ISSN 1346 2156
第
39号
浄土という世界観
講 演 「往生浄土」と「願生浄土」 龍 渓 章 雄 1 大乗仏教思想、史から見た 曇鷲『浄土論註』 織 田 顕 祐 17 研究発表 「報化二土正弁立」 親驚の源f言観推考ー 樋 口 大 慈 33 『弥陀本願義』にあらわれる 第十八願観と親鷺教学 難 波 教 行 50 真宗教学学会講演会一大乗の至極ー浄土真宗一一 親鷺浄土仏教における 大乗至極の普遍的真理性 武 田 龍 精 64 仏土に生まれる仏道 宮 下 晴 嫁 86 真宗教学学会高山大会記念講演 「知恩の倫理 報恩講の伝統を視点として 」に学ぶ 鶴 見 晃 111 報恩講の成立と展開 草 野 顕 之 128 2017年 度 教 学 大 会 発 表 要 旨 146 真 宗 教 学 学 会 高 山 大 会 発 表 要 旨 1632
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真 宗 教 学 学 会
へ 講 演 ﹀ 第二卜四阿 真宗大谷派教学大会
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は じ め に 「it生浄七Jと「願'f.i宇[」 ただいまご紹介いただきました、龍谷大学の龍渓と中 します。よろしくお願いいたします。 今年の三月に一楽先生から講演を依頼されました。後 日、講題をということで、当時考えておりました﹁往生 浄土と願生浄土﹂というテ1
マを、ご報告させていただ きました。しかしながら、レジュメに日を通していただ ければお分かりのように、講題とレジュメの内容とがい わば函蓋相応していない、ちょっと体裁の悪い分かりに くいレジュメになってしまったことをお許しください。 そこで、今日のテ l マの意味するところについて、先に育
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結論だけを簡潔に申しておきますと、レジュメの最後に ありますように、﹁往生浄土﹂を﹁願生浄土﹂という言 葉で表現した方がいいのではないかということでありま す。ここ数年来考えている課題でございます。その理由 については、この後の﹁ 1 .講題の意図﹂で詳しく説明 さ せ て い た だ き ま す 。 ただ、肝心の﹁往生浄土﹂と﹁願生浄土﹂という内容 に入る、その前提の前提のようなお話をしないと十分ご 理解いただけるかどうかという不安もありました。それ で、レジュメの構成としては、﹁ 1 講 題 の 意 図 ﹂ 、 ﹁2
東陽円月の実践論|真宗教学史の視点から﹂、そして ﹁3
金子大祭における﹃浄土の観念﹄﹁彼岸の世界﹂2 とその現代的意義の再確認﹂ o これを順を追って確認し ていくことをとおして、なぜ﹁往生浄土﹂ではなく﹁願 生浄土﹂という一言い万、表現をとるのかということの必 然的な理由を明らかにしたい、という筋道になっており ます。したがって、肝心の﹁往生浄土﹂と﹁願生浄土﹂ の具体的な内容についての突っ込んだ教学的確認にまで は、今回は十分には入れないかもしれません。 今からお話しする﹁
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議題の意図﹂と﹁2
東陽円 月の実践論﹂、これはすぐれて私が所属している浄土真 宗本願寺派に関わる問題でございます。真宗大谷派の皆 様には少し縁遠いというと失礼ですが、あまり聞きなれ ない事柄になるかと思いますし、またある意味では、逆 にそんなことは分かりきっているというようなこともあ ろ う か と 存 じ ま す 。 一 い い 山 、 私 が 所 属 す る 本 願 寺 派 の 宗 門 、 そしてその教学の状況の問題点を少しお話させていただ き、それで﹁往生浄土﹂と﹁聞生浄上﹂につなげていき たいということであります。 一、講題の意図 まず﹁ 1 .講題の立凶﹂でございますが、つけの ﹁ 浄 上 真 ︵ 一 一 小 の 一 一 一 本 柱 ﹂ 心 こ れ は 本 願 寺 派 の 宗 門 校 に お い て、浄土真宗をはじめて学ぶ学生たちに対して浄土真宗 の特色が﹁三本柱﹂という表現で説明されることが時々 ございます。﹁悪人正機﹂、﹁他力回向﹂、﹁往生浄土﹂の 三本柱。私はこうした浄土真宗のキャッチコピ l 的な整 理の仕方は好みません。しかし一応これを前提にして言 えば、最後の﹁往生浄土﹂という真宗の特色の捉え方に、 少なからず疑問を感じます。これは、親驚聖人の教え、 浄土真宗の仏教というのは、特に﹁悪人﹂を救済の対象 ︵﹁正機﹂︶とし、その救いは﹁他力﹂と言われる如来の 本願力によって﹁回向﹂されるという形で成立するので ある。そしてその最終的な日的は、救われた私が﹁浄 土﹂に﹁往生﹂するということであるんだと。 この一二つの項目を文章化すると、そうした真宗理解の イメージが湧いてくると思います。﹁他力回向﹂は、現 代人の誤解を招きやすいという点から、親驚聖人に倣っ て﹁本願力同向﹂とすべきだと思います。それはともか く、問題は﹁往生浄上﹂ですり親驚聖人は浄土真宗は大 来仏教であるということを強調されました。そしてまた、 浄 土 内 一 に 一 不 の 大 綱 は 往 還 一 一 阿 山 で あ る と い う こ と を ﹁ 教 行 証文類しの﹁教巻﹂冒頭に述べておられます υ 凶向の住 相 と 還 相 、 と り あ え ず 単 純 に 一 二 日 え ば 自 利 と 利 他 。 ト 八 乗 仏「11'主浄}」と「願生浄土」 教のいのちである自利叩利他。そうした理念が往柑・還 相 と い う − 一 一 一 日 葉 に 合 意 さ れ て い ま す 。 大 乗 仏 教 と し て の 浄 土真宗の開顕、﹃教わ証丈類﹄執筆の趣己円の一つがその 点にあったことは、明らかでありますの ところが、﹁往生浄土﹂というだけでは、住相につい ては表現されていますけれども、均十に往ルーしてそれで 終 わ る 。 浄 土 へ の ベ ク ト ル は あ る け れ ど も 、 由 一 理 相 と い う 利 他 教 化 地 の 裕 一 の 方 而 、 浄 十 一 か ら 穣 土 へ の ベ ク ト ル が こ こでは読み取れないという問題があると思います。そう いう点で、この﹁往生浄土﹂という表現を三本柱に入れ るのはどうでしょうか。もちろん﹁浄土﹂をはずすこと はできません。それで私は、﹁往生浄土﹂の代わりに ﹁願生浄土﹂という用語を採用してはどうか、と考えて い ま す 。 それから、二つ目の﹁実践真宗学﹂ o 二
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九年度に 龍谷大学大学院実践真宗学研究科が開設されて、今年で 九年目になります。従来は単に﹁真宗学﹂しかなかった んですが、上に﹁実践﹂がつきまして﹁実践真宗学﹂ 0 修業年限も一年多く、三年になります。修了生には学位 として﹁修士︵実践真宗学︶﹂という修士号が授与されま す。その実践真宗学研究科の教育理念・目的について少 3 しそこにまとめておきました乙要約すると、﹁宗教実 践﹂﹁社会実践﹂をめざす宗教的実践者の育成、という こ と で す 。 さらに、一二つ目に﹁本願寺派宗門における﹁御同朋の 社 会 を め ざ す 運 動 ﹂ ︵ 実 践 運 動 ︶ ﹂ 0 こ れ が 二O
一 二 年 度 か ら開始されて今日に至っております。それは遡れば、蒸 幹運動から始まり、やがて基幹運動の成果として、山口 にありますように、宗門の目的﹁御同朋の社会をめざ す ﹂ こ と の 確 認 。 ﹁ 信 心 の 社 会 性 ﹂ の 明 確 ︵ 明 一 一 一 白 ︶ 化 と ﹁御同朋の教学﹂構築の必要性の提唱。﹁宗制﹂︵宗門基 本法規︶の改正。これら三点の成果が出ております。特 に憲法にあたる一番重要な新﹁宗制﹂︵二 O O 八 年 四 月 一 日施行︶は、本願寺派にとって二十一世紀宗門のベクト ルとなるものでございますが、﹁自他共に心豊かに生き ることのできる社会の実現に貢献する﹂︵前文︶という ことが宗門の目的として明文規定されております。 ﹁御同朋の社会をめざす実践運動﹂が何を目指してい るのか、分かりゃすい丈章がありますのでそれを引用し ておきました。読んでみますと、﹁生きとし生けるもの をいつくしむ大慈悲が阿弥陀如来の救いのお姿である。 私たちは、この救いの平等性に基づき、差別の現実に向4 き合い、さらに、広く他者と共に歩み、悲しみゃ痛みを 共有し、御同朋の社会をめざすのである。このように、 阿弥陀如米の大悲を仰、さ、大悲のはたらきを行動原理と して、手を携え、苦悩に満ちた世界を生き抜いていくこ とは、仏の大いなる救いに包まれている私たちが歩むべ き姿であろう。私たちが取り組む実践運動は、自他を超 える救いのはたらさに包まれた私たちが、自らの限界を 知らされつつも、念仏しつつ、共に歩むことによって、 御同朋の社会をめざし、恒久の平和を求め、﹁自他共に 心豊かに生きることのできる社会の実現﹂に寄与してい こうとするものである。﹂と述べられています c そこには私なりに三つの教学的課題があると思います ので、書き出しておきました。①﹁御同朋の社会﹂、つ まり﹁自他共に心畏かに生きることのできる社会﹂、ま た﹁恒久平和﹂という表現がありますが、運動の実現
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標として掲げられる﹁社会像﹂・﹁平和像﹂の具体的な内 実を、教義学的、教学的に確認する作業が残されている。 それから、一④この運動の主体的契機とされる﹁信心の村 会性﹂の性格についてもまだ教学的な課題が残されてい るのそして③﹁大悲のはたらきを行動原理とする﹂と述 べられているのですが、運動の﹁行動原理﹂をめぐるこ うした説示内容、これも具体的に教学的に確認していく 作業が必要である。そうした教学的課題が山積していま す。そしてさらに指摘すると、実は先ほどの﹁実践真宗 門子﹂の場合もそうですが、いまこの﹁実践運動﹂につい ては、﹁浄土﹂が不在。﹁浄土﹂について正面切って語ら れ て い な い 。 ﹁ 社 会 像 ﹂ ・ ﹁ 平 和 像 ﹂ ・ ﹁ 信 心 の 社 会 性 ﹂ と ﹁浄土﹂との関係、あるいは、実践論と浄土との関係性 が明篠になっていない。そういうような問題が残ってお り ま す 。 つまり、﹁浄土﹂ということを避けた形で﹁社会像﹂ もしくは﹁実践論﹂が語られる傾向にあるということで あります。これは私の所属する本願寺派の話しですので、 大谷派の皆様方の場合はまた別であろうと思います。本 願寺派の場合は、というところでお聞きいただければと 思います。自分の所属する教団の問題点を、お隣の他の ご宗門の勉強会で批判するのは、内心怯恒たる忠いもし ますが、実はそのまま私白’身の謀題でもあるということ で ご ざ い ま す 。 二、東陽円月の実践論 では、﹁浄土﹂を組み込んだ実践論のケ l ス は な い か 、教学史の視点から明治以降の本願寺派の中で探ってみま すと、私が見逃していなければという前提で一一行えば、残 念ながら見当たりません。実は、それでも敢えて東陽円 川師の実践論を挙げましたのは、円月師は明治一一十年代 から三十年代にかけて活躍された山小学背ですが、当時の 伝統的な専門的京学者の巾では非常にユニークな学者さ んで、以甲に教学、学問だけでなく、具体的に今の言葉で 一日えば﹁社会実践﹂の活動家でもありました。私は﹁行 動する宗学者﹂という表現を使っていますが、当時とし ては非常に珍しいタイプの人物でございます。この東陽 円月師の実践論ではどうだつたか、言い換えれば、﹁社 会実践﹂への強烈な関心に立って説かれた実践論の﹁浄 土﹂不在の理由はどこにあったのか、ということを確認 したいというのが、﹁
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.東陽円月の実践論﹂でござい ま す 。 東陽円月という方については、そこに簡単なプロフ ィールを書いておきました。豊前問、今の大分県豊後高 田市ですが、そこに丙光寺というご自坊があり、その住 職をされていた宗学者です。西本願寺の場合は江戸時代 に、空華学派、豊前学派、それから石泉学派と、二一つの 主 要 な 学 派 が 形 成 さ れ ま す 。 つ が 豊 前 学 派 で 、 そ 「n
生浄土j と「願生市l」 5 そ の 一 の大成者として位置づけられています。行信論では能所 不 一 A の能行説、それからこの後のテーマになってきます が 、 減 山 非 論 、 白 ベ 俗 二 諦 論 で も 独 自 の 学 説 を 提 唱 し ま す 。 また、特異な二種深信解釈を問題提起します。それは、 円月師が当時、新しい明治という天阜制凶家を迎えた中 で、真宗教団あるいは真宗者の社会的な有用性、貢献性 をなんとか教義的に根拠づけたい。ご存知のように当時 は、真宗教義は真諦と俗諦の二本柱で構成されるとする ﹁真俗二諸説﹂が真宗教義理解の枠組みとなっていて、 真諦と俗諦、この両者の内存と関係をめぐる研究が真俗 二諦論として定着しつつありました。そうした背景の中 で、他の宗学者に比べて非常に積械的に真宗仏教の有用 性、社会貢献性を、それも教義学的に突っ込んだ形で、 論理的体系的に根拠づけようと努められた、私の知る限 り当時としては唯一のケlスです。 その円月師の実践論を次に見ていきたいと思います。 レジュメの六頁ですが、円月師は明治二十三年に勧学と して安居の本講を務めます。講本は﹃二巻紗﹄︵﹃愚禿 紗﹄︶です。午前の講義が終わった夜、所化の人たちの 求めに応じて、当時の大学林、今の龍谷大学の本館講堂 で、法話会を何日間か催しました。その中で円月師は、6 自分が普段考えている真宗理解について皆さんに是非と も聞いていただきたい。そういう形で、ご自身の二種深 信理解を率直に開陳いたします。それが問題となり、異 安心疑義事件に発展し、やがて安心調理を受けます。そ して、安心に不正はないが﹁解義不通暢﹂という理由で 誼責処分を受け、結局安居本講の停止を命じられ、泣く 泣く豊前回に帰寺しました。 その円月師が法話会で展開した二種深信の解釈、これ が実は﹁実践論﹂と密接に関わってくるものでありまし た。その後、豊前に帰国された後に滅罪義をめぐる論争 が、当時的本願寺宗学界の重鎮足利義山師との間で、両 者著作による論難往復をとおして展開されました。それ が、明治二十五年以降です。当時、滅罪はどの時点で成 立するのか、その真宗滅罪義をめぐって、通説的には、 そこに少し書いておきましたように、﹁法減機存説﹂、そ れから﹁いはれ滅罪説﹂が主張されていました。これに 対して円月師は、﹁用滅相存説﹂という独自の新しい学 説を提唱します υ 法滅機存説というのは、現生における信一念において、 煩悩、罪業の体・相・用。体は当体、それそのもの、相 はそのすがた、そして用︵ゅう︶とはそのはたらきです ね。煩悩、罪業のはたらきというのは、衆生をして流転 輪廻せしめるというはたらきですね。その体・相・用の 一 一 二 ノ が す べ て 完 全 に 事 実 と し て 断 滅 す る 。 し か し そ れ は ﹁法徳﹂、如来の法のはたらきの立場から言、っとそうな るけれども、衆生の具体的な現実の﹁機相﹂、この私の すがたの上では依然として体・相・用がそのまま残って いる。信前信後を通じて何ら変化はない。これが法減機 存説であります。法︵如来︶と機︵衆生︶を二元的に分 ける発想です。これは空華学派が中心です。それと基本 的に論理構造は同じなのですが、足利義山師は、蓮如上 人が﹁御文章﹄や﹃御一代記聞書﹄の中で﹁いはれ﹂と い う 一 一 百 葉 で 滅 罪 を 一 立 回 っ て お ら れ ま す が 、 そ の 論 理 と 表 現 に拠って、いはれ滅罪説を主張しています。﹁願力不思 議をもって消滅するいはれある﹂、﹁罪はさはりともなら ず 、 き れ ば 無 き 分 な り ﹂ な ど の 滅 罪 義 一 一 一 一 口 述 が 根 拠 と な っ て い ま す 。 それに対して、川滅相存説とは、信一念において、煩 悩悪業が私を流転輪廻せしめる、あるいは堕地獄のはた らきをするというそのはたらき︵川︶が断滅される。伝 一念において、私は流転輪組から解放される。ただし私 の上で具体的に煩悩悪業はやはり臨終一念まで起こる
「H生i争+」と|願生i争k」 ︵ 相 心 仔 ︶ 。 起 こ る ん だ け れ ど も 、 煩 悩 思 業 の 桜 ︵ 刷 ︶ は す でに断ち切られているけ生け花の比除が後に出てきます けれども、水般市と剣山に花を挿すときに、根を切って挿 せば、化は咲くけれども実らざりけりということですねの もう実を結ぶことはない。ちょうどそういうもので、釈 が切られているから、川が減せられているから、花の相 は残っても私は手一度と地獄に行くということ、流転輪組 するということはあり得ない。ただもうひたすら往生浄 土の人生を歩むんだ、というのがこの用滅相存説です。 法減機存説ゃいはれ滅罪説が、信一念によって往作成仏 に定まれる身︵正定緊の機︶となった後も、衆生を﹁地 獄行きの機﹂とする煩悩悪業のはたらきは臨終一念まで 現存するというのに対して、用滅相存説は、信一念以後 は煩悩悪業のはたらきはすでに事実として断滅されてい るからもはや﹁地獄行きの機﹂とは一一日えない、と主張す るわけです。非常に特異な滅罪義解釈でございます。 そしてこうした滅罪論学説は、実は特異な二種深信解 釈と連動し、相互に相補って一つの結論を導いています。 原文は引用していませんけれども、二種深信解釈につい て簡単に解説しておきました。﹁信一念において地獄行 の機︵性得の機︶は助かっているから信一念以後には地 / 獄行の機は存在せず、ただ正定緊の機あるのみ。一一樋深 信の相続は、初起の一念を想起して再ぶばかり﹂ o つ ま り 円 月 師 の 二 一 日 わ ん と す る 趣 意 は 、 信 一 念 以 後 に お い て は 、 伝機は単なる川想の内存として意味をもつだけで、後続 においては実質的には伝法のみである、と言い切っても いいだろうと思います。そのような特異な二種深七理解 をされます ο それからもう一つ、真俗一一諦論について﹁俗諦薫発 説﹂という独自の実践論学説を、王張します。結論から言 いますと、この真俗二諦論学説は、先ほどの滅罪論にお ける用滅相存説と信法に収数させる二種深信説よりも比 較的早い時期から提唱されていたものです。そして、用 滅相存説と二種深信説の向者は、その俗諦薫発説を教義 学的に根拠づけ、確固とした実践論として打ち出すため の理論的補強であったわけです。円月師の究極的関心事 は、真俗二諦論、つまり俗諦薫発説を論理的整合性をと もなった実践論として顕揚すること、この一点にあった わけです。このように三つの学説は、論題的に無関係で 別々に議論しているのではなく、円月師においては有機 的に連関性をもって論じられている。それが、﹁実践論 の教義的根拠の体系的探究﹂ということであります。
8 俗諦董⋮発説について少し具体的に見ていきます。いく つか引用しておきましたが、一部読んで見ます。﹁既に 凡衆の摂に非ざるの人にして宣王法人道に違するの悪事 あるべけんや。︵中略︶間信の一念に無上功徳を全領す るが故に一小知不識善男子善女人となる。是を転悪成主口の 益と云ふ。﹂﹁この仏智を全領するときは法徳内より薫じ て固より布する所の五倫五常の理自ずから現行するな り。﹂﹁もらひ受けたる名号内より薫じ、照護したまふ光 明外より触る、なり。かくの如き法徳を蒙りたるものは、 白から人道に求き王法に戻るの所作なきに至る o ﹂つま り、信一念によって名号を体とする信心が獲得される。 したがってその名号の穂︵法徳︶のはたらきによって ︵内より薫じて︶、私が本来もっている五倫五常の倫理道 徳の能力が発揮され︵現行二それを実践していくこと が 可 能 と な る 。 簡 単 に 二 一 日 え ば そ の よ う な 論 理 で あ り ま す 。 人聞は五倫
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常の俗諦を実践する能力を生まれながらに して保有している。しかし、それだけではなかなか実践 できない。その実践能力を起動するはたらきが﹁法徳内 よ り 薫 じ て ﹂ と 説 明 さ れ て い ま す 。 俗 諦 董 ⋮ 発 説 と 一 一 一 口 わ れ る所以です。人間観でいえば非常に素直な、人間に全幅 の信頼をおいた性善説に某づいた発想ですね。 円月師はこれを提灯に除えて説明していますので、提 灯説とも呼ばれています。提灯に定紋姓名などの記号が 書かれている。しかし暗夜に提灯を持って歩いても、何 が書かれているか分からない。しかし内に燭を灯すと、 定紋姓名を鮮やかに見ることができる。提灯に記号があ るのは、人間が五倫五常の性を本来もっていることを指 します。そして﹁暗夜に之れを見ざるは一切の教導﹂に 出遇っていないからだと。しかし、信心を得ることによ って、﹁燭光内より照して記号を見るは法徳の威力内よ り薫ずるなり。信心の行者自ら人道を守る﹂という、俗 諦の実践が積極的に展開する。円月師の二諦論の最終的 な結論は、﹁必ず品行正良にして政化に禅益あるべし﹂ 0 つまり真宗は俗諦を実践することのできる善人を生み出 す、同家社会に有益な宗教である、ということでありま す。それが﹁真俗二諦の妙旨﹂であると論じられていま す 。 そのためには、信一念以後の煩悩悪業の性格を転じる 必要があります。流転輪組の囚である煩悩悪業が、信一 念以後にもなおそのままのはたらき︵剤︶をもつならば、 法徳の内薫を妨げることにもなり、したがって苔人に転 じることが凶難となります。煩悩悪業は機相の事実とし「往生浄土」と「願牛浄一上」 であるけれども、その因が断滅されていれば、法徳の内 董⋮を妨げることはありません。また、後続においてなお ﹁地獄二疋すみか﹂︵信機︶の思いがあれば、忠人凡よん であることに甘んじてしまい、倫理道徳を遵守して社会 の た め に 役 ム 1 とうといった安勢も山てきません。しかし、 ﹁二種深伝の相続は、初起の一念を想起して喜ぶばか り﹂とすれば、信後は﹁地獄一定すみか﹂の思いさえも なくなって、ひたすら﹁往生一定﹂︵伝法︶と喜び、浄 士へのベクトルをもって善人として俗諦を実践していく こ と が 可 能 と な る 。 それらを私なりに五、六行でまとめたものが次の丈章 です。繰り返しになりますが、読んでみます。﹁信一念 において法徳によって過去未来現在のすべての罪障が事 実として断滅するが、それは罪用についてであり、機相 から言えば続後においても罪相は臨終一念まで存在する。 二種深信は初起一念では事実としての二種一具︵﹁地獄行 の者を御助け﹂︶であるが、後続においては信機は初起一 念の回想としてのみ二種一具の関係にある︵﹁憶持不忘に て 初 起 を 取 り 出 し て 喜 ぶ ﹂ ︶ 0 切り詰めて言えば、後続は信 法に尽きる。これが二種深信の相続である。信一念以後 は、すでに罪用は断滅されて地獄行の種が消えているか 9 ら炉、悩︵山非相︶が起こってもそれは﹁地獄行の機﹂とは 一 一 一 口 え ず 、 た だ ﹁ 正 定 緊 の 機 ﹂ と し て 光 明 の 中 に 住 む 身 と して往生浄十の人午を広む。そこに、法徳の内薫に駆動 さ れ て 本 有 の 善 行 ︵ 五 倫 五 常 に 代 表 さ れ る 世 間 的 倫 理 道 徳 ︶ 実践能力が発揮され、念仏者の積械的な俗,誠実践の生活 が展開し、凶家社会に有用な役割を果たしていくことが で き る 。 ﹂ これが、岡本願寺でいえば、明治十九年に新しい宗制 が制定され、そこで本願寺派の教えとは﹁真俗二諸﹂で あるということが明文化されます。そのような時代の文 脈の中で、教義的に論理的にいかに真宗の念仏者は社会 に有用な人物たりうるのか、それを突き詰めて考えられ たのが、この実践論であります。それを私自身が良いと するということではありません。珍しい、明治二十年代、 三十年代にはそういう一つの珍しい事例があったという ことです。それはそれで、内存としてはいわゆる真俗二 諦の問題、単純な性善説的人間観、信法に収数させる二 種深信の解釈、俗諦の内容を単純に儒教倫理などの体制 補完的倫理ーとするなど、見過ごすことのできない点も 多々ありますが、時代の要請を受けてなんとか真宗倫理 を真撃に構築しようというその誠実な意閲だけは、やは
1() り評価しなければいけないのではないかと思います c 当 時、またその後も真俗二諦に言及する宗学者は多くいま したが、教義学的な綴密な確認作業をともなう本格的な 実践論として展開した事例は、他に見当たりません。 ただ、ないものねだりになって恐縮ですが、浄土は東 陽円月師の実践論においても、﹁往生浄土﹂として伝統 的通念的な往生理解、浄土理解に従っており、実践と浄 土との関係についての考察は見られません。﹁浄土不在 の実践論﹂。このように、ある意味では優れた実践論で はあったのですが、その教義学的な確かめの中に﹁浄 土﹂が入ってこなかった。 では、何故そういう結果になったのか。ポイントは三 点あるかと思います。一点目は、﹁真俗今一諦﹂という真 宗教義の枠組み理解。これはもちろん円月師だけの問題 で は あ り ま せ ん が 、 百 円 諦 ︵ 救 済 の 論 理 ︶ と 俗 諦 ︵ 実 践 の 論 理︶を二見的に分離して捉え、﹁浄土﹂を信心正因称名 報恩の真諦の中に押し込めたため、現実社会と関係する 俗諦と無関係の地位を与えられたことです。これは﹁往 生﹂の通念的珂解とも連動しています。もちろん一一請の ﹁相依相資﹂は語られますが、﹁相依相資﹂の解釈の中 に ﹁ 浄 土 ﹂ が 章 一 要 な 契 機 と し て 入 っ て お ら ず 、 宵 一 一 諦 の と ころで﹁浄土﹂の存在意義は完結しています。二点目は、 ﹁信心﹂をどう理解するのかということです。円月師は、 ﹁願作仏心﹂﹁度衆生心﹂、﹁浄土の大菩提心﹂とも語ら れる信心の大乗仏教的性格が、十分には捉えきれていま せん。そして三点目は、言、つまでもなく﹁浄土﹂の理解 をめぐる問題です。これらの問題は、実のところ現代の わたしたち自身における課題でもあります。 =一、金子大柴における﹃浄土の観念﹄﹃彼岸 の世界﹄とその現代的意義の再確認 次 に 、 ﹁
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.金子大栄における﹃浄土の観念﹄﹃彼岸の 世界﹄とその現代的意義の再確認﹂に移ります。金子先 生のいわゆる近代的な浄土了解を、今問題として取り上 げてきたように、実践論と関連させて見ていく時、どの ような金子先生の冷士理解が涼き彫りになってくるのか。 そういう点からここに紹介させていただきました。 昨 年 三 O 一しつの夏、ハワイに大学院生を引率し研 修に行きまして、向こうの本願寺派の問教使の先性万と お話しをしました。同じく昨年の一二月のお彼岸の時には、 開教使の先生方が集まったスプリングセミナーで講義を してほしいと、問教総長さん、ハワイ別院のご輪需さん「往生i争上Jと「願牛浄七」 から要請を受けました。何を話したらよいのですかとお 聞きしたところ、金子大祭先生の話をしてくださいとの リクエストがあったんです。実は、そのリクエストをさ れた先生は金
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先生の書物を、それから足利浄円先生と か、花出正夫先午、広’民文理科大学で金子先生とご一緒 だった白井成允先生のものを読んでおられました。最近 の若い問教使に金子先生の話を聞かせたいということで、 通訳もご担当いただき、大量のレジュメを作って送り英 文に翻訳してもらって、それをテキストにして開教使の 先生方の前で講義をしました。この﹁浄土の観念﹄にお ける観念界としての浄土。その﹁観念﹂ということが容 易に理解してもらえませんでした。通訳していただいた その先生もご苦労しておられました。しかも講義中、ご 存じのようにアメリカでは講義の途中に質問してくるわ けですね。それでもう時間が大幅にオーバーしてですね、 ハワイの海水の量ほどの冷や汗をかいて帰って来ました。 またその前の年、二O
一五年の八月から九月にかけて 院生を連れてバークレーにある本願寺派の浄土真宗セン ター、そこに龍大のブランチであるIBS
︵ 米 国 仏 教 大 学院︶がありますが、そこへ研修に行きました。北米の 開教使の先生万のご講義を拝聴させていただいたんです 11 が、やはり問教使の先生力もハワイの先生と同じような ことをゴ一日っていました。アメリカでは、阿本願寺、本願 寺派の書物は人気がない。大谷派の先生方のご講義のほ うがよく分かる、というような話だったんです。いろん な理由があるだろうと思います。本派に属する身として は、いささか複雑な思いをしました。 それで、金子先生のお話は、いわゆる近代教学に属す る先輩の先生万のお書物を向こうの先生方がよく読んで いるので、。ヒンとくるのですね。そういうこともあって、 その先生から頼まれて、昨年春金子先生についてのレク チャーをしたんですけれども、なかなか﹁観念﹂という ことが分かりにくいということでした。実はその﹁観 念﹂という用語、これこそ﹁彼岸﹂と合わせて金子先生 の近代的浄土理解のキーワードであります。 さて、﹃浄土の観念﹄において、浄土の観念の三類型、 ﹁観念界として説かれた浄土﹂、﹁実現の理想界として説 かれた浄土﹂、﹁願生すべき実在界として説かれた浄土﹂ 0 大乗経典に説かれた浄土を分類すればこのように三つに 八刀けられると、金子先生なりに分類し、一つずつその特 徴、問題点を整理されます。そして結論としては、実現 の理想界として説かれた浄土を、それは実現できないも12 のとして否定し、願生すべき実在界として説かれた浄土、 これも否定します。これは一種の素朴実在観と言います か、素朴に浄土があるんだという実体論的な浄土として 金子先生は取りあげています。けれどもその実在界とし て説かれた浄土を否定したわけですから、ご周知のとお り、金子先生の﹃浄土の観念﹄は後に昭和になって問題 に な り ま す 。 次の﹁研究方法内観の浄土﹂ですが、金子先生の浄 土理解の基本的な立場は、この﹁内観の浄土﹂というこ とです。金子先生にとって﹁如来及び浄土は、どこまで も自己の現実の白覚から出発するところに必然的に見出 され﹂たものである。そういう意味で、﹁信心の内面に 自覚される精神界﹂。これが先生にとっての浄土であっ たということをまず確認しておきたいと思います。 と一百いますのは、近年、浄士をいかに把握するか、親 驚聖人の﹃教行証 L 丈 類 ﹂ の ﹁ 古 一 一 仏 士 巻 ﹂ の 言 述 。 こ れ を 実践論の観点から﹁現実を批判する批判原理﹂として浄 土を捉えようとし、その際一つのヒントとして金
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先 午 の﹃浄土の観念﹂に注日する見解が見受けられます。基 本的にわたしは賛同します。しかし、どういうし札場でそ の人は浄士を捉えているのか、そこのところを確認しな いといけない、と感じています。 あくまでも、﹁信心の内面に自覚される精神界として 浄土﹂ということが金子先生によって提唱された。そこ が出発点なんですね。親鷲聖人の﹁真仏土巻﹂には多く の経論釈書が引用されていますが、その出発点は自身に おける信心の内面に自覚された浄土であって、それが ﹁真仏土巻﹂の原点ですね。そのヒでその浄土を、当時 の新カント派の、私は専門ではありませんけれども、新 カント派の哲学、プラトンの哲学思想、いわゆるイデア の 思 想 を 基 に し て 思 案 さ れ て い ま す 。 金 子 先 生 は 盲 一 一 一 不 大 学時代からずっと、卒業されてからも、西洋哲学の勉強、 あるいは阿国哲学などを読んでおられます。浄土をそう した西洋哲学の素養をもって一舟解釈しようとされた。そ れが﹁観念界としての浄土﹂でございます。それはイデ アの附界として、現象界には属さない先験界、いかなる 意味においても人間の経験をまじえない、むしろ経験成 立の根拠となるものです。浄土は現実の此界と同一次元 に L U つ他界ではなくして、より高き次元に立つ彼岸の山 界である。このように経説の浄士、出繋界を﹁彼岸の世 界﹂として、金子先生は思索されました。 九 頁 の 五 、 L ハ行日に、﹁私の態度は、 さういふもの「往生浄[」と「願1-ti争1」 ︵ 大 乗 経 典 の こ と
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註龍渓︶を読んで私の胸に与 J へ ら れ る 戎る感激を中心として、其の大乗経典に説いてあること は私の現在過去及び未来に取ってどういふ意味を有って 居るか、私の心霊に取ってどういふ意味を有って居るか、 五日々の周囲の社会とか人生といふものに向ふ上に於て大 乗経典に説いてある浄土といふものは一体どういふ意味 を有って居るか﹂と述べられています。﹁どういう意味 を持っているのか﹂といった問題関心のもと、浄土を明 らかにしようとされたわけです。つまり、金子先生にと って、自分の人生にとってもそうですけれども、またそ のわたしが住む現実社会にとって浄土というものは、観 念界としての浄土は何らかの’意味を持たねばならない。 これが、金子先生の﹁内観の浄土﹂なんですね。そうい う時代社会性を視野に入れた自覚の広さを、そもそも出 発点としていたということでございます。 そのことについて次に、関わりの態度ということにつ いて、わたしなりに少し文章化しておきました。﹁金子 大栄における一つの時代に対する積極的な発言、もしく は近代仏教者ないし親驚教徒としての社会観の表明、と いった実践的性格内容を含んでいると言うべきであろ う o ﹂いわゆる主観主義的な、痩せた精神主義的な浄土 13 理解ではない c そこに社会性を持った浄土理解が展開さ れている c それは清沢先生に遡ると思います。ともあれ、 その上で金子先生は﹁浄土の観念﹄で、最終的に﹁観念 界こそ真の実在界である﹂、﹁観念界こそ真の理想界であ る﹂、という命題風に今度は、観念界と実在界、観念界 と理想界を結びつけて理解をしておられます。その次に、 ちょっと読むのは省略しますけれども、次の十頁のとこ ろに、そうした浄土の内観によって明らかにされた精神 界としての浄土を、陛親の﹁浄土論﹂を媒介にして﹃大 無量寿経﹄の浄土の世界としてさらに突き詰めていきま す。そこには学生時代から身読してきだ﹃華厳経﹄の下 地もうかがえます。そういうことで、﹃彼岸の世界﹄の 著作の一部を挙げておきました。 その﹁生死の帰依所﹂のところに、﹁死の帰するとこ ろが生のよるところ﹂と語られております。これが金子 先生が常に仰っていた、浄土についての基本的な理解で すね。﹁死の帰するところをもって生のよるところとす る ﹂ o ですから浄土はあくまでも未来。金子先生の場合 は浄土というのは、したがって往生とは未来である。来 世往生という言い方もありますが、あまり来世とか現世 という言い方をしたくないので、ここでは未来往生とい14 う言葉を使いますが、未来往生の立場ですね。けれども、 その帰するところである未来、未だ来たらない浄土が私 の現実の生の根拠になるのである。わたしの足元にすで に浄土の光が来たっている。これが金子先生独自の、基 本的な浄土理解であります。わたし自身はこの浄士言述 に非常に教えられたことであります。 教学史的な意義としては、そこに、①当時の時代社会 に お け る ﹁ 浄 土 ﹂ の 意 義 の 再 確 認 の 試 み ︵ ﹃ 浄 土 の 観 念 ﹂ ︶ 、 ②﹁浄土は光の世界である﹂として﹁浄土論﹂を媒介に ﹁大経﹄を読み解く︵﹃彼岸の世界﹄︶と書いておきまし た。同時代に、龍谷大学の宗教学教授である野々村直太 郎氏によって、﹃浄土教批判﹄が出版され、これが西本 願寺の教団において問題となり龍谷大学を追放されまし た。この野守村直太郎氏は﹁伝統的な浄士経典は神話で ある。如来の本願もまた浄土建立の説話もすべて神話で あ る ﹂ o 浄土教として時代に残るべきものは一一様深信だ けだと結論しています。それに対して余子先生は、この 浄土というものをそのように単純に否定せず、消却せず に、それをその従来の伝統的な浄土の理解の問題点、素 朴実紅論的な問題点を踏まえながら、それを
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寧に理解 し直そうとされた。それはある意味では、一種の﹁非神 話化﹂の先行的試みにあたるのではないかと考えます。 ただ、残された課題として、﹁観念界こそ真の理想界 である﹂ということについて、わたしなりにまとめてお きました。それが資料3
でございます。つまり、実現か 願生かということですが、実は金子先生はお若い頃に、 ﹁曇驚の社会観﹂という論文を書かれて、大正十年に ﹁仏教の本質﹄という書物の中に収められております。 ﹁真理を念じ善根を修し之を普く衆生に廻向する菩薩を 以て、真に社会を負うて立つ全人とせば、その菩薩の求 むる道こそ、誠に社会を改造し得るものであらねばなら ぬ。この見地より菩薩の求道を以て出発点とする驚師の ﹁論註﹄は、また以て其人の社会観の一面を彰はすもの と見ることが出来ゃう﹂との視点から考察した論文です。 それはある意味では、金子先生ご自身の社会観を曇驚に 仮託したと言えるかもしれません。それが次の下の﹁一 切の社会改革案は・よというところで、当時盛んに行わ れていたいわゆる﹁社会改造﹂の運動を批判し、それを この世に実現すべき理想界の例としています。そしてそ うした﹁社会改造﹂は不可能であるということが、そこ に説かれています。それに対して、﹁願力に来托するこ と が 、 丘 一 の 社 会 創 造 事 業 の 参 加 で あ る 。 五 口 等 自 ら 創 造 す「qt,牛浄fjと「願生浄土J るにあらず、創造さる、陛界に生れしめら﹀のである﹂ と述べておられます。ここには、実は金子先牛の還相同 向に対する独自の考え方が合意されていますが、今は省 略 し ま す 。 ですから中に、この山に理想社会を実現するというよ うな理想主義的な考え方を、一回から百定しているわけで はないのですね。また、有縁の人に対する﹁ものをあは れみ、かなしみ、はぐくむ﹂願いと実践が﹁末通らな い﹂としても、それであきらめることはできないですね。 それは人間にとって、ある意味では必然的な願いである。 如来の還相同向の願は、そうした人間における理想と願 いを受けとめるところに誓われたものと考えられます。 ﹁歎異抄﹄第四条の﹁浄土の慈悲﹂、あるいは還相凶向 ということが言われる必然性がそこから出てくるんだと いうことが、最後のほうに述べられています。還相回向 は、次生での事柄だとしても、逆に現生での願いの強さ を反映したものと言えるのではないでしょうか。 四 、 ﹁ 往 生 浄 土 ﹂ と ﹁ 願 生 浄 土 ﹂ 15 最後に、時聞がなくなってきましたが、﹁
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. ﹁ 往 生 浄 土﹂と﹁願生浄土﹂﹂に触れたいと思います。金子先生 の浄上理解をわたしなりにベースとして考えていく時に、 ﹁往生浄土﹂では実践性が山山てこない。しかし﹁願作浄 土﹂といえば、﹁生の依るところ﹂として浄土は人生の 根拠となります。そして、その浄土への﹁生﹂を願うと いうことは、いわゆる身命終の時の生︵往生︶ではなく、 現生における人件生活の根拠として浄土を自覚していく ことですから、実践の根拠ともなりますね。実践論と浄 土とがここで初めて関係をもつことになります。そして また、その﹁願﹂とは、﹁願心荘厳﹂された浄土への ﹁生﹂を願うことですから、浄土の荘厳の意味するとこ ろを思索することにつながり、同時に如来の﹁願心﹂の 推求ともなります。人間の﹁願﹂︵理想︶と如来の﹁願 心﹂がそこに接点をもつことになってきます。大雑把な 言い方で申し訳ありません。 浄土を実践論とリンクさせて、現代にあって浄土をど う捉え直していくか。そうした関心に立つ時、わたしは やはり﹁往生浄土﹂ではなく﹁願生浄土﹂という言葉の ほうが、親驚聖人が真宗大綱で二種回向を説き、大乗仏 教としての浄土真宗の意趣を含意させていることに印同意 す れ ば 、 真 宗 の 特 色 を 表 現 す る 一 一 一 口 葉 と し て 含 み が あ っ て 適切ではないかと考えます。真宗の実践論は、﹁願生浄16 土﹂の展開態、その具体化的な意味世界として考えてい くことが必要ではないか。抽象的ではありますが、ひと まず結論とさせていただきます。 非常に雑駁な、函蓋相応しないお話になってしまって 申し訳ないと思っております。一応最近考えていること をご披露させていただきました。ご静聴ありがとうござ い ま し た 。
︿ 講 演 ﹀ 第 a ↓十問凶真宗大谷派教学大会
大乗仏教思想史から見た目雲驚
﹃
浄
土
論
註
﹄
は じ め に 大乗仏教思想史から見た曇鷲『浄十論註』 こんにちは。ただいまご紹介いただきました大谷大学 の織田でございます c 私はこの大谷派の教学学会の委員 ですが、たまたま順番で今回は記念講演の講師というこ とになりました。統一テーマは﹁浄土という世界観﹂と いうことです。自分たちで話し合って決めたテ l マ で す から、委員として務めを果たさなければならないと思い、 お引き受けしたような次第です。 今日は、朝から第一部会の研究発表、それから龍渓先 生のご講演をお聞きしました c 龍渓先生は真宗教学、特 に本派の近代の実践的な真宗学の問題を取り卜げられて、 17 挫由明 。 市 中顕
祐
田
そこには﹁浄土﹂という課題が欠けているという厳しい ご指摘をなされ、一方で大谷派の金子大栄先生のお考え をご紹介くださいました。 私が今日お話するのは、講演というよりも、実は午前 中の研究発表の部会で順番を決めてやるべきようなこと だと思います。午前中の発表をお聞きしましたが、主に 宗祖の思想を学んでいかれようという研究でした。しか し、私はずっと仏教学、特に中国仏教を学んできました ので、そこから考えてみるわけです。すると宗祖の﹁浄 土真宗﹂というお考えはどのような思想史的展開を踏ま えて生み出されたのかが気になってくるのです。ですか ら私は、大乗仏教の思想内容を順番に整理してみて、そ18 の先に宗祖のお考えを位置付けてみたいと思っているの です。そのように遡ったところから見てみますと、言葉 の問題などいろんなことが引っかかっているなと感じて お り ま し た 。 先ほど、司会の山田先生の紹介にありましたが、昨年 ﹃華厳教学成立論﹄という小著を出させていただきまし た c 中国に華厳学という哲学的な仏教思想があるのです が、その華版教学を私は何十年も学んできました。これ は金子先生も学ばれたものですが、その華厳教学がどの ように成り立ってきたのかということを、ずっと考えて きたのでそれを一冊の本にまとめて法裁館から出させて い た だ き ま し た 。 それで、先輩の安同信哉先生にその本を一冊お贈りし ました。本が出たのが三月の終わり一頃で、その本を法戒 館からすぐに贈ってもらったところ、て一月の初めに安一 u 問 先小心からお葉主口を頂戴しました。最初のほうは良く頑張 って書いてくださいましたということだったのですが、 最徒に一一了日ありました。﹁さらに曇驚大師の思想につい ても今後ご教托ください﹂と書かれてありました。私は その後すぐ本山のご用でのブラジルのサンパウロへ一二週間 ほど出張しました。そして、帰ってくると、その月末に 安冨先生は急にお亡くなりになってしまいました。それ で そ の 葉 書 は 私 に と っ て は 安 冨 先 生 の 遺 一 一 一 同 の よ う な も の でありますので、﹁浄土という世界観﹂というテ
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マ で 講演をせよと一三口われたことをきっかけに、ぜひ安冨先生 の願いというか、ご期待に応えるべく、今日は曇驚の ﹁浄土論註﹄という書物について、日頃考えていること をお話したいと思ったわけです。 私は先ほど申し上げたように、ずっと中国仏教を学ん できました。漢文の仏教をずっと学んできましたので、 親驚聖人の教えであるところのいわゆる真宗学とか七高 僧の受けとめ方、そういうことを専門的にコツコツ学ん できたわけではありません。しかしながら、たとえば曇 驚という人を考えてみますと、思想史上ひとつの転換点 であるように思います。曇驚以降中国・日本で浄土教が 展開したという照宮が確実にあるわけですが、ではその 曇驚という人は、一体何に基づいて登場された方なのか。 曇鴛を生み川した仏教と二づけえばいいのでしょうか。そう いうことを考えると、これはまさしく大乗仏教そのもの なのだと思うのです。それをどのように曇驚が受けとめ、 道 伸 、 4t n 導、川仰い伯、源空、親驚と民間していくのか。そ こには一つひとつの具体的な課題があったはずだと思う大乗仏教思惣史から見た曇驚『浄+
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命註』 のです。そういった課題が順番に整理されて親驚聖人が お出ましになる。我々はその最後のところで学んでいる ものですから、そこから遡っていろんなことを解釈しよ うとするのですが、そうすると、例えば一つの一百葉をど のように理解すべきかというようなことについて、いろ いろと議論が出てきてしまうのではないかと思います。 あることばが説かれた後の深まりを我キは知っているも のですから、その考えによって元のことばを理解してし まうということが起りがちです。 それで私は、﹁大乗仏教思想史から見た曇鷲﹃浄土論 註ごという課題を出したようなわけです。親驚聖人の 方から曇驚を見ょうとするのではなく、背景の方から曇 鷲の思想を受け止め直してみようということです。我々 の宗祖は、﹁親驚﹂聖人ですから天親、曇驚というお二 人にアイデンティティというか、依りどころがあるわけ です。それは一体、大乗仏教のほうから見るとどういう ことであるのか。それがその後、どのように継示され、 あるいは変容していくのか。そういうことを考えていく ための始まりを考えてみたいということであります。 今日の午前中に発表された方々に、いろいろと変な質 問をしましたが、宗祖の思想を考えようとするときには、 19 もっと古いところからその一日葉の元々の定義とか、考え トクを踏まえなければならないと思うのです。そうした点 を仏教学の分野からご紹介中し上げて、真宗門子を学んで おられる方々のぷ礎について少し請をしたいと思ってい るわけです。ですから講演というよりも研究発去のよう なことでありまして、午前中の第一部会の仁番目くらい にやるべき事なのですが、一時間ほど時間を賜って、考 えていることを巾し上げたいと思っています。 お手一応に、今配られました資料と、それから冊子にも 資料がありまして、これは重複しております。冊子の方 は論文と言いますか、自分の考えを丈章にして整理した ものでありまして、後で配られたものは、その中の引用 文だけを抜き出したものです。最初に引用丈を抜き出し た資料を見ていただきながら、今日何が言いたいかとい うことを予め申し上げておきます。私は、すぐに話しが 横にそれで一冗に戻れないという癖があります。先ほど龍 渓先生も最初にこういうことが言いたいんだということ を仰いましたので、私もそれに倣って申し上げておきた い と 思 い ま す 。 後で配られた引用丈を抜き出したレジュメを見ていた だきたいと思います。最初に問題提起として取りK
げた20 いのは、皆さんよくご存知の﹁浄土論註﹄の最初の﹃十 住見婆沙論﹄の丈です。この丈に、曇驚大師の課題が凝 縮されているように思うのですが、なぜそう思うのかと いうことは後で申し上げるとして、﹃論註﹄の基本的な 課題について最初の﹃十住昆婆沙論﹄の引用から考えみ たいということです。 次に、その中に﹁阿昆肱致﹂という一言葉があります。 これは不退とか不退転という意味ですが、龍樹が阿見肱 致という課題を取り上げたときには、とんな思想史的な 背景があり、どういう意味であったのかを整理をしてみ たいと思います。これが二番目です c それから阿毘蹴致ということについては、特に龍樹の ﹃大知日度論﹄の中では﹁無生法忍﹂という大乗仏教の大 事なキーワードとして出てくるのですが、この﹁無生法 忍 ﹂ と い う 一 一 一 一 口 葉 は 、 中 間 や
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本ではあまりそれ自体が課 題になったことはないと思います。けれとも、般若経典 ゃ 、 ﹃ 大 知 H 度論﹄の中では、大乗菩薩道における非常に 重要な概念です c この無生法忍ということを曇驚がそけ 止めている点をまずお示しし、これは一体どのようなこ とを表しているのかを考えてみたいと思いますじそして、 その無生法忍という概念を考察する、あるいは受け止め ていこうとするときに、﹃維摩経﹄という経典の構想と 言いますか、構成が大いに参考になると思われます。 ﹁維摩経﹄は、この鉦⋮生法忍の菩薩とはどのようなこと なのかを、我々に分かりゃすく説く経典なのではないか と思うのです。このようなことは、中国の仏教者も触れ ていませんし、近代・現代の研究者も触れておりません。 あくまで、織田が今そのようなことを考えているという、 ひとつの試案にすぎないものでありまして、決して定ま った考え方ではありません。今日初めて皆さんにお話し て、どうお考えになりますかと問うてみたいと思ってい る の で す 。 さらに﹃維摩経﹄の構成について考えを進めていきま すと、それは天親菩薩が﹃浄土論﹄で課題にしている ﹁五念門﹂ということに繋がっていくのではないか思っ ています。従って、五念門と大乗菩薩道における無生法 忍の関係について、﹃維摩経﹂を挟んでお話ししたいと 思います。その五念門は、﹃浄土論﹂の非常に大事な、 L 人乗苦薩道のキーワードのようなものです。円雲驚はそれ を継承して宗耐註﹂を若しているわけですが、その五念 門のような重要な教義が、次の道特の宍女楽集﹄には継 承された痕跡がありません。ですから、そこには何らかの 転 換 と い い ま す か 、 浄 土 教 の 進 展 と 一 一 一 一 口 い ま す か 、 深 化 があったに違いないわけでありまして、そうしたことを 今佼の課題にしたいのであります。今、お話したことを 資料にぷぺついて順需に話していくというのが本日の講演 の 筋 で あ り ま す 。 ﹁ 論 註 ﹄ の基本的課題 大乗仏教思想史から見た曇驚『浄1論 註J 最 初 に 、 ﹁ ﹁ 論 、 託 ﹂ の 恭 本 的 課 題 ﹂ と 書 い て お き ま し た 。 少し読みたいと思います。 謹んで龍樹菩薩の﹁十住眺婆沙﹄を案ずるに云く、 菩薩阿眺肢致を求むるに一一種の道有り。一は難行 道、二は易行道なり 0 ︵中略︶易行道は謂わく信仏 の因縁を以て浄土に生まれんと願ず。仏願力に乗じ て便ち彼の清浄土に往生を得。仏力住持して即ち大 乗正定の緊に入る c 正定は即ち是れ阿枇政致なり。 ︵ ﹁ 真 聖 人 工 ﹄ 一 二 七 九 ︶ こういう良く知られた文章であります c この丈章を見ま すとすぐに難行道・易行道というところにパチンと焦点 が合うわけですが、龍樹がここで問題にしているのはそ のことではありません。菩薩が阿見抜致を求めるのに難 行・易行という二種の道があるのだと言っているのであ 21 りますっ阿見抜致を得るために、難行・易行があり、易 行とは伝仏の肉縁によって浄土に生まれて、仏願力に乗 じて生まれて、そこに至って仏力によって正定の緊に入 ること、それが阿見抜致であるというわけです。このよ うに、菩陸が阿見抜致を得ることが中心の問題なのであ って、それに難行・易行があるということが吋十住見婆 沙論﹄を理解するための最初のポイントだろうと思いま す。難行・易行から考えるのではなくて、阿見蹴致とは どういうことか、龍樹にとって阿見抜致とはどういう課 題であるか、これを考えることが難行・易行という問題 を受け止めるための手がかりだと思います。 阿毘蹴致について 次 に 、 龍 樹 の 一 一 一 一 口 う 阿 見 蹴 致 と は ど う い う こ と で あ る か 。 これは後で振り返ってみれば、﹁なんだ﹂というような ことだったのですが、それを理解しようと思って、ここ 二年くらい﹃大智度論﹄を読み始めたわけです。その中 に何度も阿昆践致の問題が出てくるわけです。ですから、 決して﹃十住毘婆沙論﹄のこの箇所だけに出てくるので はなく、龍樹の中では非常に大きな菩薩道の課題、だった ということがすぐに分かります。その阿毘蹴致というこ
22 とを考えていくのに、今日は 章を紹介したいと思います。 ﹃ 大 知 日 度 論 ﹄ は 、 一 言 、 つ ま で も あ り ま せ ん が 般 若 経 の 註 釈です。﹁摩詞般若波羅蜜経﹂という経典を﹁大智度論﹄ という形で解釈したわけでありまして、龍樹の撰述を疑 問視する意見もありますがこの点について今日は置いて おきます。般若経という経典が表そうとする﹁大乗﹂の 課 題 、 も っ と も 般 若 経 自 身 は 大 乗 と は 一 三 一 日 い ま せ ん で 、 菩 薩道ということが課題になっているのであります。般若 経の菩薩道は、その次に書きましたように﹁初発意、久 発意、阿毘蹴致、一生補処﹂という四段階によって表さ れております。それで初発意、久発意、阿見股致、一生 補処とはどういうことかと一百いますと、声聞も緑覚も菩 提心を起こすわけでありますが、芹提心を起こして︵初 発意︶、六波羅蜜を行じて︵久発意︶、阿毘抜致つまり不 退に五十る。不退に至った菩薩は、もう二乗には落ちるこ とがないという立昧で一小退であるというわけです。その 先に仏になるという一坐補処にぷ K るわけです。このよう な四段附で主来共通の渉みにおける菩躍の課題を説いて いるのであります。その四段階のうちの、この阿見抜致 という J 万葉について龍樹は次のように説明しています。 ﹃ 大 知 日 度 論 ﹄ のほうから丈 一つ日は、資料に書きました通り、﹁菩薩の位に入る 者を阿韓政致と名づく﹂︵大正二五五七六日︶とある丈 です。これは阿毘政致品というところに出てくる言葉で すが、菩薩の位に入る者を阿毘蹴致と名づくということ の背景を説明しますと、般若経において菩薩は声聞・縁 覚と共に歩み始めるわけですから、もう二度と二乗に退 転しないという段階で阿見蹴致と言われ、十台薩というこ とがはっきり確定するという意味です。阿見抜致に至る ことではじめて菩薩の位がはっきりするという意味であ り ま す 。 次 に 無 生 法 忍 と い う 一 一 一 一 口 葉 が 出 て く る の で す が 、 次 の 転 不転 u m というところの引用です。 日 疋 を + 丘 陵 は 無 生 法 忍 を 得 て 菩 薩 位 に 入 る と 名 付 け 、 阿 騨 肱 致 と 名 づ く 。 ︵ 同 五 八 O a ︶ これも先ほどの引用丈と同じ意味ですが、﹁無生法忍﹂ という概念を含んでいるわけです。その意味が次に出て いるのですが、無所得空の知日慧によって再び二乗には退 転しないし、肉体による輪廻の束縛を離れて、白出口在 に芹薩道を実践していく、そういう位のことを無生法忍 というわけです υ それで無生法忍を得て菩隆位に入る、 これを不退、阿見抜致と名づけるのだというわけです。
つまり、以上の二つの引用丈は同じような意味なのであ り ま す り その次の引用丈は大事な丈百十ですので、読んでおきま す ρ 人乗仏教思想定からはた曇鷲 li4'iト↑論計f 是の菩佐に二種布りけ一には牛死の肉身、二には法 性生身なり。無生忍の法を待て諸煩悩を断じ、 H 疋 の 身を拾てて彼に法性生身を何る。肉身の阿斡肢致に も亦二種有り。仏前に於いて授記を得るもの有り、 仏前に於いて授記せざるもの有り。計し仏肝に在ら ざる時は無生法忍を得るも是は仏前に於いて授記せ ら れ ず 。 ︵ 同 五 八 O a ︶ 先ほどは省略しましたが、﹃論註﹄の最初に﹁無仏の時 において阿毘肱致を求めるを難と為す﹂とあることの理 由を表しています。仏がおられないと授記を受けること ができず、それでよろしいという認可が得られないので、 菩薩道が成就する保障がないということなのです。この 点はここでは置いておきます。大事なところは、﹁蕪生 忍の法を得て諸煩悩を断じ、是の身を捨てて後に法性生 身を得る﹂ことで、この法性生身のことを﹁法身の菩 薩﹂と言って、これが後に立一柵註﹄に出てきます。ここ では無生法忍の菩薩のことを法性生身︵法身菩薩︶と称 23 することを指摘しておきます心生死する肉身ではありま せん。その法性生身の持薩の課題は、次の引用丈のサイ ドラインを引いたところです。 祥院は是の無生法忍を得、 H 疋の生死の肉身を拾てて 法性生身を得、菩障の果報たる神通の中に住
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、 会 一 時に能く無量の変化身と作り、仏世界を浄め、衆性 を 皮 脱 す り ︵ 同 し ハ 01a ︶ これは般若経には何度も山山てきます。仏国土を浄めると か衆生を成就するという菩薩の課題は、﹁一時に能く無 量の変化身﹂となることによって初めて可能となるので す。こういうことが一体なぜできるのかというと、それ は生死の束縛の無い無生法忍の菩陛であるからだという 文脈です。したがって、この無生法忍の菩薩になるかど うかということが、主口陛道を実践していく上での課題な のです c それを表すのが、﹁未だ無生法忍を得ざれば、 力を用いること穀難なり。誓えば陸を行くが如し。無生 法忍を得己われば、力を用いること甚だ易きなり。誓え ば船に乗るが如し﹂︵同六 O 一 日 ︶ と あ る よ う な 、 難 行 ・ 易行という問題なのです。 ﹃十住田比婆沙論﹄とまったく同じ意味の文章が﹃大智 度論﹄にもあるのです。﹃十住毘婆沙論﹄には無生法忍24 と い 、
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日葉は無かったと思いますけれども、龍樹の時代 の大乗仏教の一つのキーワードであり、菩薩道の転換点 はこの無生法忍、法身の菩陸にあるというわけです。こ のように法身の菩薩にならない段階で、一生懸命に生死 の肉身によって菩薩行を歩んでいくということは難行で あって、法身の菩薩となって一時に能く無量の功徳を積 んでいくのだということを、龍樹は﹃大智度論﹄の中で 般若経の菩薩道の課題を引き受けながら、明らかにして い る の で あ り ま す 。 以上によって明らかなように、この無生法忍の菩薩に は二つの課題があります。一つめは二乗に退転しないと いうこと、もう一つは、そこに立って初めてその先に成 仏が見えてくるということです。この無生法忍という概 念が、中間、日本の仏教者によって本格的に議論された ということを私は寡聞にして知らないのですが、インド に於いて、般若経に始まる大乗仏教の中では、これがな いと住権道が成り立たないという非常に電要な概念なの で す の 維摩経における無生法忍の菩薩 次に、その無生法忍の菩僚の具体的な内容を、﹃維摩 経﹄によって知ることができるということを申し上げた いと思います。先ほど申し上げたように、﹃維摩経﹄と いう大乗経典は般若経の次の世代に相当する初期の大乗 経典です。﹃維摩経﹄については、ご承知の方も多いと 思いますが、最初は仏国品から始まります。正式には ﹁維摩詰所説経﹄という名称ですので、維摩詰が説いた という名前の経典なのですが、最初の仏国品に維摩詰は 登場しません。仏国品の次に方便品がありまして、そこ で初めて維摩詰が登場し、そこからは維摩詰を中心に経 典が展開していくという構成になっています。 その仏国品と方便品以下とが、どのような関係にある かは古来いろいろ議論があるところです。中国でも陪の 時代から﹃維摩経﹄の研究はずいぶんありますが、浄影 七寸慧遠など多くの大先輩がいろんな意見を一不しておられ ますが、先ほど申し上げたような視点は出ていないので あります。それで、仏国品と方便品以下をつなぐ大事な キーワードは無牛法忍という言葉ではないかと思います ので、今日はそこを少しお話ししていきたいと思います。 ﹁仏同日叩第一の文脈﹂と資料の巾にきいております。 一 八 叩 か ら 川 町 ︶ 一 に 整 理 し ま し た が 、 読 ん で い た だ け れ ば 粗 筋 は すぐにお分かりいただけると思います。二出、念のため大乗仏教思想史から見た曇驚『浄 t-.~命;HJ に説明いたします。﹃維摩経﹄は見耶離︵びやり︶、 イシャlリ!というところが経典の会処になっています。 そのヴアイシャ l リ l の竜雄樹岡︵あんらじゅおん︶とい うところで陛尊は仏弟子や菩権たちと一緒におられます。 そ こ へ ま ず 、 一