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仇討ちの構図

ドキュメント内 中日古典悲劇の比較研究 (ページ 148-151)

7.1 『仮名手本忠臣蔵』に関する先行研究

7.4 忠臣たちの復讐:「仇討ち」

7.4.2 仇討ちの構図

前項においては、『忠臣蔵』はただの「復讐劇」ではなく、「仇討ちの資格」をめ ぐる悲劇でもあることを、お軽・勘平の物語に即して証明した。ここからは、「仇討 ちの資格」と「仇討ちの手段」という仇討ちに密接に関連する二つの具体的な設定 を見ていきたい。

7.4.2.1 仇討ちの資格の内実

まずは、「仇討ちの資格」の内実に注目してみよう。前項で証明されたように、勘 平をはじめとする義士らにとって、その資格は失うこともあれば、再獲得すること もできる「後天的」なものである。その「仇討ちの資格」の中にはまず、恩義とい う後天的な関係性が存在する。この演目において、判官が家臣に対し、「恩義」を施 す具体的な場面は特別に描かれてはいなかったが、それは判官と義士らの主従関係 に内包され、一つの前提として義士らの意識の中に存在しているように見られる。

由良之助のような家老はともあれ、足軽の平右衛門でさえ、「奉公こそ足軽なれ.御 恩は変らぬお主の仇」1と判官の恩義を肝に銘じ、復讐を願うこともその裏付けの一 つである。

そして、この前提として主の恩義よりも強調され、勘平をはじめとする義士らが 命と引替えにして取り戻したい資格は、彼ら本人の「武士としての資格」である。

その「武士の資格」を証明できるのは、彼ら自身の「武士」に相応しい「忠義の心」

であるが、その「忠義の心」を行動で表し、自分が「武士」であることを周囲に認 めさせなければならない。そのために、義士ら本人はもとより、場合によっては彼 らをめぐる人々までもみな必死になる。お軽の身売り、与市兵衛の死、そして勘平 自身の死はまさにこのような「武士への復権」のためのものである。

実は、この演目において、武士としての資格を認めてもらうために、自分の「忠 義の心」を再三強調しているのは勘平だけではない。

押すに押されぬは、お家の筋すぢ.殿の御みやう名代だいもなされまする.歴々様方の中へ.

見るかげもない 私わたくしめが.差し加へてとお願ひ申すは.はゞかりとも慮りよぐわい外とも.

ほんの猿さるが人真.お草ざうをつかんでなりとも.お荷物をかついでなりとも、参さん じませう.2

足軽の平右衛門が自分を連判に加えてもらうために由良之助のところに頼み込む 時のこの台詞からも分かるように、仇討ちの資格はただ「武士」であり、「家臣」で あることだけではない。同じ「武士」、「家臣」の中でも階級の差から生まれた区別 が存在している。下級武士や家臣にとって復讐行動に参加する資格は当たり前のも

1 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002 p.92

2 同書、pp.9394

のではない。それどころか、復讐に参加したいという望みさえ、慎みに欠けた無礼 なこととして見られる可能性がある。そのため、自分の人一倍の真摯さと覚悟、さ らに武士としての忠義を証明するために平右衛門は必死になった。ちょうどその時、

妹のお軽は由良之助に届けられた「密書」を覗き、大事を知った。その事を知った 平右衛門は、お軽は口封じのために由良之助に殺されるだろうと察した。

そこでまた、彼には次のような台詞がある。

密書をのぞき見たるが誤り。殺さにやならぬ.人手に掛きよより、わが手に掛 け.大事を知つたる女.妹とて許されずと.それを功に連判れんばんの.数に入つてお 供に立たん.小身者せうしんものの悲しさは、人にすぐれた心底を.見せねば数には入れら れぬ.聞きわけて命をくれ。死んでくれ妹.1

足軽の「小身者」は、連判の「数に入ってお供に立つ」2ため、妹を自分の手にか け、忠義の心を見せなければならない。そこまでしなければ、由良之助に「心底見 えた」と許されないのは、「小身者の悲しさ」であろう。

そして、十段目に登場する天河屋の義平も同様である。討ち入りのための武器調 達をした天河屋の義平はそもそも武士ではなく、一商人である。義士らの大事がば れないように、妻と離縁までさせられるが、その後はまた由良之助に試され、息子 が人質に取られて、脅しをかけられても、一切口を割らず、そのかわりに「天あまかはの 義平は男でござるぞ、子にほだされ、存ぜぬことを.存じたとはえ申さぬ」3という 名台詞まで吐いた。実際、彼は口で「商売ゆゑに取らるゝ命.惜しいと思はぬ。サ ア殺せ.悴も目の前突け.突け.突け」4というだけではなく、「子にほだされぬ性 根を見よと.絞め殺すべきその吃相」5と自分の心底を証明するために我が子を絞め 殺そうともした。その一連の試練を超え、彼の武士にも劣らない忠義の心がやっと 認められた。「武士もおよばぬ御所存. 百ひゃくまんの強がうてきは防ぐとも、さほどに性根は 据わらぬもの」6と由良之助は義平を褒め称え、天河屋の「天」と「河」を仇討ちの 合言葉にした。

勘平、平右衛門、そして義平、彼らのこういう不条理とも言えるほどの「過激」

な行動を、片岡徳雄(1988)は「無理な」手段だと主張した上で、以下のように指 摘している。

その不条理の裏には、あるいは不条理の裏にあってそれを動かしているのは、

このような「小身者」あるいは「身貧なる」階級の、身分違いから来る「断絶

1 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002 p.105。

2 同書、p.105

3 同書、p.139。

4 同書、p.140

5 同書、p.140。

6 同書、p.141

感」とそれを埋めようとする「無理」であったかもしれない。1

彼がここで使った「断絶感」という表現こそが、この演目に登場する義士らの「仇 討ちの資格」の後天的性質を裏付けると思われる。勘平であれ、平右衛門であれ、

彼らは自分の過失や身分により、その後天的な「仇討ちの資格」を一旦失い、ある いは失いかけている。そこから、彼らはそれまでの理念や立場から切断されること からある断絶感を体験する。そして、その断絶感を埋めるために、彼らは無理とも いえるような手段を使い、必死に失われた(失われかけている)資格を取り戻そう とするのである。

7.4.2.2 仇討ちの対象と手段

続いて、義士らの仇討ちの対象と手段に注目してみよう。

一言で言えば、判官の無念を晴らすための義士らの討ち入りは、復讐対象と復讐 手段における二重の「私的な色合い」をもっている。

7.3「悲劇の「因果」」において論じたように、そもそも判官は殿中で刀を抜き、法 度に背いたため、切腹を命じられた。この意味で、師直の挑発が引き金にはなった が、判官は公的な制度により処刑されたのである。厳密に言えば、判官の死は師直 の挑発という間接的な原因と公的処罰という直接的な原因を同時にもっている。さ らに、赤穂浪士事件に対する一部の見方と同様、「喧嘩両成敗」の規定を無視し、浅 野=判官だけに切腹を命じたのは正当な処理ではないという見方もありえる。この 角度から考えれば、判官の死を「公的権力」が彼に対して行った「侵害」として見 ることさえできる。しかし、義士らはこの公権力によるもう一つの、ある意味でよ り直接的な侵害の存在を完全に無視し、主・判官と同じように公的制度を避け、師 直個人に、そして師直だけに対し、復讐の行為を取る。

そして義士らの仇討ちの手段を見ると、彼らは悲劇の引き金を引いた師直に対し ても、不当な処理をしたとも思われる公的機関に対しても、一切の公的な抗議をし なかった。つまり、彼らは公的・国家権力に基づく法に則った解決方法の存在を最 初から無視し、その代わり、完全に私的手段の復讐、言い換えれば自力救済の復讐 を選び取ったのである。しかし、健全とはいえなくても、判官を処罰できるような 公権力に基づいた国家的法秩序がすでに成立していた時代においては、彼らのこの ような自力での復讐自体が、公的な法秩序に対する公然たる違反となり、彼らもま たその責任を負わなければならなくなる。

この一見矛盾に満ちた行為の背後に潜む赤穂浪士とそこから生まれる『忠臣蔵』

の 200 年に及ぶ人気の秘密について、加藤周一(1980)は以下のように主張してい る。

町人の世界が崩れ去っても、明治以降のこの国で、『忠臣蔵』の人気は去らなか った。またそもそも芝居以前に、赤穂浪士の人気は高かった。二○○年に及ぶ 人気の秘密は、どこにあったのか。浅野が吉良を恨んだのは、私怨であり、相 手を殺し損った無念の情は私的感情である。「四七士」がその遺志を貫いて吉良

1 片岡徳雄、『日本的親子観をさぐる――「さんせう大夫」から「忠臣蔵」まで』、NHKブックス、

1988p.172

ドキュメント内 中日古典悲劇の比較研究 (ページ 148-151)