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真宗教学研究 第23号(2002)

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ISSN 1346 2156

東宗教学研究

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3

「精神主義

J

と現代−精神主義の系譜−

講 演 「精神主義」と現代 親鷲への回帰と親驚からの出発 研究発表 佐々木月樵における「宗」と「学」 『大谷大学樹立の精神Jを中心に 精神主体観と修道論 親鷲における時の問題 曽我量深の時間論を中心として 善驚と「後期親鷲」 証大浬繋の真因 真宗教学学会講演会 宗教概念の混迷を超えて 宗教としての「真宗」 完全なる立脚地一 2001年度教学大会発表要旨 (19名)

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真 宗 教 学 学

竹 内 整 1 本 多 弘 之 23 織 田 顕 祐 42 浅 野 玄 誠 55 武 田 未 来 雄 74 御 手 洗 隆 明 89 平 原 晃 宗 106 島 薗 進 118 小 野 蓮 明 141 d会、 Zミエ 161

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講 演 教学大会 二

OO

一 年 度

と現代

「精神主義」と現代 竹内でございます。本日はお招きいただきまして、あ りがとうございます。私の専門は、倫理学・日本思想史 という学問でありますが、東大の倫理学研究室では、私 の前任の佐藤正英さん||﹃歎異抄論註﹂の著者です ||、あるいはその前の相良亨先生もずっと親驚の演習 を聞いておられました。私もこの間、親驚および清沢満 之の演習を開いてきております。本日は、この清沢満之 百回忌を迎えるにあたっての本山の会でございまして、 緊張をせざるを得ないのでありますが、せっかくの機会 でございますし、清沢満之について、いろいろ皆様にお 話し申し上げまたお教えいただきたいという思いで参り ま し た 。

今日は﹁﹁精神主義﹂と現代﹂というテ

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マで、あわ せて﹁精神主義の系譜﹂ということで、少し広いかたち で、﹁精神主義﹂というものを近代・現代の日本の流れ において考えてみたいと思います。 まず、現代的なことからはいります。一二世紀を迎え まして、普通でしたらこの百年、あるいは千年の暦が明 けるという、暦の魔力というのがあるはずです。例えば 十二月一一一一日から一月一日にかけて、だんだんとこう押 し迫ってきて、それが一日になってパアツと開ける、そ ういう感じを我々はよく経験いたします。しかし、この 大きな流れの中で一二世紀を迎えて、何か明るさとか新 しさ、そういう活気というものが感じられない。むしろ、

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2 時代はその前の世紀末と言いますか、いろいろな意味で ﹁終わりが来る﹂という感じを引きずっているように思 います。学生さんと付き合っておりますと、そうした、 むなしい、はかないといった感じ方が濃厚に漂っている のではないかと思います。 数年前に、ある所でシンポジウムをやりましたが、そ こでパネリストの作家の黒川創さんが報告した、ある調 査結果があります。小学校の五、六年生、それから中学 生を対象とした調査でありまして、﹁あなたが生きてい るうちに、人類は滅亡すると思いますか?﹂というアン ケートですが、それに対して、小・中それぞれの学年の 五O%以上、特に中学校の男子では六O数%以上が﹁イ エス﹂というふうに答えていたとのことです。子どもた ちの答え方の中には、いろいろ付和雷同的に答えたとい うこともあると思いますが、しかし、半数を超える子ど もたちが﹁イエス﹂と答えているというのは、やはり異 常だろうと思います。あるいは、同じシンポジウムに出 ておられました宗教学者の井上順孝さんが、こういう調 査結果を報告してくださいました。大学生四

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人対 象の宗教意識に関する調査ですが、﹁世紀末予言を信ず るか?﹂というアンケートに対して、二O%が﹁信ず もう二O%が﹁ありうる﹂というふうに答えてい つまり四O%の大学生が﹁世紀末が来る﹂というふ うに答えていたということであります。 こうした調査結果は、やはり異常な事態だと言わざる を得ないと思います。これは、先程申し上げた﹁世紀 末﹂、さらには、千年単位での終わりに向かっていくと いう、ある種の世紀末感覚とも言えるでしょうが、しか し、世紀が変わり暦が新しくなっても、それが消えてい ないということは、単にそういう暦の問題ではなくして、 やはりこの近代・現代の、いろいろ科学技術などの高度 な発達の中で、結局我々の生きているこの地球というも のが、本当にちっぽけで有限な天体であることがわかっ てきて、さらに、そのちっぽけな有限天体で今やもう取 り返しのつかないようなかたちでの環境破壊が起こって いる、といったような危機認識がある。そういうツケの 認識みたいなものが、これらの調査結果に現れてきてい る よ う い 思 い ま す 。 しかし、こういう問題というのは、それだけを取り立 てて、いたずらに危機感だけを煽るということになりま すときわめて危険です。問題は結局、データをどう理解 し、どう読むかということです。﹁予言の自己成就﹂と る ﹂ 、 た 、

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「精神主義」と現代 いう言葉があります。ある予言を立てて、みんながその 予言を信じたら、結局はみんながそのように振る舞うか ら、結局その予言は成就し、実現してしまうということ です。オウムの問題にもそういうところがありました。 ですから危機意識だけを煽るというのは危険なことです が、しかしただ、子どもたち、大学生の感じ方の中に ﹁もう自分達はこのままではまずいのではないか?﹂と いう思いがあるということは事実でありまして、そうし たことも踏まえながら、思想・宗教の問題も考えていか ざるを得ないように思います。 このような思想状況に、我々はどう考えていったらい いのかということでありますが、例えば、社会学者の見 田宗介さんはこういうふうに言っておられます︵ 1 ︶ 。 ここにはいっさいの幻想を排するがゆえに、逆に幻 想なくしては存立しえず、しかもこのみずからを存 立せしめる幻想を、みずから解体してゆかざるをえ ない、近代合理主義の逆説をみることができる。わ れわれはこの荒廃から、幻想のための幻想といった 自己欺臓に後退するのではなしに、どこに出口を見 出すことができるだろうか。 ︵ 見 回 宗 介 ﹁ 彩 色 の 精 神 と 脱 色 の 精 神 ﹂ ﹃ 気 流 の 鳴 る 音 ﹂ ︶ 3 結局この出口をどう考えるかということが、この現代 の思想・宗教を含めての大きな課題であるかと思います。 近代合理主義の考え方を生きる我々は、今やっているこ との結果がどうなるからというかたちだけで物事を判定 していくところがあります。結果が手に入るのが、﹁は かばかしい﹂ことでありまして、そういう﹁はか﹂があ ることだけを、近代・現代というのはずっと押し進めて きた、ひたすら﹁はかばかしく﹂、効率があがるものを 求めてきたわけでありますが、先、その先と、結果・成 果だけを追っていくときには、その結果とは、人生も人 類も﹁死﹂というニヒリズムを招来せざるをえないのだ、 という考え方、感じ方が引き出されてまいります。百年 前の最も大きな哲学のテ

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マ が 、 ニ

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チェのいうような ﹁神の死﹂ということであれば、現在の哲学的テ

l

マ は ﹁人間の死﹂﹁人類の死﹂みたいな問題ではないかと言 われる所以でありますけれども、そういう中で、それを 踏まえて、こうしたニヒリズムにどう応えたらいいのか という問題であります。 そこにいろいろな問題がありますが、見回さんが言わ れますように、ともかくこの近代合理主義、それは科学 に代表されるわけでありますが、それだけではやってい

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4 けないのは確かであります。科学というのはサイエンス の翻訳語です。これは面白い翻訳語でありまして、要す るに科の学なのですね。病院に行くと産婦人科とか、内 科とか、外科とかがありますように、要するに分ける学、 分けることによって分かろうとする学問、その意味での 分析する学問です。確かに分析し、分けることで分かる ということもあります。しかし、その分かり方はあくま でも分析という分かり方です。例えば、砂浜というもの がある。その砂浜を理解するときに、一言ってみれば科学 の分かり方というのは、その砂粒一粒一粒を明らかにし て行くという方法を取るのですね。確かに砂粒の一つ一 つは明らかになっていきます。しかし今度、その明らか になった一粒一粒をまとめて砂浜として理解するときに は、これはもう分析ではありません。総合であり、統合 です。そうした総合する営みというのは、既に科学には、 むろんそれなりにはあるでしょうが、しかし考え方の基 本としてはないのであります。 ですから、時代がすべてこの科学を代表とする近代合 理主義的な考え方で行くか、ぎり、そこではどうしても、 神とか仏とかいうこともふくめて、我々の生きるに値す る価値というものを全部バラバラにする、壊していかざ るを得ないわけです。いわゆる要素環元主義ということ です。その時に、例えば、幻想のための幻想といった自 己欺臓で抜け出そうとすることもある。あとでちょっと オウムの話を申し上げますけれども、そういうかたちで 抜け出そうとするのでなしに、我々は今こういう状況を どう踏まえ、そこからどう抜け出すことができるかとい うことが、今根本的に問われてきている課題のように思 い ま す 。 そういう現代的課題を、以下、清沢満之の問題を通し て考えていきたいと思います。とき口いますのも、現代の 問題というのは、現代だけから答えていては、どうして も浅くなってしまいます。問題の持っている深さなり広 さというのは、やはり近代にまで遡って、そこから振り 返って、問題を問題たらしめる必要があるように思いま す。そうしないと、今申し上げたようにどうしても問題 の見え方が狭くなってしまうのでありまして、ですから 今日のテlマである﹁系譜﹂というのは、そういう意味 でも大事な問題の立て方であろうかと思います。 それで近代日本を最初期にリードした思想家は、例の 啓蒙思想家・福沢諭吉であります。福沢諭吉の啓蒙思想 の一番中心にあるのは、﹁学問のすすめ﹂ということで

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「精神主義」と現代 した。その学問というのを彼はハツキリ﹁それはサイエ ンスのことだ﹂と言っております。東洋あるいは日本に は、サイエンスというものが欠けている、だからそのサ イエンスを啓蒙たらしめなければならないのだと言う。 これまでのいろんな古い考え方・生き方を打ち破ってい くためには、そのサイエンスを中心とした考え方で新し い生き方を作り出していくべきだということを言ってお ります。それは、物理とか天文とかそうしたものだけで なくして、あらゆる﹁無形の人事﹂、つまり政治とか宗 教とかあるいは道徳という﹁人事﹂もすべて科学で明ら かになる、科学で解決するのだということを言っており まして、そうした確信のもとに、彼の膨大な、あの啓蒙 思想が展開されたわけであります。 福沢については、また福沢自身の微妙な問題があるの ですが、そのことはここでは保留しておきます。ただこ うした明治近代の、西洋の輸入の仕方というのには、東 洋道徳・西洋芸術という発想が根底にあったということ だけを確認しておきたいと思います。芸術というのは技 術・技芸のことです。つまり和魂洋才というように、 魂・考え方・精神は日本のもので、ただ、才という具体 的で技術的なことは、洋のものを使うというパターンが 5 根底にはあったということです。それは福沢にもあった と思います。しかし先程から申し上げておりますような 科学・近代合理というのは、そういう和魂といいますか、 東洋道徳も崩してまいりまして、明治中頃以降になりま すと、和洋を折衷するような和魂洋才というパターンは 一気に崩れてまいります。明治中頃には、煩悶状況とい う、ある深刻な思想状況が現出するわけであります。い ろんな青年達が、自己とは何であるとか、世界とは何だ、 宇宙とは何だ、そのかかわりは一体何なのだ、自分がい ったい何のために生きているのか、といったことを問い 始めます。例の明治三六年に起きました、一校生・藤村 操の華厳の滝投身事件がそれです。そのとき藤村が﹁人 生不可解、我ここにおいて死を決す﹂と言ったように、 死をさえ招きかねないような聞いとしての煩悶が時代状 況として現出するわけであります。 そこに登場してくるのが清沢満之でありますが、清沢 に入る前に、ちょっと西田幾多郎、あるいは宮沢賢治に ついて触れておきます。この西田も、こうした煩悶状況 の影響をもろに受けた人であります。自己とは何である か、あるいは本当に自分が生きているこの世界とは何だ、 あるいは自分が死ぬとは、自分と人との関わりとは、と

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6 いうことを煩悶した哲学者であります。例えばそれは、 こういう端的な問いとして問われています︵ 2 ︶ 0 愛らしい娘が亡くなってしまった。白骨になってし まったのは如何なる訳だろうか。もし人生がこれま でのものであるというならば、人生ほどつまらぬも のはない。此処には深き意味がなくてはならぬ。 ︵ 西 国 幾 多 郎 書 簡 ︶ と言っています。科学の冷たい合理主義が教える、死ん でこれだけのものだ、と、唯物論的にだけ答えていくな らば、人生というものはこんなにつまらないものはない のだ。どうしてもそこには、深い意味が無くてはならな いと言っています。その深い意味を求める営みが、あの 西田哲学になっていく、これは﹃善の研究﹂の数年前の 書簡でありまして、西田哲学の根本に流れている、あの 悲哀のト

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ンというのがこうしたところから来るのであ りまして、彼もまた、そういう問題に対する答えを求め ていた思想家の一人であります。 あるいはこの煩悶状況というのは、確かに明治中期以 降の、ある特定の状況を言っているのですが、広い意味 では、それ以降の我々自身においてまで、ずっと引きず られてくる問題です。例えば宮沢賢治は、やはり同じ死 の問題で煩悶します。これは妹の死でありまして、最愛 の妹・とし子を失って半年間何もできなかったその彼が、 何としてでも、そのとし子の死の意味を考え出そうとい たします。そのときの彼の詩の一説であります︵ 3 ︶ 。 考えださなければならないことは/どうしても考え ださなければならない。/とし子はみんなが死ぬと 名づける/そのやり方を通って行き/それからさき どこへ行ったか分からない/それはおれたちの空間 でははかられない/感ぜられない方向を感じようと するときは/誰だってみんなぐるぐるする。 ︵ 宮 沢 賢 治 ﹁ 青 森 挽 歌 ﹂ ︶ 賢治は、とし子の死を、みんなが死ぬと名づけるやり 方、つまり一般的にただこういうものだというように受 け止めたくなかった。彼はすぐれた科学者ではありまし たが、ただ誰にも通有のある現象として死を言うのでは なくて、本当に愛するとし子が死んだということを、そ れ自体として何としてでも﹁考え出そう﹂とするわけで あります。当然、死というのは、この世ならざる向こう 側のことであって、我々の直接感じとることの出来ない 事柄ですから、﹁グルグル﹂するという。しかし賢治は まさに﹁グルグル﹂しながら、とし子の死を、その死の

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「精神主義」と現代 向こうまで追いかけて行くわけであります。その思いが、 あの﹁銀河鉄道の夜﹂という作品になっていく。友人が 死んだ、死んだ友人を追いかけて、死の向こうまで一緒 に行きたいという思いを、切なる思いを、童話の中で展 開しているわけであります。ここでも賢治は、感情とか 本能とか、あるいは夢とか幻想とか、さらには風や川の 音の通信とか、あらゆる物を総動員しながら、まさに ﹁グルグル﹂しながら、何としてでも﹁考え出そう﹂と し て い る わ け で す 。 西国幾多郎が、どうしてもあらねばならない人の死の 深い意味を考え出そうとしたのと同じように、また宮沢 賢治が、死をどうしても﹁考え出そう﹂としていたのと 同じように、清沢満之が、死や如来の問題を﹁考え出そ う﹂としていったように思います。以下、そうした﹁精 神主義﹂について考えてみたいと思います。前置きが少 し長くなりましたが、そういう煩悶状況を真っ向から引 き受け、それに対して答えを出そうとした一人が清沢満 之です。﹁精神主義﹂とは、端的にその答えであります ︵ 4 ︶ 。 精神主義は自家の精神内に充足を求むるものなり。 故に外物を追ひ他人に従ひて、為に煩悶憂苦するこ となし。︵略︶/然れ共、精神主義は強ちに外物を 排斥するものにあらず。若し外物に対して行動する ことある場合には、彼の外物の為に煩悶憂苦せざる のみならず、彼の外物は精神の模様に従ひ、自由に 之を変転せしめ得べきことを信ずるなり。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 精 神 主 義 ﹂ ︶ これは精神﹁内﹂にある充足を求めるということです。 ﹁外﹂という問題は後でも触れますが、例えば、最後の 一行にもありますように、その外の物、自分以外の外の 物が、自分の精神の模様に従って自由に変えられるのだ ということを述べています。そしてそのことを﹁信ず る﹂のだという言い方をしております。もちろんそれは 外物を客観的に変転せしめることではない。それは H 妄 想 μ ということです、どうにもならないものを、どのよ うなかたちにも変えられると思うのはか妄想ゲなのでし て、彼の言うのはそうではありません。そのどうにもな らないということを含めて、なおかつ自分の精神の模様 にしたがって、その外物を自己にとってのあり方として 変えることができるということであります。これは心境 ないし境地みたいなものでありますけれども、そういう 極めて主観的な論理、主観分内での考え方でありまして、

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8 彼は繰り返し客観主義を排し科学主義を排しています。 これもよく引かれる有名な文章︵ 5 ︶ で す が 、 主観的事実として、神仏の存在、地獄極楽の有無は どうして説明できるか。これは甚だむづかしい事で ある。何となれば、之は冷とは如何、暖とは如何と 云ふ問題に解答しゃうとすると同じい事であるから である。されども今強いて其の模様を云ふて見ます れば、私共は神仏が存在するが故に神仏を信ずるの ではない。私共が神仏を信ずるが故に、私共に対し て神仏が存在するのである。また私共は地獄極楽が 存在するが故に、地獄極楽を信ずるのではない。私 共が地獄極楽を信ずる時、地獄極楽が私共に対して 存 在 す る の で あ る 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 宗 教 は 主 観 的 事 実 な り ﹂ ︶ というふうに言っている文章であります。これはかなり ラディカルな主観的な論理でありまして、神仏が在るか ら﹁信ずる﹂のではない、﹁信ずる﹂から神仏が在り、 ﹁信ずるが故に実﹂だというのです。これは曽我量深の ﹁我信ず、故に如来在す﹂という言い方にも繋がってい くわけでありますが、これだけでみますときわめて過激 な信仰の論理です。まあこうした言い方を通しながら、 それまで停滞していた、ひたすら他力、他力という、い わゆるお頂戴主義のレベルではないあり方が模索されて いるように思いますが、しかし、もちろんこの表現の仕 方だけですと、後でまた申し上げますように、非常に危 ないところがあるのも事実です。 しかし、もちろんこれは清沢満之の側からすれば真つ 当に親鷲の考え方を受けていて、それを新しく彼なりに 表現しただけだ、というふうに理解されている質のもの であろうかと思います。例えば、こういう文章がありま す ︵ 6 ︶ 0 信ずると当てにすると、どう云ふ相違があるかと云 ふに、大切な区別がある。主観的と、客観的の相違 である。我の方に眼を着けると彼の方に日を着ける とのちがひである。信ずると云へば、主観的で我の 方に目を着けて云ふのである。其処を更に語を換へ て云へば、信ずると云へば、我方のみのおもはくで ありて、其が彼の方即ち客観上とか事実上とかでは、 どうあらうと、其は頓着しないのである。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 我 以 外 の 物 事 を 当 て に せ ぬ こ と ﹂ ︶ これは、例の﹁歎異抄﹂の第二条の、 たとひ、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して

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「精神主義」と現代 地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候。 といったところに表れている気迫を思い起こさせられま す。つまり、そこの部分では、先生・師である法然を ﹁信ずる﹂ということでありますが、例えば、あの人は コレコレこういう人だからコレコレの時には、こうでこ うしてくれるはずだ、というような心の持ち方とは違う のだということを、清沢は言っているのだろうと思いま す。コレコレこういう人だからこうしてくれるはずだ、 というのは、ここでいう﹁当てにしている﹂こと、期待 していることなのだと言う。つまり、あの人はふだんこ ういうことをしている、こういうデ

l

タがある、こうい う デ

l

タがあるから、こういうときにはこうしてくれる という言い方でありますから、それは客観的に﹁当てに する﹂やり方なのでありまして、それをあえて﹁信ず る﹂というふうに言う必要のないことだというわけです。 例えば我々は、ふつうお母さんに対して、あなたはお 母さんだと﹁信ずる﹂というふうには言いません。何故 言わないのかといえば、この目の前の女の人が母親だと いうのをまったく疑つてないからです。もし、あなたを お母さんだと﹁信ずる﹂というふうに言う場合があった とすれば、それは、ひょっとしたらこの人は自分の母親 9 ではないかもしれないというような思いなり、跨踏い、 疑いといったものがあった場合であろうと思います。こ の﹁歎異抄﹂の第二条でいえば、法然上人の言う通りに したら、あるいは地獄に落ちるかもしれないということ を言っているわけであります。ですから、﹁信ずる﹂と いうのはそういう思いをなくして﹁信ずる﹂のではなく て、そういういろんな思いがあるけれども、そういう思 いを丸ごと預けるといいますか、賭けるといいますか、 そういうところに成立するものなのだ、と、けっして ﹁当てにする﹂ということとは違うのだ、というふうに、 清沢の理解から読むことができるように思います。私が ﹁信じて﹂いたのに裏切られたということがあったとす ると、それは、けっして﹁信じて﹂いたのではなくして、 ただ﹁当てにしていた﹂に過ぎないということです。 ﹁信じて﹂、つまり預け賭けていれば、それは裏切られ るはずがない、裏切られたと言っているのは、﹁信じて﹂ いたのではなくて、客観的に﹁当てにし﹂、期待してい たに過ぎないということであります。 あるいは︵

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︶の文章でこう言っています。 鰻頭だか分からぬものを口に入れられぬと仰るので すが、其処には二つの方法があるのです。一 つ の 方

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10 法では、自分で信じて居る人が、此は鰻頭であると 云へば、其の言葉に頼りて喫するのです。善知識の 教を聞いて信ずると云ふのです。今一つの方法は、 若しさう云ふ人がないときは、自分が此は鰻頭であ らうと思ふものを口に入れて見て、鰻頭の様でなく、 とても喫することが出来ねば吐き出して仕舞ふので す。さうして其の他の鰻頭らしきものを尋ねて、 一々前の如く調査して見て、終に鰻頭に出会ふこと を望むのですな。ですから、どちらの方法にしても、 先ず口に入れると云ふ決着が第一に必要です。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 信 仰 問 答 ﹂ ︶ よく分からないものを自分がどう受けいれられるかとい う仕方として、神とか如来とか真理とかというのは、そ れ自体でそのまま直接には触れられない、仏なり神なり を﹁信じて﹂いる人は、その人にとっての善知識の教え を聞くことによって、﹁信ずる﹂という回路があるのだ、 と言い方がされます。第二条もそうですね。本願という 真理は、釈迦から善導、善導から法然というように伝わ ってくるかたちで我々の手元に来るのだという、そうい う、人ゃあるいは場を介して伝わってくるのだという言 い方をしています。またこの文章の後半で言っているの は、とにもかくにもそういうこともふくめて口に入れる という決着が第一に必要だという。やはり信というのは 客観的にデ

1

タや根拠があって、その上で、ということ ではないから、︵ある人の言い方ですが︶暗いところに 飛び込むようなものだということが、どうしてもそこに はあるのだろうと思います。 しかし、先程から申し上げてきておりますように、清 沢満之の表現は非常に近代的な、近代発想を通しての表 現で語られております。主観的に我々が﹁信ずるから在 る﹂のだという言い方もそうですが、彼は信仰・信念を ﹁空想﹂なのだとも言い換えています。結局信仰という のは、﹁空想を確立すること﹂なのだと言っています。 そもそも人間とは何ぞや。人間の特徴は空想、是で ある、空想の実用、是である。禽獣は唯だ実想ある のみ、実想の実用あるのみ。而して空想の実用は、 実に是れ実用中最も優秀遠大なるものなれば、人に しても荷も其の実用の優大ならんことを望まば、勢 ひ空想に於いて、其の遠大なることを望まざるべか らず。︵略︶予の所謂空想とは、未だ現実ならざる 想念にして、而もやがて、現実たり得る所の想念で ある。即ち所謂希望なり目的なり、五白人の走りて止

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ま ざ る 追 求 の 対 象 で あ る 。 「精神主義」と現代 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 空 想 の 実 用 ﹂ ︶ このように、そもそも人間というのは、﹁空想﹂すると ころに特徴があるのだということを言っております。そ してその﹁空想﹂を持って、信念を実たらしめることが できるのだとも言います。だから、大きなその実を欲し いということであれば、大きな﹁空想﹂を持たなければ ならないのだというふうに言っているわけであります。 ﹁ 思 う 力 ﹂ 、 ま た 先 程 、 ﹁ 考 え 出 す ﹂ と い う 宮 沢 賢 治 の 表 現がありましたが、そういう﹁空想﹂︵また﹁希望﹂と も﹁理想﹂とも言い換えております︶を持つことが、い かに大きな力を持っかということを言っております。こ ういう例え話を引いておりました。西欧の小公子の話で ありますが、あるところに非常に冷酷な公爵がいた、と。 その公爵にはお孫さんがいたが、そのお母さんというの が非常に賢い人で、冷酷な公爵であるお爺さんのことを、 ﹁本当にあの人は、仏のような人だ﹂と教えて育てたと いうのですね。するとその孫は、冷酷な鬼のようなお爺 さんを仏の如くに思って育つ。すると今度は逆に、その お爺さんは孫の影響で本当に慈悲深い老人になってしま ったということがあった、と。そういう話を引きながら、 11 一番大切なことは我々の精神の基礎を定めることである、 というふうに清沢は言うわけです。これは﹁信ずるは力 なり﹂という文章の中で言っているのですが、﹁空想﹂ することにおいて、我々は本当に実なる力を持つことが できるのだということです。この世界が万物一体だとい う﹁空想﹂を本当に﹁信じれ﹂ば、それは実たらしめら れるのだ、と、こうしたおのれの営みを、彼は﹁信﹂と 名づけていくわけであります。 しかし、ここまで来ても、なおかつそれが鰯の頭とど こ が 違 う の か 、 あ る い は 、 端 的 に 我 々 の 近 い 例 で 一 言 、 っ と 、 オウムの信仰とどこが違うのか、という問題が出て来ざ るを得ないところがあります。清沢満之自身が﹁信仰問 答﹂という文章の中で、例えばこういう問答をしていま す 。 ﹁ そ う い う ふ う に 、 神 と か 、 如 来 と か 一 言 う け れ ど も 、 それは客観的に実在なのかどうか。そういう、本当にあ るという証明が有るのか﹂と質問されたときに、清沢満 之自身が、﹁それは証明できない。だから、その言い方 を 押 し 詰 め て 一 言 、 っ と 、 牛 が 仏 だ と か 、 蛇 が 知 来 だ と か 、 鰯の頭が絶対無限であると、三守えないこともないでしょ うね﹂というふうに、彼自身が一旦は答えております。 しかし、同時に清沢満之の﹁信﹂もふくめた全体の思想

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12 を見る時に、それプラスと言いますか、それを成り立た しめるものとして、非常に厳しい自己省察と言いますか、 彼の一言葉で言うなら修養という営みがあることを忘れる ことができません。最初に見回さんの丈章を引きました が、﹁幻想のための幻想﹂とも﹁自己欺踊﹂とも違うも のがそこにはっきり露わになってまいります。︵ 9 ︶ で こ う 一 言 っ て い ま す 。 ﹁自己を省察せよ。﹂とは、古聖の吾人に残せる不 磨の金訓なり。︵略︶自己を知ると一五ふは、決して 外物を離れたる自己を知ると云ふにあらず、常に外 物と相関係して離れざる自己を知るを云ふなり。蓋 し外物を離れたる自己は、これ一個の妄想にして、 そ の 実 な き も の な り 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 本 位 本 分 の 自 覚 ﹂ ︶ 繰り返し、自分というものを見ろ、自分を省察しろと 一言う。かといって、それは自分が、自分だけを見るとい うことではないのですね。必ず、その他のものとの関わ りから自分自身をその照らし出すということでして、自 分がその不可避的に、他のものと関わって存在している か、そういう関係的な自己として存在しているというこ とを見よ、というのが、彼の修養・省察の中身です。そ こから切り離して自分を見ることがか妄想 μ であり、そ れが一番危ないのだと言っています。エピクテタスなど を引きながら、自分ができることとできないこと、つま り知意なることと、不如意なることをきちんと分けろと いうのは、こういうところから来るわけであります。 オウムの話をしましたが、オウムに決定的に欠けてい るのはそういう契機であります。ご承知のようにオウム は、科学的にもできる、しかも自分たちは特権的にでき るというふうに言いました。自分たちができるから、で きない者を自分がやってやるというかたちで、ポアとい う言い方もふくめて、例の悲惨な事件を引き起こしてい くわけです。まさにそれは、ぷ妄想 μ と言わざるを得な いのでありまして、清沢満之の﹁空想﹂というのは、そ ういうか妄想 μ を徹底的に叩き潰す形で浮かび上がって くる、ある想念のことであります。伝統教学の言葉を使 え ば 、 ﹁ 機 の 深 信 ﹂ で す 。 精神主義に対して色々の評判これ有れど、それに対 して実は二一言も申さず、そは此の主義は全く自己無 能の漂白なれば也。どの方面に向つでも、閉口し、 閉口し、閉口しをはったとの白状、即ち精神主義な り 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 浩 々 洞 語 録 ﹂ ︶ これは有名な文章でして、精神主義というのは、いろ

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んな評判があるけれども、一一言も申さず、と。それは、 言ってみれば、﹁自己無能の漂白、どの方面に向つでも、 閉口し、閉口し、閉口しおわったとの白状﹂なんだとい うわけです。あるいは﹁我が信念﹂の言い方では、自分 の信念には、一切のことに就いて自力の無効ということ がある、何が善やら悪やら、真理やら真理でないやら、 幸福だか不幸だか、何も分からない、と。白分には何も 分からないとなったところに、一切の事を挙げて悉く如 来を信頼する。預けていくということが起きてくる、と いうのであります。これがなければ、もう一つの、先程 から申し上げてきた如来というか、﹁空想﹂としての世 界も有り得ないわけであります。その二つを重ねながら、 清沢の主観性というものの中味を考える必要があるよう に思います。非常に厳しい自己省察である修養という問 題 で す 。 「精神主義」と現代 ところで、夏目激石に﹃こころ﹂という作品がありま す。その﹃こころ﹄の中に

K

という登場人物がいます。 主人公と、その奥さんになる女性とを聞に挟んでの三角 関係になっていき、最後に自殺する

K

です。主人公の親 友である

K

は非常に厳しい精神向上を目指しておりまし て 、 結 局 主 人 公 も 最 後 、

K

のあとを追うことになるので 13 すが、その

K

のモデルが清沢満之ではないかという、非 常に説得力のある面白い論文を最近読みました。確かに 夏目激石と清沢満之の思想の親近性というのは、安冨先 生の御著書からもいろいろお教えいただいていたのです が、この論文もふくめて面白い問題がそこにはあるよう に思います。明治の中頃以降、激石もまたいろんな問題 を背負いながら、本当にノイローゼになりながらも、 ﹁私は自己本位ということを握って、本当に強くなっ た﹂というふうに言っております。もちろん、その自己 というのが何であるかというのは、夏目激石にとっても、 西国幾多郎にとっても、清沢満之にとっても一番大事な 問題でありますが、ともかく、自分は自己本位というこ とで強くなったのだ、ということを、﹁私の個人主義﹂ という文章の中で言っています。その文章の中に、例え ば立脚地とか、精神分内とか、非常に清沢満之と似たよ うな言葉遣いが出てまいります。激石には、スローガン 的にいえば、そうした自己本位という言い方と、例の晩 年に語ったという則天去私という言い方があります。天 に則り私を去るという、一見、自己を本位にするという のとは逆のようにも聞こえますが、言ってみれば、夏目 激石の文学・思想というのは、この自己本位ということ

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14 と、則天去私ということが同時に成立する︵させようと する︶文学・思想であったかと思います。そして同じこ とがやはり、この清沢満之の思想にもあるように思いま す。きわめて主観的な﹁精神主義﹂による自己の立脚と いうことがあり、その自己立脚ということと、自己が弥 陀へと随順し信仰していくことが同時に成立するという こ と で あ り ま す 。 同時に成立していると申しましたが、その聞がどう繋 がっているかというのがやはり、激石にしても清沢にし ても、その思想の大事なところであろうかと思います。 ちょっと遠いところから、もう一つ、二つ申し上げてお きたいのですが。この自己本位とか、自己立脚と言った ときの自己ですが、﹁﹁自己を章察せよ。﹂とは、古聖の 吾人に残せる不磨の金訓なり。︵略︶自己を知ると云ふ は、決して外物を離れたる自己を知ると云ふにあらず、 常に外物と相関係して離れざる自己を知るを云ふなり。 蓋し外物を離れたる自己は、是れ一個の妄想にして、そ の実なきものなり o ﹂ ︵ 9 ︶という清沢満之の表現を使え ば、﹁外物と離れたる自己﹂として立てたときには、そ れ は N 妄想。になります。近代における﹁近代的自我の 目覚め﹂というのは、ややもすると、そういう他の存在 や制約からの解放・自立という側面をもっております。 しかし、我々はなかなかそれを N 妄想 μ と は 思 え な い 。 思えないままで、そういうものを切り出してくるところ に、先程来申し上げてきている、近代・現代の大きな問 題があるわけであります。 例えば、国木田独歩という文学者がおります。清沢の 八年年少で彼もまた、肺病で四

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になるかならないで亡 くなるのですが、同じような問題をずっと背負っており ました。独立独歩の主体的な自我・自己というもの作り 上げたいという願いが、﹁独歩﹂という雅号に表れてい るわけでありまして、彼はひたすら独立した自己という ものを確立したいということを言い続けます。しかし結 局彼は、そうした自己確立をなし得ないままに、死を迎 えます。自己確立はなし得ないままに、しかしその思い だけは手放せない、そんな状況で迎えた死です。彼は若 い頃しばらくクリスチャンだったのですが、その洗礼を 受けた植村正久という牧師を病床に呼んで、﹁何とか自 分を救ってくれ、今死んでいく自分を救ってくれ、と言 います。すると植村は、﹁ただ祈れ、祈れば一切の事、 解決すべしといふ。極めて簡易なることなり。然れども 余は祈ることあたはず。祈りの文句は、極めて簡易なれ

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「精神主義」と現代 祈 り の 心 は 得 難 し ﹂ | | 。 祈 れ ば 解 決 す る、とりあえず祈れというふうに植村は言った、と。し かし独歩は、﹁祈れない。祈る言葉は簡単だが、祈りの 心が持てないから、自分は祈れないのだというふうに泣 いて拒絶していた﹂という病床報告がなされております。 もちろん、植村の方だって何か呪文みたいにア

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メ ン と 祈れば、それでサ l ッと解決すると言っているのではな くて、やはり独歩の持っている、自己を基軸としそこを 中心とする姿勢から一歩もセリ出ないあり方を問題にし ていたと思います。何かしら自分を超えたものに預けて いくという姿勢がない、そのことを植村は﹁祈れ﹂とい う言い方で迫ったのだろうと思うのです。しかし、結局 独歩は祈れないままで死んでいくわけであります。 そのこととあわせて、正宗白鳥という文学者の場合に ついても見ておきます。実は、この独歩の死に際につい て白鳥は、繰り返し、﹁私か、多分私も祈れまい﹂と言 っておりました。彼は日本的ニヒリストの代表といわれ た人でありますが、しかし、その白鳥は死を前に最後、 ア

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メンと言って死んでいくわけであります。こうした 事態を、例えばある人は、白鳥は脳軟化症になってよく 分からなくなったりだ、というような批判もしておりま ど も 、 つ ま り 、 15 そうではなくして、やはりある思想的な文脈が あるのでして、それを最後にちょっと紹介しながら清沢 満之に重ねてまとめて行きたいと思います。 正宗白鳥もまた、今申し上げました国木田独歩と同じ ように﹁他の誰でもない自分﹂、つまりたった一人しか いない自分というものが、死んで終わりになるのではつ まらないという事を言い続けた人です。彼には浩翰な四

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数巻の全集が出ておりますが、その全部が、言ってみ れば﹁死ぬとはどういうことだ﹂ということだけを追い かけた文章だ、と申し上げてもいいようなところがあり ます。それを追及するがゆえに、その答えがわからない かぎり、あらゆるものがつまらなくなってしまう。﹁こ れもいいけども、でも死んじやったらおしまいだ。これ もいいけども、それだけか、それだけではつまらない﹂ という言い方で、あれもつまらない、これもつまらない というふうに言い続けるわけです。しかしその白鳥が、 晩年になって、こういう言い方をしてまいります︵ロ︶ 0 どの方面においても、真実に徹して知り尽くすこと は人間の幸福であらうか。今日このきわやかな秋び よりに浸りながら快く生きてゐるのも、明日を知ら ないためでもあるともいはれよう。﹁明日の事を思 す 。 が 、

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16 ひ煩ふなかれ。一日の苦労は一日にて足れり。﹂と いふ聖語も消極的な処世態度であるが、この言葉も 意 味 深 長 で あ る 。 ︵ 正 宗 白 鳥 ﹁ 秋 風 記 ﹂ ︶ 何としてでも、その真実を知ろうとした、死およびそ の向こう側を知ろうとしてきた、と。ここで明日という のは端的に死あるいは死後のことですが、しかし﹁明日 の事を思ひ煩ふなかれ。一日の苦労は一日にて足れり﹂、 と。そんなことは思い煩うべきことではない、今日のこ とは今日、明日のことは明日でいいのではないか、と言 い 出 し て く る わ け で す 。 またこの少し前にも、この聖書の一言葉を引いて内村鑑 三論を書いているのですが、それは内村鑑三が重病に伏 したときの日記のことが書かれています。病に伏したが、 内村の周りの人達は、彼はもの凄く偉いキリスト者だか ら、もうあらためての慰めも何も要らないだろうと思っ て誰も来てくれなかった、と。しかしそんな中、あると き、無学な掃除のお婆さんが来ていろいろ言ってくれた、 それがすごく嬉しかったということを、内村が日記に書 き付けていたんですね。白鳥はそれを読んで、﹁予言者 としてでもなく、先覚者としてでもなく、凡人内村とし て、限りない親しみを覚えるようになった﹂と記して、 その内村論をこういうふうに閉じています。 人聞は、誰だって経過しないことは分からない。死 に至る道は、死に至ってから分かるので、どんな大 先生にも予め分かっているわけではないのである。 内村全集を読み、日記の終わりにおいて、こういう 感想に接し、私は、新たに人生の不可解に思いをは せたのである。人生の教師としての、内村鑑三先生 も古希の年まで、こういう平凡な真理に、気付かな かったのである 0 ・:自分の経験しないことは、つま りは不可解なのである。︵正宗白鳥﹁内村鑑三﹂︶ 白鳥は、今申し上げておりますように、何十年にわた って死とは何であるか、死の向こう側は何であるかを知 ろうとしてきた、もがきにもがいて思い煩ってきたわけ ですけれども、しかしそれは所詮さかしらごとの倣慢で はないかと思うようになってきた、﹁死に至る道は死に 至って分かる﹂﹁自分の経験しないことは、不可解なの だ﹂というだけのことなんだ、と。それはまさに、いた って﹁平凡な真理﹂でありますが、その﹁平凡な真理﹂ を真理として諦め受けとめようとした、ということだろ う と 思 い ま す 。 しかしそれは同時に、次のような言い方を可能にする

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「精神主義Jと現代 諦 め で も あ り ま す ︵ 日 ︶ 0 しかしまあ、いま生きてゐる、今日を生きてゐると、 明日はもう一つの光がさすんぢゃないか。:・つまり はこのま、でい、んぢゃないか、といふやうなこと に、よく没頭しさうになるんです。自分で偉そうな 考へをもたないで、そこらの凡人と同じゃうな身に なったところに、ほんたうの天国の光がくるんぢゃ ないかといふことを感じることがあるんです。 ︵ 正 宗 白 鳥 ﹁ 文 学 生 活 の 六 O 年 ﹂ ︶ これは、死ぬ数ヶ月前に行われた講演の言葉でありま す。ニヒリストといわれた白鳥のついぞ語られなかった 肯定的な言葉でありまして、これが彼の臨終帰依という ことです、例の﹁ア

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メン﹂がここに発せられています。 ここにはすでに、自分も祈れないだろうと言っていたよ うな独歩的な躍路いはありません。独歩は繰り返し、自 分はせめて自分には嘘はっきたくないと一言って、あくま でも自分を基軸にして考えていたのですが、そういうこ だわりはここにない、それはまさに﹁そこらの凡人と同 じゃうな身になったところ﹂に、まさに凡人としての白 鳥の認識が、その﹁信を﹂成立せしめていると申し上げ て い い よ う に 思 い ま す 。 17 資料の︵ロ︶︵日︶の、この白鳥の文章は、そのまま 次のような清沢満之の最後の言葉とも重なるわけであり ま す 。 私の信念には、私が一切のことに就て、私の自力の 無効なることを信ずる、と云ふ点があります。︵略︶ 何が善だやら悪だやら、何が真理だやら非真理だや ら、何が幸福だやら不幸だやら、一つも分るもので ない。我には何も分らない、となった処で、一切の 事を挙げて、悉く之を如来に信頼する、と云ふこと になったのが、私の信念の大要点であります。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 我 が 信 念 ﹂ ︶ こうしたものの前提の上に、﹁信﹂というものがあるの だということがいえるように思います。白鳥もまたは、 自分の﹁信﹂を﹁空想﹂だと言っています。しかし、そ の﹁空想﹂というのは、例えば先程の内村鑑三でありま すが、内村が自分の娘を失った、その失った子供を求め る親としての自分はいつかは必ず再会の日があるのだと いう思いを持っていた、と。それを内村は信仰という言 葉を使って表現していたのです。白鳥はそういうものを ﹁空想﹂なのだと言っているわけですが、人間というも のは、そういう﹁空想﹂をずっと持ってきている、そう

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18 いう﹁要求﹂を持ってきているのだと言っています。死 から蘇って会えるという﹁空想﹂を、我々はどんなに科 学知識が発達しても消すことはできないのだ、というふ う に 一 一 百 っ て お り ま し て 、 彼 は そ の ﹁ 空 想 ﹂ な り ﹁ 要 求 ﹂ の 中 で 、 ﹁ ア

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メン﹂というふうに言って死んでいった わ け で あ り ま す 。 最初にあげました西田幾多郎も自分の子供を亡くし、 人生がそれだけで終りだったら、こんなつまらないもの はない、そこにはどうしても深い意味が無くてはならな い、と言っていました。そういう、どうしてもなくては ならない、深い意味というもの、﹁内心の要求﹂という ものを哲学に仕立て上げていったわけであります。彼は、 宗教的要求は我々の巳まんとし欲して己む能はざる 大なる生命の要求である、厳粛なる意志の要求であ る 。 ︵ 西 田 幾 多 郎 ﹃ 普 の 研 究 ﹂ ︶ というふうに言っております︵日︶。それはもちろん 我々の意思の﹁要求﹂でありますが、そうでありながら、 なおかっそれは﹁巳まんと欲して己む能はざる﹂ものな んだと言っています。西田は、我々の意思の﹁要求﹂と いうのは、我々のそれでありながら、同時に向こうill 彼は、宇宙とも、自然とも、神ともいろんな言い方をし ておりますがーーからの﹁要求﹂であり、そっちから働 いてくるものなんだというふうに理解をしていたわけで あります。ですからそれは、︵ H ︶ で 、 人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教はある な り 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 御 進 行 覚 書 ﹂ ︶ というかたちで押さえていた清沢満之におきましでも、 我々のまさに﹁至盛の要求﹂でありつつも、同時に﹁巳 まんとして己む能はざる﹂、つまり自分にとっては﹁他﹂ から来る、向こうから来る働きだというふうに理解して いた、このように押さえることができるように思います。 ちょっと後半、急ぎ足でお話を申し上げまして解りにく かったと思います。どんなことでも結構でございますの で、ご質問、ご意見をいただければと存じます。ご静聴 あ り が と う ご ざ い ま し た 。 講 演 要 旨 ︵ レ ジ ュ メ ︶ われわれの諸々の行為や関係の意味というものを、そ の 結 果 と し て 手 に 入 る ﹁ 成 果 ﹂ の み か ら み て い く か 、 ぎ り 、 人生と人類の全歴史の帰結は﹁死﹂であるにすぎない。 そこで人は様々な目的や幻想を生の外部から取り込み、

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生の意味を何とか支えようとする。しかし冷たい近代合 理は、そうしたものをことごとく脱色し破壊してしまう。 見田宗介氏は、﹁近代合理主義の逆説﹂をこう概括し、 以下のように問うている。 ここにはいっさいの幻想を排するがゆえに、逆に幻 想なくしては存立しえず、しかもこのみずからを存 立せしめる幻想を、みずから解体してゆかざるをえ ない、近代合理主義の逆説をみることができる。わ れわれはこの荒廃から、幻想のための幻想といった 自己欺臓に後退するのでなしに、どこに出口を見出 すことができるだろうか。 「精神主義」と現代 ︵ ﹁ 彩 色 の 精 神 と 脱 色 の 精 神 ﹂ ﹃ 気 流 の 鳴 る 音 ﹂ ︶ 一 、 二 具 体 例 を 挙 げ れ ば 、 愛らしい娘が亡くなってしまった。白骨になってし まったのは如何なる訳だろうか。もし人生がこれま でのものであるというならば、人生ほどつまらぬも のはない。此処には深き意味がなくてはならぬ。 ︵ 西 田 幾 太 郎 書 簡 ︶ といったところに展開された哲学営為や、 考えださなければならないことは/どうしても考え ださなければならない。/とし子はみんなが死ぬと 19 名づける/そのやり方を通って行き/それからさき どこへ行ったかわからない/それはおれたちの空間 ではばかられない/感ぜられない方向を感じようと するときは/誰だってみんなぐるぐるする。 ︵ 宮 沢 賢 治 ﹁ 青 森 挽 歌 ﹂ ︶ といったところで展開された文学営為等は、そうした優 れた﹁出口﹂への営みであるといっていいだろう。 清沢満之の﹁精神主義﹂もまた、そうした試みの、最 も早い最も本格的な思想営為であったように思う。﹁実 なるが故に信ずるにあらず、信ずるが故に実なり﹂とい った徹底して主観的な﹁信﹂の考え方がその基本にある。 その主観的にラディカルな発想には、たんなる外部の実 在としての如来を﹁信ずる﹂というのとは根本的に違っ た精神のあり方を見出すことができる。 清沢は、如来が存在するというのは、いってみればそ れは、われわれの﹁空想﹂だともいう。つまり﹁信﹂と は、そうした﹁空想﹂をゆるぎなく確立することにほか ならないというのである。むろんそれは、外の世界に日 を閉じて、いわば内なる幻想・妄想をつむぐことでは決 してないが、しかしそれは外から見れば、いわゆる﹁鰯 の頭﹂的な迷信でないという保証は遂に持ちえないもの

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20 でもあろう。その、どこまでも﹁空想﹂というゆえんで あるが、たとえそうであるとしても、人は﹁空想﹂せざ るをえない存在であり、いな﹁空想﹂することにおいて こそ、人の人たるゆえんがあるのだといっている。そし てその﹁空想﹂が、当のおのれ自身にも知何ともしがた い﹁人心の至奥より出づる至誠の要求﹂によってもたら されたとき、それはすでにそれ自体おのれの勝手な恋意 によっては処理しえない何らかの自己を超えた︵向こう 側の︶力の働きであり、また確かな﹁現実﹂の働きであ ると考えられたのであろう。清沢はその働きに賭け、そ こに現実に生きる生の拠点を築こうとしたのである。そ れが清沢の、親驚から学んだ﹁信﹂のあり方であった。 ここではこうした清沢満之の思想営為を、広く近代日 本の思想系譜の中に置きながら、その現代的意味につい て考えてみようと思います。 資料 ︵ 1 ︶ここにはいっさいの幻想を排するがゆえに、逆に 幻想なくしては存立しえず、しかもこのみずからを存立 せしめる幻想を、みずから解体してゆかざるをえない、 近代合理主義の逆説をみることができる。われわれはこ の荒廃から、幻想のための幻想といった自己欺臓に後退 するのでなしに、どこに出口を見出すことができるだろ う か 。 ︵ 見 回 宗 介 ﹁ 彩 色 の 精 神 と 脱 色 の 精 神 ﹂ ﹁ 気 流 の 鳴 る 音 ﹄ ︶ ︵ 2 ︶愛らしい娘が亡くなってしまった。白骨になって しまったのは如何なる訳だろうか。もし人生がこれまで のものであるというならば、人生ほどつまらぬものはな い。此処には深き意味がなくてはならぬ。 ︵ 西 田 幾 太 郎 書 簡 ︶ ︵ 3 ︶考えださなければならないことは/どうしても考 えださなければならない。/とし子はみんなが死ねと名 づける/そのやり方を通って行き/それからさきどこへ 行ったかわからない/それはおれたちの空間でははから れない/感ぜられない方向を感じようとするときは/誰 だってみんなでぐるぐるする。︵宮沢賢治﹁青森挽歌﹂︶ ︵ 4 ︶精神主義は自家の精神内に充足を求むるものなり。 故に外物を追ひ他人に従ひて、為に煩悶憂苦することな し。︵略︶/然れ共、精神主義は強ちに外物を排斥するも のにあらず。若し外物に対して行動することある場合に は、彼の外物の為に煩悶憂苦せざるのみならず、彼の外 物は精神の模様に従ひ、自由に之を変転せしめ得べきこ

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と を 信 ず る な り 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 精 神 主 義 ﹂ ︶ ︵

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︶主観的事実として、神仏の存在、地獄極楽の有無 はどうして説明できるか。これは甚だむづかしい事であ る。何となれば、之は冷とは如何、暖とは如何と云ふ問 題に解答しゃうとすると同じい事であるからである。さ れども今強いて其の模様を云うて見ますれば、私共は神 仏が存在するが故に神仏を信ずるのではない。私共が神 仏を信ずるが故に、私共に対して神仏が存在するのであ る。また私共は地獄極楽が存在するが故に、地獄極楽を 信ずるのではない。私共が地獄極楽を信ずる時、地獄極 楽が私共に対して存在するのである。 「精神主義」と現代 ︵ 同 ﹁ 宗 教 は 主 観 的 事 実 な り ﹂ ︶ ︵ 6 ︶信ずると当てにすると、どう云ふ相違があるかと 云ふに、大切な区別がある。主観的と客観的の相違であ る。我の方に眼を着けると彼の方に眼を着けるとのちが ひである。信ずると云へば、主観的で我の方に眼を着け て云ふのである。其処を更に語を換へて云へば、信ずる と云へば、我方のみのおもはくでありて、其が彼の方即 ち客観上とか事実上とかでは、どうあらうと、其は頓着 し な い の で あ る 。 ︵ 同 ﹁ 我 以 外 の 物 事 を 当 て に せ ぬ こ と ﹂ ︶ ︵

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︶鰻頭だか分からぬものを口に入れられぬと仰るの 21 ですが、其処には二つの方法があるのです。一つの方法 では、自分で信じて居る人が、此は鰻頭であると云へば、 其の言葉に頼りて喫するのです。善知識の教を聞いて信 ずると一五ふのです。今一つの方法は、若しさう云ふ人が ないときは、自分が此は鰻頭であらうと思ふものを口に 入れて見て、鰻頭の様でなく、とても喫することが出来 ねば吐き出して仕舞ふのです。さうして其の他の鰻頭ら しきものを尋ねて、一々前の如く調査して見て、終に鰻 頭に出会ふことを望むのですな。ですから、どちらの方 法にしても、先ず口に入れると云ふ決着が第一に必要で す 。 ︵ 同 ﹁ 信 仰 問 答 ﹂ ︶ ︵ 8 ︶そもそも人間とは何ぞや。人間の特徴は空想、是 である、空想の実用、是である。禽獣は唯だ実想あるの み、実想の実用あるのみ。而して空想の実用は、実に是 れ実用中最も優秀遠大なるものなれば、人にしても有も 其の実用の優大ならんことを望まば、勢ひ空想に於いて、 其の遠大なることを望まざるべからず。︵略︶予の所謂 空想とは、未だ現実ならざる想念にして、而もやがて、 現実たり得る所の想念である。即ち所調希望なり目的な り、吾人の走りて止まざる追求の対象である。 ︵ 同 ﹁ 空 想 の 実 用 ﹂ ︶

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22 ︵9 ︶﹁自己を章察せよ。﹂とは、古聖の吾人に残せる不 磨の金訓なり。︵略︶自己を知ると云ふは、決して外物 を離れたる自己を知ると云ふにあらず、常に外物と相関 係して離れざる自己を知るを云ふなり。蓋し外物を離れ たる自己は、是れ一個の妄想にして、その実なきものな り 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 本 位 本 分 の 自 覚 ﹂ ︶ ︵叩︶精神主義に対して色々の評判これ有れど、それに 対して実は一一言も申さず、そは此の主義は全く自己無能 の漂白なれば也。どの方面に向つでも、閉口し、閉口し、 閉口しをはったとの白状、即ち精神主義なり。 ︵ 同 ﹁ 浩 々 洞 語 録 ﹂ ︶ ︵日︶私の信念には、私が一切のことに就て、私の自力 の無効なることを信ずる、と云ふ点があります。︵略︶ 何が善だやら悪だやら、何が真理だやら非真理だやら、 何が幸福だやら不幸だやら、一つも分るものでない。我 には何も分らない、となった処で、一切の事を挙げて、 悉く之を如来に信頼する、と云ふことになったのが、私 の信念の大要点であります。︵同﹁我が信念﹂︶ ︵ロ︶どの方面においても、真実に徹して知り尽くすこ とは人間の幸福であらうか。今日このきわやかな秋びよ りに浸りながら快く生きてゐるのも、明日を知らないた めでもあるともいはれよう。﹁明日の事を思ひ煩ふなか れ。一日の苦労は一日にて足れり。﹂といふ聖語も消極 的な処世態度であるが、この言葉も意味深長である。 ︵ 正 宗 白 鳥 ﹁ 秋 風 記 ﹂ ︶ ︵ 臼 ︶ い ま 生 き て ゐ る 、 今 日 を 生 き て ゐ る と、明日はもう一つの光がさすんぢゃないか。︵略︶つ まり世界はこのま、でい冶んぢゃないか、といふやうな ことに、よく没頭しさうになるんです。自分で偉そうな 考へをもたないで、そこらの凡人と同じゃうな身になっ たところに、ほんたうの天国の光がくるんぢゃないかと い ふ こ と を 感 じ る こ と が あ る ん で す 。 し か し ま あ 、 ︵ 正 宗 白 鳥 ﹁ 文 学 生 活 の 六 O 年 ﹂ ︶ 人心の至奥より出づる至盛の要求の為に宗教はあ る な り 。 ︵ 清 沢 満 之 ﹁ 御 進 講 覚 書 ﹂ ︶ ︵日︶宗教的要求は我々の己まんとし欲して己む能はざ る大なる生命の要求である、厳粛なる意志の要求である。 ︵ 西 日 幾 太 郎 ﹁ 普 の 研 究 ﹂ ︶ ︵ 日 ︶ ︵ 東 京 大 学 教 授 ︶

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親驚へ

の回帰と親驚からの出発

親鴛への回帰と親驚からの出発 ご紹介頂きました、本多です。教学大会は、これで二 度目になります。前回は﹁還相回向﹂という問題につい て、三人でお話をさせて頂いた一人でございます。その 時のもう一人、大谷派の僧侶としてお話しをしましたの が、平野修という方でした。ご承知のように平野さんは 大谷大学を卒業されて、縁あって教学研究所におられた 後、九州大谷短大の教授になられて、全国を忙しく飛び 回って大活躍をされていたのですが、五

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歳の若さで癌 で亡くなられました。この方とたまたまもう五年ぐらい 前にお話をさせていただいたことを思い出したことでご ざ い ま す 。 ただいま竹内先生から、清沢先生の精神主義を取り巻 く近代の思想状況、そこにいろいろな方々が関わってい て、その中で清沢先生が求め、明らかにしたものの意味 23

を押さえて頂いたかと思います。 今年度は私には﹁精神主義の系譜﹂ということで話し をして欲しいという、ご依頼を頂きました。﹁系譜﹂と いうことは、近代教学が清沢先生をいただいて興った。 そして曽我先生、安田先生という先生方を通して、大谷 派に流れている一つの学び方というものが、単に大谷派 教団の中だけではなくて、何か大きな文化的な、或いは 日本の思想状況に対して影響を持ったような系譜だとい えるということではないでしょうか。ですから、そうい うようなことを問題として、真宗大谷派の教団の中とは 言いながら、人類に呼びかけている深い願いというもの を、精神主義の系譜という課題のもとに考えよというこ とかなと思いまして、私がたまたま、安田理深先生をか けがえのない師としていただいて、こうして歩んでくる

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24 ことが出来た者ですので、このテ

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マはちょっとお断り するには忍びないと思って、厚かましくお引き受けした わけでございます。 清沢先生の願いには、真宗大谷派の宗門の魂という事 があると思います。この世に宗門があるということの意 味は、宗教的精神を人々に訴えんがためである。それは つまり親驚聖人の他力の信心を人類の宝として自らも生 き、一人でも多くの人に生きてもらうという願いを伝え 広めていくためにある宗門でなければならない。そうい う願いを実現するために、ご承知のように清沢先生は一 生を宗門のために捧げたといってもいいと思います。短 い 四

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年でしたけれど、その清沢先生が宗門子弟の養成 のために大学を京都と東京に一つづっ建てて欲しいと念 じ続け、宗門当路者を説得して、明治三四︵一九

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一 ︶ 年の十月にその当時まだ、ねぎ畑、だった東京巣鴨の高台 の土地を買い取って、真宗大学を興した。それが来年で 百年になるということです。そういう百周年記念という こともあってか、首都東京に学事施設を設けたいという 強い願いが大谷派宗門の中に興ってきて、その願いがよ うやく固まって、親驚仏教センターという大変大きな展 望を持った施設ができることになりました。もちろん内 実はまだこれから作っていかなければならないのですが、 そういうセンターが組織として出来ました。 その願いは重い。この現代、今竹内先生もおっしゃっ たように西暦で一言えば一二世紀、親驚聖人亡き後七五

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年になんなんとして、日本の思想状況というものはほと んど物質文明中心主義、経済的繁栄中心主義であって、 人間のもつ尊さとか、個がもっ尊い意味とかを本当に求 め考えていくというような風潮は、どこかで忘れられて しまっている。象徴的に言えばピルの谷間で、溝鼠が生 きるごとくにかろうじて時々ちらっちらつと見えるよう な宗教の形になってしまっていて本当に情けない。しか し﹁人間の至奥より出づる至盛の要求﹂という、一番心 の奥の奥から呼びかけるものが宗教心である。これは決 してどんな状況になろうとも消えることはない。どれだ けピルが多くなろうと、どれだけコンクリートで埋め尽 くされようと、そこに生きる人間の心の底に深く要求す るものがある。私はそれを信じてやまないわけです。そ れで、清沢先生を祖として、真宗大谷派の中に近代教学 と名づけられる学びの流れがあるということは、皆さん もう既にご承知かと存じます。私は大谷大学で学ばせて 頂いたのですけれども、その学びの中で痛切に感じたこ

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親驚への回帰と親驚からの出発 とは、親驚聖人の教えの流れにありながら、どうして清 沢先生の流れの先生方は異安心視され、異端視され、弾 圧されるという人生を送らざるを得ないのかということ でした。ですから、同じ親驚の流れでありながらどこが 違うのかという素朴な疑問をずっと抱えておりまして、 そういうところに、封建教学に対する近代教学とは一体 何であるのかという問いを持ち続けてきました。そうい う関心の中で、私は近代・精神主義の系譜という問題を 引き受けてきたわけです。詳しいお話は今申し上げられ ませんが、既に一応のまとめを著作︵﹃近代親驚教学論﹄ 草光舎︶にしておりますので、興味のある方はそちらを 参考にして頂きたいと思います。 今、竹内先生のお話に出ていた﹁空想﹂という問題に も関わるかと思いますが、近代教学、つまり精神主義の 流れを受けた親鴛の学びの一つの特徴は、端的に言えば 単に解釈学の流れに陥っていた宗学というものを、直接 親驚聖人の言葉・丈脈・思想というものに帰って考え直 そうという努力をした、という一点があると思います。 いわゆる真宗学は﹁先輩の軌轍をまもる﹂という一言葉の もとに伝承されてきた流れをそのまま引き継ぐべく、あ る意味ではまじめな学ぴをするわけですが、中心になる 25 のは江戸時代の教学、すなわち教義学です。その依り所 となる江戸時代の文献というものは、ご承知のように印 刷技術がまだ発達しておりませんし、何よりも当時は、 各寺院などが抱えているお聖教を自分の寺なり、自分の 宗派の秘蔵物として、宝物として隠匿してしまって、公 にしないということがありました。そういう状況の中で の学びですから、いわゆる文献学的な批判がなされてい ない文献で勉強せざるを得ないということがありますし、 やはり封建的な状況の中で教団という大きな枠組みがあ りますから、直接宗祖親鷲のものを論ずるということは 許されません。学ぶ場合には学んできた歴史を学ぶとい うことに分限を置くということになります。そうなると、 親驚聖人のお言葉とかその文献を直接取り上げて、ど、つ こう一百うのは倣慢、不遜であるということになる。 大体、親鷲聖人という言葉だって近代で言うようにな ったもので、私のような立場の者がお話しするとすれば、 宗祖聖人とか御開山聖人と呼ぶべきであって、親驚と呼 び捨てにするなどととんでもないといわれてしまいます。 言葉や発想に対する非常に厳しい規制があったのです。 ですから封建教学というものが非常に閉鎖的であり、宗 派内的であり、そして何よりも自己保身的であったとい

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