事例(1):Aは,筆者が行く度,活動開始前に「はじめまして。私は○○と申します。先生 どこから来られたん?まあ遠くから大変ですね。」,活動終了後に「本当に楽しかったです。ま たいらしてください。ありがとうございます。」と発話しエレベーター入口まで筆者を見送る。
女学校出身で心が大変純粋であり,花や海の色について感じたことをすぐに口にするような自 然を愛でる心をもっていることから感受性も強いといえる。そうした感受性の強さから,曲の 情景や思い出に即座に反応していたと考察する。
事例(2):Bは,毎回教室開始前に「何が始まるんですか」,歌集を渡すと「これは何に使 うんですか」と不安を示す発話をする。しかし,歌うことが好きでありウォーミングアップ時 から意欲的に取り組む。「思い出した」という発話が口癖であり,歌の流行った当時の情景を 思い出して涙を流している場面が観察された。
事例(3):筆者の歌唱前のコメントが,東日本大震災に関連する内容で,このことが涙の表出 ポイントであったと考察する。その理由として,曲の開始直後から号泣し始めた
C
は,歌詞を事 例 (3)
実施場所 救護施設U 岡山市南区
実施期間 2013年12月24日のみ(社会福祉士実習期間は2013年10月から12月)
時間,頻度 13:00から14:00(1時間),1回のみの実施 参加人数,年齢 約25名,1名20代,他50代から80代男女 事例日 2013年12月24日
対象者について 60代女性C 細かいことが気になる症状,その症状が表れると苦い顔で自 分の世界に入り込む。
涙の表出事例 ≪花は咲く≫(20)を歌う前,Yが次のコメントを言って歌い始めた。「これは 東日本大震災復興支援のNHKテーマソングです。まだ現地には仮設住宅で 暮らし続けている人がいます。私の友達も被災し,家族を亡くしました。そ の友達のことを思うと,いたたまれない気持ちになります。」
曲の開始直後から曲の終了時まで「かわいそうに」と言いながら泣き続けた。
事 例 (4)
実施場所 精神障害者デイサービスH 岡山市南区
実施期間 2013年10月から12月(社会福祉士実習期間は2013年10月から12月)
時間,頻度 13:00から14:00(1時間)計2回 参加人数・年齢 7名,60代
事例日 2013年11月8日,11月18日
対象者について 60代男性D 内向的であまり輪に入ろうとせず,発言もほとんどない。
涙の表出場面 音楽教室の当日,開始15分前に「どんな曲が好きですか」との問いに,「古 賀政男の曲が好きじゃ」と呟いたので,音楽教室開始時間までの数十分を利 用し,急遽Yは,用意していた歌詞カードに≪影を慕いて≫(28)と≪人生の 並木道≫(29)の2曲を加えた。≪影を慕いて≫(28)をYが歌い始めると,噛 みしめるように泣き始めた。「どうして涙が出たんかなあ」と職員が泣き始 めた理由を尋ねると,「昔を思い出してなあ」と言った。職員からは,その 日の反省会で「日頃は感情を露わにされないので珍しい,本人の心が動いた ことがよくわかった」と報告があった。
事 例 (5)
実施場所 グループホームM 岡山市東区 実施期間 2012年8月から2015年3月
時間,頻度 13:45から14:45 毎月第1金曜日(月1回)
参加人数,年齢 7名から9名,80代後半から90代後半 事例日 2014年8月7日
対象者について 80代女性E 病気により近時記憶が難しい病気があり,無表情になること が多い。心優しく,Yがキーボードを運ぶ際「重いでしょう。手伝いましょ うか。」と必ず声を掛けてくる。
涙の表出事例 ≪みかんの花咲く丘≫(9)の歌唱後,隣りに座って一緒に歌唱している仲間 が涙を流し始めたのを見て,「いい曲じゃなあ,涙が出そうな」と涙を流し 始めた。
72
念入りに読み上げた。≪花は咲く≫の歌詞は「大変なことがあってもいつか花は咲く」という 内容であり,C自身が抱え込んでいる何らかの辛いことを乗り越えられるときが来ると考えた 可能性が考えられる。また「花は花は花は咲く」と歌詞の旋律が盛り上がる部分であり,感情 の盛り上がりと旋律の動きや,歌詞の繋がりにより涙が表出したといえる。
事例(4):Dは病気の症状をもちながら
20
代から30
代に仕事に就いていた。その当時に好 きであった作曲家の歌を歌唱することでそのときの心境を思い出し,現在のD
の心境に何らか の変化が起きたことで周囲の人々との相互行為が能動的になっている。Dはこの回の音楽教室 後,通常より表情が柔らかくなり,通常はほとんど自身の世界に入って応じようとしない会話 にも応じるようになったという。この態度の変化から,懐かしい歌を歌うことで昔を思い出しD
の心境に何らかの変化が起きたと考察する。事例(5):
E
は近時記憶が弱まる病気を抱えており無表情のことが多いが,伴奏のないところ でも歌詞を唱え時々だが笑みが観察された。このことから,歌唱の時間を窮屈ではなく楽しい 時間であると認識していると考察する。また,仲間とともに歌唱することで楽しいといった感 情が生まれ,その感情を仲間とわかち合うとともに自身の涙の表出を実感した経験は,近時記 憶の弱まりを実感しているE
にとっての自信に繋がる。これらの事例から,歌唱時に涙が流れた理由を表2-1-6のキーワードで示す。
表2-1-6.涙が流れた理由のキーワード(山下,2015)
事例 キーワード
(1) 対象の曲が流行した時代の思い出 (2) 歌唱後に込み上げる感謝・感動・思い出 (3) 同情・同感の気持ち
被災地に対しての思い・自身の気持ちの実感 (4) 対象の曲の歌詞から連想する思い出
(5) 仲間が泣いている姿を見ての感情の変化
高齢者が懐かしさを感じる曲を聴いたときには自身の生い立ちや体験が高齢者から発話され やすい(柴田,岩永誠,2009)(11)。本節では5つの事例における高齢者の涙の表出について考 察した。表2-1-6には思い出や同情・同感が含まれている。歌唱による涙の表出は,事例を記 録し分析し続けるとさらに多数のキーワードが出てくる可能性がある。それは,歌唱を通して 涙が表出されることが高齢者自身の心に浮かんだ感情と密接に関係しているからである。本節 の事例は,歌唱活動のもつ芸術的力動によって高齢者が変容していることを示している。
5.グループホーム
M
での涙の表出事例の会話分析次に,筆者が実践したグループホーム
M
での音楽教室の調査結果を示す。ICレコーダーで 記録した音声データに基づき分析考察する。1)グループホーム
M
についてこの施設では
2012
年6月から2015
年3月まで毎月1回1時間音楽教室で指導を行った。表2-1-7に音楽教室の詳細を示す。参加者
A
からG
のうち,4の表2-1-5事例(5)に登 場するE
と本事例のB
は同一人物である。73
表2-1-7.グループホーム
M
での音楽教室の詳細(山下,2015)場所 グループホームM 岡山市東区 日時 2014年8月7日(金)
入居定員 9名 教室参加者 年代・性別
7名,80代後半から90代後半 全員女性,重度から軽度の認知症者 実施時間 約1時間
内容 歌唱を中心とし,道具をもちいての踊りや楽器を取り入れたプログラム構成 場面 (1) 始めの話,前半ウォーミングアップ
(2) ≪我は海の子≫≪白虎隊≫≪うみ≫≪君の名は≫歌唱,休憩5分 (3) 後半ウォーミングアップ≪タバコ屋の娘≫歌唱
(4) ≪みかんの花咲く丘≫歌唱 (5) ≪籠の鳥≫歌唱
(6) ≪今日の日はさようなら≫歌唱 (7) 終わりの話,次回予告
表記法 ・囲い括弧():行為
・Y:筆者(講師),S:施設職員,A~G:入居者,♪:歌唱場面
・各々が話す順番を通し番号で示す 参加者の特
徴
A:日ごろから朗らかで,口数はそれほど多くないが,昔のことをよく覚えている。歌が拍 に収まらず先走りやすい。曲をよく知っている。
B:どこのページを歌っているかすぐにわからなくなるが,流れを止めないようにと知って いるふりをすることがある。感動しやすい。
C:何をするときかわからないといった様子がしばしばみられる。歌集を使用しているが,
どこを歌っているかわからず歌っている最中にページをめくることがしばしばある。怒 りやすいが,アップテンポの曲では笑顔を見せて手拍子をすることもある。
D:1年前までは朗らかで饒舌であったが,最近表情が無表情で怒りやすい。妄想からくる 発言がある。
E:いつも笑顔だが,ページはわからなくなる。童謡や唱歌は声高に歌う。約1年前より入
居した。
F:感動しやすく,よく涙を流す。歌が参加者のなかで一番好きである。演歌や歌謡曲もよ く知っている。Bと仲がよい。
G:知らない曲があると,「わからない」とはっきりという。覚えておきたいことを書いて いる紙を大事にし,よく眺めている。歌手の名前をいうとその紙に後でメモすることも ある。Dに対して「今○○をするときじゃが」と厳しくいうときがある。
場面につい て
場面は,音楽教室が始まって44分10秒部分からの展開である。2曲目の≪白虎隊≫の終 わりにもFが涙を流している。音楽教室の始まりから終わりまでを場面(1)から(7)に 分けた。会話分析は涙が多く表出した,場面(4)から(6)のみ行った。
2)会話分析
次に,グループホーム
M
での音楽教室の会話について分析する。歌唱した曲については,幾 度か当施設で歌唱したもののなかから参加者が周知している人気のあった曲を選択している。場面(4)は≪みかんの花咲く丘≫(3の表2-1-2,9番参照)の2番までを歌唱して感想を 言い合った後に,再度同じ曲を1番のみ歌う場面,13分間内の会話である。
表2-1-8.場面(4)の会話(山下,2015)
時間 会話記録
44:10
44:34
01Y 次はみかんの花咲く丘でした,7番いきましょ 02B あはは(小さく笑う)
03F ≪みかんの花咲く丘≫
04Y うん それをやりましょう
05B みーかんーのはーながさーいてーいるーじゃな
(旋律が始まる前に歌い始める)
06Y バッチリバッチリ それ! これは昭和21年,21年ていうたら,第2次世界大戦が 終わった次の年ですね