5.1 『嬌紅記』に関する先行研究
5.2 孟称舜作『節義鴛鴦冢嬌紅記』 1 のあらすじ
『嬌紅記』は、従兄妹同志である申純と王嬌娘(以下は申・嬌と略す)が、自分らの 愛情に忠実であるために、悲壮にも自らの命を捧げるという設定の悲恋物語である。
親に命じられて叔父王通判の家を訪ねてきた申純は、従妹の王嬌娘に会い、二人 の間に恋が芽生えた。そしてさまざまな障害を乗り越え、愛が深まっていく。
しかし、申家に持ち込まれた縁談話は、嬌娘の父王通判が「内縁親戚の婚姻は禁 止されている」という理由で断ってしまう。失望した申純は嬌娘に励まされ、王通 判の気を変えるために科挙試験の合格をめざし、勉学に励む。
申純が念願の科挙の及第を手に入れた後、王通判は申・嬌の期待どおり態度を一 変し、二人の縁談話に賛同した。ここまでのストーリーは中国伝統的な愛情設定―
―「才子佳人」型の設定と一致するように見えるが、真の「悲恋」はその後から展 開する。
王通判が申・嬌の結婚を許可し、二人に婚約を結ばせた直後、うわさで嬌娘の美 貌を知った帥府の御曹司は、嬌娘との縁組を申し入れる。帥府の勢力に脅えた王通 判は申家との婚約を取り消し、嬌娘を帥府に嫁がせることにする。申純に心も身も 寄せた嬌娘は帥府への嫁入りを拒み、絶食して、体を壊し、衰弱の果てに死んでい く。彼女の死を知らされた申純は縊死を図ったところ、身内に救われたが、その後 は自ら食を絶ち、嬌娘の後を追う。
申・嬌が死んだ後、王と申両家は二人を不憫に思い、合葬する。二人の比翼塚の 上に二人が化身した 番つがいの鴛鴦が舞い上がり、申・嬌は東華帝君の導きで仙界に昇っ ていく。
以下の表は孟称舜作『嬌紅記』のあらすじを整理したものである。
出 内 容 属 す る ス ト ー リ ー
全 劇 に お け る 位 置 づ け
第 一 出「 正 名 」 全劇概要を紹介。 劇の冒頭陳述 第 二 出「 辞 親 」 申 純 が 親 に 命 じ ら
れ、王府に向かう。
申・嬌の愛情スト ーリー
申・嬌の「一目惚れ」が そ の 後 の 劇 の 展 開 を 方 向付ける。
第 三 出「 会 嬌 」 申 純 と 嬌 娘 の 出 会 い
第 四 出「 晩 繍 」
召 使 い の 飛 紅 と の 会話を介して、嬌娘 の「愛情観」を前面 に打ち出す。
全 劇 を 支 配 す る 「 同 心 子 」 の 愛 情 観 を 提 出 す る。
第 五 出「 訪 麗 」
帥 府 の 御 曹 司 が 嫁 に な る 美 人 を 尋 ね る。
帥府ストーリー 悲劇的展開の伏線
1 以下は『嬌紅記』と略す。
第 六 出「 題 花 」 第 七 出「 和 詩 」
申 純 と 嬌 娘 が 詩 を 通 じ 、 愛 を 語 り 合 う。
申・嬌の愛情スト ーリー
二 人 の 愛 情 が 順 調 に 展 開。
第 八 出「 番 衅 」 番 王 が 四 川 を 攻 め
る。 戦争ストーリー 全劇の背景設定 第 九 出「 分 烬 」
第 十 出「 擁 炉 」
申 純 と 嬌 娘 の 恋 人 関 係 が 正 式 に 成 立 する。
申・嬌の愛情スト ーリー
嬌 娘 は 申 純 に 正 式 な 求 婚を求め、二人が誓いを 交わすことで、「悲劇」
の主観的要件が備わる。
第 十 一 出
「 防 番 」 番軍との戦い 戦争ストーリー
第八出「番衅」と対応し、
全 劇 の 背 景 設 定 と し て 描かれる。
第 十 二 出
「 期 阻 」
申・嬌の逢い引きが 雨で妨げられる。
申・嬌の愛情スト ーリー
二 人 の 愛 情 展 開 に お け る 外 的 な 要 因 に よ る 阻 碍が描かれる。
第 十 三 出
「 遣 召 」
成 都 守 備 の た め に 両 親 が 申 純 の 里 帰 りを要求する。
戦 争 ス ト ー リ ー と申・嬌の愛情ス トーリーが合流。
二 人 の 愛 情 の 展 開 が 戦 争によって妨げられる。
第 十 四 出
「 私 悵 」
申 純 と 嬌 娘 が 互 い
の心を疑う。 申・嬌の愛情スト ーリー
二 人 の 愛 情 の 展 開 は 当 事 者 本 人 の 内 的 な 要 因 で妨げられる。
第 十 五 出
「 盟 別 」 申純が成都に帰る。 申・嬌一回目の別れ 第 十 六 出
「 城 守 」 番軍との戦い 戦争ストーリー 全劇の背景設定 第 十 七 出
「 求 医 」
恋の病を患い、申純
は再び眉山へ。 申・嬌の愛情スト ーリー
二 人 の 愛 情 が 再 び 順 調 に展開。
第 十 八 出
「 密 約 」 申純と嬌娘が再会。 申・嬌二度目の再会 二人の愛情の展開 第 十 九 出
「 帰 図 」
帥 府 の 御 曹 司 が 美
人図を得る。 帥府ストーリー 悲劇的展開の伏線 第 二 十 出
「 断 袖 」
申 純 と 嬌 娘 が 夫 婦 の契りを結ぶ。
申・嬌の愛情スト ーリー
二人の間に「婚姻関係」
に 入 る 前 の 肉 体 関 係 が 成立する。
第 二 十 一 出
「 遣 媒 」
父が病に倒れ、申純 は 再 び 嬌 娘 と 別 れ る。
申・嬌二度目の別れ
第 二 十 二 出
「 婚 拒 」
嬌娘の父・王通判が 申家の求婚を断る。
二 人 の 愛 情 の 展 開 は 外 的要因で妨げられる。
第 二 十 三 出
「 妓 飲 」
友人に誘われ、遊郭 に 飲 み に い っ た 申 純が遊女・丁憐憐と 会う。嬌娘の美貌に 憧 れ た 丁 憐 憐 は 嬌 娘 の 靴 を 持 っ て く る よ う に と 申 に 頼 み込む。
後の申・嬌二人の誤解を 展 開 す る た め の 伏 線 と なる。
第 二 十 四 出
「 媒 復 」
求 婚 が 断 ら れ た こ と が 申 純 に 知 ら さ れる。
二 人 の 愛 情 の 展 開 は 外 的に妨げられる。
第 二 十 五 出
「 病 襄 」
申純は仮病を装い、
再度王府に向かう。 二人の愛情の展開 第 二 十 六 出
「 三 謁 」 申純と嬌娘が再会。 申・嬌三度目の再会
第 二 十 七 出
「 絮 鞋 」
申 純 は 丁 憐 憐 の た め に 嬌 娘 の 靴 を 盗 んだが、飛紅に見つ かり、止められる。
しかし、嬌娘は二人 が 自 分 の 目 を 盗 ん で 通 じ て い た の で はないかと疑う。
第二十三出「妓飲」と呼 応、二人の愛情の展開に お け る 内 的 な 阻 碍 が 描 かれる。
第 二 十 八 出
「 詬 紅 」
嬌娘は飛紅を責め、
飛紅の恨みを買う。
後、二人の愛情に対する 飛 紅 の 阻 碍 の 伏 線 を 敷 く。
第 二 十 九 出
「 詰 詞 」
飛 紅 と の 関 係 に つ い て 嬌 娘 が 申 純 を 詰問する。
二 人 の 愛 情 の 展 開 は 当 事 者 本 人 の 内 的 な 要 因 で妨げられる。
第 三 十 出
「 玩 図 」
帥 府 の 御 曹 司 は 嬌 娘の似顔絵にほれ、
求婚を決意する。
帥府ストーリー 悲劇的展開の伏線
第 三 十 一 出
「 要 盟 」
申 純 と 嬌 娘 は 天 に 誓いを立て、それま で の 誤 解 が 解 消 さ れる。
申・嬌の愛情スト ーリー
二 人 の 愛 情 が 順 調 に 展 開。
第 三 十 二 出
「 紅 搆 」
嬌娘に責められ、恨 み を 抱 い た 飛 紅 は 計略を巡らし、申純 と 嬌 娘 の 逢 い 引 き の と こ ろ を 王 夫 人 に見せる。
二 人 の 愛 情 の 展 開 は 外 的に妨げられる。
第 三 十 三 出
「 愧 別 」
逢 い 引 き の 現 場 を 見られ、居づらくな っ た 申 純 は 嬌 娘 と 別れ、王府を去る。
嬌 娘 は 申 純 の 及 第 後 の 再 度 の 求 婚 を 求める。
申・嬌の三度目の別れ 二 人 の 愛 情 の 展 開 は 外 的に妨げられる。
第 三 十 四 出
「 客 請 」
帥 府 の 当 主 が 息 子 の意を知り、王府へ の求婚を許可する。
帥府ストーリー 悲劇的展開の伏線
第 三 十 五 出
「 贈 佩 」
王 通 判 の 転 任 で 成 都を通る。申純と嬌 娘 は 再 会 を 果 た し たが、互いに心中を 打ち明けたのち、す ぐ再度別れる。
申・嬌の愛情スト ーリー
申・嬌の四回目の再会と 別れ
二 人 の 愛 情 が さ ら に 深 まる。
第 三 十 六 出
「 赴 試 」 第 三 十 七 出
「 喜 賀 」
申純が及第し、王通 判 が 再 び 彼 を 家 に 招く。
二 人 の 愛 情 が 順 調 に 展 開。
第 三 十 八 出
「 栄 晤 」 申純と嬌娘が再会。
申・嬌五回目の再会 二 人 の 愛 情 が 順 調 に 展 開。
第 三 十 九 出
「 妖 迷 」 第 四 十 出
「 詰 祟 」
女 妖 が 嬌 娘 に 成 り 済まし、申純と嬌娘 の 間 に 誤 解 が 再 び 生じる。
女 妖 ス ト ー リ ー と申・嬌の愛情ス トーリーが交錯。
二 人 の 愛 情 の 展 開 は 外 的に妨げられる。
第 四 十 一 出
「 明 妖 」
女妖の計略は飛紅、
嬌 娘 に よ っ て 見 破 られる。
二 人 の 愛 情 が 順 調 に 展 開。
第 四 十 二 出
「 帥 媾 」
帥 府 の 勢 力 に 脅 え た 王 通 判 は 申 家 と の婚約を取り消し、
嬌 娘 を 帥 府 に 嫁 が せることにする。
帥 府 ス ト ー リ ー と申・嬌の愛情ス トーリーが交錯
二 人 の 愛 情 が 悲 劇 に 転 じる。
第 四 十 三 出
「 生 離 」
申 純 と 嬌 娘 が 再 び 別れる。
( こ こ で 王 夫 人 が 死んだ後、王通判が 婿 養 子 を も ら う 目 的 で 申 家 の 求 婚 を
申・嬌の愛情スト ーリー
申・嬌五回目の別れ 二 人 の 愛 情 に お け る 悲 劇的展開。
受 け た こ と が 分 か る。)
第 四 十 四 出
「 演 喜 」
帥 府 の 御 曹 司 と 丁 憐 憐 が 婚 礼 の リ ハ ーサルをする。
帥府ストーリー 二 人 の 愛 情 展 開 と 直 接 に関連しない。
第 四 十 五 出
「 泣 舟 」
病 中 の 嬌 娘 が 親 の 目 を 盗 ん で 申 純 と 会い、互いに「死」
の決意を伝える。
申・嬌の愛情スト ーリー
二 人 の 愛 情 の 悲 劇 的 結 末が暗示される。
第 四 十 六 出
「 詢 紅 」
王 通 判 は 飛 紅 の 口 からはじめて娘・嬌 娘の本心を知る。
二 人 の 愛 情 に お け る 悲 劇的展開
第 四 十 七 出
「 芳 殞 」 第 四 十 八 出
「 双 逝 」
帥 府 へ の 嫁 入 り を 拒 み 、 嬌 娘 は 絶 食 し 、 衰 弱 の 果 て 死 ぬ。それを知った申 純もその後を追う。
二 人 の 愛 情 が 一 旦 悲 劇 的に終わる。
第 四 十 九 出
「 合 冢 」
王 と 申 両 家 は 二 人 の死を不憫に思い、
申 純 と 嬌 娘 を 合 葬 する。
二 人 の 愛 情 が 再 び 順 調 に 展 開 す る 兆 し を 見 せ る。
第 五 十 出
「 仙 円 」
東 華 帝 君 が 申 純 と 嬌娘を仙界に導き、
二人で登仙。
二 人 の 愛 情 が 円 満 に 収 束される。
表5.1 孟称舜作『嬌紅記』のあらすじ
以上のあらすじで分かるように、『嬌紅記』において申・嬌の愛情成就が全編を貫 く唯一のテーマである。ストーリーの構成は、厳密とも言えるほど男女の主人公の 感情と運命、つまり「愛情」の筋を軸にしている。二人の愛情ストーリー以外の帥 府ストーリー、戦争ストーリーや女妖ストーリーが存在するが、どれも男女主人公 の愛情主題と交錯し、愛情筋の発展を支えている。
以下では中国古典悲劇における「悲恋」ものの代表的な一例として、愛情の理想 図、その愛情理想の実現方式と過程、そしてそれが実現できなかった時の悲劇的な 結末――情死という三つの角度から分析を行い、『嬌紅記』における「悲恋のダイナ ミズム」を考察していく。