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147 4)全体の考察

ドキュメント内 高齢者の歌唱活動による変容と自己の生成 (ページ 151-156)

70

代後半女性

T

60

代後半の夫婦

Y, M

も共通して子どもの頃から歌が好きであった。本 歌唱教室に参加したことによる各自の意識変化には,T は友情の強化と地域活動への拡大,Y と

M

は,人前で歌う喜びの実感と他参加者との交流の発展があった。また,3者の歌への深い 思いが随所から観察された。

さらに,このインタビューでは語られていないが,T は

2016

年4月に行った本歌唱教室の 発表会でもリーダー役として全体の流れを考えたり,参加者全員への連絡を率先して行ったり した。

Y

M

は,以前はあまり行わなかったが,夫婦で頻繁にカラオケスタジオやカラオケ喫 茶へ足を運ぶようになった。本歌唱教室内で行ったカラオケ大会では練習を重ねた曲を多数披 露した。2016年

12

月,2017年

12

月,2018年

12

月と3回に渡り,200名収容のホールにて 行われたボーカル発表会にも出演し,次回のボーカル発表会への意欲も高めている。

3名に共通する点は,幼少期から今日まで歌が好きであり続けている点である。好きな歌を 続けてきた延長線上に,本歌唱教室との出会いがあり,その歌唱教室で他者とともに歌うこと の楽しみを再確認している。また,他の参加者や歌の活動の影響を受け,地域サロンの開設や 社交ダンスを習い始めたこと,施設の慰問コンサートにてソロで歌う活動に参加し今後も継続 する意向を示していること等,地域での新たな社会的活動の実践へと繋げていた。

3名は歌唱教室での歌唱活動を行いながら,地域貢献活動や社会的活動に積極的に取り組ん でいた。これには,本歌唱教室に参加したことが作用していると考察する。

2.熟練者であるカラオケ指導者2名へのインタビュー

1)対象者について

(1)歌唱健康指導士

A:昭和6(1931)年 10

23

日生まれ,86歳男性(2018年3月現 在),歌を始めて

60

年。昭和

38(1963)年5月から E

氏の歌謡教室

O(地名)校の講師をし

ていた。O校から歌い手をメジャーデビューさせた。現在の直弟子の一人は,O県知事賞,O 市長賞,NHK 賞等を受賞し,歌唱健康指導士,日本歌手協会認定のプロレベルテストに合格 している。その他,歌手協会に登録している。

(2)元トラック運転手

B:昭和9(1934)年3月 29

日生まれ,84歳男性(2018年3月現 在),歌を始めて

50

年。昭和

40

年代からカラオケスナックで歌い,現在まで続けている。若 い頃トラック運転手をしながらカラオケスナックに通っているうちに,歌の上手さを見込まれ て徐々にカラオケを教える立場となる。現在は定期的にカラオケコンサートにも出演している。

2)インタビューの詳細

(1)歌唱健康指導士

A

インタビュー実施日時:2015年4月

19

日 時間:1時間4分

場所:高齢者施設内の相談室,飲食店

148

(2)元トラック運転手

B

インタビュー実施日時:2015年4月

30

日 時間:30分

場所:O県K市にある

S(地名)公民館

3)歌唱健康指導士 Aの語り

(1)半構造化インタビュー

-音楽歴を教えてください。

A:今年で60年くらい。昭和38年5月21日からE先生のO(地名)教室の講師をしていた。

Mさんをメジャーデビューさせた。現在の直弟子であるJさんは,O県知事賞,O市長賞,NHK 賞などをもっている。歌唱健康指導士で,歌手のプロレベルテストに合格している。プロレベル テストとは,歌手にはならないが歌手同等のレベルと認定してくれる資格である。その他,歌手 協会に登録している。

-歌を始められたきっかけは。

A:戦時中にも歌っていた。僕の場合は学校の講堂で小学校の先生がピアノを弾いて軍歌を歌っ ていた。歌を褒められたことで20代からプロ歌手を目指していたが,生活が安定せず,公務員を しながら歌手活動と歌唱指導を続けた。50歳で公務員をやめて現在まで歌の活動は続けている。

NHKのど自慢ラジオ放送に31年,県庁ができた年に出た。テレビ放送がなかった。金を3つ鳴 らして,そこから指導者生活が始まった。プロの前座をしていた。OのK亭というキャバレーに て専属でアコーディオンを弾いていた人がいた。その人がOとかS(地名)などに巡業されてい たときの前座をしたことがある。プロ歌手を目指していたが生活が安定しないので,S銀へ勤め,

3か月で喧嘩をしてやめて,それから公的機関に勤めた。50まで勤めて50で結婚して公的機関 をやめた。それから現在に至るまで歌の活動は続いている。市役所に居るときも0市民歌を作っ ているときはプロジェクトの中心にいた。一番最初は,0城の歌を昭和41年に作った。(中略)

0城の歌を作ったのは僕の先生のK,東芝レコード会社の創設者。歌を教わってその人を中心に T歌謡学校を0に作った。そこの講師となった。T先生はたまにしか来なかった。0備前太鼓歌 を北島三郎にお願いしていたが,病気になって駄目になってR(地名)で歌った。今でもある。

-得意な曲は何ですか。

A:演歌が何を歌っても得意。ラジオ歌謡,戦前戦後の歌は全て生き字引のように覚えている。

-現在の歌の活動は。

A:演歌の作曲,歌唱指導,ボランティア活動,大衆音楽協会の理事長,O,J,K先生は内弟子。

内弟子さんはほとんど毎日(自宅に)来て,仕事帰りに歌っている。日曜はお休み。今は弟子に なってもらうのは断っている。大会に出て下さるような人しか指導しない。多いときは 20 名く らいいた。今は昼寝をしないと無理。内弟子さんが自由に練習している。おかしいときだけおか しいぞという。

-教えるとき気を付けていることは何ですか

A:言葉を伝える,リズムにしっかり乗る。演歌は言葉を伝えないと価値がない。言葉をうまく伝 えるための基礎練習,「あえいおう」を行っている。≪花は咲く≫はメロディが中心,演歌は詩が 中心。メロディが中心になっていると小節から小節に言葉をまたぐから歌いづらい。

-声について悩みはありますか。

A:年齢が上がってくると歌いづらい。だんだんと声が出づらくなってくる。やっぱり歌い続け ていてもキーが下がってくるし,年齢が上がってくるとしゃがれてくる。しゃがれ出したころに 耳鼻科へ行って声がおかしいと詳しい検査をしてもらったら,結果,「お年です,どこも悪くない」

と言われた。年相応に味を出せばいい,若い頃と同じ声を出そうと思わなくても,年相応に枯れ て味を出していけばいいと頭を切り替えた。高い声が出づらい,キーは下がる,声帯を取り巻く 筋力が弱まってくるからしかたない。

-自分の歌声についてどういう風に思いますか。

A:高い声が出づらくなる。自分の声の好きなところは,昔は春日(八郎)の声によく似ていたと ころ,ハリがあるところ。北島三郎の函館の記念館に妻と行き,≪函館の人≫と≪風説流れ星≫

を北島三郎とバーチャル共演した。予約制だった。練習するのはキーを下げて練習していたが,

行ったら北島三郎は高い自分のキーで歌われたから合わすのが大変だった。1番を北島が歌い2 番を僕が歌い,3番をデュエットした。北島三郎が好きである。

-歌うために何か努力していることは?

A:毎日声を出す,毎日30分くらいは歩くこと。声を出すことは体力がいるから歩くようになっ

た。足のひきつけがあるので,時々座らないといけない。走ると糖尿病で眼底出血が起こる。右 目は手術をした。

149

-歌うことに関して目標はありますか。

A:目標ねえ。自分として長寿を全うしたい。歌うことによって病気をしないで健康で一生を終 えたい。健幸という字を書くことがあるがその字のように健やかで幸せに最後を終えたい。平均 寿命が87歳に近い。男は80歳,健康寿命は女は73歳,男は70歳,つまりその後10年間は寝 たきりや認知症になる人が多いということ。10年間は,今は超えていますが,最後まで健康でお りたい。健康でおりたいために歌を歌いたい。

-今後どのような活動をされたいですか。

A:後継者を育てたい。せっかく勉強して歌唱健康指導士という資格も取ったので,それを生か すために,自分として健康歌唱指導士を生かせるような指導をしたい。基礎発声,腹式発声をす ることで健康寿命が延びてくるという気持ちで将来やっていきたい。歌を通じて皆さんが成長し てきているので,歌で恩返しをしていきたい。

(2)歌唱健康指導士について

【歌唱健康指導士は歌でボランティアをすることにより地域貢献をしていく

NPO

法人である。

歌唱健康指導士の多くは演歌のジャンルの指導を得意とする。ボランティア活動とは別に音楽 と関係のない本業をもっている。体と歌との健康について医学博士から講習を受ける。楽典,

歌唱法の勉強,試験を受け,合格したものが取得でき,全国に

200

名程度,O(地名)には

10

名いる。歌唱健康指導士は資格なので,それで報酬を得ている者もいる。主な活動に歌の国体 がある。国体で一定以上のレベルに達した者が歌唱健康指導士の資格を取得する権利が得られ る。】

(3)考察

A

は,年を重ねるにつれて声のキーは下がり,高い声が出しづらくなったと実感しながら,

声に味を出していくことに発想を転換している。また,現役の歌手として施設等で継続して歌 を歌っていくために,毎日

30

分のウォーキングを欠かしていない。83歳の後期高齢者である が,人生を健康に全うするために一生歌い続けていくという決意をもつ。腹式発声で健康寿命 が延びると考え実践している。Tはこのように,高齢になるにつれて生じる老化を受け入れな がらも,自身でできる心身の健康維持や声を保つ方法を考え実践している。健康についての意 識が強く,歌を歌い続けてきた結果,健康を維持できていることを自覚している。今後の活動 に「後継者を育てること」があり,実際にプロ級の歌手を何名か育てていることが

A

の生きが いとなっていた。

また,Aは公務員として働きながら現在まで歌の活動を継続している。他者から褒められた ことが歌を始めたきっかけである。歌を他者から褒められたことで,プロ歌手を目指すまでに 成長できたことから,自己意識が高いと考察する。戦前戦後は食料や物が不足したこともあり,

歌の活動のみで地方で生活するのは現実的に困難であったが,歌への情熱が深かったために,

好きな演歌を中心に歌い続けてきたと考察する。地方のテレビ番組に呼ばれて歌ったり作曲を したりと幅広く活動し,現在も施設等で歌い,後進の指導も行っている。筆者は

2015

年,

A

の 歌声を施設で行われた音楽療法において聴く機会を得たが,

80

代という年齢からは想像できな いほどの伸びのある声をしていた。これらから,Aの歌唱活動は自身のパフォーマーとしての 活動から,歌うことを他者に広める活動へと変化していることが確認できた。現在でも弟子が 数名おり,弟子たちが

A

の自宅の教室に通いながら付き人として身の回りの世話も行っている とのことであったが,弟子が付き人となるとは演歌界特有の風習である。歌を教えるときには 言葉の発音をはっきりするために発音の練習をしたり,言葉を大切にさせたり等,演歌特有の 歌い方の指導を意識して行っている。「メロディが中心だと小節から小節をまたいで歌いづら

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