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62 第2章 高齢者が歌うこと

ドキュメント内 高齢者の歌唱活動による変容と自己の生成 (ページ 66-69)

第1節 高齢者が歌唱で涙を流すこと

本節では,筆者が実施している高齢者向け音楽教室において歌唱時に参加者が涙を表出 することが多かったことから,高齢者の歌唱時の涙の理由に着目する。歌唱活動を通した 高齢者の生活創造の過程を明らかにし高齢者自身の歌唱への姿勢や様子,心の変容を捉え るために,長期的に観察していくなかで参加者の涙の表出に焦点をあてる。筆者は

2012

年 5月から

2015

年5月の3年間に計

17

箇所の施設の延べ

435

名に対して音楽教室で歌唱 指導を実施した。本節で取り上げる施設はそのなかの6箇所である。

以下に本節の研究方法を示す。

【方法】

1)歌唱時の涙の表出に関する質問紙調査

2014

年5月

22

日,岡山市東区の喫茶店

A

での歌の会の参加者を対象とした歌唱時の涙 の表出に関する質問紙調査を取り上げる。喫茶店

A

での歌の会は

2014

年2月から毎月

1

回第4木曜日,10時半から

12

時と

14

時から

15

時半の2回に分けて実施しており今まで に約

120

曲を使用した歌唱活動を行ってきた。参加者は

2014

年5月

22

日現在,午前の部

10

名前後,午後の部

20

名前後の計

30

名程度であり,参加者の年齢は

60

歳から

81

歳,

男性3名,女性

27

名である。質問紙調査実施時の参加者数はこれより

10

名少なく,質問 紙調査実施日の参加者は

20

名であった。

2)施設の音楽教室で涙が表出した曲の分析

2012

年5月からの3年間で延べ

435

名に実施した曲約

400

曲のうち涙が表出した

60

曲 を取り上げ,その曲について,題名,ジャンル,拍子,曲の解説に分けた表2-1-2から表 2-1-4を作成した。表で示した記号の意味は以下の4点である。①6箇所全ての施設で行 った曲は◎。②有料老人ホーム

V,介護付有料老人ホーム R,グループホーム M

と喫茶店

A

の4箇所に〇。③有料老人ホーム

V

と介護付有料老人ホーム

R,グループホーム M

の3 箇所は△。④喫茶店

A

のみは▲。曲の記載順は歌唱の実施順に準ずる。涙が表出する曲の 音楽の要素には,旋律,和声,速さ,リズム,調性,アーティキュレーション等が想定さ れる。これらの音楽の要素による影響に関する解明は,今後の課題とする。

3)施設の高齢者を対象とした涙の表出事例の考察

施設の高齢者を対象とした音楽教室における参加者の涙の表出事例について,表出理由 の違いが分析できる事例を5点挙げる。事例(1)の岡山県倉敷市の有料老人ホーム

V

で は,2012 年8月から

2013

年3月の8ヶ月間,毎週水曜日

15

時半から

16

時半に実施し,

期間中に

73

曲を実践した。参加者は

28

名,年齢は

65

歳から

97

歳である。事例(2)の岡 山市中区の介護付有料老人ホーム

R

では,2012 年5月から

2015

年5月現在までの3年 間,毎月2回

13

時半から

14

時半の1時間に実施し,約

250

曲を実践した。最初の2年間 は木曜日に教室を行っていたが,3年目より火曜日の実施となり,実施回数も

2015

年5 月から毎週の実施に変更となった。参加者は

40

名前後で年齢は

66

歳から

100

歳である。

事例(3)の岡山市南区の救護施設

U

は筆者が

2013

10

月から

2013

12

月の3ヶ月間,

週3日,社会福祉士の資格取得のために実習を行った施設である。この期間に事例(4)の施 設で音楽教室を行っている。期間中の音楽教室の実施は

2013

12

24

日の1回のみ,

13

時から

14

時の1時間であり,

10

曲を実践した。参加者は

25

名前後であり年齢は

20

代 が

1

名おり残りは

50

代から

80

代である。事例(4)の岡山市南区の精神障害者デイサー

63

ビス

H

では音楽教室の実施は期間中2回,2013 年

11

月8日と

11

18

13

時から

14

時の1時間で合計

19

曲を実践した。参加者は7名で年齢は

60

代である。事例(5)の 岡 山市東区のグループホーム

M

では

2012

年8月から

2015

年3月の2年半,月1回第1金 曜日

13

45

分から

14

45

分の1時間で約

210

曲を実践した。参加者は7名から9名,

年齢は

80

代後半から

90

代後半である。

4)グループホーム

M

での涙の表出事例の会話分析

施設の高齢者を対象とした涙の表出事例(5)で取り上げたグループホーム

M

で,

2014

年8月7日に実施した音楽教室の一場面を会話分析し,涙の表出が起こる歌唱前後の展開 を考察した。今回は

IC

レコーダーのみの録音であり,歌唱時の涙の表出状況の詳細を動画 記録してはいない。音声記録に基づく歌唱前後の場面の会話分析を行うことで,参加者間 や参加者と講師及び参加者と施設職員間の相互関係が歌唱という芸術的活動の行為により つくり変えられることを通して生じる涙の表出について考察する。

1.涙の定義と位置付け 1)涙の定義

人の涙は血液から生成され涙腺から分泌される液体である。涙は,通常の生理作用で1 日平均数

ml

の僅かの量が目の表面を流れる他に,感情の反映であるのと同時にデモンス トレイションでもある「涙を流す」という行為では多量に分泌され,この情景を見る人に 何かを訴える,という機能を持つ(中村,2005)()。また,涙を流すことでストレスを発 散させることができるとした研究も行われている(有田,2007)()。このような感情の起 伏による涙の表出例としては,オリンピックでゴールド・メダリスト達が表彰台に立ち,

感激して流す涙,卒業式などで流す涙,映画を見て流す涙等があり,日本では喜びの涙,

悲しみの涙として是認されている(中村,2005)()。式典のような制度化された場面には

「思い出」を想起する力があり,想起された記憶が「涙・泣き」をもたらすのではないか との分析もされている(北澤,2006)()。児玉は映画を観て観客が涙を流す理由を,観客 はスクリーンに映し出された物語に涙しているというよりはその物語に喚起されて観客自 身の過去を振り返り,その記憶に対して涙しているのではないかと述べている(2005)()。 2)涙の位置づけ

本節における涙の位置 づけに ついて述べる。William H. Frey は涙の種類を,基礎分泌による 涙,刺激による涙,感情による涙 の3点に分類している(6)。基礎 分泌による涙や刺激による涙と 感情による涙の成分には違いが あるとしている。有田は涙の種類 を,基礎分泌としての涙(持続的 で微量),反応性の涙(目にゴミ が入った時,玉ねぎを切った刺激 等の防御反射),情動性の涙(心 を揺り動かされる体験)の3種類 としている()。この両者に対し,

佐々木は涙の種類を生理学的に,

刺激性の涙と感情性の涙の 2種

Willam H.

Frey

佐々木 有田

基礎分泌に よる涙

感情性の涙(笑い,欠伸,

咳,嘔吐)

基 礎 分 泌 と し て の 涙(持続的で微量,

ドライアイ等)

刺激による 涙

刺戟性の涙(局部的刺激)

刺激性の涙(鼻粘膜の痛 覚的刺激)

刺激性の涙(強い光, 赤外 線, 紫外線)

感情性の涙(とりわけ激 しい痛み刺激,身体のあ らゆる知覚的刺激)

反応性の涙(目にゴ ミが入った時,玉ね ぎ を 切 っ た 刺 激 等 の防御反射)

感情による 涙

(Emotional Tear)

感情性の涙(喜びや悲し みの感動の場面)

情動性の涙(心を揺 り動かされる体験)

表2-1-1.涙の種類の比較(山下,2015)

64

類に大別し,刺激性の涙を,局部的刺激(角膜や結膜に対する機械的,化学的,痛覚的刺 激)の涙,鼻粘膜の痛覚的刺激(わさび,鼻打撲)の涙,光学的刺激の涙に,感情性の涙 を,身体のあらゆる知覚的刺激,とりわけ激しい痛みの刺激(泣くほど痛いなど)の涙,

笑い・欠伸・咳・嘔吐の涙,喜びや悲しみの感動の場面の涙に分類した()。3者の涙の種 類を比較すると,3種類に大別できる(表2-1-1)。

Frey

による「感情による涙」,有田による「情動性の涙」,佐々木による「感情性の涙」,

これらは,ほぼ同一の種類として捉えることができる。「感情による涙」の例として,映画 鑑賞による涙を取り上げてみよう。有田は映画鑑賞前後の心理実験を行っている。この実 験は,被験者4名を対象に映画を鑑賞させ,鑑賞前後に

POMS

心理テストを行い,涙が表 出する前後で心理状態がどのように変化するのかを調査したものである()。その結果,

POMS

心理テストにある疲労,怒り,緊張・不安,混乱,活力,抑圧の6尺度のうち,怒 り,緊張・不安,混乱の項目が泣く前と比較して泣いた後では下がっていた。実験結果か ら,感情に関する涙を流すことで,怒り,緊張・不安,混乱といったマイナス要因の感情 を抑えることができることが明らかになった。このことから,映画を観て涙を流すことは,

ストレスの緩和につながるといえる。有田は,映画を観て涙を流すことがマイナス要因の 感情を抑える働きをもつことを取り上げているが,高齢者の歌唱時における涙も,ここに 述べた「感情による涙」,つまり,心と密接に関わり合うことで流れる涙であると考えられ る。そこで本節では,高齢者が歌唱時に流す涙を,歌唱活動を通して流れる涙を心が動か されたことにより表出する「感情による涙」と位置づける。

本節の涙の表出は,他者とともに芸術的活動としての歌唱活動を通して表れる,体を揺 らす,笑顔が増える等の多様な変容の一表象となる。歌唱活動は,高齢者にとって生活の 力動性の核となるものである。本節では,歌唱のもつ芸術性によって,高齢者自身が変容 し,生活を創造していくとの認識に基づき議論を展開する。

2.歌唱時の涙の表出に関する質問紙調査

60

歳以上

75

歳未満の歌の会に参加している男女

20

名を対象に次のような歌唱と涙の 関係についての質問紙調査を実施した。この歌の会は筆者が岡山市東区の喫茶店で行って いる会で,2014年2月から

2017

11

月まで月1回,午前と午後の部に分けて継続して 行っていた(第5章第1節参照)。進行方法は,8,9曲を参加者のリクエスト曲を中心 に歌唱し途中お茶タイムを設ける展開とした。参加者は歌の会に歌唱や他の参加者との交 流を楽しむために参加していた。

調査日の実施曲は午前の部が≪五番街のマリーへ≫≪少年時代≫≪古城≫≪旅愁≫≪上 を向いて歩こう≫≪いい日旅立ち≫≪月の砂漠≫≪琵琶湖周航の歌≫≪今日の日はさよう なら≫,午後の部が≪五番街のマリー≫≪少年時代≫≪トロイカ≫≪旅愁≫≪上を向いて 歩こう≫≪北国の春≫≪月の砂漠≫≪琵琶湖周航の歌≫≪今日の日はさようなら≫の各9 曲であった。

1)調査内容

調査目的:高齢者が涙を流す曲や理由の調査 調査場所:喫茶店

A

調 査 日:2014年5月

22

調査日の参加者数:午前の部6名,午後の部

14

名 調査対象:60歳以上

75

歳未満の歌の会受講者 調査方法:自由記述,2者択一 配布数:20 回答数:20 回収率:100%

ドキュメント内 高齢者の歌唱活動による変容と自己の生成 (ページ 66-69)