ISSN 1346 2156
第
37号
浄土という世界観
講 演 「浄土を再考するJ
末 木 丈 美 士 1 親鷲における顕浄土の課題 楽 真 20 研究発表 j青沢満之における「忘J
の意義 一『蝋扇記Jを手がかりとしてー 名 相 達 宣 40 関係としての浄土 内 記 洗 59 「機法一体J
説成立の再検討 一語空における「往生正覚倶時I説を中心として 中 村 玲 太 74 真宗教学学会講演会ー宗祖としての親鷺聖人ー 親鷲聖人と悪人正機 矢 田 了 章 90 欲生,L
、成就の信 本 多 弘 之 107 2015年 度 教 学 大 会 発 表 要 旨2
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年
6月
真 宗 教 学 学
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-:;z:::. 123講演 真宗大谷派教学大会 二
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一五年度﹁
浄
土
を
再
考
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﹂
一、今日における真宗教学の問題 「浄土を再考する」 ご紹介いただきました末木と申します。よろしくお願 いいたします。今回、特に浄土ということが問題とされ ています。それをどう考えたらいいのかというのは、非 常に重要な問題であろうと思います。近代の真宗教学で は、信仰というのは個人の問題であり、従って、世俗と 関わりのない自分の心の中だけの問題であると捉え、そ ういう信仰中心論を軸として、展開してきたと思います。 それが﹁歎異抄﹄を中心において論じられ、肝心の﹃教 行信証﹄の方が従属するような、そんな扱いを受けてき たのではないでしょうか。今日、そういう形で展開して末
木
文
美
士
きた近代教学は、難しい難局に直面しているのではない かと思われます。 その一つは、社会的活動の意味づけということが問題 となっています。これは特に東日本大震災発生後、真宗 の方がボランティアに行かれる時に、一体その活動がど のように教学で理論付けられるのかという問題です。そ の際、教学的な基盤がないばかりでなく、かえってそれ が自力の修行として否定されるのではないか。そのよう な議論さえ為されていると伺っております。それに対し て、実際に関わった方に聞いてみますと、﹁教学なんて どちらでもいい、それは関係ない、自分たちがやりたい からやるのだ﹂というようなご意見も伺いました。それ2 は、言ってみれば真俗二諦説の塗り替えといいますか、 真諦の方としての阿弥陀様の問題はどこかに置いておい て、世俗の問題は世俗の問題で、それとは関係ないのだ ということになってしまいます。もしそのように世俗の 問題に関して阿弥陀様が関わることができないのであれ ば、信仰の問題は生活の中のほんのごく一部分でしかな い。言わば、お仏壇に行って念仏している時だけ阿弥陀 様と関わっていて、他は阿弥陀様と何も関係がない生活 なのか、ということになってしまいます。やはり、それ はちょっとおかしいのではないかと思われます。それな らば、何らかの形で教学の中で社会的な活動というもの を考えていかなければならない。それはさらに言えば、 例えば政治の問題、国家の問題にも関わってきます。今 のように平和が揺らぎ、そして原発のようなことが大き な問題となってくると、一体それが宗教と無関係の問題 であっていいのだろうか、果たして親驚は、そういう問 題に日を眠れと一一百っていたのだろうか、ということを考 えてみなければなりません。それが第一であります。 第二に、﹁死と死者﹂という問題があります。これも 真宗の方から聞いた話ですが、亡くなった人というのは 阿弥陀様に任せるのであって、我今は関与できない。従 って、葬式というのは何の意味もない。ただ、そういう 機会に人が集まって、そこで信心を深めるのだ、という ことを伺ったことがあります。これは真宗だけに限りま せん。実は私が、今の仏教学というのはどうもおかしい のではないかと思うようになったきっかけがあります。 若い頃に仏教学を勉強していた時、偉い先生たちがこう 一一百うのです。葬式仏教というのは本当の仏教の教えでは ないけれど、日本という社会の中で教えを説くための方 便であるというのです。そして、仏教というのは、本当 は死者のためのものではなくて、生きている人がどう生 き る か と い う こ と を 扱 う の だ と 一 一 一 百 う の で す 。 果 た し て そ うなのだろうか。亡くなった人と無関係に、仏教は成り 立つのだろうかと、そういうこともまた考えております。 これもやはり東日本大震災の後、亡くなった方のご葬儀 あるいは供養といった問題が起こってくると、仏教が一 番大きく求められるのは、そういう場面です。果たして それを単なる方便であって仏教本来の教えではない、と 言って済ませることができるでしょうか。特に親驚の場 合で考えても、果たしてそういう問題を本当に無視して いたのだろうかという疑問があります。 第三には、特に真宗の場合強いように感じるのですが、
「i争土を再考するj ﹁自分たちは他の人とは違う﹂ということ。これは他の 宗派でもやはり同じようなところがあるのですが、特に 真宗では、真宗は一般の仏教とは違うのだ、というよう な意識が強いようです。他の仏教はすべて自力で、自分 たちだけが他力だという区別です。しかし、果たして本 当に一般の仏教と違うのでしょうか。仏教の本筋という のは、やはり一つではないでしょうか。特に大乗仏教と いうものを考えれば、日本の仏教はいろいろな宗派に分 かれていますが、果たして互いに対立するような状態で いいのだろうか。むしろその根本にある大乗仏教という 立場から、もっと仏教界で協力していくべきではないか というようなことを、ずっと疑問に思っております。 そういう問題は、今日さらに非常に重要になって来て います。﹁一九九一年の転換﹂ということを言いますが、 一九九一年はどういう年かといいますと、ソビエト連邦 が解体した年です。そして、いわゆる東側といわれるマ ルクス主義に基づいて成立していた聞が、中固など一部 を除けば基本的に解体して冷戦が終了した。冷戦が終了 すれば平和な時代が来るのかと思えば、逆に世界全体が 収拾のつかないようになってきてしまっている。そうし た中で、何かかってのマルクス主義などに代わるような、 3 本当に社会をリードしていくことのできる思想があるだ ろうかということになると、ほとんどそういうものは見 当たりません。無思想状態のようなことが続いて、今、 世界も日本も迷走しているのではないかと思われます。 そういう時代だからこそ、仏教が改めて聞い直されなけ ればなりません。今までの仏教というのは単に社会の片 隅にいればよかったのかもしれませんが、むしろこれか らの時代は、本当に社会をリードしていくことができる ものとして、仏教に大きい責任が課せられているのでは ないかと思います。 そうであれば、その中で宗派の違いにこだわって、 ﹁自分たちが一番良いのだ﹂というようなことを言い合 っているのでは済まないのではないか。もう一度、大乗 仏教の根幹に戻って、仏教とは何なのか、そして、自分 たちには何ができるのか、ということを考えていく必要 があるのではないでしょうか。そういうことを考えてい く前提として、もっと日本の戦後や近代というものを考 え直していかなければならないのですが、それに関しま しては時聞が限られていますので省略させていただきま して、もう少し具体的に大乗仏教というものをどう捉え るのか、その中で課題となっております﹁浄土﹂という
4 ものをどういう風に考えたらいいのかというところへ を進めさせていただきたいと患います。 二、他者と瞥藤・浄土 ー 、 警 穫 の 一 ⋮ 獲 の 殺 味 私は大乗仏教というものの根幹に﹁菩薩﹂とい、つのそ 重いて考えるべきではないかと患っております。もちろ んぷ三とか、﹁知米議・仏性﹂とか、そういう患想も 議婆ですが、その⋮設ベ
i
スとなって実践を可能にして いくような、そういう根本にある翠懇は﹁菩薩の思想い ではないかということです。警薩という考え方はもちろ ん、もともとはお釈迦様的仏伝の発展のやで、仏陀の前 殺を語る話として形成されてきたものです。それが大乗 仏教になって、新しい形で大きく発渓することになりま す。仏訟に於いては、特縁な仏陀の前世だけに線られて いたわけですが、やがてそれに限らず、設もが仏詑と部門 じように菩葎として修行し、そして仏陀となることがで きるという考え方が発展してくる。ぞれが大桑仏教であ ろうと思うのです c それでは、その場合の菩藤とは一体 どういう存在なのかということを考えてみますと、その 番基盤となる思想は、そんなに難しいことではありま せ ん 。 あ ら ゆ る 人 間 、 仏 教 的 関 に 限 ら ず 、 も っ と 広 く と い う こ と に な り ま す が、ここでは人慌で考えてみますと、﹁あらゆる入閣は 他者紫くしてありえない﹂という認識、ぞれが菩薩とい うことの根幹ではないだろうかと、私は考えています。 どうい、つことかと設いますと、ご承知のように元々の 原始仏教以来の考え方は、自業自得でありまして、自分 の業によって自分がその報いを受けるというわけです。 その自分の業によって輪廻して替を受ける。滋に、だか らこそ自分で修行を重ねていくことによって悟りに到達 することができるわけです。あくまでもそれは自分偶人 の問題であって、ぞれを人に代わってもらうことはでき ません。問締・八正道ということが説かれる場合マも、 それはあくまでも自分の綱人としての業と報いの菌楽関 係︿ぞれが﹁縁起−と呼ばれます︶によって、はじめて成 り立つわけです。そこには基本的に他殺という考え方が 入ってきまサん c ところが、大衆仏教になるととうなる のかと討いますと、笠岡薩の線本は白利・利也と議われま すが、利他のためには他者との関係ということが成り立 っていなければなりません。即ち、⋮稼ということが成 り 立 っ た め に は 、 ﹁ 他 者 無 く し は 存 在 し え な いという認識への大きな転換がなけれぜならないわけです。 士 五 口 薩 の 実 設 は 六 波 羅 蜜 と 一 一 一 日 わ れ ま す が 、 そ の 中 で 寸 布 施﹂という仔為にしても、相手があって初めて成り立つ ことでして、能者との共同性ということを前提としなけ れば成り立ちません。そうなると、自分だけで行為をな し て 、 そ る と い い う 考 「浄土を再考する| ぞ鴨︸で関向という考え方が出てく ることになります。国向というのは、要するに自分の行 為を他人に振り ι 向けることができるということです。例 えば自分で善いことをした場合、その善い結果を他の人 の利益として、分け与えることができる。ぞれが回向で すむそうい、つ翻舟によって、日分と他者は離れ難い形で 関わり会い、絡み合い、そして一体になっていくわけで あります。ウまり、接際の⋮殺のペースとなるのは、人 間 、 も っ と 京 く 仏 教 的 に 皆 、 ゅ ん ば 、 衆 生 と い う も の は 、 他 者無くして自分だけで存在しえない、そして行動しえな いということです。ぞれが一番の根本であるのだと思い ます c おられること 5 そういう認識の上に立って、では具体的に私たちが他 者と結ぶ関係とはどういう関係であるかというと、決し て長い関係だけではないわけです Q 例 え 、 は 、 憎 し み が あ ることもあるし、戦うこともあるわけです。そういうこ とも含めて、我キは他者と何らかの形で関わらざるを得 ない。そのやで、マイナスと言いますか、他者との憎み あい、ぃ、そういうものを全てプラスの方舟へ転換し て い と い う こ と に な る の で は な い か 。 、 ぞ う 誘 っ て よ い と 患 い ま す 。 舟 々 は 他 有 無 くしてありえない、他者と関わって初めて我々は存在し う る と い う こ と 、 こ れ は 一 一 首 っ て み れ ば ﹁ 存 在 と し て の 菩 薩﹂ということです。そうであるならば、他者と関わっ ている以上、その他者との関係をマイナス方向ではなく て、プラス方向に変えていこうじゃ、ないかというわけで、 て く る の が と い う こ と −L V "( そ こ ができるだ て いるということができます。 2 、﹁法華経﹄の警護論 それでは、そのような菩薩論を一番よく説いているの は 何 か と い う と 、 と い う 経 典 で す っ ﹃ 法 華 経 ﹂
6 は、古くは﹁本門﹂と﹁遁門﹂に二分されて考えられて いますが、今日では三つに分けて、﹁方便品﹂から﹁授 学無学人記品﹂までを第一類、﹁序品﹂ならびに﹁法師 品﹂から﹁嘱累品﹂までを第二類として、最後の付け足 し部分を第三類と考えるというのが、一般的に考えられ ている﹃法華経﹄の構成です。それでは、第一類で言わ れていることは何なのかと言いますと、これは苅谷定彦 先生が言われているのですが、﹁一切衆生はすべて菩薩 である﹂ということを主張しているというのです。これ は、今までいろいろな研究者が﹃法華経﹄の思想を説い ている中で、もっとも適切に﹃法華経﹄の第一類の一ア l マを明確化しているように思います。そのことは、第一 類の中で具体的にどういうことが説かれているか見てい くと分かるのですが、そこで基本的に一言われていること は﹁声聞の授記﹂ということです。﹁声聞﹂というのは、 いわゆる仏弟子の小乗の者たちのことです。仏弟子たち、 声聞たちは、自分たちは声聞であって、もう仏には達し ないと思い込んでいたのですが、実はそうではなくて、 元々菩薩であって、やがて将来は悟りを聞いて仏になる ことができるんだと、そういう授記を与えられるのです。 さきほどの菩薩の二重性のうちで、﹁存在としての菩 薩﹂というレベルで考えると、衆生は最初から他者無く してありえないという、そういう認識です。そうである のに声聞たちは、自分だけで何でもできると思い込んで いた。個人で自立して、他者の助けを借りないで全部で きると思っていたわけです。しかし、そうじゃない。自 分だけでは生きていけない。他者と関わることによって、 はじめて自分たちが存在しているのだということ、それ に気づく。そのことは、声聞も実は菩薩であると自覚す ることに他ならないわけです。そう考えると、﹁一切衆 生は菩薩である﹂ということも、ある意味では当たり前 のことです。誰もが他の人と関わりなしでは生きられな い。自分だけで生きていこうと思っても、本当は他の人 との関わりの中で初めて自分は生きている、そう認識す る。それが、自分は菩薩であるという自覚です。そう考 えると、ここで﹁法華経﹄が言っていることは、非常に すっきりと分かってくるんじゃないかと思われます。 ところが、﹁法華経﹄のいわゆる第二類には、それ程 単純に分らないところがあります。ここでは、﹁久遠実 成の釈尊﹂が明らかにされると言われています。それが、 如来寿量品という所です。そこで﹁久遠実成の釈迦仏﹂ が説かれて、今までの釈迦というのは仮の姿であって、
「浄土を再考する」 本当ははるか昔、五百塵点劫の過去に成道して仏となっ ているのだということが明らかにされます。その第二類 の思想を理解していくために、私が重要であると考える のは見宝塔品というところです。見宝塔品では多宝如来 が出てきて、釈迦を讃嘆する。そこで釈迦が多宝如来の 塔に入って、そこでいわゆる﹁二仏並坐﹂と呼ばれます が、多宝如来と一緒になって、そこで説法することにな る わ け で す 。 この多宝如来がどこにいるかと言いますと、要するに ﹁塔﹂の中です。塔というのはストゥ
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パであって、亡 くなった仏の遺骨を埋めた、いわばお墓です。実際、多 宝如来というのは体がひからぴたミイラのような姿で現 れます。つまり、死んだ仏です。つまり、死者を象徴す るものが多宝如来です。そして、その死者と並ぶことに よって初めて釈迦仏は完全な力を獲得することになりま す。つまり、死者の力が非常に大きく入ってくるのです。 それ無くしては、完全な仏の力は発揮できないと、そう いうことがそこで説かれている。そのことを従来あまり 十分に考えてこなかったんじゃないかと思いますが、そ の点に注目すると、実は大乗仏教の根幹にはそういう形 で死者の問題が入っているわけです。 7 そこで、第二類では﹁実践する菩薩﹂として、地涌の 菩薩というのが現われてくる。その地涌の菩薩によって 初めて﹃法華経﹄の実践が担われることになるのです。 これは一体どういう菩薩でしょうか。今まで第一類では ﹁声聞が実は菩薩であった﹂ということが明らかにされ、 全ての衆生は菩薩であるということが言われた。その場 合の菩薩と地涌の菩薩は違うのか、ということが問題に なるわけです。私は、そのへんのところがなかなかよく 分からなくて、最近になってやっと少し分かってきたの ですが、つまり第一類で明らかにされていたのは﹁存在 としての菩薩﹂であって、それを、実践として引き受け ようというのが、第二類で明らかにされる地涌の菩薩で はないか。つまり、そのことによってはじめて菩薩とい うのが実践として生きてくる、そういう構造になってい るのではないかと考えられます。このように、﹁存在と しての菩薩﹂と、そこから発展する﹁実践としての菩 薩﹂という二重性で、大乗仏教の菩薩の根幹をおさえる ことができるのではないかと思います。 3 、 死 者 と 菩 薩 これからお話ししていくことを少し先走って申します8 と、実は毅驚の思想というのは大乗仏教とは加のもので はなくて、まさしくこの菩薩の思想を、特に往相・還柑 回 向 の い わ ゆ る 一 一 種 田 向 に よ っ て 、 そ れ を 照 明 確 に 打 ち 出 す、そういう柱貿のものではなかったのかと、そう考え ています。そこまでお話しするのに、もう少し菩陵とい うことを考えてみたいと思いま寸 c 一っここで付け加え ておきたいのは、﹁実践としての繋磯いなどと議、っと非 常に大汗きになって、すぐにさ切衆生﹂ということを 言い出して、﹁一一切衆役を救うのが菩穫の使命である﹂ などと飛躍しがちです。そうすると、そんなことは自分 には到底できないことだと考えられてしまいます。もち ろん最終的には−切衆生の問題にはなるのですが、仏教 のある意味で悪い癖と一首いますか、⋮気に⋮切衆生の方 へ議を持って行ってしまうために中間がすっ飛ばされて しまう。しかし、技々はもっと身近なところで抜きてい るのであって、制問えば家旅があり、ふるいは友人があり、 問僚があるという具合に、実はそういう小さいレベルの 所でまず生きているわけです。そうであれ、は、いきなり 大きい話をして、一切衆生の所へ話を持っていくのでは なくて、まず、実践としての菩薩というのは、そういう 日常的なレベルから出発すべきではないでしょうか Q 薩というと何かいきなり話が大きくなって、引いてしま うということになりがちなのですが、そうではなくて、 我々が呂常に関わって生きている他者といかに員い関係 を持とうとするかということから出発してよいのではな いか。誰も他者と共に居なければあり得ないのであるな らば、少しでも良い関係を持とうとするのが当たり前な ことではないでしょうか。そうとすれば、警擦としての 実践というのは、それを第一歩として出発していくこと ができるんじゃないかと思います c ぞう考えれば、菩際 というのは決して抽象的な大きい開題ではなくて、ごく 身近なところから出発していくことができる、だろうと思 わ れ ま す 。 それを少しずつ詰めていくわけになるのですが、菩薩 ︶ と は 、 殺 と い う 間 るという w とが、必然的なこととして出て それについて、哲学者である田辺元は、娩年に死の哲 学﹂という問問題を提起されました c これはまさしく死者 と霞わっていくところに仏教的な菩薩の本質を晃出して 行こうとい、っ、そういう考え方を非常に分かり易く展開 しているように思われます。間辺元が一設の て
「j争土を再考する」 取り上げるのが、禅の﹃碧巌録﹄というテキストです。 その第五十五則に出てくる、道吾という師匠と弟子の漸 源という二人の話があります。それを田辺元がよく取り 上げております。弟子の漸源は、生死の問題に関して疑 問を持って解決できず、不安に陥ります。そこで師匠で ある道吾に生死の問題を問うわけです。檀家さんに不幸 があった時の弔問の場で、生死の問題を師匠に問うので すが、師匠の道吾は﹁生にあらず、死にあらず﹂と言っ て、それ以上はもう説明しないのです。弟子の漸源はそ れが理解できなかった。師匠が亡くなった後、修行を続 けているうちに兄弟子の石霜の所に行って、この問題を 問いかけるわけです。﹁こういうわけで、自分は生死の 問題を師匠に尋ねたけれども、師匠は答えてくれなかっ た。それはどうなんですか﹂と問、っと、兄弟子の石霜は、 同じように、﹁生にあらず、死にあらず﹂と答えたそう です。そこで初めて漸源は、機が熟し、はっと悟りを聞 いて、生死の問題を明らかにすることができたのです。 悟りを得てみると、師匠は亡くなってからもずっと自分 を導き続けていたのだと分り、そこで師匠に厚く感謝を 捧げたという。田辺元が自己流に元の﹃碧巌録﹄をアレ ンジしたところもありますが、その話はおおよそそんな 9 と こ ろ で す 。 そういうわけで、亡くなった人が死んだら終りになる わけではない、死んでもなお生きている我々を導いてく れる。そこに死者との関係が生まれるのです。死んでも なお生きている人達を導き続けようという、そういう死 者の意志と言いますか、生きている人たちに対する慈愛 の思い、それこそが菩薩というものの根本的な考え方で はないか。私たちは生きているこの世界だけで完結した ものと思いがちですが、でも仏教はそうではない。死者 も我々を導いてくれる。そして、人々と共に良くありた いという菩薩の願いは、死んでもなお続いていくもので、 そういういわば生死を超えたところに初めて実践が成り 立つ。そこが、菩薩というものが他の、例えば現世的な 道徳、倫理と違うところではないだろうかと思われます。 親驚が往相回向・還相回向という形で言おうとしたのは、 正しくそのことではなかったでしょうか。そして、親驚 の言いたかったところは、その二種回向を明確化するこ とで、それが実は自分の力で成り立つことではなく、他 力によって初めて成り立つものだということです。そこ を明確化した点で、親驚の思想は非常に優れたものでな い か と 思 い ま す 。
1日 4 ・ 、 浄 土 と い う こ と 持 制 驚 の 問 問 題 に 入 っ て い く 前 に 、 も う 一 つ 菩 薩 と 関 連 し て、ここで課題となっています﹁浄土﹂ということに少 し触れておきたいと思います。浄土というのは、いわば ﹁理想の世界﹂ですが、他者どの関わりが理想状態にお い て 成 り 立 つ よ う な 、 そ う い う 場 、 に 関 し て 、 で あ る に 興 味 深 い は日蓬一恒例鈎に篤いでありまして、一殉教の如来 使 ﹄ ︵ 復 刊 、 古 川 弘 文 館 、 ニ O 一 五 ︶ と い う 本 を 執 筆 さ れ て おられます。その中で提唱しておられるのが、浄土に三 種類あるということです。叩ち、﹁ある浄土﹂﹁なる浄 土 ﹂ ヱ ゆ く 浄 土 ﹂ と い う ⋮ 一 一 種 績 で す 。 浄土というのは、ご承知のように元々その名ではイン ドの係機には遡れないのですが、ただ内縁摩縫いの中に はいわゆる浄仏関土という形で、仏関土を浄めるという 菩蓬のはたらさが描かれておりますっぞうやって菩際が まさに理想の世界を作っていく。そうして作られたのが 浄土です。極楽浄土というのは法蔵菩薩が菩薩としての 実践によって作った世界です。それが今浄土となり、そ して法蕊菩惑は河弥柁仏となったわけ ぞ れ は 言 つ て み れ ぜ 、 と い っ て よ い で し ょ う 。 こ れ は ﹁ あ る ﹂ ﹁ な る ﹂ ﹁ ゆ く ﹂ と い う 語 呂 を 合 わ せ る の で ﹁ な る﹂にしたのでしょうが、本当は内容から言えばむしろ ﹁つくる浄土﹂ですね。浄土を作っていくと言うことが 根 幹 に あ る の で す 。 とはどういうことかといい 我 々 りながら、そのまま仏の世界を体験しているというのが、 それが﹁ある浄土﹂です U つ ま り 我 々 は 菩 薩 と し て あ り 、 そして菩薩として努力していくこと自体が、実は浄土そ のものだと。それは、未来に描かれると毘時に、そうや って未来に出向けて的動していくこと、そのことが既に海 い う わ け もう♂つの 土 と は 、 ら れ の よ う な も の で 、 我 々 は そ ︾ ゆ と い う 、 そ う い う 考 え 方 で す ね ο こういう浄土えガは、決していわゆる浄土教だけ でなくて臼蓬も共有していたのだというのが田村先生の 考えです。しかも日蓮の場合、若いころは、天台的な、 現世がそのまま浄土であるという、ーある浄土﹂院な考 え方が強かったのが、そのうちにこの世界の中に理想を
「浄土を再考するj 実現しなければいけないという、﹁なる浄土﹂へと展開 し、晩年には今度は﹁霊山浄土﹂ということを言う。久 遠の釈迦が説法している霊山に行くことが願われ、﹁い く浄土﹂が中心的になる。そういう形で、日蓮の中に三 つの浄土の観念が展開していくという、そのように田村 先 生 は 一 一 一 一 口 っ て お ら れ ま す 。 確かにそのように三つの浄土は、それぞれ別に考える ことができるのですが、もう一歩進めて考えてみれば、 それらは別々にあるのではなくて、同時に重層しである ものと考えることができます。少しでもこの世界を良く したいと思う、その思いを実現して行こうとする。つま り﹁なる浄土﹂を実現していく中に﹁ある浄土﹂という ことが実現されている。つまり﹁ある浄土﹂というのは 未来でなく、いま努力する中に実現されているというこ とです。それに対して、それがこの世界、現世だけで完 結しないで、来世、つまり死後につながり、死者を含み 込んで考えていかなければならない。そこに、﹁ゆく浄 土﹂ということが考えられなければならない必然性が出 て く る と 思 わ れ ま す 。 そう考えていくと、浄土教というのはもう少し考え直 していかなければならないところがあります。我々は浄 11 土教というと、阿弥陀様は救う一方であって、我々は救 われる一方であるというような一方通行で考えているわ けですが、実はそうではないのです。阿弥陀仏というの は、救済者であると共に我々に向って﹁自分と同じよう にあなた達も菩薩ですよ。だから、菩薩として実践をし なさい﹂と勧めてくる。そういう模範でもあるわけです。 阿弥陀仏のようなことはすぐにはできないけれど、それ でも我々もまた、少しでも阿弥陀仏に近づきたいと思う、 そういう願い、そういう気持ちは持たなければならない。 実際、後の﹃無量寿経﹄では消えてしまうのですが、初 期の﹃大阿弥陀経﹄などには﹁阿闇世授記﹂という一段 がありまして、阿閤世太子が阿弥陀仏のことを聞いて、 自分も同じようになりたいと願い、仏から将来それが実 現するという授記を受けるという一段が入っているので す。つまり、初期の浄土経典では、いわば﹁救済者とし ての阿弥陀仏﹂と﹁模範としての阿弥陀仏﹂、そういう 二重性をちゃんと示しているのです。ところが後になる と、その模範という面が消えてしまう。日本の浄土教で も、例えば、平安時代にはまだ千観など、実際に十大願 を立てて、自分自身と同時に人々も救いたいという思い を 公 言 し て い ま す 。
12 そう見ていくと、我々は笠岡撲として実践し、やがてそ れが来世、持ち浄土にまで継続し、その過程で設相の状 態から還揺の状態へと転換して行く。あるいは、往相と 向時に還謡として働く。即ち、往相としての叶ゆく浄 土 ﹂ だ け で な く 、 同 時 に 遼 柑 と し て の も 考 え な け れ ば ヘ そ の 位 相 ・ 選 組 ゐ。その際に、そ る の は た ら き の 中 に お い い 。 つ ま り 、 住 相 も選組も市民力でできることではなく、俄カによってはじ めて成り立ってくる。そういう見方を親驚はしていたの ではないでしょうか。そこで今度は、そのような他力が どのように働くかが問題となります c それは、仏の呼び 声に対して我々はどう答えていくのか、そういう問題と し て き ま す 。 こ の こ 、 初 期 使︵も︶︵ぞれがし︶仏と作らんとき、我が名 字をして皆な八方・上下・無出火数の仏霞に関かしめ ん。皆な諸仏をして各の比丘僧大衆において、我が 功徳・国土の善を説かしめん。諸天・人民・路飛・ 嬬動の類、我が名字を開設\慈心、歓喜踊躍せざる ものなからん。皆な我が固に来生せしめん。この願 を得れば乃ち仏とならん。この願を得、ざれば、終に 仏 と な ら と 。 即ち、自分の名を開いて衆生が歓喜する。そうすれば、 その衆生は自分の個に生まれることができるというので す。まさしく名前、名号というものが媒人げになっていく。 媒介としての名号こそ、実は弥陀の時、びかけに飽ならな い。ぞれに対して我々はどのように応えていくのか、そ の呼びかけに対する応え、ぞれがつ儲﹂ということにな ります。﹁教行信証﹄で言えば、﹁行巻一と﹁信巻﹂の関 係は、呼びかけに対する応答として見ていくことができ ます c 初期の主人持弥陀経﹂においては、呼びかけと応 一つの組織の中に含まれているわけです。それが第四 ぞ れ が 後 の な ど で は 、 ト 七 瀬 と 十 にくくなってしまう c によって、その 関係を捉えなおそうレししているわけです。それによって、 もとの第四穎における両者の一体化というものが、明確 にされてくると思われるのです。
一、親鷺における普薩と浄土 「浄土を再考寸るJ ー 、 往 穏 ・ 遺 相 と 他 力 すでにいくらか毅鴛の問題に触れましたが、もう少し 立ち入って具体的に親驚の場合、菩擦と浄土ということ がどのように示されているかヒいう関懇を考えてみたい と思いま寸。内紛刊行倍統いが、根本の構造として役相聞 向と潔総務向からなっているというは、吋教行給就い自 体にきちんと書いであります。そうであれば、明確なは ずですが、なぜか柱祖国向と還相関向の問題は、あまり 真宗の教学の中では重視されてきていないように忠われ ます。最近になって、梅原拡ざんなどが、往相’還相回 向を根本に据えて毅驚の思想を解釈しようとしていて、 よ う や く 注 口 対 さ れ る よ う に な っ て い ま す 。 島 ⋮ 綾 出 向 は 、 まさに設キが仏の世界に入り、そしてまたこの世界に廃 ってくるという活動のゆで、替縫として爽殺して、人々 との関わりを良いものにしていく、その仕事を続けてい くということに飽なりません。 往稲田出向・還相田向という考え方は、もともと曇驚の 内論註﹂に由来する言葉です。毅鷲は信巻に次のように 引 用 し て い ま す 。 13 鵠ぬけに二種の相あり。一つには詮裕、つには選 相なり。往相とは、おのれが功徳をもって一切衆生 に冨施したまひて、作願してともにかの河弥陀如来 の安楽浄土に往生せしめたまふなり。遼相とは、か の土に生じをはりて、率制摩他・箆婆令部・方便カ成 て 、 の 樹 林 に 路 入 し て 、 ⋮ 切 衆 に肉らしめたま ’ u v こ と み せんがためにしたまへり。 親驚の民間加は、やたらに﹁たまふ﹂などという敬語が 使われて、分かりにくいのですが、且雲驚のもとの文章は もっと分かりゃすいものです。 往相とは、己が功徳を以て一切衆生に廼施して、 共に被の持弥詑如来の安楽浄土に往生せむと作願す るなり。遼相とは、彼の土に生じ日りて、者療他・ 隣 地 婆 A m 円惑を得、方使力成就すれば、生死の欄林に側一 入して一切衆生会教化して、共に仏道に山内かふなりの 若しは在、奮しは還、皆衆生を抜きて生死海を度せ む が 為 な り 。 ご承知のように、親驚はこういう文章を山引用する時に、 独特の読み替えをしています c もともとは、その主体は
14 一言いますか、の行者です。自らの舶によって、 てみれば自力のはたらさで、往相・滋相が実現する ο ところが、毅驚はそれを自力ではなしえないとして、往 棺・還相は突はすべて仏のはたらきによるもりだと側、ぇ、 会閥的に他方のはたらさに読み替えていきます。そうい うわけで、﹁往相とは、おのれが功徳をもって一切衆生 に毘施したまひて﹂と、敬語を付けることによって、そ れを照的弥陀仏のはたらきとして読んでいくわけです。 ﹁作願してともに彼の阿弥詑如来の安楽浄土に往生せし めたまふなり﹂というわけです。つまり、お分がしたい から自力でするのではなくて、それはすべて陀弥陀仏の はたらきであってはとめて成り立つということです。 叶 遊 相 と は 彼 の 土 に 生 じ を は り て 、 ね 被 縦 陣 他 a 毘 婆 会 第 ・ 方便カ成就することを得て、生死の調林に間入して、一 切衆生を教花して、共に仏滋に山内らしめたまふなり﹂と いうわけで、この場合も、それを怒せるのは河弥陀仏で す。だから﹁もしは柱、もしは還、皆衆生を抜いて致死 海を度せんがためにしたまへり﹂
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分を動かしている のは自分ではない。そうやって菩薩としてのはたらさを 実現させてくれているのは、実はすべて阿弥陀仏なのだ と 、 そ う い し て い る の 2 、 往 格 か ら 灘 抑 制 へ i j i 証 巻 の 課 題 そこで、往相と議拐の転換点ですが、ぞれは一体どこ にあるのか。これは、実は門教行詰証いのコ紙巻﹂の課 題 で す 。 ﹁ ω紙巻﹂は、柱相がその途中で終わって、そこ から還桔に入ります。従って、潔相聞舟の丈は少ないも のですが、その転換が﹁一証巻﹂においてなされている。 だから、吋教行信証︺のやでも﹁証巻﹂というのは非常 に重要です ο こ れ も 、 従 来 の 罰 題 だ け に 焦 点 が あ て ら れ る こ と に よ っ て 、 は と も す れ ぜ 無 視 さ れ で し た 。 でいくと、少々屯介な問題が出てくるので す 。 ぞ れ は 何 か と 言 い ﹁ 証 巻 ﹂ の 冒 頭 令 少 し 間 引 用 し ま す 。 、 世 」 つ つ し ん の 証 を 顕 さ ば 、 す な は ち こ れ 利 他 円満の妙位、思繋の極果なり。すなはちこれ必 主滅疫の額より出でたり。また証大詔繋の艇と名をつ くるなり。しかるに煩描成就の凡夫、生死罪濁の群 萌、註相削肉中心行を獲れば、総の時に大乗正支緊 の数に入るなり c 正常時米に生するがゆゑに、かなら ず滅皮に至る。かならず滅凌に至るはすなはちこれ 常 楽 な れ / C 常楽はすなはちこれ暴克寂滅なり。寂滅はすなはちこれ無上浬禦なり。加熱上翠黙はずなはち これ無為法身なり。加熱為法身はすなはちこれ実相な りつ実穏はすなはちこれ法排はなり。法性はすなはち これ真如なり。真如はすなはちこれ一知なり。しか
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K ︵ の は 、 に よ で 、 ぞ れ が ま さ し く 滅 皮 の 状 態 で あ り 、 い われるのですが、そうして体得されるものとして、法身 とか、実相とか、法性、あるいは真如などと一言われるわ けです c そうすると、阿弥陀仏によって救済されるとい う話が、非常に抽象的な議論に転換されてしまいます。 究極的な淫繋に立っと、そこではもう我々の個人牲とい う の は 諮 え て し ま い ま ナ 。 根 本 の 役 弊 の も の に グ〉 「海土を再考するJ め て し ま 、 つ の で は な い か 。 そ の に 波 線 を 付 け て お き ましたが、かれば弥陀如来は知より来生して、報・ 応・化、稜々の身を示し現じたもうなり﹂と一言われてい ます c これは、法性法身から方使法身が現われるという −一種法身議と近いものです。また、晩年の親驚であれば、 自然法徳治患において、いわゆる紫上仏から間弥陀仏が 15 ~ 現われるとい、っ、そういうような見方と一致しますのそ うなると、府内弥陀仏のさらなる根源が考えられていくこ とになる c これは、真宗の教学にとうては、どうも都合 が患い。閥的弥詑仏が消えてしまうことになる、というわ けで、そのことはあまり表に出さず、伏せられるような 形になっているのではないかと患います。しかし、 は と だ と 思 い 加 ︺ れ ていった時、そこ あ る い な り と い う の は 、 そ れ は 一 体 側 な の か と い う こ と が 問 問 題 に な り ま す 。 しかし、我々はその世界にまで入っていかなければな らないのではないか。それは来世といいますか、死後の 問題だけではなくて、我々自身の仏教の実裁が、まさし くそこに基礎づけられていなければならないということ です。義援の護設は、その恨成に還っていけば、そうい う法身、実裕、あるいは真如のはたらさ、そういうとこ ろに根滋をおかなければならないのではないかというこ と で す む た だ 、 ら それだけだと、非常に抽象的で分かりにくいこ とは事実です。晩年になると、親驚は、制問えば﹁和議﹂ な ど で は 、 浄 土 っ と 感 覚 的 な 形 で わ か り や す16 く表現しています。面白いことに、どちらも元は﹃浄土 論﹄であって、ぞれが﹃論註﹂で説明されている。それ を引用しているのですが、﹃教行信託﹂においては、具 体的に感賞的な形で表現されているところはカットされ て い る の で す か ら 、 非 常 に 捨 象 的 な 感 じ に な っ て と こ ろ が 、 鴫 年 の だ と 、 しまうの い % つ め に 歌 っ こ の つ の 方 向 性 は 、 こ 層性を持っている。根源にさかのぼって感覚的なものを 捨てていく方向門と、それが感覚的なものとして現れてく る方向と、その需面があると考えな凶りればなりません。 カ 、y 3 、 往 娼 ・ 還 機 構 造 を ど う 捉 え る か そのあたりのことを、もう少し次覧に殺そた陪によっ 説羽させていただきます。まず、部ーですが、これが 稔相・遼拐の関係です。仏と衆生の関で行き来する、衆 生から仏へ行く方向と仏から衆生へ一決ってくる方向です。 しかし、仏も衆生もまさしく他者と関わり、しかも他者 との関係を良いものにしようと頼つてはたらく。そうい う意味合いでの菩薩であることにおいては、持者は同質 的なものであると考えていいでしょう。そこをイコール でつないでみたわけです。 次に図
2
ですが、私の本をご覧いただいている方は、 私がたびたびこのような図を描いていることをご存じか と患いますが、少しずつバージョンアップしておりまし て、環一行の醤は以前より多少複雑になっております c こ れ以上複雑にすると、間安審くのが一一次元で難しくなっ てきますので、この辺がバージョンアップの議後になる と思います。一つは他者との関係ですが、その左側の楕 円形の中にあるのが、我キの普通に生きている世界で、 それが公共笠の澄界、あるいは表にあらわれた世界とい う意味で﹁額の世界﹂と呼びます。それに対して、見え み よ 弓 〆 ない世界は他者の世界として、それを三呉の世界﹂と 呼んでおります。その他者の世界に⋮一一つのレベルを考え ています。まず叶現象している他者﹂というのは、我ん吋 が 生 き て 問 問 わ っ て い る お 互 い 問 土 、 制 削 除 え ば み な さ ん と 私 の関係にしてもそうですね。第二レベルというのは亡く なった人、死者であり、第三レベルはもっと奥にある神 仏ですむ特に間内弥柁仏は、ある意味では一番奥深いとこ ろにいると考えていいと思うのです。 そこで、議と冥を結ぶ曲線の矢印が上下にありますが、 これが往桓・還相爵係と考えていいでしょうっそういう「浄土を災考する j 役相・還格論の根幹 17
第
《
伝統恕想・宗教にま毒づく世界観 れ患者》 1. 凝象している他者 之手記者 欄 酬 時 3. 神il、
走塁総 (災)l
汲?と 世 強 制 刊;
己
〉
図1 図2 他者の領域との の 関 係 で す 。 次 に 、 知とか、実格、法身と いうのはどういう方向 に見たらいいのかとい うと、下向きに矢印を 付けまして﹁深化﹂と 書きましたのつまり、 抽 出 活 と 関 わ っ て い く そ の関わりのあり方をさ らに深めていった時に、 現われてくる領域、そ れが真如であり法身で はないか。そのように 考えることができるだ ろ 、 っ と 。 さで、関弥陀仏とい う の は 、 一 一 沼 に お い て は、そうやって役相・ 違和め形で鍛の世界と 棺玄関係を持ちつつ、 もう一方ではさらにそれを奥底の世界へと深ま勺ていく ような、そういう側面を持っていると考えられます。た だ、ぞれがキリスト教などと大きく議うのは何かといい ますと、右側の方に矢印をして﹁超越︺としましたが、 これはキリスト教的な一神教の場合です c そこでは、奨 の領域をさらに超越したところに絶対神というものを立 ててくるわけです。ぞれとは弘教の場合とはまったく違 うわけです。つまり、仏教には絶対的な超越というのは 無いのです。そのお⋮で、仏と人は究極的には同紫的なも のです。ところが、衿は絶対に人と向震化で設ない c 完 全な他者、異質なものです。ところが、近弐になって、 浄土教はキリスト教をモデルに考えられるようになって きて、あたかもそれと同じ構造を持っているかのように 考えられてしまう。けれども、キリスト教などと決定的 違 う の は こ の 点 マ あ り 、 ん 。 そ の とを表わ そ の 混 同 門 は 館、親鷺が現代に難るために さ で 、 間 も な く 時 間 と な り ま す の で 、 こ れ ま で の話会まとめながら、もう一度最初に縫示した問凶悪を考 えてみたいと思います。まず第⋮に﹁毅驚の思想からは18 社会的活動詰成り立たないのか﹂ということについては、 今までのところでお分かりだと思いますが、仏の還相の はたらきは常に働いています。念仏の誇だけ仏の力が働 いて、社会的活動をするときは仏の力は無関係だと、そ んなパカなことはありえないと、私は患います。何をす るときだって、こうして皆さんの前でお認ししている時 マも、能力の仏のカはやはり働いている、ぞうじゃなか ったら、おかしいヤすねり、だから、議絡のカというのは、 そんな限界のあるものではなくて、龍界を超えてあらゆ るところに働いてくるはずです G そのことと関連して、親驚の思想にはちょっと面白い ところがあるのです。自力の諸行、自力の念仏というこ いますし、他力の念仏も言うのですが、他力の諸 ぃ。どこにも出てこない c 何 故 で し ょ う か 。 と 例 え ば 、 ば、あらゆる打が寸ベて他力の行とし そうやって諸行が復活してくるのです G ところが、報鷲 の場合は、他力の諸行ということは一読われない。そうす ると、そんなものは無いかのように考えられてしまいま すが、それは間違った理解ではないかと患います c そ う ではなくて、設キの活動、枝々の生き方、それがすべて 念仏となっていくと考えられる。だから、像力の議行は い ら な い c 我々の生活全部が念仏ですむそう考えていい のではないかと思います。例えば座禅を行うことでも同 じことです。盛っているときだけが座禅ではない c 日 常 すべてが座禅でないといけないのです。ぞれと符じに考 えることができるのではないか。そうであれば、社会的 活動が否定されるということはないのむしろ、そういう 社会的活動がいかにして替隊としてのあり方を実現して いるかという、そういう観点から党十注されていかなけれ ばいけないだろうと思います。 今までの話の中で一つ落としていたのですが、親驚は 政 治 の 問 問 題 l y二切関わらなかったと一言われ、関わること を否定したかのように考えられていますが、 のです。何故かというと、 で み ぞれもやは 丹 晩 年 の 禦 まさに 仏教だけではなくて、閣の政治をも仏教によって良くし ようとしたと、そういうことをちゃんと歌っているので す。つまり、仏教が国を導かなくてはいけない。だから こそ﹁教行信託﹄の﹁後序﹂で、正しい仏法に背いた後 鳥羽院はじめ、天皇や権力者たちが厳しく批判される。
「浄土を再考する」 仏法が国を導き、人々を導かなければいけない。それが 逆転したらいけないと、そういう根本の理念がある。だ から、宗教が政治に関わっていけないというのは、絶対 に間違いですね。政治だって、宗教によって導かなけれ ばいけないと私は考えます。親驚の場合もはっきりそう 一 言 っ て い る と 私 は 思 い ま す 。 あと第三に﹁親驚の思想は死と死者を無視しているの か﹂という問題。これはもう結論が出ています。つまり、 菩薩という考え方は死者無くしては成り立たないわけで す。第三の、﹁親驚の思想は大乗仏教一般と異なるのか﹂ という問題も、すでに答えが出ていると思います。親驚 は大乗仏教を否定しているわけではありません。まさに 大乗の菩薩の考えを最高度に発揮させようとしたのが、 親驚だと考えられます。 ご清聴いただいて、どうも有難うございました。 ︵本講演の内容は、拙著﹃親驚﹄︹ミネルヴア書房、 二
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一 六 ︺ に 詳 論 し た 。 ︶ 1920 講演 二
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一 五 年 度 真 宗 大 谷 派 教 学 大 会親驚における顕浄土の課題
はじめに ょうこそお越しくださいました c 真宗大谷派の教学大 会ということで、弘はこの教学学会の幹事も仰せつかっ て お り ま し て 、 い う 世 界 観 ﹂ と い う 人マあります。一 ア
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て 、 2 J O こというなら自分から それで ということ に な り ま し て 、 こ の テ ー マ は 一 一 忍 い ま す が 、 浄土一ということについて改めて考えてみる、こういう機 会を持たせて頂いたということであります。 栽驚聖人が﹃教行信証﹂に、詳しい名前は﹁顕浄土真 実教行誌文類﹄ですが、﹁顕浄土﹂ということをはじめ に掲げていらっしゃるのに、なかなか浄土ということが 語られなくなっているということを患いますむまた浄土 真宗を宗派の名前に掲げているにも関わらず、浄土とい うことが5
常の中でどれだけ話題になっているかと思う わけです c そ の 期 、 浄 土 と い う こ と が 待 合 私 た ち に っ て い る の か 、 は 何 故 そ そし しなさろうとしたのか、 うことでふります。 色んな切り口があろうかと思いますが、私は今回、特 に毅驚聖人が﹁教行信証﹄をお書きになる顔い、或いは どういう課題を抱えておられたのかという、その送に絞 ってお話しをしたいと思います。その意味で浄土の詳し﹂ の
,
い中身について、綾々申し上げることはとてもこの限ら れた時間では出来ないと思いますが、少しくその流れを 踏まえてお話し申し上げたいと思います。 親鷺という人 親鷺における顕浄土の課題 お手元に一枚の資料を用意させて頂きました。﹁親鷲 聖人はどういう方であったか﹂、これも色んな切り口が あると思いますが、二つのことを書かせて頂きました。 一つは﹁法然上人を宗祖と仰いで生きた人である﹂とい うことであります。今も申し上げました﹁浄土真宗﹂と いう言葉は、これは宗派の名前として行きわたっている わけですが、親驚聖人は宗派の名前としてお使いではあ りません。浄土が真の宗であるという意味です。もう少 し強めて言えば、浄土こそ真宗である。こういう意味で す。真宗というのは、いつでもどこでもどんな状況の中 でも依りどころとなる、それが浄土であると仰ってくだ さ る わ け で す 。 親驚聖人の和讃を一首引きました。﹁源空讃﹂です。 法然上人のお仕事についての和讃ですが、 智慧光のちからより本師源空あらわれて 浄土真宗をひらきつつ選択本願のベたまう 21 ︵ ﹁ 真 宗 聖 典 ﹄ 凹 九 八 頁 ︶ と仰います。阿弥陀仏の智慧のはたらきである光、力の 中から本師源空が現れた。そして浄土真宗を聞かれて阿 弥陀仏の選択本願を述べて下さったと書いてあります。 浄土真宗を聞いたのは、法然上人であるということを確 かめることが出来るお言葉であります。繰り返しますが、 これは宗派としての浄土真宗を言っているのではありま せん。人聞が何を本当に拠り所とすべきか、これを法然 上人が教えてくださったと一言うわけです。親驚聖人にと って、一番近くは法然上人でありますが、遡れば七高僧、 もっと遡ればお釈迦様がこの浄土を掲げてくださったと 受けとめていかれます。ただそれは法然上人の教えに出 遇った後でありまして、親驚聖人も長らくは浄土の教え に依って生きるということは無かったわけです。もう一 句読んでおきます。これは﹃教行信証﹂のいわゆる﹁後 序 ﹂ で あ り ま す が 、 真宗興隆の大祖源空法師︵﹃真宗聖典﹄三九八頁︶ という言葉があります。真宗を興してくださった、盛ん にしてくださった、その大本は法然上人だということを 仰っています。﹁真宗興隆の大祖﹂の宗の字と祖の字に 丸を付けて頂ければ﹁宗祖﹂となりますね。こういう意
22 味で、法然上人を宗祖と仰いで生きられた、その教えを ずっと本当に聞いて生きていこうとなさったのが親驚聖 人だということを初めに申し上げたいわけです。 もう一つ書きましたのは、それを聞いていくときの立 場、立脚点でありますが、これが﹁愚禿釈親驚﹂という 名のりに込められているということです。この愚禿釈親 驚と名のったのがいつかということについては、三十三一 歳であるか、あるいは流罪以降であるか、今も議論があ るところではありますが、いずれにしても法然上人の教 えに出遇われて、愚禿釈親驚あるいは愚禿親驚あるいは 愚禿鷲ともお書きですが、こう名のって生きられたので す。これは生涯を貫いています。晩年に愚禿善信という 名前も見られますが、愚禿という字は一回も外さない。 これが宗祖のお立場であります。つまり愚かであるから こそ教えを聞かないといけない。長年聞いたから愚かさ が直るという話ではないのです。愚か者であるから阿弥 陀の呼びかけを聞き続けていく。これが教えを聞いてい く時の基本的な立ち位置だったということを改めて確か めておきたいわけです。それで、二応まとめてこのよう に書きました。法然上人を通して浄土真宗に出遇い、そ してその浄土真宗の教えに生き、これを後の私達の為に 残してくださった、浄土真宗を顕かにした人という風に 書いたわけであります。ご自身がこの浄土真宗を大事に 生き、そして後の未来の者の為に残してくださった。こ ういう仕事として、顕浄土というお仕事を見当つけてお きたいという風に思います。 親鷺が求めたこと それから三番でありますが、親驚が求めたことと書き ました。これも長々とお話しすることは出来ませんが、 比叡山での修学、これは伝教大師最澄以来です。誰もが 平等に成仏する一乗という課題、理想が掲げられていま す。大乗菩薩道の根本道場であります。その大乗菩薩道 というのは、白利利他の完成を目指すための修行が中心 となるわけであります。しかしながら、一つの理想を掲 げたところに必ずと一言っていいほど起こるのは、﹁どこ まで出来たか出来ないか﹂という人間の序列化でありま した。更に言、っと、比叡山に登って修行することを許さ れてない、そういう方々もいたわけです。ですから一乗 という課題、これは大変大事なのですが、それが現実と なっていないということに対して、親驚聖人は大きな疑 問を抱えられたに違いありません。少し荒っぽい言い方
をしますと、親驚聖人はたまたま男性に生まれて、そし て文字を読めるような家柄に生まれて、更には修行でき る身体がありました。でも、これは自分でつくったもの は何一つない訳です。たまたまその条件が違えばどうな っていたかということを思うと、一乗というのは決して 皆の為にという話じゃなくて、条件が変われば成り立た なくなる。それは仏道と言えるか、それを本当にお釈迦 様は教えられたのだろうかという、仏教とは何かという ことに対する根本的な疑問をもたれたという風に思いま す 。 親鷲における顕浄土の課題 当時のことをそのまま書き残しておられるお言葉はな いわけでありますが、晩年の八十五歳以降にまとめられ ていきます﹁正像末和讃﹄、この中の一首をとります。 ですから、修行時代のお気持ちそのままというわけには とてもいきませんが、こういう言葉が残されています。 正法の時機とおもえども底下の凡愚となれる身は 清浄真実のこころなし発菩提心いかがせん ︵ ﹃ 真 宗 聖 典 ﹄ 五
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一 頁 ︶ 正法というのは、教行証三つが全て揃っている時機と思 って修行に励むとしても、﹁底下の凡愚となれる身は﹂ と言います。底下というのも有名な言葉で、﹁塵禿の有 23 情、底下の最澄﹂という伝教大師の言葉が残されており ます。それをきっと憶念しておられたに違いないと思い ます。その底下の凡愚であるという我が身の発見です。 清 ら か で あ れ 、 あ る い は 真 実 で あ れ と い う 風 に 一 一 一 日 わ れ で も、全くもってなれないと仰る。ですから発菩提心とい う、これは仏教の出発点なのですが、このこと自体が成 り立たないということを語っているわけです。そういう ものはどうなるのかという問題です。それを、真実に誰 の上にも成り立つ、そういう仏道を求めて下山なさった とまとめました。こんなに簡単にとてもまとめられない わけですが、荒っぽくそのように書かせてもらいました。 親驚聖人の著作を見ていきますと、非常に大事になって いるキーワードがあります。一つは﹁真実﹂、﹁真にして 実なる﹂ということです。煩悩を断ち切れば迷いを超え られるという、これは真理であるかもしれませんが、煩 悩を断ち切ればという、それがいつまで経っても実現し ない、実を結、はないという問題です。だから真であるだ けではなくて実を結ぶ。実であるということが親驚にと っては大変大きな問題であったと思います。 もう一つが、誰の上にも﹁平等﹂ということ。そして、 それがそのうちにとか、何回も生まれ変わってからとい24 うことではなくて、﹁速疾﹂。これは速やかにという言葉 であります。自分が生きている間にそのことが確定する。 これは、現生正定緊という言葉などにも集約されていき ますが、遠い未来のことではなく、今ここにおいて必ず 仏になるということが定まる。こういうことをキーワー ドとして書き残しているわけです。これはもちろん法然 上人に遇うてからのことでありますけれども、山を下り る時に求めておられたであろうと窺われるわけです。一 言で言うならば、誰もが仏になる、これは大事な理想な のです。しかし、人間の側からそれに到達しようとなっ た途端に出来るか出来ないか、どこまで進んだか進んで ないかというランクづけが必ず起きる。それは一乗とい う根本の思想に背くようなことになっていきます。口で は一乗と言いながら、実際そうなっていないという問題 があります。そういう疑問をかかえていた宗祖が法然上 人に出遇われます。これが四番です。 四 ﹁ただ念仏﹂との出遇い 大変有名な﹁歎異抄﹄のお言葉であります。 親鷲におきでは、ただ念仏して、弥陀にたすけられ まいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信 ずるほかに別の子細なきなり。 ︵ ﹁ 真 宗 聖 典 ﹄ 六 二 七 頁 ︶ ﹁ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと﹂こ れが法然上人、よきひとのおおせの内容と受けとめるこ とが出来ます。﹁歎異抄﹄という書物についても色々な 意見があるわけですが、私は日常的に語っておられた言 葉が聞き留められたという意味で、大変大事な書物だと 思 い ま す 。 ﹁教行信証﹄は主著でありまして、これは少なくみて も二十五・六年、多くみれば四十年間程、筆を入れ続け られた本であります。そういう意味で、親驚聖人畢生の 大著であること、これは誰も否定しょうがないわけです。 ただ、何でそんな大きな本になるかというと、念仏に対 する疑問、浄土に対しての疑問を持っている方にも何と か伝えたい、だからあれだけの大きな分量になるわけで す。その意味では、かえって﹃歎異抄﹄の方に直接の言 葉が出ているという風に思います。聞き書きだから軽い ということにはなりません。親鷲がどのように同行と語 り合っていたかということ、これは逆に﹃教行信証﹄で は 窺 い 知 れ な い わ け で す 。 念 の 為 に 一 一 言 い ま す が 、 書 物 を 比べたいわけではないのです。役割が違うということを
親鴛における顕浄土の課題 申し上げたいわけです。聞き書きが軽いということはな いのです。遡れば、一緒にするな言われるかもしれませ んが、仏陀の説法は全て聞き書きとして残されているわ けです。それは、たまたま聞いたという話ではなくて、 聞いた人の中に生きてはたらいている教えであります。 その意味では、聞き書きだから軽いということは、少な くともお経に関しては誰も言わないと思います。私は親 驚聖人においても﹃歎異抄﹂というのは、生の言葉を伝 えてくださる大事な本であると、これを大切に読みたい わ け で す 。 一見すると﹁念仏して、弥陀にたすけられまいらすべ し﹂という言葉が、何故これが親驚の一生を決めるよう なことになったのか分かり難いです。分かり難いという のは親驚聖人のせいではなくて、こちら側の問題です。 つまり、ただ念仏しなさいとか、阿弥陀仏にたすけられ なさいと言われでも、何でそうなのですかと聞きたい自 分があるわけです。しかし、親驚聖人は﹁これ以外、何 も特別なことはありません﹂と断言しておられますね。 私の信心というのは、このこと一つですと仰る。そうな ると、ここは本当に大きなことが込められであると思い ます。例えば、﹁弥陀にたすけられまいらすべし﹂とい 25 う後半のお言葉。これは﹁あなたは阿弥陀仏にたすけら れないといけない人間なのですよ﹂ということを言って いる言葉だと思います。比叡山の修行と対比すれば、止 観の行を積み上げて自利利他の成就を目指して、本当に 実現できると思っているのですかということを言われた わけです。もし、修行が成り立つのであれば阿弥陀にた すけられなさいという必要はなかったでしょう。修行を 重ねて自利利他成就するものになれと、このように呼び かければいいわけです。しかし、我々はそうではないぞ ということを法然上人が仰った。愚かな私たちの為に、 ただ念仏して弥陀にたすけられてゆく道があるという。 これが、共々に歩むべき道として法然上人が提示なされ たことだと思います。ですから、荒っぽく言いますと ﹁ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし﹂とい う言葉は、あなたはどういう人聞かということを問うて いるわけです。自分で心掛ければ今日から人を傷つけな いようなものになれるのか。人を妬んだり恨んだりする 心を無くせるのか。こういうことを問われた言葉だと思 います。これを御同行に語った、本当に自分の信心はこ のこと一つだと仰った。それくらい大事な言葉だと思う の で す 。
26 こ れ が で は ど の めかということで、もう一旬あげておきます。 し か る に 愚 禿 釈 の 驚 、 建 仁 ぷ 十 の 酉 の 暦 、 柑 て本願に婚す o Q 災 祭 聖 典 ﹄ 一 ニ 九 九 間 以 ﹂ これは二十九識の時のことで、﹁建仁学の商の暦﹂とい う年間げがあがっていまナ。余談ですが、親驚塑人は大事 なところにくると自分の名前を必ず書きつけられます。 ﹁しかるに感禿釈の驚﹂という風に、で﹂の私において は﹂ということで寸。これは先程のお飢興抄﹂でも同じ です。﹁親驚におきでは﹂という。一般論ではないので す。﹁この私においては﹂という、ここを外さない。こ れが﹃教行信証いでもとられている表現ではありますが、 ﹁雑行を棄てて本額に婚す﹂と仰います。雑行に対する 一言葉なら、ここは﹁正行に精寸﹂と仰ればいいわけです。 雑行をやめて正しく迷いそ筋える行に帰しましたと言え ばいいです。もう少し言うと、正行の中でも必ず往生を と げ る 行 い は 称 名 念 仏 だ と い う こ と 宏 、 ふ 一 世 口 導 大 師 の 一 言 葉 、 そして法然上人の言葉を過して受けているわけですから、 雑一行をすでで称名念仏に帰寸と書いてもよかったと思い ます。しかし、ぞれだと結局は訳出の行を並べて、こら らは無理だけれども、こちらは出来るという話にまた落 っ て い る も て い く と 思 い つ ま り 、 山 で の 厳 し い だけれども、念仏称えることぐらいなら出来るという様 な饗さをもってしまうのです。ですから、背と行を桔対 させて述べる m りではなくて、依るものが変わったという ことです。その上で雑行というのは、どれほど沢山の行 会積み上げても、あるいはどれ税一生懸命に長年努力し たとしても、それは迷いを越える行ではなかったことを 意味する授業です。雑行・どいうのは、どれが良いか悪い かという行の徹綴判断をしているのではなく、私が積み 上げているものは全て行になっているつもりでしかなか ったということです。迷いを超える行になっていなかっ たというは覚め、これが雑行という言葉にはあります。 それに対して本願に帰すというのは、如来の本願であり ます c 阿弥柁仏の本願。それに婦寸というのは、私に根 拠を援くのではないということ。これが議われているわ け で あ り ま す 。 資料には、時弥陀仏によって成り立つ仏道との出遇い と誉きましたのこれは、実は比叡出以米の⋮乗という課 題、これを﹁教行信絃いでも書き込んでいかれるわけで すが、訪日行信一⋮さでは阿弥持仏の本願によっ J も が 一 平 等 に 成 仏 す る と い う 意 味 で ⋮ 仏 粂 片 い は て