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真宗教学研究 創刊号(1977)

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創 刊 号

教行信証の思想的考察 宮 本 正 尊 1 大 信 の 開 顕 池 田 勇 諦 11 一中道の実践ー 一 念 と 多 念 坂 東 性 純 20 他 力 廻 向 の 信 小 野 蓮 明 33 信 の 浄 土 橋 本 芳 契 49 一浄之真宗と維摩経ー 僧伝にみえる夢中托胎説話 堅 田 修 65 『今昔物語集』の仏・菩薩霊験語 石 橋 義 秀 76 昭和51年度教学大会発表要旨 藤谷大圏春日礼智 89 芳原政範佐藤了忍

昭和

5

2

1

1月

真 宗 同 学 会

(2)

仏 教 思 想 研 究 会 編

仏教思想

1

﹁ 愛 ﹂ の 理 想 と 現 実 : : : : : : : j i −−・中村元 原 始 仏 教 に 現 わ れ た 愛 の 観 念 : : iji − − 雲 井 昭 善 初期大乗経典にあらわれた愛: j i − − : : ・ 藤 田 宏 遠 唯 識 哲 学 に お け る 愛 : : j i − − i j i − − ・ 勝 又 俊 教 密 教 に お け る 愛 : ・ : : : : − j i − − : : ・ : : 川 崎 信 定 古 典 イ ン ド の 愛 ・ : : : : : : : : j i −−:::原実 ヒ ン ド ゥ l 教 に お け る 愛 の 観 念 : ・ − j i − − 奈 良 康 明 儒 教 に お け る 愛 の 対 比 と 交 渉 : : j i − − 木 村 清 孝 親 鷺 に お け る 愛 : ・ : : : j i − − − − j i − − : : 早 島 鏡 正 日 蓮 に お け る 愛 の 弁 証 − j i − − : : j i − − : ・ 田 村 芳 朗 日本思想における愛の観念 j i − − : : : : : 田 村 芳 朗 愛 に 関 す る 新 教 聖 書 と 原 始 経 典 ・ : : : : : 玉 城 康 四 郎 A 5 四 O 八 頁 ・ 三 五 OO 円・干二四 O 円

仏教思想

2

亜fi − − − j i − − ・ : : − j i − − − j i − − j i −−・中村元 善 悪 応 報 の 思 想 ・ − j i − − − − j i − − : j i − − − 雲 井 昭 善 原 始 偽 教 に お け る 懇 の 観 念 : : : : − j i − − − 藤 田 宏 遠 善 悪 一 知 : : : : : j i − − : ・ j i − − − − j i − − − 田 村 芳 朗 悪 の 肯 定 − − j i − − ・ : : : : j i − − − − j i − − : ・ 松 長 有 慶 密 教 に お け る 亜 U j i − − ・ : : : j i − − − j i − − − 金 問 秀 友 華 厳 教 学 に お け る 善 と 悪 : : : j i − − ・ : : 鎌 田 茂 雄 日 蓮 を 中 心 と し で み た 悪 の 超 克 : j i − − : 浅 井 円 道 道 元 の 悪 ・ j i − − : j i − − : : : : iji − − ・ 玉 城 康 四 郎 親 鴛 に お け る 悪 の 自 覚 ・ : : : : : : j i − − − 田 中 教 照 イ ン ド 仏 教 の 末 法 思 想 : ・ j i − − j i − − : : ・ 雲 井 昭 善 中国における末法思想 j i − − li − − j i − − ・ 道 端 良 秀 日 本 に お け る 末 法 思 想 : ・ : li − − ・ : j i − − ・ 石 田 瑞 麿 社 会 悪 : : : : : ・ : j i − − j i − − : ・ : : j i − − 水 野 弘 元 A 5 四 一 六 頁 ・ 四 三 OO 円・干二四 O 円 ︿

31

因 果 ︵ 組 版 中 ︶ ・

41

思 ︵ 編 集 中 ︶ ﹀ 平 楽 寺 書 店 京 都 市 中 京 区 東j同院三条上ル・振替京都613

9

法蔵館品:2~4~:

未公開のものまで全著作のすべてを収録。底本 は可能な限り真蹟本により学的に最高にしてい る。巻末に検索に便利な索引を附す。 − 教 行 信 託 ・ 2 和讃・漢文篇・ 3 書簡篇・ 4 言行篇・ 5 輯録篇・ 6 ・ 7 註釈篇・ 8 ・ 9 加 点 篇 秘蔵の真蹟まですべてを網羅/

A 5 判 ・ 裂 地 表 紙 ・ 各 = 豆 口 ! 喜 一 口 頁 価 全 巻 一 回 口 、 ロ ロ ロ 円 和文・ 写伝篇 鈴 木 大 拙 浄 土 系 思 想 論 新 版 B 6 ・ 子 二 、 き 口 円 星 野 元 豊 講 解 教 行 信 証 A 5 ・ 価 一 一 一 、 八 口 口 円 石 田 慶 和 信 楽 の 論 理 B 6 ・ 価 二 、 言 円 石 田 慶 和 親 驚 の 思 想 B 6 −

Z

、 書 円 広 瀬 果 歎 異 抄 の 諸 問 題 A 5 ・ 予 四 、 八 口 口 円 広 瀬 果 真 宗 救 済 論 A 5 ・ 価 回 、 合 同

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前 お き ﹁真宗同学会﹂の大先輩であり功績者でもあられた曾 我・金子・山口の三先生がみなご逝去になられ、真宗教 学も淋しくなりました。本日、ここで物故会員の追悼会 が行われますので、私はここで追慕の一旬を捧げます。 師 も 友 も お 浄 土 参 り や 、 お 霜 月 呑 雪 教行信証の思想的考察 講演のいろいろの課題 け た 自

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て、民 仏、信 教、伝 か、出 Lー 、一 ー〆 のなげか 駐日英国大使であられたエリオット卿は z 同

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也 の 大 著 を 円 。 ロ 号 口 一 何 千 当日仏﹀

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− − か ら 出 版 、 そ し て 再 版 ︵ 呂 田 品 ︶ を

東大名誉教授・日本印度学仏教学会理事長 列 。 ロ 己 注 目 州 四 除 問 巾 ∞ m H ロ司自円から刊行なされたほど、東 洋思想の権威であられた。しかもそれが東亜の各地に滞 在して実地に身につけられた経験と知識に裏付けられた 豊 か な 、 も の で あ っ た 。 zh

S H H F 問 、 色 、 同 志 向 = ︵ 開 門

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− − H 8 3 はそれを語っている。 駐日大使在任六年余︵一九一九|二五︶の後も奈良に滞 在され、退官数ヶ月前、奈良で書き始められたのが十八 章からなる ε ’

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宗 句 、 主 診 な さ = ︵ ピ ロ 合 口 日 開

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︶の名著である。そしてご 病気のため筆をおかれたのが﹁第十七章禅について﹂で あった。そのため当時在日英国大使館参事官であられた サンソム先生が編集かつ監修に当られ、最後の﹁第十八 章日蓮について﹂は

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︿ 口 同 ・ 弓 守 芝 、 同 誌 ・ 出 い て 門 川 町 −

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ー ささ=となっているのもそのためである。筆者も在米中、

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2 当時スタンフォード大学におられた先生のご好意あるお 招きがあったのであるが、事情によって、実らなかった。 先生には三冊続きの第一冊である

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名言

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口 同 O E d 巳 ︿ ・ 句 H O E −

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∞︶の名著を始めと し て 、 = ’ む 芯 ミ 門 リ ミ 言 、 S N H H r 同 ロ ミ = ︵ H S H ︶ u z 吋 F h g h g M m 言 明 朝 、 口 、 円 札 白 ミ ’

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見 守 s s = ︵ H 8 0 ︶ − z ’

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見 守 塁 芸 引 で と 門 出 E h N G ミ こ ︵H U m H ︶などの諸論文があり、日本学士院会員にもおなり に な っ た 。 エリオット卿はオックスフォード大学ご出身で、ベー リオル、モウダリンなどのスカラシップを始めとして、 トリニティのフエロシヅプなど、数々の名誉を身につけ られた稀な秀才であられた。とくに語学の天才で、サン スクリット・パlリ・へブリュl・シリアック・ルウシ アン・アラピッグ・タlキッシュ・ベルシアン・ヒンド ウスタニィ・チャイニlズに堪能であられた。 昭和五年︵一九三

O

︶十二月インフルエンザにかかられ、 翌年二月神戸から乗船帰国の途につかれたが、シンガポ ールで三月十六日ご永眠。そしてマラヅカ海峡で水葬。 エリオット卿の日本滞在は十余年にわたり、真宗につ いても﹁門徒もの知らず﹂とか﹁悪人正機﹂はもとより、 へいぜいごうじよう 称名報恩・平生業成など簡潔な宗教としてのよさを評価 していられるとともに、東本願寺の祖師堂が東洋一の巨 大な木造建築物であることや、毛綱のことにもふれてい られる。しかし多国鼎師の修道講話はクリスト教的であ り、清沢満之先生のへlゲル研究は果してどの程度のも のであったかなどと批判され、また佐々木月樵先生の

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切ミ忌

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山辺習学師の

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吋 ﹄ f m N w s h S F S 宵 お お さ 同 仇 ﹄ w S E S − − ︵ 何 回 、 国 件 。 吋 口 出 口 ︽ 詑 何 回 目 m F ︿ c − − ロ − Z 0 ・ 日 − H U N ω ︶など、釈迦と親驚の教が同致であるとか、阿闇 世の儲悔が史実であるとかは、到底承認できないと評さ れている。さらに釈迦弥陀ニ尊二教といいながら、釈迦 堂はどこにもないのは、どういうわけかと、指弾もされ て い る 。 しかし弥陀の本願他力の救済観について、そのル l ツ ︵

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︶ を 、 同 枠 内 H W m w u Z 開 口 m v w 伊 丹 何 回 訓 に お け る ∞ ロ

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の菩提心に原型があると指摘し、さらに他力廻向論もイ ンド的であるとし、ブハグティ=凶 b s b H 札=信仰として のクリシュナ︵同お宮︶などを例証にしていられる。全般 的にグリスト教信仰の影響を強調していられるが、教行 信証六巻がそれぞれ別々の本願によって表徴されている 信仰論理の組織を知っておられないためであろう。筆者 は﹁⑥教行信証六巻の看板はそれぞれの本願によって表

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徴される﹂表題のもとに、論証したい。 卿の﹁真宗は果して仏教か﹂の批判について、筆者は ﹁ 教 行 信 証 と 仏 教 ﹂ ︵ 親 瞬 時 教 学 第 7 号昭和四十年十二月︶お よ び ﹁ 教 行 信 証 、 証 巻 の 課 題 ﹂ ︵ 大 原 先 生 古 稀 記 念 ﹁ 浄 土 教 思 想 研 究 ﹄ 昭 和 四 十 二 年 、 五 二

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ー コ 一 頁 ︶ の う ち に 触 れ て い る 。 仏教学盛んにして、仏教衰う 教行信証の思想的考察 こうした評言があると、いわれている。しかしこれな ども、思想的論拠によっていないと、的を正しく射るこ とはできない。現在のところ、仏教学が盛んになったの は、日本だけのことではなく、いって見れば、世界的に 広くかっ盛んになっている。仏教が科学性に富んでいる と認識され、評価もされ、科学性を必要とする近代から 現代にかけ、盛んになってきたのは、実際のすがたであ る。もっとも、こうした仏教復興は、仏教者が新しい世 界的観点に立って、努力をしてきたおのずからなる学的 みのりであろう。平たくいえば、仏教学の盛んな実状に 刺戟されて、﹁仏教衰う﹂というような言い方をする仏 者・仏教者たちも、ここで奮起一番、その及ぶかぎりの 宗教的努力によって、世のため人のため、大衆の利益幸 3 福のため、世界人類の自由と平和のために、大きな活躍 をして頂きたいのである。そしてその大きな宗教的偉力 の発揮によって、各宗協同を実状とする﹁日本仏教﹂も 一段と充実して、広く国の内外にその信用を高めること が で き よ う 。 ﹃教行信証﹄は思想的組織を持った仏教 諭釈である ﹃教行信証﹄は立教開宗の原典である。これを御本書 とも御本典ともいっているが、その厳密な表題は﹃顕浄 土真実教行証文類﹄六巻である。そしてまた内容的には、 ﹁顕浄土真実教行信証・顕浄土真仏土・顕浄土方便化身 土文類﹂六巻となっている。到底一口ではいえないほど の表題を持っているのである。こうしたことについての 知識を持っている学者がごく少ないことを思えば、無理 もないことである。ただこうした親驚聖人の独特の判別 には、それぞれ思想的根拠があり、六巻の組み立てには、 一貫した思想的組織があってこその﹁教行信証﹂である ことを、銘記しておかねばならない。 とくにこの﹃教行信証﹄の表題が﹁教行証文類﹂とな っていて、聖人の独創である﹁信文類﹂がそこに示され

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4 ていないこと、そしてこの信文類にだけとくに別序がつ け加わえられているわけなどは、到底ご理解にはなって いなかったであろう。このように﹃教行信証﹄は独創的 な仏教思想書であって、聖人が法然門下となって﹁雑行 を棄てて、本願に帰した﹂建仁元年︵ H N O H ︶の頃から、越 後配流の五年、関東流浪二十余年、京都移住二十五年余 の長期五十余年にわたる創作・推敵・修治・補筆・改訂 によって製作されたものである。そして現在、国宝に指 定されている坂東本と高田専修寺本との外に、原本また は初稿本と想定される未見の一本が考えられている。こ の教行信証に続く親鷺聖人最晩年の著作は﹁草木国土悉 皆成仏﹂の妙文ぞ引用して信心仏性を説いた﹃唯心紗文 意 ﹄ ︵ 正 嘉 元 年 、 HM 印寸︶と、正嘉二年十二月に高弟顕智が 聞書している﹁自然法爾章﹂とであって、八十五歳から 八十六歳にわたる最後の労作である。 当時たまたま法然・親驚の師弟が、それぞれ土佐と越 後へ配流された建永二年︵ H 8 3 に﹃法華三大部私記﹄な かんづく﹃止観私記﹄を仕上げた宝地一房証真︵吋 l H H m 日 l 口白ロミごがいた。証真はこの三大部私記完成に専注 して源平の戦を知らなかったといわれる天台の学匠であ っ た 。 永 万 年 間 ︵ 口 町 田 町 田 ︶ に 私 記 を 草 稿 し 始 め て か ら 、 五十余年間、書いては直し、修治改削をなし続けた点に おいて、親驚聖人に先立って、手本を示した先輩である。 そ し て 大 原 談 義 ︵ 同 呂 町 ︶ で 始 め て 念 仏 の 法 を 聞 い 専 修 に 心 をひかれている。当時、聖光房弁長・善慧一房証空・長楽 寺隆寛・一念義の幸西などにみられるように、法然門下 の新しい念仏門と叡山の天台教学とは、切っても切れな いほどの深いつながりがあったのである。 このように﹃教行信証﹄は聖人の深い宗教的体験によ る創作であるばかりでなく、広い仏教知識に基いた思想 書である。筆者は昭和四十年十月十三日、大谷大学開学 三百年記念講演会に招かれて﹁教行信証と仏教﹂の題の もとに講演し、エリオット卿の﹁真宗は果して仏教か﹂ に答えた。そして大谷大学真宗学会﹁親驚教学﹂第

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号掲載の講演記録を加筆補訂して、昭和四十四年安居本 講﹃顕浄土真実証文類講読﹄第四章﹁教行信証と仏教﹂ ︵ 昭 和 四 十 四 年 七 月 東 本 願 寺 出 版 部 ︶ の う ち に 、 エ リ オ ッ ト 卿の親驚批判に詳しく答えている。 昭和三十一年十一月二十八日、聖人の七百回御遠思記 念に﹁坂東本﹂の原寸大の影印を刊行し、これを機会に して、筆蹟や紙質の研究がすすめられた。そして﹃親驚 聖人真蹟、国宝、顕浄土真実教行証文類影印本解説﹄が

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発刊され、赤松俊秀博士﹁教行信証の成立と改訂﹂藤島 達朗博士﹁教行信証の書誌﹂名畑応順博士﹁教行信証の 教義﹂がのせられている。そして赤松博士は翌年﹃鎌倉 仏教の研究﹄︵昭和三十二年七月平楽寺書店︶の﹁親驚をめ ぐ る 諸 問 題 ﹂ ︵ 一 一 一

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頁︶のうち、とくに﹁教行信証 ︵坂東本︶について﹂は、前述の﹁教行信証の成立と改訂﹂ とともに、教行信証の思想研究についても、重要な史的 論拠を与える有益な調査研究である。 昨年十一月二十三日、昭和五十一年度教学大会におい て、公開講演として﹁教行信証の思想的考察﹂の発表を したが、その年の暮れに、幡谷明教授が﹃親驚教学の思 想史的研究﹄︵十二月二十日文栄堂︶を出版された。機宜を 得た労作として、敬意と感謝のこころを捧げたい。 四 人文・社会・自然の科学活動の根に大きな つり合い秩序性と中道的叡智がある 教行信託の思想的考察 宗教書の研究において、思想を重んじなくては、その 信仰も正しく発達しないと思う。宗教に正しい思想が必 要なのは、芸術に正しい感覚・感情が必要なのと、同等 である。哲学・宗教・文学・芸術はもとより、教育・心 理・社会を含む﹁人文科学﹂にせよ、政治・法律・刑法 5 −経済・経営などにわたる﹁社会科学﹂にせよ、理学・ 工学・農学・医学の﹁自然科学﹂にせよ、人聞が営むこ れらの諸領域において、それぞれの基礎的在り方におい ても、生成発達の実存性においても、常に正しい大きな つり合いが必要とされている。これを今日的にいえば、 われわれ人間の人生観・生活環境観・広い自然観、さら に ∞ ℃

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白的な宇宙的世界観のいずれにとっても、 つり合い秩序性は厳然としている。仏教的にいえば、法 ・ 法 性 の = b 言 、 き お 1 b p a 突きミ守、に当る。こうしたつり 合い秩序は、釈尊仏陀のさとりの要めであって、仏教の 基本的な原理実践ともいうべき﹁仏法僧の三宝印﹂の拠 りどころでもある。 日本仏教徒は、近代に入り、また現代に及んで、集会 に当って、まず最初に﹁帰三宝侮﹂を合諦することにな った。そしてこの三宝帰依の実践によって、その会合の 仏教的意義を相互に確認し、実践付ける慣習を身につけ てきた。このようにして、今や、帰三宝泊四は、世界人類 の自由と平和を祈誓する願文となったのである。世界に 果してこのような簡潔にして実践的な人道的語文は、あ るであろうか。そこには、自然と人問、真理と実践が、 相依り相扶けて、さとりの要一諦へと棟りあげてゆく﹁中

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6 道的叡智﹂が主体的実践の推進力となっている。 釈尊の中道の原型は、苦行と享楽との生 活体験による﹁苦楽の中道﹂と﹁八正道中 道﹂である

釈尊の﹁中道の原型﹂は苦行と享楽との生活体験に裏 付けられた、さとりの主体的実践であったところに、永 遠の真実がある。その﹁八正道中道﹂とは、正見の哲 学、正思の倫理道徳、正語・正業・正命と続く、正しい 言語行為と職業と生活経営、そして正念は正しい憶念の 念仏であり、正定は正しい坐禅三昧で、こうした正念・ 正定は、合せて正しい宗教実践である。しかもこうした 人間の哲学・倫理・生活経営・正しい宗教実践が、すべ て﹁正精進﹂の基盤的推進力によって、実りある前向き の生活となっている。そこに八正道の中道性がある。 もともと、釈尊の菩提樹下成道の根源力も、ジャl タ ぎ よ う に ん に く し よ う じ ん カ菩薩行の根としての﹁忍辱精進﹂であった。こうして ﹁仏教の修行とさとりとを合せ結ぶ力﹂そのものも、こ の忍辱精進であるのである。そしてその典型となるもの は、﹃初転法輪経﹄にはっきりと説き一不されている﹁入 正道中道﹂であったのである。 昨年の真宗同学会で、特別研究発表をされた小野蓮明 ・池田勇一諦・坂東性純の三師にも、中道実践の必要性が 説かれた。とくに坂東性純教授は、一念多念について、 基盤にバランスと中道が実践されていると、示されたの を 拝 聴 し た 。

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教行信証六巻の看板は本顕である 教行信証各巻それぞれの特徴が、それぞれの本願によ って表徴され、そこに本願の太い山肱ができている。も ともと如来の本願は﹁選択の本願﹂である。しかし判別 にも選択にも、つねに正しい思想を必要とする。そして 教行信証六巻が、四十八願全体の基盤において、選択八 願によって表徴されているすがたには、独創と組織との 偉容が感ぜられる。それが次の表に示されている。 真 実 之 教 浄 土 真 宗 浄 土 真 実 之 行 選 択 本 願 之 行 正 定 褒 之 機 難 思 議 往 生 往 相 在 果 之 願 ︶ 利 他 教 化 地 1 教 大無量寿経 2 証 信 行 諸 仏 称 名 之 願 至 心 信 楽 之 願 一l 至 滅 土 之 願 一 ︵ 証 大 浬 繁 之 願 、 一 ︷ 還 相 廻 向 之 願 光 明 無 量 之 願 一 i 寿 命 無 量 之 願 3 4 5 真仏土 四 十 八 願 ︶ ︵ 第 十 七 願 ︶ ︵ 第 十 八 願 ︶ ︵ 第 十 一 願 ︶ ︵ 第 ニ 十 二 願 ︶ ︵ 第 十 二 願 ︶ ︵ 第 十 三 願 ︶

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1 至 心 発 願 之 願 Ji 邪 定 察 機 一 一 一 隻 樹 林 下 往 生 一 一 無 量 寿 仏 観 経 意 也

l 至心廻向之願つ不定察機 一 難 恩 往 生 ↑ 阿 弥 陀 経 意 也 7 親 驚 は そ の 自 伝 に 、 入 信 初 一 念 の 主 体 性 は ﹁ 雑 行 を 棄 て て 、 本 願 に 帰 す ﹂ と 述 べ て い る 。 6 化身土 ︵ 第 十 九 願 ︶ ︵ 第 二 十 願 ︶ 教行信証の思想的考察 承 一 万 元 年 三 二

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七 の 仲 春 、 興 福 寺 学 徒 の 奏達によって、源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考え つ み ず、猿りがわしく死罪に坐す。あるいは僧の儀を改め、 姓名を賜うて、遠流に処す。予はその一なり。しかれば ﹁非レ僧非レ俗﹂この故に禿の字をもって姓となす。空師 つ み ならびに弟子ら諸方の辺州に坐して、五年の年を経たり。 ︵ 中 略 ︶ し か る に 建 仁 辛 酉 の 暦 ︵ 一 一 一

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一 二 十 九 歳 ︶ ﹁ 雑 行を棄てて、本願に帰す﹂。ついで師法然の選択集の書 写、真影の図画などを記し﹁自伝﹂を終っている。 親鷺がこのように自筆でその経歴の大綱をまとめて記 しているのは、この教行信証の末尾以外にはない。この 一事をもってしても、いかに﹁教行信証六巻﹂にその 生命をかけていたかがわかる。そのうちでも、もっとも 印象的なのは、法然によって入信した初一念の主体性を ﹁雑行を棄てて、本願に帰す﹂と記録していることであ 三 十 五 歳 ︶ 7 師法然の選択集二行章では﹁捨ニ雑行一掃−

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帰ニ念仏ことして、﹁念仏為先﹂﹁念仏為本﹂が標語とな っているのであるが、親驚は信の主体性のよってくると ころの﹁本願に帰す﹂と決定したのである。親驚は法然 に依り、法然は善導による。そして善導の散善義の正行 についてご心専念弥陀名号、行住坐臥、不問時節久近、 念念不捨者、是名正定之業、順秘仏願か﹂による方が、 親驚の﹁帰本願﹂に親しいようである。もとより念仏付 属章の﹁上来雄説定散両門之益、望仏本願意在衆生、一 向専称弥陀仏名﹂によっても、その根源は本願にある。 法然は念仏の一行を選択した弥陀の本願を明らかにした が、親鷺はその念仏の行や信心はもとより、真実の証さ えも、弥陀の本願力廻向によるとして﹁他力廻向﹂を明 瞭判然ならしめて、新時代を聞いた。法然の選択は偏依 善導、親驚の廻向は偏依曇驚である。選択にせよ、廻向 にせよ、本願によるのであって、両方に共通しているの は、本願であることは、はっきりしている。 親驚は化身土巻において有名な﹁一ニ願転入﹂を述べて いる。﹁ここを以て愚禿釈の鷺、論主の解義を仰ぎ、宗 師の勧化に依って、久しく万行諸善の仮門を出で、永く る 。

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8 費樹林下の往生を離る。善本徳本の真門に廻向して、偏 えに難思往生の心を発しき。しかるに今特に方便の真門 を出でて、選択の願海に転入せり。速かに難思往生の心 を離れて、難思議往生を遂げんと欲ふ。果遂の誓、まこ と に 由 あ る 哉 。 ﹂ ︵ 下 略 ︶ ここに﹁今特に﹂の感懐をもって﹁選択の願海に転入 せり﹂と述べるところは、吉水入門において﹁雑行を棄 てて、本願に帰す﹂と、その初心を語っているものと、 相通じ、かつ一致するものがある。 七 どうじぎよう 親驚の教行信証と恵信尼の同事行 親驚の﹁自伝﹂と﹁恵信尼文書﹂とは、照らし合せて 読んでこそ、在家菩薩の生活からにじみ出るような﹁真 宗の宗教味﹂が感得される。越後から関東、関東から京 都へと、つねに流浪の生活苦を生きながらえた恵信尼は、 法然と親驚を勢至と観音の化身であると夢見たほど、献 身的な良妻であった。高雅にして豊かさと筆力のあるそ の筆蹟ゃ、理路もあり人情もこまやかに溢れている文章 などから推して、知性型で詩人でさえあった親驚を温か につつんで、強く大きな人物に仕上げるほど、懐ろが深 く宏かったのが、大地の母性恵信尼の人柄であった。 越後国府に流されて五年、関東を流浪すること二十余 年、つねに﹁教行証﹂に﹁信﹂をいかに打ちこむかに専 念していた親驚が、冬の寒気に耐えて春に萌え出る雑草 ぐ ん も う の強さを秘める﹁群萌﹂の言葉によって自己を表出した。 弾圧下の親驚の生活にこれほどぴったりした言葉はな いであろう。﹁さとり﹂の巻である﹁証巻﹂において、 証とは利他と浬撲であるとしめくくり﹁しかるに煩悩成 就の凡夫、生死罪濁の群萌﹂と自己を打ち出し、それが 弥陀の廻向する信心と念仏とによって、この身このまま 不退の位に住し、かならず浬繋をさとる身になると続け ている。人間実存の限局に立つ﹁証﹂の世界において、 げんぞう よく還相利他の活動ができるのも、これひとえに本願他 力廻向によってのことである。しかもこのことは、世親 ぞうぜんかんにん の浄土論と曇驚の論註とによって、われら﹁雑染堪忍の 作 、 2 伽 dも A J 群萌﹂が教え育てられてきたお蔭によると感謝している。 今日、われわれの生活も、ただ﹁忍﹂の一字だとよくい われている。ただこうした還一相廻向の利他活動のところ にきて、﹁雑染堪忍の群萌である﹂といって﹁証﹂を語 っている親驚に対し、現代人も深く思いをいたさねばな る ま い 。 親鷺は行巻において﹁一乗海﹂ の 一 言 葉 に よ っ て 、 宣 言 ボ

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教行信証の思想的考察 は大乗仏教の一乗精神にかなったものとし、﹁唯これ誓 願一仏乗なり﹂と結んでいる。次いで念仏と諸善とを比 較対論して、難易対・頓漸対・横堅対の四十八対をあげ ている。それを受けて、次のようにいっている。 しかるに本願一一東海を按ずるに、円融満足、極促 無碍、絶対不二の教なり。また機について対論する に、信疑対・善悪対・正邪対・是非対・虚実対・浄 穣対・利鈍対・奪促対・事賎対・明闇対あり。この 義かくの如し。しかるに一乗海の機を按ずるに、金 剛の信心は絶対不ニの機なり。知るべし。 中道は初転法輪時において、釈尊独自の生活体験に実 った仏教用語であるが、不二は主来仏教になってからの 標語である。親驚や道元は中古天台の伝統の流れのうち に育ったために、不二がさとりの最後を示す重要な言葉 となっている。道元の正法眼蔵における﹁修証不一一﹂は 千古を貫くさとりの表示であるが、親難の﹁絶対不二﹂ は仏教史に前例を見ない使用である。 不二はどこまでも﹁二でない﹂という否定のところに、 無限の味があり、これほど豊かな人間形成の解脱味は、 ぞう多くはあるまい。しかし親驚の絶対不二には、誓願 一乗海が二でないというよりも、一であり絶対であると 9 する表現の強さがある。そしてこれは法然が菩提心を捨 てても専修念仏の一行を択び取った強い心をどこかに持 っている。反時間と弾圧に渦巻く時代の転換期に強く生き た人々の精神が、見受けられる。そして親驚の一乗海に は、流罪になった越後国府の配所にあって、聖教をひも とく彼の耳を打った北海のごうごうたる荒波の響きがあ る。親驚に人生の詩を与えたものは、こうした北越関東 の雪と波と大地だけでなく、生涯の伴侶恵信尼の黒習も あ っ た で あ ろ う 。 教行信証末尾の﹁よろこばしきかな、心を弘誓の仏地 に樹て、念事︸難思の法流に流す﹂以下は、恵信尼の大地 母性愛に捧げられた大文字であろう。まず道紳の安楽集 おうやく から﹁真言を採集して、往益を助修せしむ。何んとなれ ば、前に生れん者は後を導き、後に生れん者は前を訪ぶ らえ。連続無窮にして、休止せざら使めんと欲す。無辺 の生死海を尽さむが後の故なり﹂という文を引き、最後 の引文として﹁華厳経の備にいうが如し。菩薩種々の行 を修行するを見て、品五回不善の心を起すこと有りとも、菩 薩皆な摂取せん﹂の一文を引き、教行信証六巻を終って い る 。 ﹂のように華厳経入法界品、第四十一番目の善知識ゴ

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︶童子に教えた﹁菩薩 が修行中に善不善の心を起すことがあっても、みな摂取 するのが菩薩行である﹂という余韻の深い文字によって、 教行信証が閉じられているのである。 入法界品では、このゴ l パ i 女 の 前 の と こ ろ は 、 子と妙徳女﹂との恋愛物語であり、 10 ﹁ 太 そ の 後 の と こ ろ は 、 マ l ヤ l 夫人の一節である。つねに愛欲の広海に沈没す る自分であると悲嘆していた親驚が、教行信証を終るに 当って、生涯の信の友であった妻恵信尼の愛による﹁同 じ ぎ よ う ぽ さ つ ぎ よ う 事行﹂に答えるために、ゴ l パ l 女の菩薩行を引用し、 これによって恵信尼を永遠に記念しているのである。

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||中道の実践|| lま が き し 本 稿 は 昨 年 ︵ 昭 五 一 ・ 二 ・ 二 一 一 一 ︶ の ﹁ 大 谷 派 教 学 大 会 ﹂ における発表の草稿に加筆したものである。それは﹃教 行信証﹄について真宗学の立場から何か一つの発表をす るようにとの指示にしたがったものであるが、近年自分 の問題意識のなかで特に関心事となっている︿中道の実 践﹀ということを、﹃教行信証﹄の歴史的使命としての 大信の開顕に学びとろうとしたものである。 大 信 の 関 顕 ﹃教行信証﹄の後序に 選 択 本 願 念 仏 集 者 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 真 宗 簡 要 念 仏 奥 義 摂 − 一 在 子 v 斯 : : ・ ・ 誠 是 希 有 最 勝 之 華 文 無 上 甚 深 之 宝 典 也 ・ ・ ・ ・ ・ ・ 深 11

知 コ 如 来 衿 哀 一 良 仰 − − 師 教 恩 厚 一 慶 喜 弥 至 至 孝 弥 重 因 ν 悲 紗 = 真 宗 詮 一 捺 = 浄 土 要 一 と深い感動において記述せられている自証性からも、 ﹃教行信証﹄は恩師法然上人の﹃選択集﹄の真実義を徹 底的に開顕せられたものである 1 1 1 こ れ が ﹃ 教 行 信 証 ﹄ に接する真宗学の常にふまえる基本的視座であり、ここ に法然上人は浄土真宗の﹁元祖﹂、親驚聖人は﹁宗祖﹂ として、両祖の深い呼応性のうえに浄土真宗の内実を学 びとろうとする真宗学の立場があるといっていいと思う。 では、その﹃選択集﹄の真実義の徹底的開顕とは何を 指すのであろうか。けだしそれはわれわれの仏道につい て 南無阿弥陀仏 という行の批判を 往生之業 念仏為本 ︵ ﹃ 選 択 集 ﹄ ︶

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12 憶 − 一 念 本 願 一 離 z 力 心 一 という信の批判として開示せられたことのうえに集約さ れるといえるであろう。まさしく大信の開顕そのことに ほ か な ら な い 。 ︵ ﹁ 化 の 巻 ﹂ ︶ かかる元祖相承の視座に立って﹃教行信証﹄に接する とき、一往﹁教・行﹂二巻を︿伝統の巻﹀、﹁信・証﹂以 下を︿己証の巻﹀といえることにおいて、﹁教・行﹂二 巻は必然的に即︿選択集の巻﹀ということができる。こ の点、常に指摘せられるごとく﹁行の巻﹂にみる﹃選択 集﹄一部の擬全的︵題号・標宗文・総結文︶引用が、本 願念仏の伝統を集約するものと理解されることからも明 瞭 で あ る 。 古来﹃選択集﹄の綱要については、奈辺にその中心を 見るかの、いわゆる据り論として考究せられてきている が、これが時機の自覚を内実とする浄土宗独立の宣言 ︵教相章教︶書として選択本願念仏を高揚するもので あるかぎり、その義意的構造性において﹁ニ行﹂﹁本願﹂ ﹁ 三 心 ﹂ の 一 一 一 章 に 要 約 さ れ る こ と は 明 ら か で あ ろ う 。 すなわち、初に 以 ニ 上 五 種 之 中 第 四 称 名 一 為 = 正 定 之 業 一 といって往生浄土の正業務﹄念仏の一行となし︵二行章| 行てその正業性の所以については﹁順彼仏願故﹂の一旬 に密着して 聖意難 ν 測 不 レ 能 ニ 弧 解 一 難 レ 然 今 試 以 ニ 二 義 一 解 レ 之 一 者 勝劣義二者難易義 ノ と﹁平等慈悲﹂そのもののうえにその根拠性を確認し 、 ノ ノ ︵本願章|願︶、かかる﹁仏本願行﹂なるがゆえに本願に 相応する信の必須性をあらわして 念仏行者必可 2 兵 = 足 三 心 一 と い い 、 当 ν知生死之家以 ν 疑 為 = 所 止 一 浬 繋 之 域 以 レ 信 為 = 能 入 一 とその正因性に言及されている︵一二心章|信・証︶。こ こに行の批判としての﹁選択本願念仏﹂の要義性は簡明 に尽しきられていることによって、まさに﹁真宗筒要念 仏 奥 義 摂 = 在 子

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期﹂と讃えられる所以である。 かくてこのような﹃選択集﹄の念仏義を適確に祖述す るものとして﹁教・行﹂二巻の所明が注意されるのであ って、それは﹃選択集﹄の念仏がどこまでも本願の念仏 なることにおいて、即、本願力廻向成就の念仏なること を讃嘆することに尽きるのである。 すなわち﹁行の巻﹂初の

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大 行 者 則 称 = 鉱 山 碍 光 如 来 名 一 斯 行 即 是 摂 ニ 諸 善 法 一 区 内 ニ 諸徳本一極速円満真如一実功徳宝海故名=大行一 とあるいわゆる大行釈は、何よりもそれを端的に総説す るものであり、次下の各釈はそこに内含せられる念仏の 要義性︵称名正業性・本願名号性・信心正因性︶を別説 的一郡せられるものとして、文証を指摘するまでもないこ と で あ ろ う 。 さらに加えて﹁唯可信斯高僧説﹂に帰結する﹁正信念 仏侮﹂をもって﹁行の巻﹂を結ぼれていることは、何よ りも本願念仏の伝統へのかぎりなき讃嘆として這般の消 息を雄弁に物語るものといわねばならない。ここに﹃教 行信証﹄がその伝統性から、﹁教・行﹂ニ巻で完結してい ると理解せられることの必然性を思わずにはいられない。 大 信 の 関 顕 それでは何故に﹁信の巻﹂以下を執筆されねばならな かったのであろうか。この点こそは即﹃教行信証﹄撰述 の縁由として常に注意せられるところであるが、それを 端的に語るものこそ﹁信の巻﹂の別序にほかならない

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ー一般の著作形式からいって、一部の著作の中間に序を おくという異常さを敢えてせられてまでの表現性に、却 13 って﹁信の巻﹂を軸とする﹃教行信証﹄撰述の意趣を領 解せねばならない||。すなわちそこに指摘する 然末代道俗近世宗師沈 z 性 唯 心 − 庇 = 浄 土 真 証 一 迷 − 一 定 散 自 心 一 昏 エ 金 剛 真 信 − という現実への深い悲傷にあったのである。これはすで に総序に 捨 ν積欣 ν浄迷 ν行惑 ν信心昏識寡悪重障多特仰ユ如来 発 遺 一 必 帰 = 最 勝 直 道 一 専 奉 = 斯 行 一 唯 山 口 市 ニ 斯 信 一 といい、また後序に 然諸寺釈門昏レ教今不 ν知エ真仮門戸一洛都儒林迷 ν 今 無 レ 弁 ニ 邪 正 道 路 一 : : : 主 上 臣 下 背 レ 法 違 ν 成 レ 恋 結 ν ・ : ・ ・ ・ 慶 哉 樹 = 心 弘 誓 仏 地 一 流 = 念 難 思 法 海 一 等とあることと照応するものである。かくて 墨愚禿釈親驚信=順諸仏如来真説一披エ閲論家釈家宗 義 一 広 蒙 二 ニ 経 光 沢 一 特 開 二 心 華 文 一 且 至 = 疑 問 − 遂 出 = 明 証 一 といって、すでに念仏義の尽くされている﹁教・行﹂二 巻から敢えて﹁信の巻﹂以下を提起せずにいられなかっ たところのものは、まさに沈迷の機の現実を縁として浄 土の真証を聞く金剛の真信、すなわち本願力廻向成就の 大信性を開顕せんがためであって、まさしくコ二問答を

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14 主体とする﹁信の巻﹂の所論の具−証するところである。 すでに念仏の﹁信﹂については﹃選択集﹄に﹁三心章﹂ を聞いて注意され、﹁行の巻﹂また︿行信の巻﹀として それを明かすところであることは先きに一言したごとく である。しかしそこにおいて﹁念仏﹂と﹁信﹂の関係、 すなわち﹁信﹂の本拠性が、﹁自性唯心﹂﹁定散白心﹂ にあるかぎり、﹁金剛の真信に昏﹂くして﹁浄土の真証 を庇しめ﹂るものである。 本来﹁念仏﹂と﹁信﹂の関係は、念仏即信であって決 して念仏に加える信ではない。もとより信が機であるか ぎりそこに体験性をいのちとしつつも、却ってそれは ︿念仏則体験﹀︵持業釈︶といわるべき超越的体験性で ある。にもかかわらず、もしそれが︿念仏の体験﹀︵依主 釈︶という内在的体験性に沈潜すれば、信といっても念 仏の人間的翻訳化として、﹁智慧各別なるがゆへに信又 各 別 ﹂ ︵ ﹃ 伝 絵 ﹄ 上 ︶ と な る ほ か は な い 。 思うに、念仏即信の体験的構造性は、信が人間心から 生起する出来事ごとでなくして、人間心に発起する事象 であるということである。したがってそれほどこまでも 念仏の心でありつつ、同時に人間の自覚であることを意 味している。すでに別序のうえに 獲 = 得 信 楽 一 発 三 起 自 = 如 来 選 択 願 心 − といって、発起性︵如来の信︶と獲得性︵人聞の自覚︶が指 摘せられる所以である。その意味でコ二問答にみる仏意 釈は、まさしく﹁念仏﹂成就の仏自証の道程であると同 時に衆生﹁一心﹂の自覚過程として念仏即信の内面的必 然性を推求開顕するものにほかならない。 けだし﹁信の巻﹂はすでに﹁教・行﹂二巻に明かす念 仏の信の根拠性をどこまでも念仏自身に見開くことによ って、ひたすら選択本願念仏の伝統に回帰せられたもの である。すでに念仏の伝統に召喚された感動は﹁侮頒﹂ をもって表白し、その感動は同時に伝統を背負う使命と ス 一 転 し て ﹁ 且 至 = 疑 問 一 遂 出 = 明 証 一 ﹂ ﹁ 問 答 ﹂ と し て 表 現 せられたのである。この意味からいえば﹃教行信証﹄は、 全く﹁偶頚﹂と﹁問答﹂の呼応的構造性にあるというこ と が で き る 。 かくて念仏即信の開顕は﹁自性唯心・定散自心﹂とい われる人間過信のあり方へのかぎりなき批判として、い わ ゆ る 邪定爽機双樹林下往生 無量寿仏観経之意也 不定車究機難思往生 阿弥陀経之意也 と標示する自力信、さらには 至心発願之願 至心廻向之願 ︵ ﹁ 化 の 巻 ﹂ ︶

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外教邪偽異執 という外道心に簡ぶ 至心信楽之願正定緊之機 として定立せられたのである。ここに真仮批判を内容と する大信の開顕性に、真に仏道成就を顕証する﹃教行信 証﹄の歴史的実践的意義がなければならない。 同 ︵ ﹁ 信 の 巻 ﹂ ︶ 大 信 の 関 顕 かくて思うに、かかる如来の信としての大信性は、す でに﹃大経﹄に﹁明信仏智﹂︵智慧段︶と説かれるごとく、 阿弥陀の仏智に依止するかぎり、それはまさに大乗の仏 道が開示する中道の智慧の実践の廻向成就であることに 深く注意すべきである。この点何よりも端的に示すもの は、﹁信の巻﹂大信嘆徳の総括的意味をもっ大信海釈 H 四不十四非釈であるといえよう。なぜなら 凡按=大信海一者不 ν − 一 貴 賎 絡 素 一 不 レ 調 − 一 男 女 老 少 一 不 レ 間 二 造 罪 多 少 一 不 レ 論 − 一 修 行 久 近 一 非 レ 行 非 レ 善 非 ν 非 レ 漸 非 レ 定 非 レ 散 非 ニ 正 観 一 非 ニ 邪 観 二 井 ニ 有 念 一 非 − 一 無 念 一 非 = 尋 常 − 非 エ 臨 終 一 非 = 多 念 一 非 二 念 一 唯 是 不 可 思 議不可称不可説信楽也検如 z阿伽陀薬能滅二切毒一 如来誓願薬能滅=智愚毒一也 15 と讃嘆せられていることは、全く人間のニ極化的思考的 あり方の簡非態として現成する大信性をあらわしている か ら で あ る 。 元来、原始経典が語るごとれ、行道における禁欲主義 と快楽主義の両極を離れて入正道を修すべきことを説か れた中道義は 衆因縁生法我説=即是空一何以故衆縁具足和合市物 生是物属−一衆因縁一故無ニ自性一無=自性一故空空亦 復空但為レ引エ導衆生−故以=仮名一説離−一有無二 辺 一 故 名 為 = 中 道 一 という﹃中論﹄の所説のごとく﹁有無をはなる﹂︵﹁浄土 和讃﹂︶ことにおいて﹁中﹂なのである。しかしその﹁中﹂ が単に中央とか中庸とかの意味でないことは、﹃三論玄 義﹄に一中乃至四中義を挙げて 所 言 四 中 者 調 対 偏 中 尽 偏 中 絶 待 中 成 仮 中 伽 等と説くうえに明らかであり、 中調非レ辺道者真智此理妙故合ニ真相町一 の明快な指摘のごとく、人間の思考的辺性が偏向性とし て照射せられることによって無辺絶対に触れしめられる ことでなくてはならない。ゆえに﹁中﹂はその字義にお て

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16 あたる︵中、当也。中、適也︶ あふ︵一致する。中、合也︶ 得る︵中、得也︶ の義があるごとく、﹁道﹂に対する的中性・適合性・獲 得性を意味するのであって、﹁真智に合する﹂身証性に ほかならない。それゆえに 中以レ実為レ義中以レ正為レ義 とおさえられる所以であって、ここに中道義が﹁真実﹂ のあり方、乃至﹁正しさ﹂の根拠性が奈辺に求められる のかの具体的課題性としてあることの厳しさを改めて思 わずにはいられない。 では翻って、﹃教行信証﹄が明かす人間の偏極的立場 とは具体的に何を指すのであろうか。それこそ﹁化身土 の巻﹂に示す﹁仮﹂﹁偽﹂であって、そこに真・仮・偽 の三重批判を内容とする﹃教行信証﹄の中道開顕の意義 がなければならない。 もとより﹁化身土の巻﹂に批判せられる﹁仮﹂﹁偽﹂ のあり方は、それが真仮対・真偽対の釈顕的形式からい って﹁真﹂に筒ぶ事象にちがいないけれども、﹁真﹂と 対立的にどこかに別立するものとしてではなく、却って 前五巻に明かす能批判の﹁真実﹂の現働的内容性として あるところに、その実践的意義が見のがされてはならな い。したがってそこにおける﹁仮﹂﹁偽﹂の立場が何を意 味するかは、要門論の冒頭にみる次の一文に留意したい。 然 潟 世 群 萌 稼 悪 含 識 乃 出 − 一 九 十 五 種 之 邪 道 一 雄 レ 入 ニ 半 満権実之法門一真者甚以難実者甚以希偽者甚以多虚 者甚以滋 ここに﹁虚﹂﹁偽﹂と指摘せられるものが﹁仮﹂﹁偽﹂ を意味することは、﹁化身土の巻﹂の所明性からして明 らかである。したがって﹁虚﹂はもとより﹁むなし﹂ ︵﹃唯信文意﹄︶であって、その空虚性から常に﹁聖道諸機 浄土定散機﹂︵﹁信の巻﹂︶としての観念性を意味するとい えよう。すなわちそれは理性的存在としての人聞が避け えない理想主義的人間観に基立し、﹁わがみをたのみ、 わがこころをたのむ、わがちからをはげみ、わがさまざ まの善根をたのむひと﹂︵﹃一多文意﹄︶として、﹁念仏を しながら他力をたのまね﹂︵同上︶事実に、﹁善悪の宿業 をこころえざる﹂︵﹃歎異抄﹄︶観念性が指摘されねばなら ね の で あ る 。 これに対して﹁偽﹂は﹁いつはる・へつらふ﹂︵﹁讃弥 陀偏和讃﹂第二十三首﹁真実﹂の左訓︶とあるごとく、自己 の厳しゆくな宿業的いのちの事実をいつはって、﹁余道

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: : 天 : : : 鬼 神 : : : 吉 良 日 ﹂ ︵ ﹁ 化 の 巻 ﹂ ︶ 等 に か ぎ り な くへつらい呪縛せられてゆく﹁外教邪偽異執﹂としての 外道性である。前者が人間の孤立的強がりといえるとす れば、いまはまさしく依存的弱さといえるであろうか。 すでに仏道に入りつつも、否、帰依仏道においてはじ めて浮き彫りされる自己の実相であるが、現実的にはい つしか観念化するか外道化するかのいずれかである。す なわち外道的あり方の克服化における観念化か、逆にま た観念的あり方の克服化における外道化かである。つま り二乗的孤高化か、凡夫的堕落化かである Q ここに仏道 における人間的立場の両極性を見すえねばならない。 四 大 信 の 関 原 思うに、真の信仰は本来的に二つの側面をもっ。すな わち絶対無限の聖への関わりとしての縦の側面と、それ が同時に相対有限の世俗社会に結びつく横の側面とであ る。もとよりこの二側面は、真の信仰がすでに個人的で あると共に社会的である人間存在そのものを問うことに 由 来 し て い る 。 信仰がもっ縦の側面は、人間存在の個人性に成り立つ 人間の救済そのものとして、信仰の核実をなすことはい 17 うまでもない。このことは 往生は一人一人のしのぎなり、一人一人仏法を信し て後生をたすかることなり、余所事のやうに思事、 且は我身をしらぬことなり 全く他を顧みる寸分の余裕もなき徹底的内観道であるこ とを意味している。 しかしそうした縦の側面が同時に横に世俗と結びつく のは、それが単なる個人道でなくして、真に普遍的な全 人の道であることを証しするものにほかならない。つま り世俗を超えた信仰が逆に世俗のただ中に自身の真理性 を明証していく実践性である。 しかしまた信仰のかかる二面性は、そのまま信仰がも っ二つの危険性として指摘されねばならぬのであって、 そこに前上の観念化と外道化の両極性の問題が注意され ねばならない。すなわち、もし信仰が横の側面の顕証性 をもたぬとすれば、それはもはや個人の思い内出来ごと として全く私的な自慰的満足にすぎなくなり、何ら現実 への創造力となりえぬ退嬰的妥協化に顛落するほかはな い。この点すでに龍樹は﹃易行品﹄に 若 堕 ニ 声 聞 地 及 酔 支 仏 地 一 是 名 − 一 菩 薩 死 一 則 失 二 切 利 一 若 堕 = 於 地 獄 一 不 ν = 如 レ 是 畏 一 若 堕 = 二 乗 地 一 則 為 エ

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18 大 怖 畏 一 堕 コ 於 地 獄 中 一 塁 寛 得 レ 至 レ 仏 皐 寛 遮 = 仏 道 一 といって、自己満足的閉鎖性を求道者の死と極言し、堕 獄にも見られぬ終鴬性をそこに見すえている。この鋭い 批判性は源空の﹃往生要集﹄︵第四正修念仏門︶のうえ に も 顕 わ れ て 、 難 己 官 処 = 地 獄 一 不 レ 障 エ 大 菩 提 一 若 起 − − 自 利 心 − 是 大 菩 提障 と 的 一 示 す る と こ ろ で あ る 。 一方、かかる信仰の観念化への批判から、信仰の世俗 への表現性・実践性の強調に目を奪われて、みずからの 基座であるべき縦の側面を見失なうとき、逆に信仰の外 道化︵世俗化︶を惹起して信仰が非信仰化する。すなわ ち世俗社会の現実的諸問題のただ中で、信に生きる真宗 教徒として如何に証ししていくのか。例えば原水爆、公 害、靖国法案さらには現下の教団問題等、如何に受けと め、如何に関わってみずからを証ししていくのかという 場合、単に市民的乃至政治的レベルでの対応運動と、み ずからのそれとの異質性がどこまで自問凝視せられてい るのかの一点が暖昧化するとき、真宗教徒の実践といっ ても世俗的類落性をまぬがれない。 若 堕 エ 二 乗 地 一 しかし信仰の二面的内実性にたちかえるとき、外なる 世俗的事象の一切は、内なる信のあり方を問うものとし てあり、外なる事象への関わりぎまは、そのまま外への 応答として内なる信のあり方を表現するという関係的構 造性にある。そのかぎり世俗への顕証的実践は、どこま でも信仰白身の自己批判として一途に信仰運動性を本質 とするものでなければならない。 ここに至って思うに、極的思考的人間の立場は所詮、 世俗を無視する︵観念化日仮︶か、逆に固執する︵外道 化 H 偽︶かの二辺である。したがってこのこ辺を離れる ところに中道の智慧としての真実義がなければならない。 しかしそれは﹁真﹂が﹁仮﹂﹁偽﹂と対立的別在的に観 念されるのではなく、却って﹁仮﹂﹁偽﹂の両極性をか ぎりなく簡び非としていく事実それ自体として現働する 作用性にほかならない。 ゆえに﹁仮﹂﹁偽﹂は﹁真実﹂の現成的否定的契機と しての意味において﹁真実﹂の内容といえるのであって、 ﹁偽﹂までも﹁顕浄土真実教行証文類﹂の名のもとに摂 せられる所以であり、実践的に﹁仮﹂﹁偽﹂の自覚を措 A W いて﹁真実﹂のありょうは存しない。 かくて中道義が即﹁正しさ﹂の根拠性を開示するもの

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としての意味、が明らかであろう。すなわち、﹁正しさ﹂ は人間主観の立場における一辺性に求めえられるもので はなく、却って人間的立場それ自体が根底から問われる ことによってのみ聞かれる、まさしく﹁尽偏中﹂の事で ある。すでに﹃六要妙﹄に 正 者 対 レ 傍 対 レ 邪 対 ν とあるごとく、傍・邪・雑の人間的立場からの所生では な く 、 直はた=しきなり如来の直説といふなり ︵ ﹃ 一 多 文 意 ﹄ ︶ かぎりなくみずから 大 信 の 開 顕 全く仏に始発する能生性において、 の偏極的立場を簡非していくはたらきへの帰向として成 り立つことといわねばならない。 その意味で中道の実践は極的思考性たる自心との超克 的たたかいをかぎりなく自身の内に展開することであり、 それは常にみずからの立場を絶対視してやまないわが基 立点の相対性認識の反覆運動といえるであろう。 かくてこそコ二問答の総結には 19 故知一心是名コ如実修行相応一即是

b

教是

b

義是

b

行 是正解是正業是正智也︵﹁信の巻﹂末︶ と断言し、如来廻向の大信に真正性を見極められる所以 である。ここに大信の開顕がもっ中道の実践的意義を深 く思念すべきである。 ︿ 註 ﹀ 敬 称 略 川 ﹁ 不 ﹂ と ﹁ 非 ﹂ は 共 に ﹁ 打 消 し の 辞 ﹂ ︵ ﹃ 諸 橋 大 漢 和 ﹂ 一 の 二 三 六 ・ 二 の 二 三 一 ︶ と し て 同 一 意 味 で あ る が 、 ﹁ 非 ﹂ の 場 合 は ﹁ 鳥 の 麹 が 左 右 に 開 く と こ ろ か ら 相 背 す る 意 と な り 、 相 背 す る 意 か ら 否 定 の 詞 と な っ た ﹂ ︵ 加 藤 常 賢 ﹃ 漢 字 の 起 原 ﹄ 七 九 七 ︶ 字 義 性 か ら ﹁ 甲 と 非 甲 の ど ち ら で も な い こ と ﹂ ︵ ﹃ 仏 教 語 大 辞 典 ﹄ 一 一 一 一 一 一 ︶ を 意 味 す る 。

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﹃ 中 阿 合 経 ﹄ 巻 第 五 十 六 ︵ 大 正 蔵 一 ・ 七 七 七 下 ︶ 、 ﹃ 転 法 輸 経 ﹄ ︵ 大 正 蔵 二 ・ 五

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三 中 ︶ 等

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大 正 蔵 三

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・ 三 三 中 判大正蔵四五・一四中。これに関しては三枝充恵﹃三論玄 義 ﹄ ︵ 仏 典 講 座 ︶ 二 五 九 以 下 参 照

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﹃ 弁 中 辺 論 述 記 ﹄ 巻 上 ︵ 大 正 蔵 四 四 ・ 三 上 ︶ 似﹃諸橋大漢和﹄一の二八七 的 ﹁ コ 一 弘 前 玄 義 ﹄ ︵ 大 正 蔵 四 五 ・ 一 四 上 ︶ 制 ﹃ 実 悟 旧 記 ﹄ ︵ ﹃ 真 宗 史 料 集 成 ﹄ 二 の 四 五 三 ・ 原 片 仮 名 ︶ 帥川瀬和敬﹃火中生蓮﹄一五六以下参照 帥拙稿﹁方便の義意﹂︵同朋大学仏教学会編﹃化身土末巻 の 研 究 ﹄ 所 収 ︶ 参 照 ︵ 同 朋 大 学 教 授 ︶

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~ 三y戸 一念と多念の問題は古来念仏を宗とする教えの流れを 汲む者の間で屡々核心的な問題とされてきたことは周知 の事実である。さまざまな異解・異義はほとんどこの問 題から派生していると言ってよいであろう。そして事態 を複雑化せしめている一因として、同じ﹁念﹂という言 葉が﹁観念﹂と﹁口称﹂の両様の意義を含んでいること が注意せられる。﹁多念﹂は言うまでもなく念仏を数多 く称えることであるが、﹁一念﹂という言葉は、時と 場合により、一念の﹁信﹂を指す場合と、一たび念仏を ﹁称﹂えることを意味する場合と二通りの用い方がある。 法然上人が専修念仏を旗じるしとして浄土門を独立せし めて以来、殊に一念義の主張は、多念のそれに比べ、は るかに多くの問題を生み出してきたように思われる。古

来﹁異安心﹂と呼ばれる異解の流れの多くは、一念義系 の方が教義的にも、社会的にも一層深刻な問題を多々投 げかけてきた観がある。異解とは、宗祖伝来の教義を誤 解・曲解して、独断的に自己一存の教義的解釈を行なう ことを指すが、およそ異解の発生に関する限りは、決し て一念義系にのみ限られているわけではないことは勿論 である。一念義系が極端に主張されると。造悪無礎とい ったような帰結を招く危険性を苧むのに対し、多念義系 は称名の功を誇ることに走りがちであるところから、専 修賢善といった自力・道徳主義的な風潮を生み出す可能 性を宿しているということができる。いずれにせよひと たび過度の主張がなされると不自然で無理な結果を将来 することは必定であるが、一念・多念の論議は常に﹁念﹂ の意義の受けとり方の腰昧性にもとずいていると言えよ う。しかし更に遡って問題の根を考究すれば、一念と多

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一 念 と 多 念 念のうち、どちらが異解であるかではなく、生きた称名 念仏を概念的に分析して対象化しているという事実その ものがすでに異解と言わるべきであろう。 法然・親驚の流罪を伴なう建永の法難も、法然の門弟 の聞において夙に師の専修念仏の教えが曲解され、一部 の者の聞の排他的かつ造悪無礎的な振舞いが起り、それ を非難する世論と相侠って、旧仏教側の反援を招くに至 ったことに端を発したものであった。その責務︸荷わしめ られたのが法然上人であったと考えられるが、その際連 座して流罪となった親驚も、恐らくは妻帯の問題が、あ るいはその一念義的な主張に嫌疑がかけられていたので はないかと推察される。 そもそも一念義と多念義とは真向から相反する思想で あって、両者は相互に作用に対する反作用の如き関係に あるといってよい。一方が過度に強調されるとき、必ず それに刺戟されて対極的な他方の見解が強調されるに至 る。しかし、一念と多念の場合は、相互に対脈的な位置 にあるとは言え、共に称名念仏の教義を同一の根として いる。すなわち多念はもとより一念の信を基として成立 つものではあるが、一念義の主張は明らかに無自覚で機 械的な慣行に堕した多念に対する反動であると考えられ 21 る。よって一念義の思想は多念の過失に反省を加え、是 正を試みようとする心の動きから自ら発生し来ったもの であろう。確かに数多く念仏を称えるのを事とする人び との聞では、その実践に熱心であればある程徒らに数多 きことをよしとし、その数を誇り、遂には数多きことが、 恰も信の深さを示す徴標のように思いなされる傾向が生 まれることは必定である。そこでは知らず知らずの聞に 自力の努力を誇り、﹁本願の嘉号を以て己が善根と為﹂ る過誤に陥っている。ここでは明らかに信心の問題が自 力的努力に置き換えられ、内なる信心の質が量的にのみ 見られている。ここに信心の堕落があり、日常性への類 落がある。日課念仏六万遍ないし七万一遍と言われた法然 上人が、門弟への教誠の中において、屡々、至誠心・深 心・廻向発願心の三心具足に言及せざるを得なかったの は、称名念仏の行︵多念︶の基底たるこころ根︵一念︶ の質を見失わせまいとする配慮に基くものであったに違 いない。また親驚が﹃教行信証﹄において、行の巻の直 ぐ次に信の巻を配したのも、行の反省として信の問題が 必然的に生起するという体験に因るものであったであろ うことは明らかである。したがって一念・多念の問題は、 そのまま信・行の問題に帰着するということができよう。

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22 すなわち末世の一切善悪の凡夫が平等に救われる﹁行﹂ として法然上人は念仏の行を提起し、それを継承した親 鷺は、念仏を行なう心根︵信︶を吟味すること︵真仮分 判︶を自己の課題としたのである。 親驚は信の巻︵末︶の回目頭において一念を定義して 一念とは是れ信楽開発の時赴の極促を顕はし、広大 難思の慶心を顕はすなり。 と述べている。これは明らかに称名念仏の窮極の根元が 自己を超えた他力の信にあることを指摘したものである。 このことはまた親驚が第十八願成就の文を、﹃無量寿経﹄ と並べて異訳の﹃如来会﹄からも三度にもわたって﹃教 行信証﹄の中に引用している事実と相まって、一念の窮 まりが心の質、つまり信の問題に帰着することを明らか にしたものである。一方、多念の場合、その窮まりは ﹁上尽一形﹂と言われる如く、生涯かけての称名念仏の 生活であり、これはとりもなおさず、一念の﹁信﹂によ ってのみ成立つ永続的な﹁行﹂であると言うべきである。 したがって、一念・多念の問題は帰するところ称名念仏 という現実の生きたすがたの質的・量的側面を指示して い る に す ぎ な い 。 では本来分つべからざる同一念仏の同朋に、一念義・ 多念義の色分けがなされたのは一体いつごろからであろ うか。一般に法然門下の間で成覚一男卒西は一念義の祖、 隆寛律師は多念義の祖と言われるが、法然上人滅後四十 五年頃︹正嘉元年︵一二五七︶七月︺、浄土門の談義僧・ 愚勧住信が常陸で著わしたという﹃私緊百因縁集﹄の中 では、幸西は﹁一念義の元祖﹂、隆寛は﹁多念義の元祖﹂ と呼ばれている。またこれより三年後の文応元年︵一二 六

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︶日蓮上人によって著わされた﹃一代五時図﹄の中 では、隆観︵寛︶は﹁多念﹂と記され、成覚と並んで、 法本︵房行空︶も一念︵義︶を主張したものとして示さ れている。よって師の滅後半世紀も経たぬうちに、すで に一念・多念の色分けがはっきりと一般になされていた ことが分る。そして行空と幸西は一念義、隆寛は多念義 と さ れ た こ と が 知 ら れ る 。 行 空 は 一 一 一 条 長 兼 の ﹃ 一 ニ 長 記 ﹄ によれば、﹁元久三年二月三十日、宣旨、沙門行空、一 念義を立て、故らに十戒盟犯の業を励め、恐に念仏の そ し 願を誘り、念仏の門に違失す・::行空において殊に不当 となす。源空上人門弟を放たれ皐る﹂と記されてあるこ

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と か ら し て 、 上 人 存 世 中 の 元 久 二 一 年 ︵ 一 二

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六 ︶ に 門 下 を 追放せられたことが分る。ここではすでに行空の主張が ﹁一念義﹂と呼ばれていたことが注意される。行空は﹃歎 異妙﹄末尾の註記にも記されているように、その翌年、 佐渡遠流を申し渡されている。これより二年前の元久元 年 二 二

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四︶法然が天台座主・真性に提出した七箇条制 誠には、幸西は十五人目、行空は二十三人目に署名して いる。因みに親驚はこの時﹁僧紳空﹂の名で八十七人目 に署名しているが、聖覚法印や隆寛律師は署名していな いことが注目される。 一 念 と 多 念 また﹃選択集﹄の付属は元久元年三二

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四 ︶ に 隆 寛 が 受け、翌元久二年︵一二

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五︶に親驚が受けている。そし て幸西と行空が付属を受けたことは知られていない。妙 音院了祥師も述べていられるがごとく、同じ一念義を主 張したと伝えられる行空・幸西のうち、前者が少し先輩 格と見られるが、﹃歎異紗﹄末尾の註記にも見られる通 り、行空は佐渡配流と宣告されているのに、幸西は無動 寺の善題大僧正︵慈円︶により申し預かりとされている。 この際親驚が佐渡へ配流となっていることは、やはり一 念義系の主張の嫌疑をかけられたものと思われる。また 西山深草派の静見が二三七八年に著わしたと言われる 23 ﹃法水分流記﹄によれば、幸西は弟子一二十一名という数 が記されているのに、行空は一名となっている。また行 空は殆んど残した書き物が知られていないのに反して、 幸西は﹃玄義分紗﹄﹃略料簡﹄﹃称併記﹄等十部近く題 名の知られた著作があるところからして、比較的思索的 ・学究的人物であったことが想像される。幸西は嘉禄の 法難︵一二二七︶にも遭い、その時は阿波配流︵﹃法水分流 記﹄︶となっているので、殊に法然亡きあとまで活液な布 教活動を続けたものと思われる。 また行空は法然が生存中﹃遺北越書﹄などで問題とし た一念義の異解と関係があるのではないかと推察もされ るが、はっきりとした行跡は不明である、法然に帰せら れる﹃金剛宝戒章﹄や﹃浄土布薩式﹄等は、了祥師によ れば﹁カレカ偽作ニシテ、ソノ計ヲシルニ便ナリ﹂︵﹃異 義集﹄︶と述べて、行空に帰しておられるが、近年、石田 瑞麿博士は、﹁金剛宝戒章の成立とその思想﹂と題する 論文︵奥田慈応先生喜寿記念・仏教思想論集︶において、十 二世紀後半、西山・嵯峨門徒の湛空︵二七六|一二五三︶ 門下によって書かれたものとされ、行空並びにその門下 によって著わされたという説を否定されている。しかし ながら、同一の一念義という名称で呼ばれていても、一

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24 念義の糾弾には、門下の行状が師に及ぼされた場合が多 くあったことと思われる。さきの﹃三長記﹄の記述中、 ﹁一念義を立て故らに十戒盟犯の業を励め﹂とあるとこ ろなどから推求すれば、一念義の主張そのものよりも寧 ろ、それが﹁十戒虫犯﹂といった反倫理的な行為を伴っ ていた事実が配流にまで及ぶ処断を受けるに至った主た る原因であろう。しかしながら、同一時期の弾圧により、 行空が佐渡へ、親驚は越後へと配流されている事実は、 その地理的距たりこそ幾分の聞きはあるものの、親鴬の 場合も一念義系の主張の故かと推察させるのに十分な根 拠となり得ょう。それにしても、行空あるいは行空門下 の行きすぎは、殊に甚だしかったのではないかと思われ 4 Q

では同じく一念義の名称の下で並び称される行空と幸 西はそれぞれどのような見解を主張しているのであろう か。この点で留意されねばならぬことは次のような点で ある。すなわち、伝えられている一念義の内容描写は、 多くは多念義系の側からなされているので、浄土門流の 中に伝えられている一念義の思想は事実が曲げられてい るふしがあるということ。そして更に留意すべきことは、 行空と幸西の一念義がかなり混同して伝えられているら しいことである。したがって﹃四十八巻伝﹄に載せる法 然の一念義理解もこの過失から全く自由ではないと思わ れる点である。﹃漢語灯録﹄︵巻十︶や﹃四十八巻伝﹄︵第 二十九︶に伝えられる一念義の主張は次のごとくである。 但し、それらに二種あり、一つは平基親と詩論した門弟 の説で、もう一つは越後の光明房の申告によるものであ る 。 前 者 は 、 本願を信ずる人は一念己に足りぬ。五万の称名更に 益なぎなり。多念を積まんと欲する者は、本願を疑 も ち ・ ふ に 依 り て な り ・ ・ ・ ・ ・ ・ 多 念 を 須 ふ る は 是 れ 自 力 の 心 な り。故に本願を信ぜざる也。一念己に足る、多念又 何 為 る ぞ や ・

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あ る い は 、 深く本願を信じ念仏を修する者は、出家在家共に控 酒食肉等の諸悪業を避くべからず。 と主張するもので、後者は、 弥陀の願を愚むものは、五逆を捨つることなし。心 に任せてこれをつくれ。袈裟を着すべからず。宜し ひ た た れ ほ し い ま ま く直垂を着よ。姪肉を断つべからず。恋に鹿鳥を

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食 す ベ し 。 あ る い は 、 法然上人の七万一過の念仏は、た三これ外の方便なり。 内に実義あり、人いまだ是を知らず。所謂心に弥陀 の本願を知れば、身かならず極楽に往生す。浄土の 業ここに満足しね。此上何ぞ一返なりと云ふとも重 ねて名号を唱ふべきや。 と放言するものである。共に強い一念の偏執の主張と悪 無硬の奔放な唱道を内容としている。これに対する法然 上人の批判の言葉は、 邪人の妄説固より言ふには足らず。聖教の文を離れ て恋に私義を立つ。実に附併法の外道、天魔の所為 な り 。 一 念 と 多 念 と伝えられている。但し、ここに破せられたような一念 の邪義を、﹃四十八巻伝﹄では、幸西およびその門流の 説と記し、﹃九巻伝﹄では、幸西の弟子・ 4 墨 田 心 房 の 説 と しており、ここに多少の髄酷が見られるところに疑義が 25 挟 ま れ る 。 法然上人による一念義の主張の理解は、一念義の名称 の下に行空・幸西の両流を幾分混同したと思われるふし があるが、もし﹃四十八巻伝﹄の記載が事実であったと するならば、次のごとくである。 浄土の法門をもとならへる天台宗にひきいれて、述 門の弥陀、本門の弥陀といふことをたて L 、十劫正 覚といへる、恋門の弥陀、本門の弥陀は無始本覚の如 来なるがゆへに我等所具の仏性とまたく差異なし。 この謂をきく一念にことたりね。多念の数遍、はな は だ 無 益 な り 。 妙音院了祥師は、さまざまな思想的流れを擁する浄土 宗内で伝えられる資料によっては、この間題を正しく捉 えることは難しい旨を洞察し、 サレハ幸西ノ真説ヲミルハ、源流ヲ正トスヘシ。余 説ハ多ク多念ニカタヨリ、一念ヲヒガメニスル執見 アルヘグ、又末資ノ邪ヲ本ニ及スコトアルヘシ。 と述べ、宗外資料たる凝然大徳の﹃浄土法門源流章﹄な どが、幸西の著書から直接彼の言葉を引用しつつその思 想を論じている公正さに注目し、それに依拠すべきこと を薦めている。また幸西と行空の思想については詳細な 考証・検討を行った挙句、 故ニ幸西の正説一一ヨリ、或ハ今家−一同スルモノハ取 テ助成トシ、又ハ彼家ヲタスケテ今家ノ助成トシ・: :・但シ又コ、ロウヘキハ、同一念家トイへトモ、法

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