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情死の構造

ドキュメント内 中日古典悲劇の比較研究 (ページ 107-111)

5.1 『嬌紅記』に関する先行研究

5.4 悲恋への道と情死のかたち

5.4.3 情死の構造

王通判が前約を破棄し、帥子の求婚を受けることで、申・嬌にとって、今まで望 んできた「同心子」の内容と伝統的な「婚姻形式」によって構成された愛情理想の 実現は不可能となった。そこで、「婚姻」という外的な形式要素を捨て、「愛情」の 内実だけを発展させることも、また、礼教と完全に一致した、いわゆる「封建礼教 的」な「婚姻」の外側に歩み、親の許可など諦めて二人だけの「婚姻」を求めるこ とも拒否した二人にとって、残された道はただ「死」一つのみである。

実際、『嬌紅記』において、「情死」の伏線は比較的早い段階で示されている。

第十出「擁炉」、互いの気持ちを確認でき、嬌娘から正式な求婚を要求された申純 は、二人の未来を予見したように、こういう。

况或议亲不允,则当赧然远遁,后更何以为计?

まして、もし親が許してくれなかったら、その時は(小生は:訳者補足)きっ と赤面の余り遠く去ってしまう。その後はどうすればよいだろう。

このように弱気になった申純に対して、

只要两下心坚,事终有济。若事不济,妾当以死相谢。1

ただ我ら二人の意志が固ければ、物事は必ずうまく行く。もし本当にうまく行 かなかったら、その時私は死をもってあなた様に報いるわ。

1 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983p.377

と、彼を勇気づけるように嬌娘は宣言する。

もちろん、事態の進展がまだはっきりとしていないこの時点で、「事终有济(物事 は必ずうまく行く)」の一文でも分かるように、二人の未来に対して、嬌娘は実に楽 観的で、前向きである。しかし、まさにこのような時でも、「死」はすでに一つの選 択肢として彼女の視野に入っている。

結局、父王通判が帥子の求婚を受け、自分が望んでいた愛情の成就は「不济」―

―実現不可能――に終わる。自分の正直な気持ちを打ち明け、父の独断的な決定に 真正面から反対することができなかった嬌娘は、とうとう完全に絶望する。第四十 五出「泣舟」における申純との最後の面会の際、彼女は再び自分の「以死相謝」―

―死をもって申純に報いる――という決意を伝える。

姻缘分劣,俺和你,不能勾生与同衾,死与同穴,也怎做的两鞍鞴一马,单轮蹍双 辙。(中略)妾向时与郎拥炉,谓事若不济,当以死谢。如今死不得同伊死,教我撇 也怎生撇。1

婚姻の縁がなくて、結局、私とあなた様は生死を共にすることができなかった。

一匹の馬にどうして二つの鞍が備えられ、また一つの車輪はどうして二つの轍 を残せようか。(中略)かつて、あなた様と炉を囲んだ時、私はもし物事がうま く行かなかったら、死をもってあなた様に報いると言った。今になって、あな た様と一緒に死ぬことさえできないなんて、私には捨て置けと言われても捨て 置けるものですか。

まず、ここで彼女が使った「以死相謝(死をもってあなた様に報いる)」の言葉に 注意してほしい。

嬌娘の言うこの「謝」は、実際のところ、ある具体的な行動としての「報い」を 意味していることが彼女の一連の行動から読み取れる。

嬌娘は申純のことを自分の「同心子」として認定し、愛する。そこで、彼女は同 じように自分を愛してくれた申純に正式な婚姻関係を要求する。同時に、伝統的な 婚姻制度が自分のこの要求を支持してくれると信じながら、彼女は万が一物事がう まくいかなかった場合、「死をもって、申純の自分に対する感情に報いる」という覚 悟ももっている。つまり、申純の愛情に対する報いとして、嬌娘は自分の命を捧げ るのである。そのため、帥子との結婚が決められた時、彼女は「两鞍鞴一马,单轮蹍 双辙」――二人の男性に身を許すこと――を拒絶し、命をもって自分の約束を守ろ うとする。

実際、申・嬌二人の「情死」までの過程は、一つの「謝」――「報い」の循環に よって構成されているようにも見える。

まずは、自分の愛情理想を完成させるため、嬌娘は申純に正式な婚姻関係を求め る。そして、自分の要求に答えてくれた申純への報いとして、嬌娘は自分の命を捧 げ、「貞節」を守りぬく。最後に、自分のために「貞節」を守って死んだ嬌娘に報い るため、申純は「義」をもって自ら命をたつ。

姐姐果为小生而死,小生断也不忍独生了。2(第四十五出 泣舟)

1 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983、pp.471−472。

2 同書、p.473

お嬢様が本当に小生のために死ぬなら、小生も決して一人で生きてはいけない。

若小姐果然为我而死,我少不得也相从了。1(第四十八出 双逝)

もしお嬢様が私のために死んだら、私はその後を追わなければならない。

想古来义夫烈士,不惜杀身,以践一诺。我昔与小姐有誓,生不同辰,死当同夕。

今他既待我九泉之下,我便欲悔背前盟,谅老天也断不相容了。2(第四十八出 双 逝)

古来の義夫烈士は、命と引き換えにしても誓いを実現する。昔私とお嬢様は、

同じ時刻に生まれることはできなかったが、死ぬ時は共に逝くという約束を交 わした。彼女は今黄泉で私を待っている。たとえ私が前約反故しようとしても、

天も絶対私のことを許してくれないであろう。

これらの台詞で分かるように、嬌娘の後を追うことを決めた申純が再三強調した のは、彼女に対する「愛」ではない。その代わり、「古来の義夫烈士」を見習い、命 と引き換えにしても誓いを実現しようとする彼にとって、「死」の直接的な動機はむ しろ、自分のために死んだ嬌娘に報いる「義」である。実際、彼のこのような行動 も第五十出「仙円」において、東華帝君によって、「秉志守义(志を貫き、義を守り きる)」3と評価されている。つまり、自ら選んで、結果的に「情死」の道を歩んだ 申純であるが、彼はただ愛する人のいない世界に一人で生きていくことを拒絶し、

自ら命を絶った一人の情人として描かれているわけではない。その代わり、その行 動の内的動機から考えると、彼は、嬌娘の真摯な情誼に相応に報いると彼女と約束 し、また命をもってその約束を守りきる一人の「義夫烈士」として作り上げられた のである。この意味で、申・嬌の「情死」の決定の背後には、「情」を基礎、あるい はきっかけにしながら、「謝」――報いること――を基準とする一つの「交換関係」

が隠されている。

実際、申・嬌の間に存在するこのような「貞節」と「節義」の「交換関係」を根 拠として、『嬌紅記』は一つの「節」と「義」の封建的倫理を唱える作品と見なされ るべきであるという意見も存在する。

徐朔方(1993)は『晩明曲作家年譜』の中で、各文本の『嬌紅記』における封建 的説教現象について次のように指摘している。

传奇既以“节义鸳鸯冢”为名,又加上“金童玉女”字样4,可说是双重的封建说 教。5

伝奇は「節義鴛鴦冢」を題目にし、さらに「金童玉女」の文を加えた。それは、

二重の封建的説教だと言えよう。

また、郭英徳(2001)も、孟作伝奇『嬌紅記』は一見、愛情の自由を謳歌してい るように見えるが、実は「節義」の仮面をかぶりながら、小説テキストの礼教思想 を更に強化していると主張する。

1 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983p.480

2 同書、p.482。

3 同書、p.492

4 訳者注:ここでは雑劇『金童玉女嬌紅記』を指す。

5 徐朔方、『晩明曲家年譜 第2巻』、浙江古籍出版社、1993p.546

孟称舜之所以冠以“节义”二字,就是要着意表彰男女主角对爱情忠贞不渝的节 烈义勇精神,(中略)从而为有乖礼教的私情贴上封建道德的“金”。1

孟称舜が「節義」の二文字を付けたのは、男女主人公の愛情に対する揺るぎな く忠実な節烈義勇の精神を意図的に表彰するためである。(中略)(彼は:訳者 補足)このようにして、礼教と一致しない私情に封建的道徳という「金箔」を 貼ったのである。

確かに、前文で論じてきた申・嬌の間の「節」と「義」の報いの循環の存在を考 えると、徐や郭の主張を完全に否定することはできない。しかし、同時に、このよ うな「節」と「義」の交換は「同心子」の認定を前提にしていることも忘れてはな らない。

「天下义夫节妇,所为至死而不悔者,岂以是为理所当然而为之耶?笃于其性,发 于其情(天下の義夫節婦が、死ぬことも惜しまないのは、単にそのほうが理として 当然だからそうするだけであろうか。彼らの性に忠実に、彼らの情から発露した行 動なのである)」2と、孟称舜本人が『嬌紅記』の題記にて書いたように、彼は「義 夫節婦」を単純に礼教教化の結果だと思っていない。その代わり、「性」と「情」が 自然に深まっていき、その極致まで発展していくと、「義夫節婦」がその結果として 出現すると考えている。この意味で、伝奇『嬌紅記』が封建的礼教に対する無条件 の服従や、封建的な道徳をはっきり示しているわけでもない。

正確に言えば、『嬌紅記』において、自由な愛情に対する追求と封建的礼教に対す る服従は同時に存在している。また、その力関係は二人の感情の発展とともに徐々 に変化しているようにも見える。

申・嬌の愛情が芽生える段階において、はじめに打出されたのは「同心子」の愛 情観である。そこで、礼教の規範に背きながら、二人はひたすら相手に求めていく。

しかし、一旦相手が自分の「同心子」であることを認定できたら、申・嬌は直ちに 自分らの愛情を既存の規範・体制の枠の中に回収しようとし、「鴛鴦」の象徴と一致 する婚姻関係を求めるようになる。また、二人に肯定され、求められていた婚姻関 係は、礼教から独立したものではなく、いわゆる「父母之命、媒妁之言(父母の言 いつけ、仲人の取り持ち)」という封建的な形式をもったものである。そのため、帥 府の威勢に怯えた王通判が二人の婚約を破った時、申・嬌にとって、「同心子」の内 容と伝統的な「婚姻関係」の形式によって構成された愛情理想を実現し、自分らの 愛情を現実の婚姻関係の中に回収することも不可能になる。ここで、彼らは「死」

を選ぶ。もし、このまま「同心子」の愛情観を再び前面に出せば、二人の男女が真 実の「愛」を求めるために命を捨てるような愛情悲劇を成立させることができたは ずである。しかし、いったん情死の実行段階に入ると、「貞節」と「節義」の「交換」

――「報い」の動機が再三提起され、強調されるようになる。結果的に、この「節」

と「義」によって構成される「報い」の循環が、情死の本来の動機――「愛情」を も乗り越え、二人の主人公が死を決断する際のより直接的な動機になったように見 える。

1 郭英徳、『明清伝奇史』、江蘇古籍出版社、2001、p.291。

2 王季思編、『中国十大古典悲劇集』(上)、上海文芸出版社、1983p.351

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