ISSN 1346 2156
第
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3
号
親驚と現代
『 教 行 信 証 』 の 課 題 一 一 宗祖親鷲聖人七百五十回御遠忌記念シンポジウム 1 『教行信証』と危機意識 安 冨 信 哉 言語的深化と<信>実現の実践思想、 下 回 正 弘 一『教行信託J 真 実 信,C,、の現代的意義 本 多 弘 之 研究発表 貞慶の念仏と法然の念仏 飯 田 真 宏 36 釈尊の最初説法はどのように理解されたか 武 田 龍 48 清沢満之と「信念」 不如意の智慧 名 畑 直 日 児 64 曽 我 量 深 の 二 河 誓 領 解 に つ い て の 一 考 察 松 山 大 80 特に「我」と「汝」について 親驚における本願力廻向開顕の意義 本 明 義 樹 94 一坂東本『教行信託Jを精読して 真宗教学学会講演会一宗祖としての親鴛聖人一 親驚聖人の回心一三願転入論一 梯 賓 固 110 親鷺聖人と『楽邦文類』 福 島 光 哉 123 2011年度教学大会発表要旨 1352
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月
真 宗 教 学 学 会
発題 I 発題者 要 点 親驚と現代 発 発 題 題 者 E
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年 度 真 宗 大 谷 派 教 学 大 会 シンポジウム親驚と現代
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行
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証
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の課題|
発 題 者 ︵ パ ネ リ ス ト ︶ ﹃教行信証﹄と危機意識 安 一 口 同 信 哉 ①﹁選択集﹄の根本関心l
危機の自覚と解釈学的﹁転 回 ﹂ ②﹁教行信証﹄の課題値遇の感動と解釈学的﹁展開﹂ ③親驚教学と現代中世と現代を結ぶもの 言語的深化と︿信﹀実現の実践思想|﹃教行信証﹄ 下 回 正 弘 要 発題 E 発題者 要 点 ,---'---, 女 ドv
∼ 九 大 ハ 介 大 学 特 別 任 用 J ゴ F f 教綬・尚子会幹事下 リ 品 九 東 京 大 学 J F 大 学 院 教 授 百 九 親 驚 仏 教 セ J f ン タ l 所長下 官’ Hヨ信
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* * * 司 ... 』 ヨ"' 並凶同 φ 市 中 や泊九大谷大学教授・一 f 学 会 委 員 ﹂田
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出 { ①大乗経典ひとからことばへ ②仏との接点である︿信﹀の特徴 ③﹃教行信証﹄における信 真実信心の現代的意義 本 多 弘 之 ①存在の意味回復へ|人聞を根本的に変革するとは? ③白己を信ずること根源的百定をくぐって ③記号化される危機一一一日葉︵存在︶の活性化と根本言2 織田顕祐︵以下、織田︶只今から二
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一一年度真宗大谷 派教学大会シンポジウムを開催いたします。例年は講演 会を行っておりますが、今年は宗祖親驚聖人七百五十四 御遠忌記念といたしまして、シンポジウムという形で実 施させていただきます。 私は、司会を務めさせていただきます学会委員の織田 と申します。どうぞよろしくお願いいたします。それで は、まずシンポジウムの意図について、私の方からご説 明します。その後で、安冨先生、下回先生、本多先生の お三方から発題をいただきます。 学会では、一昨年から﹁宗祖としての親驚聖人に遇 、つ﹂という基本理念を掲げております。この宗祖という 言葉ですが、これは私たちのある意味いのちのような大 事な言葉です。私たちは今、現代人として社会の中で生 き、さまざまに考え、悩み、吋出動しているわけですけれ ど も 、 p説驚聖人は、人 7 から七百五十年、八円年程前の方 でありますから、私たちとの間にずいぶん時間的な距離 があるわけです。宗祖の教えはただ念仏、南無阿弥陀仏 である、これは明らかでありますが、しかしながら、宗 机の時代と私たちの時代の聞には八肖年の時間の経過が あ っ て 、 簡 単 に 一 一 一 日 え ば 人 が 生 き る 状 況 が 変 わ っ て き て い るわけです。宗祖の﹁宗﹂という音ム味は変わらないにし ても、人が生きるその社会的な状況や、世の中の仕組み ゃ物事の考え万の構造が変わってきているわけでありま す。ですから、私たちが書物を通して、南無阿弥陀仏を 考えるといった時に、丈字だから読めるわけですが、そ こに読むということの一つの大きな課題があるように思 うのです。丈字を通してその人の考え方に触れるという ことが一体どのようにして可能なのだろうか、こういう ことについて少し私たちは慎重でなければならないと思 います。今日午前中の研究発表でも、﹁教行信証﹄の発 表がずいぶんございました。丈字ですから、読めば何か が伝わるわけですけれども、伝わるということは一体何 が伝わったのだろうか、読んだということは、一体誰が 何をどう読んだのだろうかと、こういうことが少し気に なるわけであります。私たちは現代人でありますが、親 驚聖人は古代中祉の万であります ω そういう時代に﹁教 行信一正﹄をお書きになって、南無阿弥陀仏を明らかにさ れていかれた。そういうことについて、私たちがそれを 通して学ぶということが、どうしたら可能になるのだろ うかということを一度振り返って与えてみたいというこ とで、﹁親驚と現代﹂というテl
マを虫てたわけであり親驚と現代 ま す 。 現代人である我々が﹁教行信一社﹄を読むにあたって、 親驚聖人がそれを主円かれた平安末期・鎌倉初期の頃の時 代・社会性の中で南無阿弥陀仏を明らかにしていかれた ということは一体どういうことであったのか。これをま ず一度検証する。そして、私たちは現代人でありますか ら、現代と親驚聖人の聞に、仏教としての普遍性・一般 性というものがなければ私たちがそれを通して仏法を学 ぶということは成り立たないわけであります。その上で、 親驚聖人の教えの現代性という視点を考えてみたいので す。﹁現代と親驚﹂という課題をそのように整理して、 親驚聖人の時代性・社会性は安冨先生、大乗仏教として の普遍性や人間とのつながりについては下回先生、現代 性については本多先生に、それぞれお願いし、要点を三 項目ずつ出していただいております。その要点にしたが いまして、先生方から発題を頂戴したいと思います。 それでは、最初に安冨先生からお話を頂戴します。安 冨先生は親驚の時代性を、﹁危機意識﹂と捉えられて ﹁﹁教行信証﹂と危機意識﹂という題をお出しいただき ました。それでは安冨先生、宜しくお願いいたします。 3 安富信哉︵以下、安富︶安冨です。﹃教行信証﹄は、私た ちにとって真宗の根本聖典となる書物でございますけれ ども、実際にはなかなか読み解くとい、つことができない 奥行きの深い書物です。私’
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身は個人的に、危機意識と いう概念に惹かれるものがあり、﹃歎異抄﹄をはじめと する親驚聖人の著述に親しんできたわけです。今回、大 変大きなテl
マを与えられて戸惑っておりますけれども、 三つの側面︵問﹁選択集﹂の根本関心!危機の自覚と解釈学 的 ﹁ 転 回 ﹂ 、 ③ ﹁ 教 行 信 証 ﹄ の 課 題 値 遇 の 感 動 と 解 釈 学 的 ﹁ 展 開 ﹂ 、 ③ 親 驚 教 学 と 現 代l
中 佐 と 現 代 を 結 ぶ も の ︶ か ら ア プ ロ ーチをさせていただきたいと思います。 この﹁教行信証﹄という書物が成立する上において、 その根拠として考慮されなければいけないのは、法然上 人の著した教学書である﹁選択集﹄です。法然上人の教 学は、法然上人ご自身が直面した危機と密接に関係して います。その危機意識は、外在的な危機意識と、内在的 な危機意識が織りなしているように思います。外在的な 危機として考えられるのは幾っかございますけれども、 子どもの頃に父親が明石定明という武士の夜討ちに遭っ て殺害されたというようなことがございますし、また比 叡山から降りて清涼寺や南都を遊歴した時に、ちょうど4 保元の乱に直面している。或いは同心された後、源平の 戦いで、平家が滅亡するようなことがことがございまし た。内在的な危機といたしましては、三学非器、自分は 戒定慧の三学を全うすることはできないのだという痛切 な自覚がありました。正に三界火宅ということが聖人の 実感であったかと思います。その火宅の火を鎮めるとい うことはとてもできないわけで、その火宅からいかに出 離するか、ということが上人の課題になりました。それ は、﹃選択集﹄の出発点に位置している﹃安楽集﹄の引 文 に 、 窺 わ れ ま す 。 ﹁ 安 楽 集 ﹄ の 上 に 一 去 は く 、 問 、 っ て 云 は く 、 一 切 衆 生 皆仏性有り。遠劫より以来応に多仏に値うべし。何 に因りてか、今に至るまでの自ら牛一死に輪廻して火 宅 を 出 で ざ る や 。 こういう問いをもって、﹃選択集﹄を起筆しておられる わけです。その間いに対しては、同時にこの﹃安楽集﹄ に依って、一つには﹁大型去ること遥遠なるに由る。﹂ 一 一 つ に は ﹁ 理 深 く 解 微 な る こ と に 巾 る 。 ﹂ と あ り ま す 。 足の故に﹃大集川蔵続﹄に一五はく、我が末法の時の 中に億億の衆作、行を起こし道を修せんに、未だ一 人も得る者有らず と、そういう言葉で答えられるわけです。則ち理証とし ては、去大聖遥遠ということ、そして理深解微というこ とですね。それから教証としては、﹃大集月蔵経﹄です が 、 ﹃ 大 集 経 ﹄ か ら 更 に ﹁ 観 無 量 寿 経 ﹄ の 説 一 不 に 一 不 峻 を 受けていることです。このように法然上人は、﹃安楽 集﹄の言葉にもございますように、﹁時は末法、機は凡 夫﹂という危機意識を﹁安楽集﹄と共有いたします。こ れが浄土宗開宗の根本的な理由となっております。 このような危機意識は、当然それを突破する、超克す るということが大きな課題となります。つまり、危機の 中にこそ新しい次元が聞かれてくる一つの可能性も秘め られていることです。近・現代のキリスト教の神学者に、 エ ミ
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ル・ブルンナl
︵スイス一八八九一九六六︶とい う人がおられました。危機神学というす一場を表明した一 人です。ブルンナl
は危機について﹁危機という言葉は 二つの意味を持っている。第一にそれは病気の最忠の状 態を意味し、第一一にそれはある企てや運動の発展におけ る一つの転同点を意味している﹂と述べております。法 然上人はこの危機を内大破するには、﹁よくよく身を図り 時をはかるべきなり﹂︵﹃念仏大意﹂︶という基本的な立 場になち、念仏こそ末法に生きる凡夫が救われる唯一の親鴛と現代 道であるという救済論を見出します。それについて説か れておる﹁選択集﹄の正式な書名は﹃選択本願念仏集﹄ で す 。 題 は 一 部 の 総 標 と 一 窓 口 わ れ ま す よ う に 、 こ の ﹁ 選 択 本願念仏集﹄という題号は、型道門から浄|一門への展開 をもたらす機軌を凝集的に表現した象徴的なタイトルで あると思います。ここに仏教は﹁選択本願﹂という新し い光のもとに解釈し直されるわけです。これを私は、 ﹁解釈学的転回﹂という語で表現したいと思います。聞 き慣れない言葉を出して恐縮ですけれども、仏教解釈の 学的な展開、日本の旧来の仏教解釈の転換となり、また 仏道への本来の回復であるということを、この語に秘め て お る わ け で す 。 この﹃選択集﹂の各章は、いずれも標章、出丈、私釈 という三段からなっておりますけれども、その展開の諸 相は、標章に端的に覗うことができます。例えば第一章 の教相章では﹁道梓禅師、聖道・浄土の二門を立てて、 しかも聖道を捨てて正しく浄土に帰するの丈﹂と標章さ れております。このように、一方を廃して他方を立てる という、いわゆる廃立の義を十六章の全篇を通して、 ﹁選択集﹄は強調しています。この﹃選択集﹄は日本の 仏教を転回せしめた、記念碑的な教学書で、鎌倉仏教は 5 ﹁ 選 択 集 ﹂ を 始 点 と し て 、 で は な い と 忠 い ま す 。 では、この﹁選択集﹂を親驚聖人はどのように受けと められたのか。親驚は、﹁教行信証﹄の後序によれば、 建 仁 元 年 一 J 十九歳の年に比叡山を降りて、法然の説く専 修念仏に帰します。その正確な行実は不明ですけれども、 いくつかの伝承によれば、そこに法然と同じ質の危機意 識が育まれていたものと推山間訂されます。法然の門ドにあ った親驚は、元久二年一二十三歳の年に﹁選択集﹄の書写 を許されたわけですけれども、その事実を深い感激をも って書き記し、本書について﹁真宗の簡要、念仏の奥義、 これに摂在せり。見る者諭り易し。誠にこれ、希有最勝 の 華 文 、 無 上 英 一 深 の 宝 典 な り 。 ﹂ ︵ 聖 典 阿 O O 頁︶と最高 の賛辞をもって、称賛しております。親驚における﹁選 択集﹄の書写は、単なる書写ではなく、所謂仏教の付属 という意味を持つものでした。付属とは、師が伝道の使 命を弟子に付託することです。法然の士口水教団は、内部 に異義が発生し、外部に圧迫が迫っているという、緊迫 した状況の中にありましたけれども、そういう状況の中 で、親驚は﹃選択集﹄を法然上人から託されます。﹃教 行信一証﹄を執筆した年次については、しばしば指摘され こ の 展 開 し た と 一 一 行 っ て も 過 一 一 一 円
6 ますように、︿化身土巻﹀の﹁我が元仁同国甲申﹂︵聖典 三 六 O 頁︶という年紀が注意されます。親驚聖人五十二 歳の元仁元年は、恩師法然が入滅されてちょうど十三回 忌の年にあたり、また﹃歴代皇紀﹄などの記述によれば、 元仁元年八月五日に念仏停止の宣下があったことが知ら れます。江戸時代の学僧の法住は﹃教行信証﹄の撰述が、 この二つの出来事と深く関わっていると指摘しておりま す。そして﹃教行信証﹄の三つの序文に、親驚は法然を 通して出遇った浄土宗こそ、末法に生きる凡夫が救われ る真宗であるという、深い恩徳感を表白しております。 それは端的に総序の中の言葉、例えば ここに愚禿釈の親驚、慶ばしいかな、西蕃・月支の 聖典、東夏・日域の師釈、遇いがたくして今遇うこ とを得たり。聞きがたくしてすでに聞くことを得た り。真宗の教行証を敬信して、特に如来の恩徳の深 きことを知りぬ。ここをもって、聞くところを慶び、 獲るところを嘆ずるなりと。︵聖典一五 O ﹁ 只 ︶ という一節が示しております。その表白は﹃教行信証﹄ が報恩の念に支えられて執筆されたものであることを伝 えています。この報恩の念が、﹃教行信証﹄執筆の直接 の理由、いわば因由であることは疑うことができません。 これと同時に注意されなければならないのは、法然とそ の著﹃選択集﹄、更に吉水の教団に対する聖道門側から の非難・論難、或いは度重なる迫害です。それが﹃教行 信証﹄執筆のもう一つの重要なファクター、いわば縁由 になっていることです。親驚はこれについて、同じ後序 の 中 で もしこの書を見聞せん者、信順を悶とし疑誇を縁と して、信楽を願力に彰し、妙果を安養に顕さんと。 ︵ 聖 典 四 OO 頁 ︶ と 述 べ て お り ま す 。 ﹃選択集﹄の論難として代表的なものは、明恵上人高 弁が著した﹁擢邪輪﹄三巻です。明恵は、法然上人が菩 提心を所廃の行とし、また聖道門を群賊悪獣に例えたこ とに﹁二種の大過有り﹂として、更にこれを細分して十 二 一 種 の 過 失 を 挙 げ て 推 破 し ま し た 。 専 修 念 仏 の 迫 害 は 、 親驚の在世中にも多く見られます。特に承元の法難につ いては後序の冒頭に﹁痛かに以みれば、聖道の諸教は﹂ から始まって﹁空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐し て 五 年 の 屑 諸 を 経 た り き 。 ﹂ ︵ 聖 典 三 九 八 1 三 九 九 頁 ︶ と 記 されているところに端的に表れております。この記述に ついては、歴史家によってそれが承元の奏状であると指
親鴛と現代 摘されています。また、同時に注意されるのは、親驚五 十五歳の時に引き起こされた嘉禄の法難です。この事件 について、﹁並榎の竪者定照、ふかく上人念仰の弘通を そねみ巾て、弾選択といふ破丈をつくりて、降寛律師の 庵にをくるに、律師又顕選択といふ書をしるしてこれを こ た ふ o ﹂とあります。これは﹃法然上人行状両凶﹂の 言葉ですけれども、並榎の竪者定照という天台宗の僧侶 は、﹃選択集﹄を非難した。それに対して、隆寛が反論 して﹁顕選択﹄という書物を著した。それで隆寛は、結 局相模の飯山へ配流になり、そこで入滅したと伝えられ ております。これらの法難は、親驚に﹁時は末法であ る﹂という危機意識を深め、﹃教行信証﹄の執筆を促す 大きな要因になったものと窺われます。 このように振り返ってみますと、﹁教行信証﹄はその 内側に、法義相続の戦いを秘めていると言えると思いま す。﹁教行信証﹄は平穏無事な状況の中で不特定な読者 に向けて執筆された仏教理論書ではなくて、背法違義の 聖道門仏教に対する徹底的な反駁の書、法義相続の願い を込めた書、或いは吉水教団を背負った僧伽の戦いの室百 という意義をその一面において持っております。そうい う意味で、総序と後序はそれぞれが本書の成立の同縁を 7 異なった角度から明らかにしております。 ﹁ 教 行 信 証 ﹄ は ﹃ 顕 浄 土 真 実 教 行 一 証 文 類 ﹂ が 正 式 な 圭 一 日 名です。私たちは本書を﹁教行信一社﹄と通称し、﹁顕浄 土真実教行証丈類﹄と呼ぶことは稀です。則ち﹁顕浄 土﹂という丈字を省いております。しかし、そのことに よって見落としていることがあるように思います。題号 の冒頭を﹁顕﹂という一字から始めることは、そこに明 瞭な課題があるからです。例えば、最澄は大乗戒の立場 を明らかにするために﹃顕戒論﹂を著しておりますが、 ﹃教行信証﹄も﹁顕浄土﹂という根本的な志願のもとに 著されています。そのことがまず注意されるべきであろ うと思います。浄土宗を開創した法然は、その真意を理 解されないまま誤解や偽解、そして非難に晒されました。 法然亡き後、明恵をはじめとして一層の非難が高まって まいりました。そういう疑詩に、浄土宗の理論的基盤の 存亡の危機をひしひしと肌身に感じながら、親驚は浄土 の真実、浄土の真宗を顕すアポロジ l を書く使命と責任 を、﹃選択集﹂を付属された門弟の一人として痛感しま した。隆寛は﹁顕選択﹂を著して流罪に処せられたわけ ですが、親驚は﹁顕浄土真実﹂という名を冠して、ある 意味においては﹃選択集﹄の開顕書を著すことになりま
8 す 。 これと同時に、私たちは﹁顕浄土真実﹂と表記される 別の意味も推察しておきたいと思います。則ちこの総題 は浄土方便に対して浄土真実を顕すという一般の、そし てまた正当な理解とともに、浄土の真実功徳を開示する という意味を別に秘めているということです。これは先 学も指摘されておることですが、浄土の真実功徳、則ち 名号の体験的な領きを通して、未来往生、則ち死後往生 の陰が色濃くある伝統的浄土教を超克するという意義を 内包するものと窺われます。そういう音山味において、 ﹁顕浄土真実教行証文類﹂という題号は、法然上人の ﹃選択集﹄の真意を開顕する基軸を凝集的に表現した象 徴的なタイトルと一一号つことができます。ここに﹁選択 集﹄全十六章の内容は、﹁二一序回法六巻﹂という新たな 文脈で再解釈されることになります。これを私は、﹁解 釈学的展開﹂という請で表現したいと思います。この語 に託して﹁教行信証﹄が仏教解釈の学的な展開、則ち ﹃選択集﹄が聞いた地干の進展であり、また新たな意義 の開顕であるということを一不峻したいと思います。その 展開の諸相について触れるならば、︿教巻﹀において、 教・行・信・証の問法の綱格を往還二種凶向によって組 織し、﹁選択集﹄の不回向の教学を展開させていること。 あるいは選択本願の行と標挙した︿行巻﹀で誓願一仏乗 を顕揚したこと、あるいは菩提心廃捨を説いた法然上人 の真意を︿信巻﹀で浄土の大菩提心として明らかにして いること。あるいは﹁往生の業、念仏為本﹂と標宗した ﹁選択集﹂の往生観を︿証巻﹀で難思議往生、あるいは 証大浬般市と了解し展開していること、などが挙げられる か と 思 い ま す 。 以上、﹁教行信証﹄で、親驚聖人が課題とされたこと について、若干触れてみました。では、私たち現代に生 きている者に対して、﹃教行信証﹂はどのように、応答 してくるのでしょうか。これについては、読む人によっ て様々な言葉が返されてくるかと思います。ただ﹁教行 信証﹂は、親鷲聖人が入滅されてから幾世紀もの問、歴 史の風波に耐えて、読み継がれ、学び継がれてきた書物 です。それは、﹁教行信証﹄という書物の普遍的な価値 を 示 す も の と 三 一 口 え ま す 。 近 代 の 仏 教 者 と し て 著 名 な 鈴 木 大拙は、先の親驚聖人じ百回御遠忌において、東本願寺 の依頼を受けて、﹃教行信証﹂の英訳に着手し、没後七 年目に出版されました。なぜ大拙は、最晩年に﹃教行信 証﹄の翻訳に心血を注いだのでしょうか。この点につい
親驚と現代 て大拙は、﹁この翻訳は親驚の教えを広める目的で行っ たのではない。布教は本質的に世間の人々に対する円論 見である。私たちが願うのは世界の人々に、私たち日本 人が所有している、この財宝を知ってもらい、またこれ を分かつことなのだ。﹂と同聞の人たちにしばしば語っ たと伝えられます。大拙は、本書の普遍的な価値を洞察 しておられたのです。今凶親鷲聖人七百五卜同御遠忌を 迎えて、この大拙訳﹁教行信証﹄は、再版されるとお聞 きしておりますが、本書の意義がまた違った視点から解 明されることが期待されます。親驚は法然に倣って、 ﹁時は末法﹂という歴史観を共有します。例えば﹃教行 信証﹄の︿化身土巻﹀で、﹁安楽集﹄を引用し、﹁巳にも って末法に入りて六百八十三歳なり。﹂︵聖典三六 O 頁 ︶ と 見 定 め て お り ま す 。 この査定によるならば、親驚聖人七百五十回忌を迎え た今は、末法に入って一千四百三十三年目に当たること になります。親驚の仏教史観によるならば、現代といっ ても末代の相の中にあるのかと思います。日本の近代は、 親驚聖人没後六百年の星霜を経て、廃仏致釈で幕開けし て、闘誇堅固さながらの世界を現出しましたが、それは 現代にまでも続いております。﹁五濁の世、無仏の時﹂ 9 とは、遠い過去の話ではなくて、正に現下の状況です。 人間の根源的な無明性が、いよいよ露になっているとい う感慨を禁じ得ません。﹁機は凡夫﹂ということが、﹁時 は末法﹂というテーゼとともにこの時代に思われます。 そういう危機意識の元で、私たちの先輩は七百凶御遠忌 を機縁にして同朋会運動を始動しました。その中で﹃現 代の聖典﹄として取り挙げられた、﹁王舎城の悲劇﹂と いうテキストがあります。これは﹃観無量寿経﹄の章提 希夫人の視点から取り挙げられてきたわけですけれとも、 これは現在﹃教行信証﹂の︿信巻﹀に引用される﹁混繋 経﹄の阿闇世王の視点から、親驚聖人の解釈を通して、 いろんな角度から読み直されております。それは一例に 過ぎませんが、人聞を救う根源的な明智というものを、 親驚聖人自身のテキストを通して、つまり﹃教行信証﹂ を通して学ぶことがいよいよ大切になってきているとい うことを実感している次第です。 どうもありがとうご、ざいました。それでは続いて、 ﹁大乗仏教と人間のつながり﹂ということを、下回先生 は﹁信﹂という切り口でご発題されるようであります。 それでは下回先生、宜しくお願いいたします。 織 閏
10 下回正弘︵以下、下回︶下回正弘でございます。今日の 私の話は、まず原始仏教と言われる仏教と、大乗仏教と 言われる仏教が、どこが違うのかということを申しあげ ます︵①大乗経典ひとからことばへ︶ 0 更に原始仏教と大 乗仏教の両者を通して、信という課題が共通に中心的な テ l マとして取り扱われております。その理解を次に申 し あ げ ま す ︵ ② 仏 と の 接 点 で あ る ︿ 信 ﹀ の 特 徴 ︶ o そ し て 、 このことが﹃教行信証﹄においてもそのまま受け継がれ ています。日本の鎌倉時代に記された﹃教行信証﹄の真 意、他力の信ということでありますが、これが全仏教史 から見て、どういう意味合いを持っているかということ をお話ししたいと思っております︵③﹁教行信証﹄におけ る 信 ︶ O まず、いわゆる原始仏教と言われる仏教と、大乗仏教 の違いについてであります。細かい差異を一百いますと 様々出てまいりますが、最も大きな違いはどこにあるか と言いますと、経典が仏教世界の一部だったのが原始仏 教です。或いは部派仏教と言われる仏教です。ところが その経典自身が、仏教世界そのものを代脊できる存在に なった、仏教世界そのものになっていった、というのが 大乗仏教の特徴であります。つまり、仏教が言語世界を 自 立 さ せ ま し た 。 この出来事が如何にして起こったかということについ て、一言だけ触れておきますと、伝承の形態、言葉の存 在の形態ですけれども、それが口伝という、人から人へ という受け渡しだったところに、書写ということが入っ てきて、言葉が人から独立し、自立した世界を創り出し た。ここに転換の最も大きな契機があります。いわゆる 原始仏教、阿含とかニカ
1
ヤと言われる中に分類されて いる経典と、大乗経典を比較した場合に、今私が申しあ げた特徴がそのまま表れているのです。 よく原始仏教の思想という言い方を聞きますし、そう いう言い方を使っておりますけれども、大乗仏教と比較 をした時には、原始仏教には思想という名に値するもの は、厳密にはまだ生まれていない、存在していません。 と一言うのも、思想とは、一つの概念があるのみならず、 複数の概念が有機的に連関して一つの体系を成し、その 体系の中には下位的な体系、下位分類と言いますか、そ うしたものが存在し、複層的構造を成している、そうい う事態に至った時に、私は、思想という名前に値する言 語的な活動が創出されていると考えています ω ところが 原始経典というのは、例えばスツタニパ l タ で す と か 、親驚と現代 ダンマパダ、或いは他にニカ
l
ヤの様々な経典がありま すが、これらはいずれも如何にしてその実践をして行く か と い う こ と に 向 け た 、 そ の ア フ ォ リ ズ ム ︵ 金 一 一 一 H ︶であ ったり、手引書であったりするものです。もちろん、一 つ一つの概念は、とても興味深いものですので、生きて いく現場、実践を予想してこれらの経典を読んでいく場 合には、現代の私たちに、この上ない一不峻を与えるもの が様々あるわけです。ただ、それは言語として自立して 体系を成すところまで至っておりませんし、また至る性 質のものでもないのです。何故かと言いますと、それら は実践とか人とか、外界に依存をし、外界と相互補完的 な関係を保ちながら継承されて行く言語の様相に留まっ ているからです。外界に依存をした言語次元にあること が原始仏教の経典の特徴でして、それは私が理解する意 味での思想としての未熟性であります。 ところが大乗経典になりますと、経典が周囲から独立 しています。言語世界を自立させています。言語に対す る格段の深い考察、洞察が入ってまいります。外界に依 存していた言語が自立し、深化しています。最初に申し あげましたように、経典が仏教世界全体を代替し、 て創出していくまで深められていくわけです。 11 そ し そうしますと、大乗経典が伝わっていった世界と、伝 統的な阿含・ニカl
ヤという経典が伝わっていった世界 の二つを比較してご覧になれば一目瞭然なのですけれど も、伝統的な経典、阿含・ニカlヤが伝わってきた、特 に パ l リの経典が伝わっていったテ l ラ ヴ ァ l タ ︵ 上 時 仏教︶の世界では、経典とともに、修行法とか、更に文 化的、社会的制度までも、同時に移入をしなければなら なくなっています。分かり易い例で中しますと、スリラ ンカでは、インドのカl
スト制度までが輸入されている わけです。そうしなければ、仏教の経典が十全に機能し 得ないわけです。経典を生んだコンテクストとともに移 入していくことが必要だったのです。ところが、ご存知 のように大乗経典は翻訳されます。パl
リ 語 の 経 典 は 、 翻訳をされていないわけです。そのままインドのある俗 語を引き受けているわけです。全く言語体系が達、つ世界 が、異なった言語世界を形を変えず、そのまま受領して いるわけです。ところが大乗経典は、中国において翻訳 されております。最初期から翻訳されております。元来、 中固というのは、リテラシl
、文字の世界です。言語が、 初めから人から自立して機能するという一言語的な土壌を 持っているところです。ここにおいて、大乗経典は当初12 から書写されて漢字として転写されています。そこで起 こったことは大変なことでありまして、元々インドの世 界を表していた言語、例えばサンスクリット語は、イン ド・ヨーロッパ語という現代のヨーロッパ世界、キリス ト教が入ってくる以前の世界を支えていた言語ですが、 この言語が、中国という全く異なった世界、儒教と道教 が既に飽和的に存在していた世界に入って来るという、 驚くべきことが起きているわけです。こうした、通常な らば容易に起こり得ないことが起こったのは、一言語が、 人・制度・丈化から離れて自立をしている事態が大乗経 典において起こっているからです。ですから、それをそ のまま中国では取り入れることができたわけです。 こうした大きな違いが原始経典と大乗経典との聞には 見られます。このように考えてみますと、現代の大乗仏 教の研究者が一つ誤解をしていると思われる点がありま す。それは、各経典が社会環境に依存して成立している と考えることです。経典が成立する背後に、何か特殊な 社会運動があったのではないか、それぞれの経典を成立 させる独白の大乗教問が存在していたのではないかと考 えて、それをずっと探求し続けて来ています。しかし、 これは違うと思います。事態はおそらく逆なのです。大 乗教団が大乗経典を創り出したのではなく、大乗経典が 大乗教団を創り出したのです。この経典と教団とのタイ ムラグは、インドにおいても三百年から四百年の範囲で 確認されます。この事態は、中国や日本等の伝播先を考 えてみると特によく分かると思います。中国で大乗教団 が出来たから大乗経典が輸入されたかというと、そうで はありません。大乗経典が輸入をされたところから大乗 教団ができていくわけであります。日本においても、例 えば浄土真宗という教団があったから親驚が出てきて ﹃教行信証﹄が書かれたか、そうではありませんね。む しろ﹁教行信証﹂が書かれることによって教団が確立し ている。ところが、現代の研究者は、やや一面的な歴史 研究に傾いてしまい、そこには誤解が生み出されている のでありまして、社会背貴から何とか大乗経典を説明し ようとしています。言語的に自立をした大乗経典の場合、 事態はおそらく逆です。大乗経典の言語、思想は、社会 制度や丈化制度という制約を超えて伝わって行きます。 そこには思想の普遍性というべき次元の出来事が確認さ れ る の で す 。 以上のことをまず瑚解の前提としていただきたいと思 います。次に、﹁信﹂ということを取りあげます。一七が
仏教の中でどう継承されてきたか、インドに限って申し ますが、ニカlヤにおいても、ニカ|ヤの注釈書におい ても、そして大乗の論書においても、日見事に要の概念と して一貫して位置付けられております。パ
1
リ詰の伝承 と、大乗の伝承とが、どこかで直接に関係をしていたの かはよく分かりません ω 具体的に両者の関係は裏付けら れないのですけれども、信をめぐる両者の解釈はほとん ど一致しています。 一体どう説かれているかと言いますと、信の原語には、 シユラツダ1ZSEE
︶ 、 プ ラ サi
ダ ︵ ℃ES
仏 国 ︶ 、 ア デ イ ム ク テ イ ︵ 白 色 町 百 号 ロ ︶ と い う 言 葉 が 使 わ れ て お り ま す 。 原語の詳細については今はおいておきますが、信につい ては、一二つのポイントがあります。実在性、力能性、有 功徳性です。この通りの言葉ではないですが、内実とし ては、パl
リにも大乗にもこの三つが共通して存在しま す 。 親鷲と現代 まず、実在するものに対して、人の心が動いていく、 はたらいていく、ということが押さえられています。そ の次に、信は力能性、目的を実現させていく力を持って いるということが一一番目の特徴です c そして、信という のは、たった一瞬起こることです。たった一瞬起こるこ 13 とですけれども、そこにはやがて開花する無限の功徳が 合まれている。私たちの中に起こる、そういう何か一瞬 の出来事、経験、これを一パ語化したものが信であります。 そして、史にそれを二次的に、もう少し詳しく説明す る言葉として、明澄である、堅同である、喜びに溢れて いる、跳躍、飛躍をさせていく力がある、寂静である、 と い 、 つ 特 性 が 述 べ ら れ て い ま す 。 ﹃ 教 行 一 伝 一 語 ﹄ を お 読 み になれば、全くこの理解と重なっているということに気 付かれると思うのです。伝承が実にきっちりとそのまま 継承されていることに、驚かさるを得ません。私は新し い意匠をを凝らす必要はないと改めて思いました。ここ に出した議論は、詳しくは﹃アビダルマ﹄に出ているも のですが、それをそのまま受け取った上で、﹃教行信 証﹂につながって、何の問題もありません。 ﹁教行信証﹄において、一千数百年の仏教史を通して 伝えられてきたものが、そのまま表れていること自体を 押さえていただければ、それで﹃教行信証﹄の思想の有 する普遍性を表す例証として、充分だと思いますが、少 しだけ一言葉を添えます。サンスクリット語は、かつては インド・ヨーロッパ語に分類され、キリスト教も含め、 その文明の基礎を作っていた言葉です。それに対して中14 国語、これは世界でも稀にみる表意文字言語ですね。た った一つの文字が複数の意味を包含している、場合によ っては矛盾する斥力がはたらくような方向性の出来事を、 一つの丈字に包含する。こういう言葉が存在したところ に、仏教という一つの出来事が起こり、両者の言葉の墜 を越えて、伝わっているわけです。そしてご存知のよう に、日本ではこれに和語が付け加わりますね。サンスク リットという世界が漢語に写されたというのは、驚くべ き出来事なのですけれども、ここに更に和語という、あ る意味でまだ未成熟な言葉、充分に概念を表出するだけ の力を持っていない一言葉、けれども情感のある繊細さを 表現することの出来る言葉、これらが一つになって﹃教 行信証﹄ができているわけです。日本で開花をした、言 葉の世界として現れ出てきた仏教思想の精華、エッセン スであると私は思います。そこで、他力の信ということ を明示されている。この信は、何かを信じることではな いのですね。先ほど中しましたように、実在性から触発 されるものです。そして歓喜が生まれ、それによって心 が澄み切って行き、それから跳躍する力が出てくること で す ね υ これが信でありますから、私がどう思うかとか、 自覚する白覚しないという話が先行するのではないわけ です。他力の信という表現は、仏教思想全体の信の扱い を見た時、そのまま領けるわけであります。 実は一つ大乗経典は重要な課題を残しています。それ は何かと言いますと、言語世界を自立させたこと、正に その問題です。自立させたからこそ思想が普遍化したの ですが、逆に言葉が自立したことによって、そこに身体 が欠如してしまいます。今度は、言語が再度身体化され る必要が出てくるのです。言葉が言葉としてのみ自立し てしまいますと、それぞれの文化的土壌、歴史の丈脈に おいて、私たちの実存との関わりは見えなくなってしま い ま す 。 一 一 一 日 語 的 解 釈 ば か り が 進 ん で い く こ と に な り ま す 。 大乗仏教は、こうした特徴というか、欠点を抱えていま す。そこに再度、自己白身等における言語と白己との同 一化、言語の身体化が必要になってくるわけです。 ここに、名すが出現する意義があります。︿信巻﹀で おっしゃっているように、﹁真実の信心は必ず名号を具 す﹂、これは身体的な事実の照射、そこへの凶帰です。 し か し 、 名 号 は 必 ず し も ﹁ 願 力 の 信 心 を 具 、 せ 、 さ る な り ﹂ とも、おっしゃっている。言葉で唱えていれば良いとい うものではない。つまり思想の自立によって返って身体 的事実から切り離されてしまうことの問題がはっきりあ
る わ け で す 。 一 一 一 一 日 葉 が 自 立 し て い く 大 乗 仏 教 の 照 史 を 汁 念 に追いかけていると、﹁真実の信心は必ず名サを具す﹂ という一文には、真実は身体を徹すという確信、何とし てもこの世界を伝えたいとい、つ熱意、正に願力が感じら れてまいります。こうした意味で、﹁教行信証﹄は日本 という土壌に現れた仏教思想の精華であると申しあげて 良いと思います。以上です。 ありがとうございました。それでは三人目、本多 先生には、現代的な課題といたしまして﹁真実信心の現 代的意義﹂という発題を頂戴いたしました。本多先生、 宜しくお願いいたします。 織 田 親驚と現代 本多弘之︵以下、本多︶今お二方の先生から、それぞれ 大変学びの背景の深い発表をいただきまして、私は先生 方の出してくださった課題を考えていないわけではない のですけれども、また少し違う角度から考えてみたいと 思います。発題に﹁現代的﹂という文字が特に付けられ ております。文明化をもの凄い勢いで進めてきた日本の 状況の中で、仏教の考え方とか、仏教の一言葉が、ほとん ど一般の生活レベルに関係がなくなってしまっている。 15 安 ︺ 口 問 先 生 の お っ し ゃ ら れ た 危 機 感 で 一 一 一 日 う な ら ば 、 学 、 ぴ を 共通にしている者同士の言葉で語り合っていても、ほと んど相手の関心を惹かないということが非常に強いとい うか、そういう中で生活をしておりまして、一体どうし てそのように希離してしまうのかということが、まず第 一の私の問題意識であります。現代という時代を押し進 めてきたのは、科学思想であるということは万人が認め るところでしよう。その発想で非常に大きく人々を動か したのが全盛期の唯物論であるし、それで社会変革が成 り立ち得るかの如くにして、人間存在が生きている場を、 人間の知恵と努力で改変すれば、人間存在それ自身も変 革し得るというような発想、未だにそういう考え方が、 どこかで我々を説得しているのではないかと思うのです。 萎尚中さんとお話をしました時に、美さんが近代の特徴 として悩める人の代表として夏目激石を出して、悩むと はどういうことかを言っておられました。それまで人間 存在が生きてきた付き合い関係と言いますか、人間とし て興味を持つ範囲と言いますか、そういうことが近代に 入ってガラッと変わってしまった。変えたものは近代社 会を作っている社会体制と言いますか、近代工業化社会 であったり、資本主義社会であったり、貨幣経済という
16 ことがその一番大きな原因だと見ることが出来ようかと 思いますけれど、それによって人間生活の基盤が大きく 変革されてしまった。その中にあって、それまで伝えら れてきた仏教の考え方、自己を求めて歩む時に出家すれ ば良いとか、自分一人が自分の心を清めていけば良いと いう発想が全く伝わり難い。もちろん関心があってその 言葉に響いてよく分かるという人がいないわけではない けれど、生活基盤が大きく変わってしまったことによっ て、それが存在を本当に支えるような大きな聞いだとい う形で、受け止められ難くなっているということがある のではないかと思うのです。 私が出遇った親驚という人の教えの本質は、そういう 意味で言うと、それまでの人聞の在り方が大きく変わっ た時に生まれたと思うのです。ド目先生は、原始仏教か ら大乗仏教への大きな意味の違い、思想の転換というこ とをおっしゃってくださって、なるほどと思ったのです。 それを貫いてきた菩提心とか求道心の本質が、やはり自 分から真理へ、内分から求むべき本来の在り方へという 方向が無条件に前提になっていると思うのです。織田先 生がおっしゃったように親驚聖人の生きられた時代は、 平安の貴族社会が崩壊して、武家社会が起こった時です。 そこにはその本質をどう押さえるかという大変面白い問 題があるかと思います。それまで人を納得させるような 力をもった概念が、全く違う概念に取り替わったような 時代、そこに親驚聖人が生きられた。ですから一般的中 世人の世界観とか価値観とか言語空間というものに止ま らない、それまでの人間として人聞を回復したいという 要求を求めていくについての、発想の転換を迫られたの が親驚という人の問題だったのではないかと思うのです。 自 力 か ら 他 力 へ と 一 一 一 白 っ て し ま え ば 教 義 学 的 に 単 純 明 快 に 見えますけれど、なぜ他力という発想をしなければなら なかったのかが気になるのです。先程、下回先生は﹁真 理から語りかけられるものが信﹂だという表現をされた と思うのですが、個の素質とか努力とか能力を聞いてい ったら真理に行けるという発想の論理展開ではなくて、 存在の根源に真理があって、それが語りかけてくるもの を聞くと一一首いますか、もっとも聞けないのが人間存在で ありますが。真宗学には機法という一言葉がありますけれ ど、機から法へというような発想ではなく、法から機へ と言えば良いのでしょうか。教義学は既に如来とか浄土 という絶対概念を立てて説明するけれど、私はどうもそ れが嫌いで、すてる概念を信ずることがどうしてできる
親驚と現代 か、という疑いを持つのが私の傾向性です。﹁如来だと とうして言えるの?﹂という間いを常に抱えてしまう者 と し て 、 同 H 我先生が九十歳の時に講演なさった﹁如来あ っての信か、信あっての如来か﹂という問い、人聞はそ ういう問いを抱える存在である。ですから鶏が先か卵が 先 か と い う こ と を 正 直 に 問 う の は ア ホ だ と 一 一 一 什 う の で は な くて、そういう間いをもって問い直したのが親驚ではな いかと思います。機から法へという発想で問、つのは、ほ とんど自分のものにならない。そこにさんざん悩んで法 然上人のもとに行かれたのが親驚聖人という人だと思う の で す 。 私は、今日ここへ来る時に、安冨先生の問題提起等を 思いながら、法然から親驚へと言、つけれど、その質の違 いというものは一体何なのかと考えておりました。親驚 は法然の専修念仏の教えをまともに相承したというよう なことを強調する。先程の安冨先生のお話で言えば、ア ポロジティックな発一言というのが宣︵宗学にあって、私は 非常に不愉快だったのです。そうではない筈だ、何が違 うのだと言、つ時に龍樹と世親のことを思いました。大乗 仏教の思想家として、龍樹は千部の論主と言われて、 ﹁中論﹂と言われるように、一切皆空という大上段から 17 戯論寂滅を叫んだ龍樹に対して、根本的には意識がある として唯識という忠相心からその大乗仏教をもう一度あら ゆる問題を潜って応え直す努力をした、唯識思想の整理 役をされた天親菩薩の意志、これがちょうど法然上人と 親驚聖人の関係にあたるのではないか。専修念仏によっ てそれまでの自力の発想、つまり F 什己から出て真理にい けるという発想を覆して、大悲の本願力の与えてくださ る名号一つを信じて、呼び掛けてくる本来の世界へ還っ ていこうという決断をされた法然上人の教えです。それ までの自力の考え方一切を根源から覆して、本願力を信 ずるという方向性を取ったことで、歴史を覆すような大 きな意義があったというのならば、それでは全部を捨て てただ念仏していれば良いのかというわけにはいかない のが人間です。長い間仏教が伝えてきた様々な問題、人 間に起こる思想問題、そういうものを無視して見ないよ うにして、助かるというのではなく、どんな思想問題が あろうとも、それにきちんと応え得る原点を、念仏にい ただくことができると信じて、仏教の歴史が伝えてきた 人間の持つ様々な問題に全部応えていこうという努力を されたのが親驚聖人なのではないかと思うのです。それ はちょうど天親菩薩の仕事に当たるのではなかろうかと
18 いうことを思っておりました。 三 つ の 要 点 ︵ 一
ω
存在の意味回復へ人間を根本的に変革す る と は ? 、 ③ 自 己 を 信 ず る こ と | 根 源 的 否 定 を く ぐ っ て 、 ③ 記 号 化 さ れ る 危 機 言 葉 ︵ 存 在 ︶ の 活 性 化 と 根 本 一 ゴ 一 口 ︶ で お 話 し するという約束から全く外れてしまいましたけれど、 ﹁②自己を信ずること根源的否定をくぐって﹂と書い ているのは、親驚聖人が﹁愚禿紗﹄に書いておられる ﹁深信自身﹂という問題ですね。これは結局、ニヒリズ ムとか何とか言われますけれども、現代という時代の一 番の問題は、社会体制だとか貨幣経済だとか工業的な論 理ということで、人聞が生活する空間は様々に便利に造 られ、豊かに与えられるけれども、生きている人間白身 の意味というものは、ほとんど剥奪されて全部ユニット になる、ユニットとしての意味でしかない白分を生きる ということが存在の内谷を非常に軽薄にするという危機 感があるわけですね。 私山身も、青年期からずっと自分が伝じられないとい う 、 何 と も 一 行 え な い ど こ に 持 っ て 行 っ て も 叫 ん 日 え が 貰 え な いような、不愉快さを持っておりました。白分が信じら れない、つまり何を信じて自分としたら良いかが分から ない、そういう問いの前で曽我先生が﹁P U
身 を 深 信 す ﹂ という講義をなさったことがありました。その根拠は ﹃愚禿紗﹂の第一の深信、﹁自身を深信する﹂という、 親驚聖人のお言葉からきていたわけで、深信自身という 言葉自体は、機の深信から頭の一言葉を取ったわけです。 自分自身とは何であるかということは、自分が見て自分 で反省して知るよりも、もっと深いと言いますか、それ が﹁膿劫より己来常に没し常に流転して﹂︵聖典四三九 頁︶という表現で出されてあるということです。無有出 離之縁である、全く助かる縁はないと信ずるという、こ の深信がどうして成り立ち得るか。これはやはり、存在 の真理に出遇、っと言いますか、無限なる大いなるはたら きにぶつかると言いますか、そういうことがなければ、 そこまで自分が見えるということは起こり得ない。です から、曽我先生がおっしゃるように、法の深信から機の 深信を生じ、機の深信に法の深信を包むとおっしゃった そ の こ と の 意 味 、 信 心 と 一 一 一 一 口 い ま す か 、 南 無 阿 弥 陀 仏 を 信 じるということの持っている本質であって、白八刀z U
身に 叶能性があるとか力があるということを自分で信ずるの ではなくて、自分という有在がここに在ることにおいて、 白分を支えている大きなるものが伝じられるという眼 ︵まなこ︶が聞ける。そういう親驚聖人がなさった大き親驚と現代 な仕事は、現代の人間にとっても同じような迫力と同じ ような真理性をもって呼びかけ得るのではなかろうかと、 私は感じておるわけです。 現代の状況は、押さえていけばたくさんの問題があっ て、それぞれの専門家の方がいろんな形で現代の危機と いうものを指摘してくださるわけです。それらは結局コ ンピューターに代表されるように、全て要素に分解して いけば、最後はプラスかマイナスかという記号に解消さ れてしまう。それを立ち上げたことによって、今日の存 在があるのだというような感覚だとすると、今あること の事実が結局分解された記号に解消されると一言えましょ う。そのような感覚を生きている時代にあって、私ども の使う言葉というものも、内実が解体されて、言葉を通 して生きている人聞がそこに表現されるということでな くなってしまう。先程、下回先生は、ある特定の人の生 活を表現する言葉であったものが、思想になって普遍化 したと言われた。これは非常にありがたい言葉です。人 と言葉というのは、思想になるような個人の生活ゃ、生 活内容や、信念を表すものですが、この現代社会状況の 中で、何か全部解体されていくような不安の中にあると いうのが現代です。その現象を引き起こすものとしては、 19 マスコミ等世界中を飛び交う情報等に引き込まれて、 我々白身の現実の生活が大地から離れてしまうようなこ とがあるわけで、それを凶複することが、如何にして同 能なのかというのが私の感じている課題です。それは決 して大それた問題ではなくて、自分自身はどこに生きて い る の か と い う こ と で 、 そ の 時 に 一 つ の 一 一 一 日 葉 と し て 、 名 号を選んでくださったという、選択本願の教えを、親驚 聖人は大行と押さえられたわけです。これは、本願がは たらくという行であって、個人が自分から何かに向かっ ていくための行為、自分の意志を表現するという行為と いう意味の行ではありません。自分の内面にある威力を 表現するという質のものではなくて、何か根源的な、存 在を支えているような大きな力が吹き出て、それが言葉 となって我々自身に呼びかけるのだということです。だ から、あらゆる言葉が軽薄になっていく時代であろうと も、名号は人聞を支える言葉として、根源語という意味 を持って、根本言という名付けをされるような意味を持 って、我々がそれをいただくことが出来るなら、どれだ け生活が軽薄になっていく状況が襲って来ようとも、愚 かな凡夫として一つの拠点に立って、自己を回復してい く可能性を掴むことが出来るのではなかろうかと、その
20 ように私は考えてみたわけです。大変面倒な問題を考え たわけですが、私の発題は以上の通りです。 織田ありがとうございました。それでは只今から、シ ンポジウムを行います。聴衆の皆さんからの質問も幾っ かいただいておりますが、その前に、先生同士でそれぞ れの発題につきまして、もう少しこの点を話していただ きたいところがございましたら、ご自由に相互にご発言 いただけますでしょうか。 お二人の先生のお話を大変感銘深く拝聴しました。 信について、原始仏教の信から親驚聖人の﹁他力の信﹂ にずっと続いていると下回先生は教えてくださいました。 大変ありがたかったです。それで例えば﹁信じることで ない﹂といった場合、確かにそういう耐があるわけです が、しかし同時に﹁弥陀の本願伝ずベ
L
﹂とか、信ずる と い う 一 一 一 日 葉 も 実 際 に は 疑 ︵ ギ ︶ と い う 言 葉 と 重 な っ て 出 てきます。親驚聖人は、﹁他力の伝﹂と a 一 一 一 口 わ れ る と 同 時 に、﹃正像末和讃﹄に﹁弥陀の本願信ずべL
﹂ と 一 げ わ れ 、 また﹁このうえは、念仏をとりて十信じたてまつらんとも、 またすてんとも、面々の御はからいなり﹂ 安冨 ︵ 聖 典 六 二 七 頁︶といった言葉で﹃歎異抄﹄の中でも主体的な信のあ り方を述べられています。その辺りの兼ね合い・関係性 を教えていただければと思います。 インド仏教理解の立場から、今のご質問について お応えいたします。信、これはもちろんサンスクリッ トのプラサ1
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5
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肝︶であれ、アデイムクテイ ︵ 山 岳E
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︶であれ、シユラツダ l ︵ 田E
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︶ で あ れ 、 心の中で、自分自身に起きる出来事として使われていま す。そして何よりも、仏教徒としての出発点において要 求される具体的内容として、﹁三宝の存在を信じる﹂と いうことがあります。一二主を実在として信じ、それが持 つ力を信じ、そこに自己を全出的に預けることによって、 この無常の世界、会口の世界を乗り越えて行くことができ る、その力がはたらき始める。確かにおっしゃったよう に 、 十 信 じ る と い う 私 た ち の 一 一 一 一 口 葉 使 い に 重 な っ て い る と こ ろ は ご ざ い ま す 。 ただ同時に、その信は、私がP H
八 刀 の 認 識 と し て ど う 思 うか、ということではないです。主観の側には比重があ りません υ 信を英語でどう訳すか、プラサl
ダとアデイ ムクティをどう訳すかという議論が学界ではありまして、 下 回親驚と現代 やはりキリスト教との対比が常に問題にな ってくるのですけれとも、その際、
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恒 三 ぞ ゆ ︵ 認 識 的 ︶ で あ る か 、 由 民2
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︵怖感的︶であるかという議論があ ります。もしこの二八刀法を採用するなら、パ l リの文脈 をはても、明らかに丘町巾 2 7 d なものなのです。認識と してとういう世界が聞かれるかということではなくて、 自分自身の中に起こってくる力の方に力点があって、こ れがなければ、信心の内容が空っぽになってしまい、そ れがはたらき出す、動き出すということがない、力を持 つことがないということがはっきりしています。信は、 例えば濁った水を澄み切らせる摩尼宝珠に例えられてお りますけれども、それは御幣を承知で分かり易く一 J 目 、 っ と 、 客観的な実体なのです。認識として白分がそれを是とす るか非とするかという話ではなく、その事態が自身の中 に起こった時に、すーっと心が澄み切っていく。そうい う出来事として捉えられています。その意味で、現在私 たちが使う、信じるという言葉とは違った広がりを持っ ているということをお伝えしたかったのです。 そ の 時 に は 、 21 織田この信の問題は、今日の一つの中心テ1
マになる と思いますので、また少し後で改めて話題にしたいと思 います。まずは、今日の発題の中で、それぞれの先生の 中でここはもう少しお聞きしたいというところがあれば お願いいたします。 本多先生にお聞きしたいのですが、五叩感の問題が ありますので、これから私がお尋ねすることが全うな質 問になっているか F 什信はありません。﹁記号化されてい く危機﹂ということをおっしゃいました。私もその通り だと思います。一言葉が客観世界の集合体のようなものと して、それを表記するというか、表し出す言葉ばかりが 溢れてきているところに居ると思います。それに関して、 私は今回先生が要点として出しておられます、﹁人聞を 根本的に変革するとは﹂という、その﹁人間﹂という一言 葉が、私の語感からしますと、既に二一人称的な客体化さ れた世界に浸食され始めている気がいたします。それに 対して﹁凡夫﹂という言葉は、﹁人間﹂とは異なって、 動かし難い一人称性を感じます。今回の私の発題につい て、﹁仏との接点である︿信﹀の特徴﹂という要点につ いて、はじめ織田先生がまとめていただいた時に、﹁仏 と人間との接点﹂と提起されてこられたのですが、その ﹁人間﹂という言葉を敢えて取ってもらったのですね、 下回22 何か客体化された人の群れが予想され、既に記号化され て取り込まれてしまうものがあるのではないかと危倶し ます。繰り返しますが語感の問題でもありますので、そ れを含めてご自由にお答えいただけたらありがたいと思 い ま す 。 本多痛い指摘ですね。親驚聖人の教えをいただく時に は、いつも常に自分、親驚聖人が語る時には自分につい て語られる。﹁親驚一人がためなりけり﹂という、その 立ち位置を動かさずして常に教えの言葉との関わりを考 えていかれる。ですからおっしゃるように凡夫、或いは 愚鈍、罪悪深重の凡愚ですから、そういう点で言えば、 決して一般化されないここにいる愚かな白己自身という ことなのでしょう。一万で法からの呼びかけは十方衆生 と呼び掛けるわけですから、単に一般的な第三人称とい うことではなく、自分も一人の愚かな凡夫としてという のであって、単に政一人がどこか行くというような意味 の 技 で は な い 。 だから、凡愚は一切衆生でもあるし、人間でもあると いう立昧です。人間という一行葉を使ってしまうと確かに 第二人称的なニュアンスが濃くなるかもしれませんし、 例えば我々とか我らという言葉を使う時も、我という面 を薄めてしまうような感覚がないのかと言われれば、そ ういう面もあるのかもしれません。しかし私はいつも、 例えば人間といっても結局自分自身というか、そのよう な発想でものを考えているものですから、人間を変革す るということは自己を変革するということなのです。し かし、ここで要点として出すについて、﹁自己を変革す る﹂と出しますと、あまりにも狭くなる感覚がしたので、 こういう言葉になったのだと思います。 よろしいでしょうか。大谷大学は﹁人間学の大学 です﹂と言っておりまして、も、っその一言葉自体が記号化 されているのではないかというご質問でした。確かに仏 教の中では人間という一言葉は別の意味を持つのでありま すから、そのこと自体を確かめていただいたということ は大事なことだと思います。先生方で更に幾っかお尋ね になるべきことございますか。本多先生よろしいでしょ 、 叶 ノ ’ 哨 M O 織 田 おっしゃるように、十倍という問題は、親驚聖人に あっては同向の信、他力の伝ということです。仏教一般 本 多
に一一丙われている伝に対して、真宗の教えでは常に信が出 発 点 に あ る と 一 バ い ま し ょ う か 。 一 二 ︷ R を い 信 ず る と か 、 仏 法 を信ずるとか、仏陀を信ずるとか、仏部
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としての蒸礎 になっていくような山発点としての伝に対して、例えば ﹃華厳経﹄ならば伝はそのまま成仏だと言、っ、そういう 信頼のある信が説かれています。それに対して、伝ずる こ と す ら 山 米 な い 、 難 信 と い う 一 一 一 一 口 葉 が 一 同 な げ ら れ た 伎 で、もう一度伝をM
復するという、そういうことが持つ 立味についてはどのようにお考えになりますか。 親驚と現代 難信というのはその通りだと忠います。仏教史を 一貫してそうだと忠います。サツダl
︵ 印 包 門 医 也 、 。 フ ラ サl
ダ ︵ 七 円 山 田 骨 色 白 ︶ 、 ア デ ィ ム ク テ イ 広 島E
戸 片 神 戸 ︶ は 、 所 謂 、 仏教の入門というか、その関門にあたるわけです。関門 ということは、全ては一貫してそこからしか始まらない、 その一点であります。これを潜らないことには、実在性、 力能性、有功徳性という仏教の宝が聞けてくる所には至 り着き得ないという意味です。逆に、そこ︵信︶に至り 着けば、やがて信ということを敢えて意識しないで、先 に進むことが出来るようになるのです。しかし、それは 信が必要がなくなったのでは全くなく、信の力が無意識 下 回 23 にはたらく段階になったから、敢えて信が説かれないま ま で す 。 じ い 川 はσ
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︵ 北 ア 民 ︶ で す 。 そ の 意 味 で ﹁ 難 信﹂という﹂二日葉がぴったりと即応すると私は理解してお り ま す 。 ド出先生のおっしゃる通りでありまして、信とい うのは入日のように忠われているけれども、そうではな くて、凡夫にとってのある種の到達点と一円うのでしょう か。そこを潜って初めて人聞が仏法と出遇う。それ以外 の課題は、人間にはないのだというくらいの位置付けに あるのではないかと思うのです。というのは、﹃華厳 経﹄を見ますと、その信が説かれるところだけ、会座が 横にズレていまして、天上ではない、横になっています。 これは普光法堂会というところにあるのですけれども、 それが一体何を表すかと言、っと、﹃華厳経﹂全体の問題 になってきますけれども、信を以て能入とすると説かれ るから、入口のようなものとしてそこから入って、その 先に課題があるのかというと、入円に入ることが全てな のだというほどの意味があって、初発心時便成正覚とか、 住正定取水と説かれる。そのような課題を経典は持ってい るのではないかと思います。 織 田24 それから、私の知るところでは、﹃大乗起信論﹄とい うような書物もあります。これは﹁修行信心分﹂を説い ていますが、信心して修行するのではなくて、信心を修 行するというのですね。ですから、これは通過点ではな くて、一つの到達点のようなものとして説かれています。 そういうことが基本にはございます。下回先生、そのよ うに考えて良いですね。 本多確かに信がそういう尊い質のものであることがな いと、仏陀を信ずるということも、仏教を学ぶというこ とも成り立たないということはよく分かるのですが、そ れにつけても、それが自分に純粋に成り立たないことに 苦しまれたことが、親驚聖人が比叡山を下りる理由にな ったのではなかろうかと思うのです。 はい。それが私もずっと疑問でありまして、これ は下山先生にお尋ねしたいのです。先程から言語的進化 と、大乗仏教をこのように捉えられた。それで、私も少 しそういうことを学んだことから.百いますと、例えば法 の世界とか如来の世界とか、そういうことはたくさん説 かれていきます。つまり、先生が先ほどおっしゃられた 一ば語的進化。ところが、それが一体衆生とどう関わるの 織 田 だということになると、経典はいつもそのようなことを 課題にしてきたのかどうかという感じを私は持っている のですが、どうでしょうか。 それもおっしゃる通りで、本多先生がご質問なさ ったことと、今、織田先生が触れられたことに同感であ ります。そこに﹁教行信証﹄の独自性を感ずるのは、難 信の信ということ一つに、全仏教の歴史を込められた点 です。それが言語的深化とどう関わるかなのですが、 元々言葉は心と物事、この三つをつなぐ媒介です。それ 故、どういう言葉を引き受け、用いるかによって、心の 形が出来上がりますし、その形に即して外の物事、呼応 する物事が決まってきます。この点について毅驚聖人は、 精神を集中して出来事を観察し続け、心と物事の接点に なっ一言葉を徹底して見極められたと思います。そこまで 至れば、言語の振る舞いは、そのまま心と外界の有様に 庶結します。そうしますと、実際にいろんな仏教の修行 法がインドから日本にまで伝わって来る歴史の過程で、 伝わり得ないもの、消失してしまうもの、形を変えてし まうものが、当然あるわけですりむしろ、漏れ落ちてい くものの方が遥かに多いでしょう。無常という厳粛な事 下回