8.3.1 義理と人情――対立と統一
近松の作品を理解していく上で考えなければならない事柄の中で、最も重要なも のの一つが「義理・人情」であることは、すでに多数の先学によって論じられてき た2。ここで事新しく言う必要はないが、『曾根崎心中』における「心中」をめぐる 態度を考える際、近松の世話悲劇の一つのキーワードであるこの「義理・人情」も 一つの重要な概念になっているため、ここでは、先行研究を踏まえ、この二つの概 念を整理しておきたい。
義理と人情の関係について、重友毅(1972)は以下のように説明している。
たしかに義理は、人が生得的に身にそなえているものとはいえないし、その始 めは、外部から与えられるものといってよいであろう。(中略)しかしそれらの さまざまの義理は、悉くがそうだといえないとしても、その大部分のものは、
人が社会生活を営む者である以上、一応はやむを得ないものとして、やがて庶 民の間にも、納得の上で受入れられて行ったことと思われる。こうしてそれら は、すべてが、またいつまでも、彼等にとって押しつけのものであったのでは ない。そう見て来ると、近松の場合も、その義理・人情の対立は、常に主人公 の外部と内部にあるものの対立ではなく、いわば内部にあるもの同士の対立と いうことになって来る。(中略)しかも対立は、一方が他方を仆せばそれでよい という性質ではない。彼が人間としての誇りに生きる者である限り、両者はと もに生かされなければならないのである。だが、折重なる悪条件は、いずれか 一方を押しつぶすよりほかはない窮地にまで、彼を追いつめないではおかない。
かくてそこに、彼の死が迎えられることになる。3
また、近松の世話悲劇の特徴については、源了圓(1996)が以下のように論述し ている。
そしてこの(引用者注:近松の)悲劇の最も有力な原因として、「情」と当時の 基本的社会規範であった「義理」とのからまりあいがある。しかしその場合で も、情と義理とのからまりという主題が全作品を覆うことはめったにない。義 理と義理とがからまり、情と情がからまるといってもいい場合もあり、義理が 常にやむを得ず従うことを強制される外的規範とは限らず、内的規範であるこ
1 山根為雄(校注・訳)、「曾根崎心中」、『新編 日本古典文学全集75・近松門左衛門集 2』、小 学館、1998、p.43。
2 廣末保、『廣末保著作集第二巻 近松序説』、重友毅、『近松の研究』、近藤忠義、『近松の芸術―
近松研究の緒論』など。
3 重友毅、『近松の研究』、文理書院、1972、pp.451−456。
ともあって、両者の間の選択をする場合もある。1
言い換えれば、近松の世話悲劇を考察する際、「義理」は外的な社会規範で、「人 情」は内的な人間感情であるという理由に依拠し、一概に義理と人情は二分的に対 立するものであると判断するのは、短絡的な結論でしかない。「外的な」規範である 義理は、悲劇主体である主人公に受け入れられることによって、内面化され、少な くとも、主人公自身にとっては合理性のある規則になり、この意味で、義理は完全 な「外的な」ものではなくなっている。そのため、「義理・人情」の対立は、実際に 主人公の中に統一され、共存している。しかし、外的な状況が悪化すると、この「義 理・人情」のバランスが崩れる危険性に曝される。場合によって、すでに内面化さ れた「義理」と、そもそも内的な感情である「人情」のどちらか片方だけを選ばせ られることになる。その結果、主人公の内面において、今まで並存してきた「義理」
の側面と「人情」の側面との戦いが起きる。
続いて、「義理・人情」の対立のこのような内面的な性質が『曾根崎心中』の展開 において、どのように具体的に描かれたかを分析してみよう。
初めての時代浄瑠璃『出世景清』とは方向を変え、時代ものから離れ、近世の町 人の社会を舞台とし、近松は世話悲劇を創造した。その最初の試みが『曾根崎心中』
である。しかし、劇展開の筋をよく見てみると、徳兵衛とお初の結果的な「相対死」
は一般的に考えられている「心中」の定義と一致していないことに気づくだろう。
その原因は、「心中」の結末に導く要因の複雑性にある。一言で言えば『曾根崎心中』
において、縁談話をめぐり、徳兵衛は平野屋と対立し、また金の貸借をめぐり、九 平次とも対立している。そして、この二つの対立が交錯しながら、彼が置かれる状 況を絶対化していく。つまり、近松は意図的に徳兵衛という主人公を二つの対立に 対面させている。
廣末保は世話悲劇成立の時代や階級条件などの要素を踏まえ、徳兵衛という人間 像の設定に関して、次のように語っている。
われわれは、九平次という悪質商人の型に、商業資本による人間性解体の単純 化された姿をみるであろう。この九平次的な悪質商人に対立する着実な商人の 型としてあるのが平野屋である。延宝から元禄にかけて新しく成長してきた商 業資本の性格を、それは代表しているといってよい。農村の商品生産と結びつ いた商業資本家が、投機的で寄生的な前期の商業資本家と交替する時代、この 時代が世話悲劇の時代であった。つまり、新興の町人層が上方町人社会の中心 的な担い手になったということが、世話悲劇成立の社会的な条件である。しか し、問題は、近松が単純にこの町人層の性格を肯定していないということであ る。(中略)徳兵衛は平野屋の甥であり、手代である。投機的でない着実ですら ある新興町人の層に繫る人物だ。そういう世界からでなくては、九平次に対立 する誠実な人間性を発見することはできないし、したがって、徳兵衛のような 主人公を創造することもできない。しかし、それにもかかわらず、徳兵衛はそ してまた、『冥途の飛脚』の忠兵衛も、『心中天網島』の治兵衛も、反面で、そ の新しい町人層の性格を否定する。徳兵衛は北の新地のお初と馴染んでおり、
主人の姪との結婚にしたがわない。それは徳兵衛の人間らしい誠実さではある が、そういう前に、その誠実さが平野屋の主人の誠実さや律儀さと異なってい
1 源了圓、『義理』、三省堂、1996、p.86。
ることに注意する必要がある。そしてその違いは、決してただ倫理主義的な意 味においてだけではない。徳兵衛は平野屋の主人より恋知りの男であった。こ こに世話悲劇創造の鍵がある。1
すなわち、近松は道徳的な側面において、誠実で、律儀である徳兵衛を九平次の 不道徳と対抗させると同時に、感情的な側面においてまた、人間的な感情に満ちた 徳兵衛を「恋」や「情」の分からない平野屋とも対抗させている、と廣末は強調す る。言うまでもなく、徳兵衛を挟むこの二つの対立の引き金になったのは、それぞ れ縁談話と金の貸借である。以下では、徳兵衛をめぐる二つの対立を詳しく見てみ よう。
最初に展開された縁談話をめぐる徳兵衛と平野屋に限定された衝突において、「義 理・人情」の対立が鮮明に描かれている。
徳兵衛にとって平野屋は、おじという関係よりも、主人であることが重大な圧 力で、当時、親権とほとんど同様の威力を持っていたのが、商家における主人 と奉公人の関係であった。/はじめ、でっちとして入った者は、やがて年季をつ とめあげることによって手代番頭となり、主家の許しを得て独立の一家を立て るのだから、親子より恩義がつきまとうだけにいっそう事はめんどうで、もし 主人の意志にさからった場合は、身の破滅も覚悟しなければならない。それに 加えて、結婚の無理強いをしようとしているのが、実母ではなくて、まま母で ある。義理の関係を重んずるならば、どうにもならぬ相手ばかりで、徳兵衛は まったくせっぱ詰まった窮地に追いやられてしまう。2
平野屋には、家督をゆずられる実の子がいない。そのため、徳兵衛の真面目な奉 公ぶりを見込んだ彼は、娘(女房の姪)と夫婦にさせ、将来的に店を渡したいと考 えている。もしお初がいなければ、家業の継続の面から考えても、徳兵衛の個人的 な将来から考えてもこれ以上の「いい話」はないだろう。しかし、約束した恋人が いる以上、状況は全く違ってくる。
徳兵衛は
そなたといふ人持ちて、なんの心が移らうぞ.3
といい、お初との約束を手放せなかった。この意味で、叔父でありながら主人でも ある平野屋や継母に対する恩義などの「義理」の要素と、お初に対する「愛」とい う「人情」の要素との戦いの中で、「人情」のほうが優位に立つように見える。
しかし、徳兵衛が縁談話をここまで断固として拒絶した原因は他にもある。
今まで様さまに様を付け、崇あがまへた娘御むすめごに.銀かねを付けて申し受け、一生女房の機嫌取き げ ん と
1 廣末保、『廣末保著作集第二巻 近松序説』、影書房、1998、pp.70−71。
2 藤野義雄、『曾根崎心中 解釈と研究』、桜楓社、1968、p.114。
3 山根為雄(校注・訳)、「曾根崎心中」、『新編 日本古典文学全集75・近松門左衛門集 2』、小 学館、1998、p.21。