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正義の回復に関する態度

ドキュメント内 中日古典悲劇の比較研究 (ページ 61-64)

第 3 章 『竇娥冤』における悲劇 の構造 の構造

3.6 正義の回復に関する態度

前に論じたように、『竇娥冤』における正義の回復の過程は対立や衝突の審級上位 化の過程でもある。現実において、竇娥本人の戦いは死刑によって終止符を打った が、本当の意味の正義の回復は、まさにそこから始まったといえる。この節では、

正義回復の具体的な設定に注目し、その背後にある登場人物の「正義の回復」に対 する態度を分析する。

一言で言えば、『竇娥冤』における復讐は三つの段階に分けることができる。まず、

科挙に合格し、皇帝に重用される父・竇天章が「兩淮提刑肅政廉訪使」として楚州 に巡回してくる。そして、亡霊になった竇娥が父の前で自分の冤罪を晴らすように 懇願する。最後に、竇天章が皇帝から付与された特権を使い、案件を再審し、娘の 無念を晴らす。

ここでまず分かるのは、竇娥の最終的な復讐が鮮明な公的な色合いを持っている ことである。この点は、桃太守の悪意がいくらか作用したとしても、最終的に竇娥 が司法制度によって公的に判決されたことと見事に対応している。普通に考えると、

亡霊の設定は「人」より遥かに自由で、優位に立つはずだが、死んで亡霊になった 竇娥はその身分を利用し、まだ人間である桃太守らに対して個人的な復讐を図ろう とはしなかった。その代わり、彼女は「兩淮提刑肅政廉訪使」の父の到来を待ち、

その権力で司法の手続きを再起動し、国家権力による公的な復讐を遂げることを選 んだ。

そして、竇天章という人物の設定にも注意すべきところがある。竇天章の人物像 には三つの極めて重要な要素――「特権」、「清官」1と「血縁」の融合が見られる。

老夫自到京师,一举及第,官拜参知政事。只因老夫廉能清正,节操坚刚,谢圣 恩可怜,加老夫两淮提刑肃政廉访使之职,随处审囚刷卷,体察滥官污吏,容老 夫先斩后奏。2

それがしは都にまいってから、一度の試験で及第いたし、参知政事3の職を拝命 した。おかみにはそれがしの有能潔白、志操堅固をかわれ、かたじけなくも両淮わい 提刑粛政廉訪使4の職を命じ、各地の囚人しらべと書類あらためを行い、貪官汚 吏を摘発するよう、斬り捨て御免の権限を許し給うた。5

1 清廉で、かつ公正な官吏を意味する。

2 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983p.23

3 田中謙二編、『中国古典文学大系 52 戯曲集(上)』、平凡社、1971p.177

原文注一:参知政事 中央政府の最高職、宰をいう。したがって、国家試験の合格者がいきな り就任しうる性質のものではなく、これは俗文学一流の乱暴な処置である。

4 同書、p.177。

原文注二:両淮提刑粛政廉訪使 両淮は淮河の南北地区、すなわち淮南・淮北。その地区の検察 長官をいう。ただし元朝ではふつう粛政廉訪使といい、それが一時期提刑按察使とよばれる。

5 同書、p.169

第四折のはじめ、再登場した竇天章のこの最初の台詞に、彼に与えられた「特権」

と「清官」という二つの素質の存在が強く強調されている。彼自身の清廉さと公正 さ、そして皇帝から直接付与された権力が、すでに定案になった案件を再審し、真 犯人を処刑するための条件になる。なぜなら、公的な司法手続きを通じて正義を正 すために、司法手続きの執行者には、主観的な公正さと客観的に行使できる権力が 同時に備わっていなければならないからである。

一方、この二つの条件を満たせる人なら、誰でも国家権力を代表し、竇娥の無念 を晴らす正義の執行者になれるはずであるが、この演目における竇天章は、「父親」

という、もう一つの身分、精確にいうと血縁条件をも満たしている。竇娥の冤罪を 晴らすためだけならば、国家権力を掌握している、「一人」の清廉で、公正な官吏を 登場させれば済む。実は、関漢卿の作品の原型とされる「東海孝婦」もこのような 設定であった。しかし、『竇娥冤』において、関漢卿は父親である竇天章に再審の司 法手続きを起動させる設定を選んだ。この設定によって、この劇は同時代の包公戯 に代表される公案劇と違い、国家権力により正義が正されると同時に、血族のため の復讐も成立させられた。「哎,我屈死的儿也,则被你痛杀我也1(ああ、可哀そう に無実の罪で殺されたむすめ2)」、「白头亲苦痛哀哉,屈杀了你个青春女孩3(白頭の 親の嘆きはいたましく、わかきむすめの不当の死4)」これらのセリフでわかるよう に、ここでの竇天章は決して、誤った裁判を再審する特権を持つ一人の廉訪使とし ての位置づけにはとどまらない。それと同時に、彼は不正な官吏に愛する娘を殺さ れた一人の父親でもある。この意味で、彼が竇娥の身の上に起こった不幸を徹底的 に追究したのも、裁判をやり直し、真犯人を処刑したのも、単に一人の官吏がその 正義感や責任感に駆り立てられたからではなく、この追究や裁判自体も、父親であ る彼にとっての一種の復讐になるからだ。この故に、『竇娥冤』において、正義の回 復の過程は同時に、血族のための復讐の過程とも言える。つまり、『竇娥冤』は一つ の復讐劇としても成立しているのである。

中国伝統文化においては、「天命意識」と「天人感応」という「天」信仰を基に形 成された独特な悲劇の美学が存在している。

この「天」信仰のもとに、「天」の意志と一致した「道徳性」を自分の人格の属性 としながら、天の善、天の摂理を深く信じた竇娥は、たとえその信頼が裏切られる ような状態におかれても、「天」に対する信念を決して捨てることはない。その代わ り、彼女は「天」に対する不満や怨みと、「天」の間違った行いを正す願望を同時に 抱えながら、「天命流行」と「因果応報」の名のもとに、「天の徳」や「天の摂理」

に約束された最終的な補償を待ち続けている。「善善悪悪」(善行を賞賛し、悪事を 憎む)という「天の徳」や「天の摂理」への信仰に加えて、「善には善の報いがあり、

悪には悪の報いがある」という素朴な正義、公正に対する変わりのない信念が竇娥 を支えてきた。これらの信仰・信念は、彼女の「真実本位」の司法正義観に直接に 繋がる。その結果、彼女は自分に不利な証拠を一切無視し、公的な司法裁判に挑ん だのである。その後の展開は一時的に、彼女の期待を裏切ったが、最後に、「天」が その素朴で、正義にかなった摂理を貫徹してくれることで、竇娥は報われた。そこ

1 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983、p.26。

2 田中謙二編、『中国古典文学大系 52 戯曲集(上)』、平凡社、1971p.173

3 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983、p.26。

4 田中謙二編、『中国古典文学大系 52 戯曲集(上)』、平凡社、1971p.173

で、正義の回復手段として重要な意味を与えられたのは血縁者による公的な復讐で ある。このような復讐が成功してはじめて、悲劇主体が期待した「結果的な正義」

が実現される。そこから、悲劇主体だけではなく、彼女を見守る鑑賞主体まである 種の道徳的な満足が得られるのである。

本研究の主旨である中日の比較悲劇の視点から見れば、一種の「誤解」である「冤 罪」をメインテーマにした『竇娥冤』はまず、同じく「誤解」をサブテーマとした

『曾根崎心中』と『仮名手本忠臣蔵』の二作と比較することが可能である。

また、竇天章の再審を一種の復讐として見ることができるため、『竇娥冤』には「復 讐」のテーマが存在しており、『仮名手本忠臣蔵』の復讐設定との比較も考えられる。

最後に、悲劇的な状況に置かれた悲劇主体の絶えざる「抗争」を中心とした作品 として、『竇娥冤』は中国的な抗争、正義、そして理想的な秩序の回復の形などを描 いているため、中国的な悲劇の構造を整理する際にも価値のある素材として期待で きる。

4 章 復讐悲劇としての『趙氏

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