ずべき事御文くわしくうけたまわ り候ひぬ。:::仏智不思議と信ぜさせたまひ候ひな ば、別にわずらはしく、とかくの御はからひあるべ からず候ふ。ただひとびとのとかく申し候はんこと をば、ご不審あるべからず候ふ。ただ如来の誓願に まかせてまゐらせたまふベく候ふ。とかくの御はか らひあるべからず候ふなり。あなかしこ、あなかし 、 ー , 0 ︵ ﹃ 親 驚 聖 人 御 消 息 二 四 ﹄ 、 ﹃ 浄 土 真 宗 聖 典 ﹄ 七 八 二 頁 ︶ 江戸時代の妙好人の言葉に、﹁何事もあなた任せの南 無阿弥陀仏﹂とありますが、何事も阿弥陀様のおはから いと思い、真正面から受け止めていくということを述べ ています。そのように考えていきますと、外界の刺激を そのまま受け止めていく、あらゆる物事を阿弥陀様のお はからいだと考えて素直に受け止めていく。その先に心 を起こさないということになれば、阿弥陀の本願力を信 じるということは、仏教が目指していた修行の結果とし て生じてくる境地にかなり近いと言うことができるので はないでしょうか。 十 おわりに 最後の慈悲の教えというのは、メッタ
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タ ︵ ζ 2 15
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け 片 山 ︶ と い う 資 料 の 中 か ら 出 し て き た も の で す 。 生きとし生けるものはいかなるものでも、か弱きも のでも屈強なものでも、長いもの、大きいもの、中 くらいのもの、短いものでも、小さきものも太き ︵丸い︶ものでも、︵目で︶見えるものでも、見え ないものでも、遠きに住むものでも、近くに住むも釈尊の教えを信仰すること すでに生まれたものでも、これから生まれ ようとするものでも、一切の生きとし生けるものは、 安楽であれ。誰であれ他人を欺いてはならない。何 処にあろうとも他者を軽んじてはならない。敵意や 怒りの想いをもって、互いに他人に苦しみを与える ことは望んではならない。 あたかも母親が己が一人子を命を賭しても護るよ うに、そのように一切の生きとし生けるものに対し てもまた、無量の︵慈しみの︶心を起こせ。すべて の世界に対して、上に、下に、また横に。障碍なく、 恨みなく、敵意なき、慈しみの心を起こせ。立ちつ つも、歩みつつも、坐しつつも、臥しつつも、眠ら ないでいる限りは、この︵慈しみの︶念いをたもて。 これが党住︵崇高なる境地︶である、と言われる。 ︵ 真 言 宗 泉 涌 寺 派 大 本 山 法 楽 寺 H P ︶ このように出てきます。つまり、初期の段階から他者 を非常に意識していたと考えていいのではないかと思い ます。それが修行の結果として、実現できる境地として 考えていたのではないでしょうか。 宗教が社会の中に生きる人々に価値を提供しているの ではないかと思います。はからいのない境地というのは、 の で も 、 19 なにごともありのままに受け止めていることです。それ は観の目指した世界と共通します。そこに悩み苦しみが 生じない世界が開けてきます。止や観の行が目指した世 界は、判断・了別の生じない認識を体験し、その時に生 じる世界観の転換にありました。また、それは、日常の 次元では、ものごとをあるがままに、その通りに受け止 めることでした。親驚聖人の教えも、阿弥陀様の本願を 信じることで、自己のはからいをなくするものでありま したが、それは言葉を変えれば、あらゆるものを、ある がままに、その通りに受け止めることではなかったでし ょうか。止観の修行が目指した世界が、浄土の教えの中 に、ほほ同じく生きていると考えることもできるのでは ないかと思います。ここに一人一人の人聞を通して社会 との関わりがあるように思います。ご清聴ありがとうご ざ い ま し た 。
20 講 演 二
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一 四 年 度 真宗大谷派教学大会われわれに如是我聞が成り立つか
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釈 尊 に と っ て の ぽ 仰 と 社 会 タ | | 本大会のテl
マ﹁信仰と社会﹂に対して、私に依頼さ れた課題は、釈尊にとっての。信仰と社会。ということ を考えて見よ、ということでありました。 これはなかなか難しい問題だと思う。現代の社会がも っている問題は、釈尊が生きられた古代の社会とは、問 題の質をまったく異にしているでしょう。同じ人間であ る、あるいは社会的に生きるという意味では同じであり ますが、簡単に同一にできない問題があると思う。いわ ば現代において見られる社会的な苦しみというものがあ る 。 また、釈尊にとっての信仰とは何であるのか。そして 現代を生きている私たちにとっての信仰をどう考えれば宮
下
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いいか。私はこれまで、このような信仰の問題を、主要 な テl
マとして考えてきたが、それと社会の問題がうま くつながるかどうか。 これは、もう一度、釈尊にお会いしてお聞きしなけれ ばならないほど大きな課題ではないかと思いまして、 ﹁われわれに如是我聞が成り立つのか﹂という大きな テl
マ に し ま し た 。 それでまず、社会の問題を厳密に区別せず、人間とは 社会的に生きるものであるということにして、釈尊が社 会に対してどのような関わりをもったのかを考えてみよ うと思います。そして用います文献資料も、古いと考え られているパl
リ語で伝承されたものを中心とします。われわれに如是我聞が成り立っか 私たちは仏教の歴史のなかに、先師祖師たちはどのよ うに考えていたのかと種々の問題をたずねます。そして 特に﹁釈尊の場合はどうだつたんだろうか﹂という問い かけが必ず起こってきます。仏教徒として仏陀釈尊を仰 ぐ私たちにとっては当然の問いであります。 しかし実は、釈尊といいましでも、﹁大無量寿経﹄を お説きになった釈尊もおられますし、﹁般若経﹄をお説 きになった釈尊もおられます。もちろん阿含経の種々の 教説をお説きになった釈尊もおられます。 今回私に考えて見よとご下命をくださった先生は、当 然、阿合経の釈尊のことを念頭においてご依頼くださっ たに違いありません。そこに一番古い釈尊の伝承がある というのは、常識であります。 しかし、そこにもう少し考えておくべき問題があるの ではないかと思います。﹃阿合経﹄において種々の教説 を説かれる釈尊、あるいは大乗仏教の﹃大無量寿経﹄を お説きになる釈尊、そういう釈尊を、われわれはどうと らえるのかということがあります。ここに﹁われわれに 如是我聞が成り立つか﹂とかかげましたが、釈尊を仏陀 と仰ぐ信仰の問題に関わる問題であり、釈尊観という問 題に関わってくることであります。 21 まずは、釈尊が社会にどのように関わったといえるの かを古い資料の中に見ていき、どういうことが考えられ るかを検討した後で、改めて釈尊観という問題を時間の 許す限り取りあげてみたいと思います。 デ
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ヴァダツタの破僧事件 社会ということを少しだけ厳密に言いますと、私たち が何らかの人々の集まりの中に所属する。それが高い地 位であれ低い地位であれ、ともかくそこに一つの位置を 占めることによって、喜びゃ憎しみを引き起こすような 社会関係というものがそこに発生する。つまり、そこに 私たちがいるということだけで、そのことで一つのポス トを占めることになる。それが社会的存在だということ を 意 味 す る 。 釈尊の場合でも、一人の人間として社会的に生きると いう視点で切り出せば、そのようなことがあったわけで しょう。そして、釈尊にとってのそういう一つの社会、 集まりに所属するという意味での社会とは、第一に出家 者たちによる僧伽であり、それが最も身近にあった社会 だ と 一 言 え ま す 。 そこで、社会的にあるという視点で切り出してみると、22 釈尊もまた一人の社会的人間である。このように見られ たとき、すなわち一つのポストを占めた人として見られ るということがあったときに、事件が起きているわけで す 。 それは、デ
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ヴアダツタの破僧︵E
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︶の事 件です。これは、仏教僧伽にとっても、釈尊にとっても、 きわめて大きい問題でした。簡単に言ってしまえば、 デ l ヴアダツタは利得と尊敬と名声に圧倒され、心が占 有され、釈尊に代わって自分が比丘僧伽を導きたいと思 った。そこからこの事件が起きたわけです。 こ の デ l ヴアダツタの破僧の事件を伝えているものに、 パ l リの律や他にもありますが、今回はパ l リの律によ って紹介していきます。 パ l リ律の小品︵P
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詰日︶の中に﹁破僧﹂という ︵I ︶ 章があり、そこに伝えられています。デ l ヴアダツタが 誰かの信頼を得て、利得と尊敬もっと得たいと思います。 そこでアジャ l タサットウ︵阿閣世︶王子に取り入りま す。アジャ1
タサットゥの前で神通力を示して、小さな 子供の姿に変わって彼を驚かし、力を一不すのです。そし てこのように伝えられています。 そこで、アジャ l タ サ ッ ト ゥ 王 子 は 、 デ l ヴアダツ タのこのような神変によって、信頼を生じ、五百台 の車で、朝晩、お仕えしに行き、また五百の皿に盛 った食事を差しだした。そこで、デ1
ヴ ア ダ ツ タ は 、 利得と尊敬と名声に、圧倒され、心が占有されて、 このような欲望が生じた。私は比正僧伽を導こう、 と ︵ 白E
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︶ 。 そ の 心 が 生ずるやいなや、デ1
ヴアダツタは、その神通を失 ︵2 ︶ っ た 。 ア ジ ャ l タサットゥによる、デ l ヴアダツタへの供養 が続けられて、仲間の比正たちにも聞こえてきます。そ こでそのことを釈尊に報告するのです。釈尊は、比丘た ちに向かって、﹁デ l ヴアダツタの利得と尊敬と名声を 羨んではならない。アジャ l タサットゥ王子が供養すれ ば、それだけデI
ヴアダツタの諸善法に対する希求は減 少していく。彼の利得と尊敬と名声は、自己をそこない ︵ 3 ︶ 破滅を招くことになるだろう﹂と言っています。 ところが、みんなが集まって釈尊が法を説こうとして いるとき、そこにはたくさんの人たち、王様たちも同席 している、そのような場所でデ1
ヴアダツタは起ちあが って釈尊に向ってこのように言います。 尊師よ、いまや世尊は、年をとり、老いられ、高齢われわれに如是我聞が成り立つか で、人生の旅路の終わりにきておられます。尊師よ、 いまや世尊は、ゆっくりくつろいで、現法楽住にも っぱら住されて、私に比正僧伽をお譲りになるがい ︵ 4 ︶ ぃ。私が比丘僧伽を導きましょう。 釈尊は、﹁よしなさい、デ
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ヴアダツタよ。あなたが 比正僧伽を導こうなどとしない方がいい﹂と答えます。 ところが、デl
ヴアダツタは二度も三度も同じことを言 います。すると釈尊はこのように答えます。 デlヴアダツタよ、私はサ1
リ。フッタやモツガ! ラ1
ナにさえも比丘僧伽を譲っていない。まして六 年も唾を飲んだお前にどうして譲ろうか。 そこでデl
ヴアダツタは、﹁世尊は、玉たちのいる集 まりで、私を唾を飲むものという言葉で庇め、サl
リ プ ツタやモツガツラl
ナだけ褒めた﹂と怒り、不満をいだ き、世尊に挨拶し右回りをして立ち去った。そしてこれ が、デl
ヴアダツタの、世尊に最初に抱いた悪意であっ ︵ 5 ︶ た、とあります。 このような記事です。ここでは﹁六年も唾を飲んだ﹂ と言っていますから、六年の問、釈尊はご存知であった のです。よくご存じであったけれども、何も言われなか った。黙ってみておられたのだと推測されます。しかも、 23 その名聞利養の心は、やがて自己自身を破滅する心なの だということを見抜いておられたということでもありま す 。 デl
ヴアダツタは釈尊に、﹁私が比正僧伽を導きまし ょう﹂と言った。そして釈尊はそれを拒否されますが、 その後すぐに、釈尊は、今後はデl
ヴアダツタがいろい ろ言うかもしれないけれども、それはもはやデlヴアダ ツタ一人が考えていることであって、仏法僧がそのよう にみなしていることではないのだということを僧伽に向 って決定します。それをサl
リ 。 フ ッ タ が デl
ヴアダツタ に伝えます。その後、デ1
ヴアダツタは自分で新しい五 戒というものを作り出し、釈尊に提示しますが、釈尊は それも認められない。そこで、五OO
人の新参の比E
た ちを連れて自分たちだけで新しい僧伽を作ろうとします。 しかしそれもまたサl
リプツタやモツガラl
ナ に よ っ て 、 その五OO
人の比丘たちは連れ帰られます。最終的には どこでということは記されておりませんが、デl
ヴアダ ツタは地獄に落ちたということで、この記事は終わって い ま す 。 ここに取りあげましたような大きな事件に対して、釈 尊は、どのように考えられていたのか、デ1
ヴアダツタ24 の心をどのように見ておられたのかということが示され ているように思います。 自灯明法灯明 デ
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ヴアダツタが﹁私が比丘僧伽を導きましょう﹂と 語っている。その言葉に注目してみたいと思う。釈尊自 身は、比正僧伽に対してどのように考えておられたのか。 ﹃大般浬繋経﹄の中に、まったく同じ言葉があります。 自灯明法灯明の教説が説かれる直前のところです。 釈尊がベ1
ルパ村で安居しておられる時に、体調をく ずされて病気になる。しかしその時はしばらくして回復 されるのです。そこで、アl
ナンダはほっとするわけで す。ア 1 ナンダは、そのほっとした気持ちで釈尊に向っ てつぎのように白状します。﹁尊師よ、私は少し安堵し ています、世尊が比丘僧伽のためになにかを語られない 限りは、世尊は般浬繋されないであろうと思って﹂と。 すると釈尊は、﹁アl
ナンダよ、比正僧伽は私に何を期 待するのか。アl
ナンダよ、私は、内にも外にもなく法 を説き示した。アl
ナンダよ、如来には、諸法に対する 教師の握り拳はない﹂と語り、つづいてつぎのように言 っ て い ま す 。 ア1
ナンダよ、﹁私は比正僧伽を導こう﹂とか﹁比 丘僧伽は私に頼っている﹂とこのように思うものこ そが、比五僧伽のためになにかを語るでもあろう。 ア l ナンダよ、如来は、﹁私は比丘僧伽を導こう﹂ とか﹁比丘僧伽は私に頼っている﹂とこのように思 っていない。アl
ナンダよ、如来はいったい、比丘 ︵ 6 ︶ 僧伽のためになにを語るであろう。 そ し て 、 ﹁ アl
ナンダよ、いまや私は、年をとって、 老い、高齢で、人生の旅路の終わりにきている。私の年 は八十となった﹂と言っています。これは、デl
ヴアダ ツタが使ったのと同じフレーズです。同じ定形文があち らこちらに見られ、そういうところはまた同じようなこ とを問題にしている箇所でもあると言えます。﹁八十と なった﹂といわれているところです。後でもう一箇所取 り あ げ ま す 。 この直後に、白灯明法灯明の教説が説かれています。 それゆえにアl
ナンダよ、ここにあって、自らを 灯明とし、自らを依りどころとして、他に依らずに 住するがよい。法を灯明とし、法を依りどころとし て、他に依らずに住するがよい。 ア1
ナンダよ、いま、あるいは、私の死後に、自らを灯明とし、自らを依りどころとして、他に依ら ずに住し、法を灯明とし、法を依りどころとして、 他に依らずに住するものたちは、学ぼうとするもの であり、最高の境地にある、私の比丘となるであろ ︵7 ︶ 、 つ ノ 。 われわれに如是我聞が成り立っか 釈尊は、﹁私が比丘僧伽を導くのだ﹂というようには 考えておられなかったと言っていいと思います。だから 最後に﹁いま、あるいは、私の死後に、自らを灯とし、 自らを依りどころとして、他に依らずに住し、法を灯と し、法を依りどころとして、他に依らずに住するものた ちは、学ぼうとするものであり、最高の境地にある、私 の比丘となるであろう﹂と。ここに誰かを師として頼り なきいと言わないで、自己と法とを頼りにして学び続け ることができるのだと言っている。私が比正僧伽を導い ているのだと考えておられなかった、むしろ一人歩む道 があることを示しておられるというふうに見るべきでは ないかと思います。 ヴィドゥ