7.1 『仮名手本忠臣蔵』に関する先行研究
7.3 悲劇の「因果」
この節では、まず、悲劇の因果という角度から、この演目における三つの従編を 見てみたい。
『忠臣蔵』は「塩谷判官切腹」、「早野勘平切腹」、「加古川本蔵の死」という三つ
の「死」によって成り立っている。これらの「死」は、この作品の三つの頂点であ り、また三つの「恋」によって点綴されていると、郡司正勝(1979)はいう。
三つの死に対する三つの恋とは、「師直と顔世の恋」「小浪力弥の恋」「お軽勘平 の恋」のことであるが、それぞれ、老年の邪恋、十代の可憐な恋、二十代の燃 えるような悲恋、というような各世代の恋を描き競べているのも、おもいがけ ぬ構成の意のあるところを見るのである。(中略)師直・顔世の恋は判官の死で 終わり、お軽勘平の恋は、勘平の死で終わり、小浪力弥の恋は本蔵の死で成就 し、あるいは終わるように関連のあるのに気がつく。1
『忠臣蔵』のあらすじを思い出せば、この演目の構造は正に郡司の指摘通りである ことが分かるだろう。一段目の「鶴岡の饗応」に描かれる師直・顔世御前の恋は、
四段目「来世の忠義」において、判官の切腹によって収束する。二段目「諫言の寝 刃」で登場する小浪力弥の恋は、九段目の「山科の雪転」の本蔵の死をもって初め て成就する。そして、三段目「恋の意趣」に登場するお軽勘平の恋も、六段目「財 布の連判」の勘平の切腹を導くようになっている。
この節では、郡司のこの主張を踏まえ、三つの従編の収束になっている三つの死 の因果を分析していきたい。
7.3.1 塩谷判官の場合
まずは、すべての始まりである判官の死を見てみよう。
塩冶判官の奥方顔世御前に横恋慕をし、断られた高師直は、恋の逆恨みで判官を 辱める。判官は理由の解らぬまま我慢に我慢を重ねるが、屈辱に耐えかねついに刃 傷に及んだ。殿中で刀を抜くなという法度を破ったため、判官は切腹を命じられ、
無念の死を遂げた。
言うまでもなく、判官の死の背後にまず存在している誘因は、師直の横恋慕に対 する判官夫人・顔世御前の拒絶である。しかし、根本において、切腹の直接的な原 因は、判官自身が法度を破ったことにある。
無論、判官は何も知らないままに、師直の止まるところを知らぬ八つ当たりを受 けた。ただし、判官に対する切腹という処罰は師直が決めたわけではなく、殿中で 刀を抜くなという将軍の厳しい法度に基づくものである。そして、殿上で刀を抜い たら、それは完全に鞘から抜かなくても切腹、そして家は断絶という厳しい処罰を 分かった上で、殿上で刀を抜き、師直に斬りつけると決めたのは、「もとより短気な おうまれつき」2の判官本人である。もちろん、この決断はどうしても熟慮の後の行 動とは言いがたい。実際、九段目「山科の雪転」において、由良之助の女房お石が 小浪母娘の前で判官の行動を「御短慮とはいひながら.正直をもととするお心より起 こりしこと」3と評価し、主の短慮を認めている。また、義士らの師直の屋敷に潜入 する計画を聞いた本蔵も以下のように判官の短慮を嘆いた。
1 郡司正勝、『かぶき論叢』、思文閣、1979、p.333。
2 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002、 p.52。
3 同書、p.118。
ハ丶アしたりしたり.計略といひ、義心といひ.かほどの家来を持ちながら、了簡れうけん もあるべきに.浅きたくみの塩谷え ん や殿.口惜く ち をしき振る舞ひや1
本蔵のこの悔やみごとを聞いて、由良之助本人でさえ
御主人の御短慮なる御しわざ.今の忠義を戦場のお馬先うまさきにて尽さばと.思へば 無念に閉ぢふさがる.胸は七重な な への門の戸を、漏るゝは.涙ばかりなり.2
事ここに至った以上、主君の短慮の仕業に残念でならなかった由良之助がこぼす のは、涙ばかりである。
ここでわかるように、一連の悲劇の起因と言えるのは、判官に対する師直の一方 的な加害ではない。判官は自分の短慮で法度に背いた。その結果、彼は師直によっ てではなく、公的な制度・法度によって処罰されたのである。
尾藤正英(1986)が「時代の精神史の中で」において、判官の原型である長矩の 死について下した以下の評価は、そのまま判官の死の説明にも用いることができる。
幕府の公的な法に抵触したものとして、身は切腹、家は断絶という処分をうけ たのは、ほとんど当然のことであり、長矩自身としても、公的な規範が私的な 動機に優越することを自覚しつつ、その罪に服したのであろう。3
つまり、判官はその原型である長矩と同じように、公的な規範に抵触する結果を 知った上で、「私的な動機」――衝動的な感情――に流され、敢えて法度に背くこと を選び、またその罪に服したのである。この意味で、判官の死に対する直接的な責 任を持っているのは、他の誰でもなく彼自身であり、換言すれば、彼の死の背後に 潜む真の因果は、いわゆる自己責任である。
7.3.2 勘平の場合
続いては、勘平の場合に移ろう。
前にも触れたように、『忠臣蔵』のもとになったのは赤穂浪士の仇討事件であるが、
演目としての『忠臣蔵』は史実としての仇討事件だけを描いたものではない。そこ にはまず、お軽と勘平という一組の虚構された男女がいる。
主の大事の場に居合わせることができず、主君の切腹、お家の激変のなかで家中 の人々に合うすべも、合わせる顔もなくし、早野勘平はお軽の実家へと落ちのびて いく。偶然に出会った昔の朋輩の口から義士らが復讐の資金を必要とすることを知
1 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002、 p.130。
2 同書、p.130。
3 尾藤正英、「時代の精神史の中で」、『国文学 解釈と教材の研究――忠臣蔵・日本人の証明』、1986 年、12月号第31巻15号、p.45。
った勘平のためにその金を工面しようとし、お軽は自分の意志で祇園に百両で身を 売る。娘を売り、半金の五十両を持って帰路に急いだお軽の父・与市兵衛は斧定九 郎に殺される。その後、勘平は間違って斧定九郎を殺し、お軽の身売り金の入って いる与市兵衛の財布を取った。結局、その財布を認めたお軽の母親に責められ、自 分が与市兵衛を撃殺したと勘違いした勘平は、最後に追詰められて切腹してしまう。
後になって、ようやく誤解が解かれ、連判状に勘平の名前が加えられる。
簡単に言えば、お軽との「恋」で勘平は不忠不義の名を背負い、最終的に、金欲 しさでの舅殺しという誤解で、彼は無念な死を遂げるのである。お軽・勘平の悲劇 についての詳しい分析は、次の節に譲るが、ここでは彼らの悲劇の因果だけに注目 したい。
この演目における、お軽と勘平の最初の対面は三段目「恋の意趣」に描かれてい る。お軽は顔世からの使いで、例の拒絶の歌が入っている文箱を勘平に渡し、そし て、それを判官から師直に渡してくれるようにと伝えにくる。しかし、顔世はそこ で「しかし.お取り込みのなか、間違ふまいものでもなし.マア今宵こ よ ひはよしにせう」
1との一語を付け加えた。もし、お軽が顔世の指示のまま、「今宵」ではなく、別の時 間に歌をとどけたならば、その後の悲劇は書き換えられただろう。
しかし、中の歌の重要さを知らず、ひたすら勘平と会うことだけを望むお軽は
なんのこの歌の一首や二首.お届けなさるゝほどの間のないことはあるまい2
と思い、顔世の意思に背き、独断でその日に文箱を届けることにした。
結局、この歌は最悪なタイミングで判官から師直に渡され、最終的には、師直の 怒りを買い、判官侮辱の引き金になったので、この意味で、お軽のこの「勘平に会 いたい」という気持ちが、「判官切腹」に導く一つの要因にもなり、結果的に勘平の 死に繫がっていると言えよう。
そして、文箱の用が済んだ後、判官のお供をするはずの勘平は、一人抜け出して お軽に会いに行った。二人は、つい御門の外の腰がけで、逢引きをした。一度お軽 の誘いを断ったが、
何言はんすやら.なんの待つことがあるぞいなア.もうやがて夜が明けるわい な.是非に是非に.3
とまた誘われ、「下地は好きなり」4――本来女好きな――勘平もその気になり、逢い 引きを楽しんでいた。結局、その間に刃傷という大事件が起こり、そこに居合わせ なかったことが、主君に対する「不忠」と「不義」となった。そこから悲劇が加速 度的に展開し、結局、勘平は「金欲しさで舅を殺した」と誤解される破目になる。
主君に対する不忠不義の上に、義理の父に対する不義非道の罪名も加えられ、「武士」
に帰る道は完全的に閉ざされ、無念の死を遂げたのである。
これで、勘平の切腹も、お軽との「恋」に、「金欲しさ」で行った不義な殺しとい
1 長友千代治(校注・訳)、「仮名手本忠臣蔵」、『新編日本古典文学全集 浄瑠璃集』、小学館、2002、 p.38。
2 同書、p.38。
3 同書、p.39。
4 同書、p.39。