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7.5.2 「死」の価値――責任を取るための手段とし ての「死」

ドキュメント内 中日古典悲劇の比較研究 (ページ 159-164)

つづいては、前の論述に基づいて、『忠臣蔵』における「死」のもう一つの価値に 注目していきたい。

一言で言えば、判官であれ、義士らであれ、そして本蔵であれ、彼らは自分の過 失や責任を意識しながら、自分のできることを尽くした後、「死」を責任を取るため の手段として自ら甘受している。そのため、彼らにとって、死は力の限り回避しよ うとしたものではなく、むしろかなり早い段階においてすでに予知され、あるいは 彼ら自身によって選択され、決められたことである。

諏訪春雄(1986)は赤穂浪士の国民的な人気の秘密を“判官びいき”という言葉 で説明できると主張した。

判官びいきは、強さやいさぎよさとは遠い感情であるが、しかし単なる弱者へ の同情でもない。(中略)なすべきことをなしたのち、他者に自分をゆだねて滅 んでいくこと、即ち、なしてのち“なる”を待って滅ぶことへの同情である。/

判官びいきの感情は、“なす”、“なる”、“滅ぶ”の三要素を求める。“なす”だ けでは勇者であり、“なす”と“滅ぶ”ではいさぎよさとなっても、ともに日本 人の心の琴線をかきならすには不充分さが残るのに対し、その間に“なる”が はさまったときにこのうえない哀感を生む。/(中略)つまり、自分たちの最終 の行動を他者の判断にゆだねて成り行きにまかせることが加わったために、日 本人の好みに投じることができたのである。1

ここで、日本人の心の琴線をかきならすために、「なす」、「なる」と「滅ぶ」とい う三つの要素が提示されている。続いて、諏訪は日本の古典演劇における「なす」

と「なる」の関係を次のように説明する。

日本の古典演劇は、行為の連続、即ち、“なす”だけで終わることは少ない。“な す”があったのちにくる“なる”は肝要であり、劇の最大の山場は、“なす”よ りも“なる”にある。“なす”は“なる”をひきだすための前提として機能し、

“なす”の真摯さが、“なる”の本質を大きく左右する。/人間を超えた大きな 力、運命に人間が対する演劇は、もちろん、西欧にも存在するが、そのばあい でも対決、“なす”の姿勢を失わないのに対して、日本では、対立のあとに“な る”を待つ段階がある。その“なる”の現れ方に重点がある。2

諏訪が提起したこの「なす/なる/滅ぶ」の三つの要素は、『忠臣蔵』における「死」

の価値を分析する際に有意義な示唆を与える。しかし、諏訪のこの主張を吟味する と、気づくことがある。

まず、「“なす”があって、“なる”を待つ真摯な態度がそのあとにつづき、そして

1 諏訪春雄、「忠臣蔵の深層――日本人の観劇観」、『国文学 解釈と教材の研究――忠臣蔵・日本 人の証明』、1986年、12月号第3115号、p.25。

2 同書、p.27

滅ぶ」1、「“なす”から“なる”につづき、“滅び”に終わる日本民族の死生観、宇宙 の運行についての観念の演劇的表現となっている」2この二つの文で分かるように、

彼のこの理論において、「なる」と「なるを待つ状態」が混同して使われる傾向があ る。最終的な「結果・終わり」を意味する客観的な状況である「なる」と、その終 わりに辿り付く前の登場人物の主観的な選択による過渡的な状態である「なるを待 つ状態」を、全く同じ意味で使うことは誤解を招く恐れがある。

そのため、「なる」と「なるを待つ状態」を二つの区分した概念にすることで、諏 訪の理論を以下のように修正し、『忠臣蔵』に対する分析へと導入することができる。

行為の連続の後に、なるを待つ状態が続く。そして、なるを待ちながら、登場人 物は滅んでいく。その後、この演目においては、判官、勘平、そして本蔵の場合の ように、彼ら自身を超えるある力によって、彼らが望んでいたことが実現され、結 果としての「なる」が現れる。

そして、諏訪の理論におけるもう一つの問題点は「なす」の定義にある。彼は「な す」を「行為の連続」と定義したが、論説の中では、「なすべきことをなしたのち」、

「人事を尽くしたのち」のような表現を何度も使うことにより、「なす」の正当性だ けを強調している。しかし、『忠臣蔵』における悲劇主体の「行為」は本当に「正当 な側面」だけによって構成されたのだろうか。

判官の場合を見てみよう。そもそも、いくら師直に挑発されたとはいえ、刀を抜 いた瞬間から、殿中で刀を抜くなという法度に背いた判官を待っているのは、家の 断絶と切腹の結末しかない。「刃にんじやう傷におよびしより.かくあらんとはかねての覚悟」

3と、判官自身も自分の成り行きを前々から分かっている。由良之助に対する「エヽ 無念.口惜しいわやい」4というのは、「切腹」のためではなく、「御本望も遂げら れず.敵はやうやう薄手ばかり」5のためである。つまり、彼にとって、師直に向か って、刀を抜いた瞬間に、法度に背いた懲罰としての「滅ぶ」はすでに想定内のこ とで、言い換えれば、判官の死は彼自身の行動による結果である。

勘平の場合も同じである。前節において論じてきたように、そもそも、主の命が けの重大な場面に居合わせることができなかったことが分かった瞬間、彼は自分の 武士失格に気づき、不忠の罪名により自分の最後の結末として、死を決意した。「今 お前が死んだらば、誰が侍ぢやと褒めまする」6というお軽の一語に留められたが、

その後の彼のすべての行動は、罪を償い、「武士の資格」を取り戻し、武士として死 ぬためのものである。また、武士に復権し、復讐行動に加えてもらうという望みが 叶わない時も、彼は「切腹」の覚悟をしている。この意味で、勘平にとって、死の 決意は自分の職務の怠慢という行為に直接関係している。

では、本蔵の死はどうであろう。本蔵が直面している難儀について、片岡徳雄

(1988)は以下のように言う。

本蔵が示した、現実への処理――主人が刃傷に至ろうとする大事を防ごうとす

1 諏訪春雄、「忠臣蔵の深層――日本人の観劇観」、『国文学 解釈と教材の研究――忠臣蔵・日本 人の証明』、1986年、12月号第3115号、p.28

2 同書、p.29。

3 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002 p.54。

4 同書、p.55

5 同書、p.123。

6 同書、p.47

る行為と、理念からの逸脱――武士にあるまじき賄賂という汚辱の行為、との 間に生まれた乖離と亀裂にはまって悩む人間は、どう身を処したらよいか。し かも、そのことによって今、自分は、親として子に対し、また子の予定配偶者 に対し、取り返しのつかぬ迷惑を及ぼそうとしている。1

賄賂を送るという武士にあるまじきことをした上、判官を抱き止めたことを「一 生の誤り」と自覚する本蔵は、由良之助が見抜いたように婿力弥の手で死ぬことを 本望だと思っている。力弥の手に掛かって死ぬことによって、本蔵は自分の行為に 責任を取り、由良之助に謝罪し、娘の祝言を許してもらうことも可能になるからだ。

そのために、彼はわざとお石へ散々悪態をつき、力弥に彼を槍で突かせた。本蔵の すべての行動は力弥が彼を殺すように仕向けるための演技であるため、彼は自分の 過失を償うべく計算づくで「死」を手に入れたといえる。この意味で、本蔵は判官 や勘平よりも積極的に死を求めているように見える。

さらに、「所しょせんこの世をさる人」2と覚悟していた由良之助をはじめとする討ち入 りをした義士らの死も実は同様である。前節で論じたように、ここで彼らが取った 私的な復讐は、私的感情による公的権力に対する勝算のない挑戦であるため、復讐 するための討死であれ、復讐を果たしての殉死であれ、あるいは、復讐を遂げた結 果としての公的権力による死刑であれ、いずれにしても「滅ぶ」という結末は彼ら の復讐という行為と密接に関連している。

以上の分析で分かるように、この演目における登場人物の行動には、否定的と肯 定的という二つの側面が同時に備わっている。そのため、結論から言えば、この「な す」から「なる」までの連鎖において、「なす」、「滅ぶ」、「なる」の三つの要素の間 には、諏訪がいうような単純な時間上の順接関係だけではなく、「なす」と「滅ぶ」、

そして「滅ぶ」と「なる」の間にもそれぞれ因果関係が成り立つような複雑な関係 が存在する。

前述のように、判官、勘平、本蔵そして義士ら、彼らは自分自身による過失や責 任という否定的な要因と、理念や情という肯定的な要因に同時に駆動されながら、

自分にとっての「なすべきこと」を最後まで為し遂げる。そのため、彼らが取った すべての行為は、ある意味で、「片面的な正義」に基づいたものといえる。言い換え れば、彼らは自分の負的・否定的な部分を背負いながら、肯定的な部分を貫こうと している。その対価として、彼らは自分の行動――「なす」――における否定的な 部分を償うために、行動の最初から自分の「滅び」を用意している。そして、それ らの自己否定的な要素が存在するため、悲劇主体は自分らの理念や正義だけを強調 し、充足させ、死を回避しようとしない。実際のところ、自分の理念や情を貫き、

さらにそれまでの過失を償うための終極的な手段として、彼らは「死」を自ら選び、

あるいは予想している。判官は法度に逆らったため処罰を受けた。勘平も本蔵も、

それぞれの「女好き」、「賄賂行為」や「判断ミス」などの過ちを犯し、「死」をもっ て償った。そして義士らも、公的手段に則った復讐の存在の可能性を完全に無視し、

公的権力と公然と対抗した。実際、復讐が成功した直後、義士らが最期をとげるた め亡君の墓前へ向かうところで劇の幕が下りることになるが、たとえそうでなくて

1 片岡徳雄、『日本的親子観をさぐる――「さんせう大夫」から「忠臣蔵」まで』、NHKブックス、

1988p.175

2 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002、

p.127

ドキュメント内 中日古典悲劇の比較研究 (ページ 159-164)